第19話 利子の母親

 田上 利子の母親が学校に残っている利子の荷物を取りに来た。

 現場となった北舎一階のにも入った。

 母親は涙一つ見せず、ぐっと握りこぶしを握ったまま、荷物を手にして現場を眺めた。

「あと、引き受けますよ。三上先生」

 三上統括責任者が振り返ると、一華が立っていた。嫌そうな顔をする一華に、

「―向こうで―事務員が呼んでますよ。お母さんだって、ゆっくり見ていたいだろうし、今、かなりヒマなのは、私だけですから」

 三上先生は考えたが、「要らぬことは言うな」とくぎを刺しあとを任せた。―要らぬことってなんだよ―と思いながら三上先生を見送ると、母親がこちらを向いているのが見えた。

 会釈をし、三上先生と交代したことを伝え、「ゆっくりいて大丈夫ですよ」と伝えた。

 一華の名前を聞いた母親が、ポケットから紙きれを取り出し、

「カネダ、イチカ先生ですか?」と聞いた。頷くと、「ぜひ聞かせてほしいんです」と言われた。

 一番最初に利子のことを話しに来た竹田 加奈が、一華が親身になって話を聞いてくれたこと、他の生徒も、一華を頼って話をしに行っていることを聞いたらしく、他の生徒から聞いた話を聞かせてほしいと言った。

 もちろん、一華が三上先生と交代したのは、偶然ではあるが、できれば母親と話せないかと階下に降りてきていたので、この申し出はありがたかった。

 個室Z16号室に案内する。小林君に拓郎に連絡するように言うと、コーヒーを入れ、出て行く。

「佐竹先生と私が、利子さんの第一発見者なんです」

 拓郎が来ることに不安そうだったのでそういうと、母親はお世話をおかけしました。と頭を下げた。

 白髪の混じった、手入れの悪そうな髪をバレッタでひっつめ、あかぎれの酷い手を揉むようにしている。

「どうも、私、学校というところが苦手で」

「解ります」一華の即答に、母親は苦笑し、

「私、高校中退で、一華が出来たので、だから、勉強とか好きじゃなくて、」

「私も、授業は嫌いでした。偉そうな教師の物言いが小学校の時からキライで、さも解ったような説明をするけど、そんなに解ってもいないで教えるから、こちらとしてはまるで身に入らない。

 そんな無駄な時間を過ごすなら、行きたくないと母親に言ったら、たしかに無駄な時間だと思うが、将来先に進みたいと思った時に、卒業証書がないと先へ進めなくなる時が来る。それだけのために、また同じ時間、いや、それ以上の時間を使って学校へ行くのならば、先に行っておいた方がいいと。言われました。母親は、私が学ぶことが嫌いではないけど、集団生活が送れないことを悟っていたのでしょう。

 母の説明で、たしかに、みんなが夏休みや、冬休みの時に学校へ行って嫌な先生と二人きりで勉強するのがごめんだと。そう思って皆勤賞を取り、気づけばここに居ます。

 だから、学校で呼ばれる先生という呼び方が嫌で、私の授業中に限っては、おばちゃんと呼ばせてます。ただし、廊下に出た途端、生徒たちの品格を問われるので、先生と呼べと言ったら、私は、「おばちゃん先生」と呼ばれているんです」

 一華の話しの後で母親は少し緊張を緩ませた。温かいコーヒーを両手で包み、少し体が温かくなったころ、一限目が終わって走りこんできた拓郎に、

「自分で入れろ」というと、拓郎はコーヒーを入れながら自己紹介をして、椅子に座った。

 拓郎がコーヒーを飲んでひと呼吸したのを見て、母親が、

「娘の、……お世話になりました」と頭を下げた。

 二人は黙って同じく頭を下げた。

「それで、先ほど、金田先生にも言ったんですけど、先生も、うちの子の話しを同級生の人から聞いてくださっているようで、どんな話でも大丈夫です。お聞かせ願えませんか? 警察から、妊娠しているということも聞いてます。DNA? の検査もしているということも聞いてます。親として恥ずかしいのですが、他所に住んでいて、相手のことなどまるで知らずで、アパートの整理をしましたけど、そのような物もなくて」

