第17話 証言5 用務員

 その日の朝は、とにかく寒く、校内の、悪趣味につけられたクリスマスの飾りの中、一華は襟を引き上げて学校の門を入った。冬休みに入るまで、あと数日は、別に授業もないのに学校に来なくてはいけない日が続く。―面倒だ―

 息が白く、ぱりぱりと音を立てているのがおかしくて、子供のように息を吐き出して歩いていた。

 南側の正門ではなく、旧正門の東門から入り、北舎へまっすぐ行こうとする、いつものコースを通ると、北舎玄関に―とはいえ、靴の履き替えはない―用務員が立っていた。

 山形という名で、今は落ち葉の掃除のため竹ぼうきと、塵取りを持って立っていた。

「あ、おはようございます」と一華が言うと、山形用務員は伺うような顔をして、

「金田先生ですよね?」と聞いた。

 お互い顔は見知っていたが、他の先生のように一華は山形用務員に用を頼まなかった。ほとんどの雑用を小林君に任せるので、会話をするのはあいさつ程度だった。

 一華は頷いて山形用務員を見る。

「あの、ですね……」

 といったところで生徒たちの往来に黙る。

部屋に来ますか?」

「いや、たいしたことではないんですけどね、先生がこの前亡くなった方のことを調べていると聞いたんで」

「調べているというか、みんな、誰かに話したいらしい。という話しを聞いているだけで、カウンセラーとか、警察に言うほどじゃない、些細なことを、」

「自分もあるんです、聞いてもらえますか? 警察というには、たいしたことないと言われそうだし、カウンセリングの先生に言うには、ちょっと違うと思うんで」

 一華は、いいですよ。と返事をし、個室へ行こうかともう一度言ったが、

「大したことじゃないと思うんで。

 よくよく考えて、考えて、やっぱり、そうだと思ったんですけどね、というのも、自分はあまり人の顔を覚えるのが得意でないし、人の多い場所ですからね。いつもは、掃除をして、雑用をこなすことだけで毎日が終わりますから。よくよく自分に用を頼む先生や、生徒の顔は覚えますが、自信がない。というのが正直なところで。でも、それでも、彼女だったと思うので」と、山形用務員は前置きをしてから、「学園祭の前日です。その日は金曜でしたし―学園祭は土日の二日間で、月曜日はすごいゴミでしたよ―金曜のその日に、各イベントをする生徒さんたちのところを回って、ごみ袋は足りているかとか、そう言ったことを聞いて回っていたんです。

 北舎は、三上先生が当日の朝には締め切るので、人の立ち入りはさせない。ということだったんで、月曜日にごみを集めに行くのも面倒だと思って、金曜日の仕事も大してなかったので、三階まで上がったんです。

 あと半分、踊り場まで昇った時、あの子が階段を下りてきたんですよ。自分に気づいて驚いて、さっと涙をぬぐって、」

「泣いていたんですか?」

「ええ。まぁ、あの事故現場ですからね、出てきたの。先生を思い出してたんだろう。と、まぁ、何も言わずそれっきりだったんですけど。

 そのあとすぐ、下で、「どこへ行ってたんだ、何しに行ってたんだ」っていう男の声がして、相手の声は聞こえませんでしたし、生徒、もしくは先生の痴話げんかに首を突っ込んでもろくなことはありませんから、そのままごみを集めに部屋に向かったんでそれきりでしたけど」

「その男の声は、聞き覚えは?」

「さぁ? 特徴のない声ですよ。まぁ、偉そうな物言いだと思いましたし、」

「思ったし? なんです?」

「いやぁ、階段を上がってきている時に、演劇部の生徒が居たんで、劇の稽古かとも思ったんですよ」

「……、ごみを集め、階段を下りた時、稽古はまだしてましたか?」

「いや、誰も居ませんでしたね。

 中舎や、南舎がすごい生徒の数と、賑わっているのに、自分がいる北舎のなんと寂しいことか。とちょっとしんみりしたもので」

「なるほど……、当日、北舎の、あの、例の部屋の異変とか、何かなかったですか?」

「さぁ。北舎利用の先生のために鍵を開けただけで、中のことなんか点検しません。戸締りの時には見廻りますけど。鍵をかけていたわけですから、夜の間に、誰かが入り込んでいたずらをしていた。なんてことはないと思い込んでいますから」

「もちろんですね。……彼女を見たのは、あの日が最初ですか? それ以前に見たというか、彼女を意識したとかはなかったですか?」

「ええ、以前に話しかけてきてくれた子でね、正面門のところの花は、園芸科がきれいにしていますが、東門の方は自分の仕事でね、花の植え替えをしていると、きれいな花ですね。毎日ご苦労様。って、声をかけてくれるんですよ。

 でも、名前も知りませんし、普段の生活の中にあっては、彼女を見分けることはできません。さっきも言いましたけど、顔を覚えるのが苦手なもので、自分には、若い子たちはみな同じ顔に見えてしまって。」

 一華は激しく同意した。

「でも、あの時―階段から降りてきたとき―いつも声をかけてくれる子だって、気づいたんですよ。泣いているのを見て、慰めよう。と思ったんですけど、すぐに、あ、若い子には彼氏がいるだろう。とかそう思って。今にして思えば、声をかけたほうがよかった気もするし、」

「声をかけてあげていたら、心配してくれてありがとう。と彼女なら言うでしょう。そして、目にゴミが入って、コンタクトが痛い。とかいうだけでしょうね。友達の証言から聞く彼女なら、そうやって、あなたの注意をそらしてくれるでしょう」

「……やはり、事件には関係ないでしょうか?」

「……多分」一華はかすかに微笑んだ。

 山形用務員はその笑みに、胸をなでおろしたように立ち去った。


 一華は思う。

 田上 利子は笠田教授に乱暴されているはずだ。その相手が亡くなった場所へ行き、泣くだろうか? 恨み節でも言って、気持ちが高ぶって泣いたとも考えられるが、それならば、彼女が現場で大声を出しているのを誰か聞いてもよさそうだ。

 もしかすると、利子が付き合っていた相手というのは笠田教授なのだろうか? 女子生徒はおろか男子生徒からも嫌われているような男なのに?

「あばたも、えくぼ的なこと?」

 一華はぼそりとつぶやいた。

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