「荷物、片づけられたのですか?」

「はい、ここに来る前に送ってしまいました。警察では構わないと、何か、パソコンと、いくつかのノートと、携帯と、そう言ったもの以外は大丈夫ですと言われたので」

 母親はぐっと歯をかみしめ、心つもりはできている。という顔で二人を居た。

「あ、あぁ、えっと。何から話せばいいか、」一華が切り出さないので拓郎が口を開く。

「娘さんは、」一華が切り出すと拓郎が嫌そうな顔を向けた「利子さんは、友達の間で真面目で優しい子だったと評判です。誰一人悪い話をした人は居ません。

 まじめすぎて遊ばないのでつまらない。といった子はいましたが、まじめであることには変わりありませんし、困っている人を助けそうだとか、常に貧乏くじを引きそんな役割をしてそう。とか言っていても、それも、やさしいという性格の特徴です。

 お嬢さんに非はないと思います」

「では、なぜ、利子は殺されたのでしょう?」

「そこです。私が気になるのは。なぜ殺されなきゃいけなかったのか? あの場所だったのは、多分、」一華はそのまま口に手を持っていき黙った。

 拓郎が一華のほうを不安げにみる、「おい、」

「多分、なんでしょうか?」母親と拓郎は同時に発した。

「……笠田教授の亡くなった場所へ行っていた帰りだったからだとは思う。ではなぜ、田上さんは笠田教授の事故現場に行くのか? 生物史学を専攻していたが、専攻していた生徒は誰も献花や、哀れみも、同情も、失意も見られず、むしろ、笠田教授が居無くなってくれたことでほっとしている子が多い。

 三上先生の指導のもと、笠田先生のところの生徒の採点をやり直すと、全員が余裕で合格していたという。マイナス査定をされていた男子生徒など、満点だったというから、笠田先生の横暴さに呆れる。

 そんな教授の亡くなった場所へ行く理由があるか? 理不尽な点数をつけられていた。もしくは暴行されていたとして、その場合、あの現場で罵詈雑言騒いでいいと思うが、いつだって静かだったらしい。北舎の上なのでね、私だって聞いたことがなかった。

 とすると、他の理由が考えられるけど、無言でいる理由は見つからない。……霊体質で、笠田先生の霊が見えて、除霊でもしているというなら、まぁ、そんなこともあるんだ。とこの一件は片付くけれど。

 とにかく、利子さんは笠田先生の、……のお母さん? 大丈夫ですか?」

 母親の目が充血し、大粒の涙を流しながらわなわなと震え出した。

「か、笠田、笠田というのは、この男ですか?」

 そう言ってこの学校のパンフレットをカバンから出し、職員紹介のところの笠田を指さした。というか、爪を立てて刺した。その行動に一華が眉を顰める。

「知り合いですか? お母さん?」拓郎の言葉に、

「知り合いですかって? ええ、よぉく知ってますよ。忘れたくて、忘れたくて、でも、恨むあまり忘れることが出来ない男ですよ」

 その激しい憎悪に一華と拓郎が身を仰け反らせる。

 戸がノックされ、小林君が立川と青田が来たことを告げた。二人の刑事は入ってくるなり、事件を報告に行ったときに会った母親と様子が違うことに驚いた。

「も、もう少し話が聞けたらと思って、そしたら学校へ行ったと―利子の住んでいたアパートの―管理人に聞いたので」と椅子に座った。

 母親は刑事に頭を下げ、わなわなとなっている自分を抑えるように俯き、深呼吸を心掛けた。

「発作なんです。思い出して、過呼吸っていうんですか? それになるんで、こうやって、押さえろって言われていまして」

 母親は涙を服の袖で拭おうとするのを、一華がボックスティッシュを差し出した。頭を下げ、それで涙と、鼻をかみ、

「想定してきたことには、耐える覚悟だったんですけど。先ほど案内してくれた方が、思い出と言っては何だが、とパンフレットをくれて、たしかに、利子が載ってましたから―ほら、ここ、裏のところに、」と言って、パンフレットに載っていた生物史学の実習風景の中に利子がほほ笑んで映っていた。「でもね、これを、閉じようとした時、先生がたの写真見て、ぞっとして、すぐに閉じて、破り捨てようと思っていたんですよ。こんなもの、持っていたくなくて」

 母親はそう言って四人の聴衆者に目を向け、

「笠田 武夫は、悪魔です」

 母親の恨めしく、日本人的黒目なのに、それが真っ赤に見えたのは一華だけではなかったようだ。

「あく、ま? ですか?」

 青田がやっと言った。

 母親はぜひぃぜひぃと言いながら頷いて話そうとするのを一華が止め、内線で増田カウンセラーを至急呼んだ。

 増田が母親の隣に座り、呼吸を安定させる。母親は、ゆっくりと呼吸をして頷いた。

「興奮したり、具合が悪くなったらすぐに辞めますから」

 一華の言葉に母親は首を振り、

「利子が亡くなったんです。隠す必要はないですから」

 弱弱しくつぶやいた。



 ―母親の話しは、泣いたり、鼻水をすすったりして中断したので、そこを省いた状態で記す―


「先ほど、先生にも言いましたけど、私、高校中退なんです。県立の、バカ高校を。バカ高校だし、実際バカで、勉強したくなくて、遊び歩いていました。自業自得です。それでも、親は、……私の両親は世間体とか、人の目をすごく気にする親で、バカ大学でもいいからとにかく行くようにと、家庭教師をつけたんです。

 それが、当時教員免許を取ったのに、学校に就職できなかった笠田だったんです。

 当時は、こんな、不潔な男ではなかったですよ。金持ちのお坊ちゃんよろしく、高そうな服を着て、言うこともしゃれてて、母親なんかすっかり気に入ったぐらいで。

 確かに、最初の内は、一生懸命勉強を教えていたけど、まるで解らない。そのうち、お前がバカだから解らないんだ。と言い出して、こんなこと、小学生レベルだとか言い出して。

 だから、私は家に帰るのが嫌になって遊びまわって、そしたら、笠田が探し回って、連れ帰って、両親は熱血漢あふれる好青年だって、そう思ったようだけど、本当は違うんです。私が逃げたら、親から授業料をとれないからなんです。

 親の信頼を得ると、親は、笠田と二人きりにして出かけて行くようになったんです。信頼してるから。

 笠田は、私をレイプし、殴り、蹴った。痣がつくほどではないけど、痛いのは痛い。そのうち、いくら、痣がつかない叩き方だと言っても、それは蓄積するようで、ある日、父親が気付き、出かけたふりして戻って来てくれて、この時は親に感謝しましたよ。不良娘の言うことを聞いてくれたんだと。まぁ、父親は、娘が嘘を言っている証拠をつかむために戻ってきたようでしたけど。

 とにかく、いつもと同じようにレイプを始めたところで、両親が部屋に入ってきた。笠田は私が誘ったと言ったけど、私は猿轡をはめられ、殴られた後だったので、笠田を警察に通報する、しないとなって」

「通報しないって、いや、普通するでしょ?」拓郎の言葉に、母親はせせら笑い、

「世間体大事なんですよ。そんな名家でもないくせに。

 そしたら、笠田のほうが親を呼び、三百万でなかったことにしてくれと。

 私に至っては、ここ―実家―に居たら、窮屈な思いをするだろうから、他所の私立女子高で寮ある学校への手続きをしてあげるとか、言い出し、親は、それを飲み、」

「飲んだんですか?」拓郎と青田が同時に叫んだ。

 母親は二人を見てほほ笑み、「ええ、受け取って、娘を県外の寮に入れたんですよ」と冷たく笑った。

「でも、県外へ行ってすぐ、妊娠していることが解って、でも、相談相手居ないじゃないですか。寮だし、最初からずっと居たわけじゃないし。

「だから、私、親に、現金で購入しなくちゃいけない用具費用として十万送金させ、とりあえず、それで何とかなるかって、逃げだしたんです。

 親とは、利子が小学生に上がったころ、向こうがやって来て、うちに部屋が余っているから帰ってこないかとか言ったけど、地元に戻る気ないし、嫌だって拒否して、それっきり。大きな家だったんですよ、中流そこそこの家庭としては。その家を売り払わなくなったり、狭いアパートに移ったとか、老人ホームに入るのにお金がいるとかって、事あるごと連絡が来たけど、無視しました。だから、今、どういう状態かは不明です」

 母親はそう言って首をすくめ、

「18歳の女の子がどんな生き方したかは聞かないでくださいね。

 中絶しなかったのは、相談できず、ぐずぐず迷っていて、もう、下ろせない極限まで来ていたから。施設に引き渡す気だったけど、できなくて、

 その時住んでいたアパートの人たちはみないい人で、アパートも格安で住ませてくれて、もう、取り壊されちゃったけど、そこで子育てしながら、頑張って働いて、住民の人が利子の面倒やら、とにかく、世話をしてくれたおかげで、利子は大きくなれて。今のところに住めるのも、その時協力してくれて、貯金が作れたから。本当に感謝してるんです」

 母親はティッシュで涙をぬぐった。

「利子は、いい子に育ってくれて、先ほど言ってくれたように、まじめで、融通が利かないようなところがあるけど、それでも、人さまのことを考えれる子に育ってくれたと思ってます。大学で数人仲のいい子が家にも一度来たことがあって、その中の、加奈ちゃんから、金田先生が、利子のことで悩んでいて話したらすっきりしたと。他にも、先生に話している子がいると聞いたので、こうしてお話を聞こうと思ったら、」

 母親が人差し指の爪を立てて笠田の写真を刺した。

「こいつは、どこまでもついてくるのか」

 拓郎はその手を掴み、パンフレットを裏返した。ちょうど、笠田の写真の裏に利子が映っていた。

「こんな、こんなことってあります?」

 母親は顔を覆って泣いた。

「それじゃぁ、笠田教授は、利子さんの父親で、間違いないんですね?」

 一華の問いかけに、母親は頷いた。一華は立川たちを見た。二人が言い難そうな顔をしながら、

「DNA鑑定の結果が出た。田上 利子のお腹の子、胎児と、笠田のDNAが、血縁関係であると証明された」

 母親が、はぁーっ。と息を引き込むと、呼吸を止め背もたれにもたれかかった。増田が大急ぎで頬を叩いたり、呼びかけて、母親は呼吸を戻したが、目を白黒させたので、床に座らせ、一華の寝泊まり用の枕で背当てを作った。

「悪魔、悪魔め、」

 母親の言葉に誰も何も言えなくなった。

「利子さんは、笠田先生が父親だと知っていましたか?」

 母親は喘ぐように天井を見た後、がくっと項垂れ、「知っていました。この大学を受けると言い、生物史学の道に進むと言った時、なんでそっちへ行くのか聞いたら、いつ、どの時点、誰が、どうやって、入れたのか解りません。私は入れない。でも、本が入っていたんです。ご丁寧に、笠田 武夫と書かれた生物の本でした。ぞっとして、奪い取り上げると、利子は、お父さんのか? と聞いたので、……、私がレイプされて、そして利子が生まれたと、それは、私に内緒で会いに来た両親から聞いていたそうです。だいぶ前に。だけど、それを私に言うと、傷つくだろうからと、ずっと黙っていたらしく、だから、安心してと言いました。

 ……私は、父親だと、言いました。」

「その時、利子さんは?」一華が聞く。

「大丈夫よ。安心して、そんな悪い人に出会わないわよ。と、笑って。家庭教師に来ていた時の内容が、数学と英語だったと、それも両親が教えていて、だから、生物はたまたま持っていた本なのだろう。と。笑ってました。

 この学校を選んだのは、私立なのに授業料が安いからです。公立の生物には行けないからと。バイトして授業料をまかなうからと、特等生になる試験に受かったので、返還なしの奨学金が受けれたのも、うちが貧乏だからです。

 まさかこの学校に笠田がいるなんて、知らなくて。知っていたら、徹底的に反対したのに」

 母親がぐったりとなったので、一華が辞めようと提案したが、母親は首を振った。増田も危険だと言ったが、

「今言おうが、あとで言おうが、変わりないですから」と聞かなかった。

「先生、お友達は、利子のこと、他に、何か言っていましたか?」

 母親の要求に、一華は今まで聞いた話をした。

 「プラネタリウムに行ったそうです。それが部に入るきっかけになったそうですよ」

「そんなものが好きだったんですかぁ。知りませんでした。

 学科を選んだ時、普段私は顔を上げて生きていくつもりだから、勉強は堅実が大事でしょ? だから、下を向く学問にしたのよ。って言ったいたので、見上げる天文学なんて興味ないと思ってました」

 母親は友達たちの証言がひどくないことに安心したようで、椅子に座り、小林君が入れなおした暖かいコーヒーを口に含んでため息をついた。

「ねぇ、先生? 笠田が利子をレイプした。でも、笠田は利子が死ぬより前に死んだんでしょ? 誰が、利子を殺したんですかね?」


 母親は増田に付き添われて帰っていった。

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