第9話 学園祭 マスグレーブ家の儀式

 大学内が朝から浮足立っている中、一華は嫌々、登校し、北舎に向かうと、「立入禁止」と書かれた紙と、施錠された戸に目を丸くする。

 背後からわざとらしい咳払いが聞こえた。

「なんです?」

 たまたまではなかろう。職員室辺りから外を眺め、一華が来たのを見てからやってきたような、統括責任者の三上 優臣ゆうしん先生が近づいてきたので、聞いてみた。

「変な関心を持たれては困るのでね」

「渡り廊下も?」見上げる。

「もちろん。そこに店を構えさせ、先へ行けないように配置しておきましたし、三人の先生に監視を頼んでますよ」

「なかなか手回しがよろしいことで」

「ですからね、先生の控室とでも言いますかね? こちらをどうぞお使いください」

 と言って渡されたのは、一番狭い個室教室。X30号室の鍵だった。まぁ、一人で使うので構わないが、全く光の入らない、そのくせ窓は大きいので寒々しい部屋に入る。

 一応備え付けられていた机の上に、考古学控室。と紙があったので、それを入り口に貼る。

「なんすか、ここ」

 小林君が笑いながら入ってきた。

「嫌がらせだよ。まぁ、君たちはなんかするんでしょ? がんばっておいで。一応出席しろと言われたから来ているだけで、今すぐ帰っていいのだしねぇ」

 と椅子に座る。ぎぃぎぃとうるさい椅子に眉をしかめる。

「テラスに避難しておいた方がいいんじゃないんですか? まだ暖かいですよ」


 と言われたので、食堂に来ると、食堂は大忙しだった。それでも、橋おばちゃんの親切で早々に食事にありつけた。

「どうです? 一華先生?」

 と聞かれたので、めちゃくちゃおいしいと答えた。

 この食堂のカレーは相変わらず濃厚で、トロっとした甘さの後で来るスパイシーな辛さが何とも言えなかった。

 十一時半。開店と同時に人が押し寄せてきた。早々と食事をしてから、学校内を回ろうとする人たちだった。

 一華は食べ終わり、盆を返却口に返し、すぐそばの窓から外に出た。

 テラスはすでに、そのそばに作られている模擬店の屋台の客で満席だった。近くの花壇のふちに腰かけている人もいた。

 頭を掻きながら、歩く。

 空手部の瓦割とか、アカペラ部のコーラス、どこかのゼミの屋台などで中庭も、旧門広場前も、人であふれていた。

 大講堂―体育館では、演劇部による芝居、そのあと軽音部などのコンサートが予定されているようだった。

 一華がやっと座れる場所を見つけたのは、かなり歩いた場所だった。

 正門入って右手の、自転車置き場前の花壇のふちだった。日が当たるので、寒くはないが、することがない。本でも持ってくればよかった。と立ち上がろうとしたところに、佐竹 拓郎が近づいてきた。

「こんな場所で何を?」

「あ、あぁ……、さ、……たけ先生」

「よく覚えていてくれましたね」

 一華は苦笑する。首から下げている名札を見ただけだとは言わない。拓郎もそれに気づき、苦笑いをし、一華の隣に座った。

「どうぞ、どうぞ、向こうで手招きされてますよ」

 一華の言葉に、拓郎は苦笑いのまま、

「先生もどうです? 金田一の名に懸けて」

 一華が拓郎を見る。

「ウォークラリーだそうですよ、推研の」

「水拳?」

「カンフーの方じゃないですよ」何となくわかって、拓郎は声を出して笑う「推理研究部。推研。なんか宝探しのようですけどね」

「そんな部があるんですか?」

「いろいろありますよ。参加しませんからね、一華先生は?」

 拓郎の、呼びに眉を少し動かしたが、「面倒なので」と断る。

 そこへ、森本 虎郎ころうと、清水 卓人たくとの二人が走ってきた。

「おばちゃん! おばちゃん先生。助けて」

 一華が眉を顰める。二人の生徒は一華の側に立ち、手を擦り合わせ、

「推研のに参加してくださいよ。賞品、食堂のA定食一週間分なんですよ。俺ら地方で、貧乏なんです。助けてくださいよ」

「他を当たって。なんであたしなんだか、」

「だって、この前のやつ、警察より先に解いたんでしょ? ダテに、金田一じゃねぇって言ってたんだってば、ねぇ、おばちゃん、」

 二人に言われ、うっとうしくなって立ち上がると、その背中を押され、あっという間に、「なんで、参加……」と、ゼッケン番号をつけられていた。不服そうに、スタート近くの花壇のへりに腰かける。

 旧門、東側の広場にも模擬店が並んでいる。この広場にはフレハブ棟があり、いろんな部室が入っている。推理研究部もここに入っているので、スタートはこの広場なのだろう。

「制限時間は三時まで。なのであと三時間ですね。三時までに謎を解いてください。ちなみに、推研メンバーは、二時間半かかってしまった。それを破ることはできるか! 最大のヒントは、全て構内です。では、ヒントです一人一枚ずつです。では、スタート!」

 そう言って司会者の隣にいた学生が空高く紙を投げ上げた。ただの紙吹雪だったが、参加者はちりばめられている紙を飛び上がったり、落ちた紙を拾ったり、歓声を上げながらスタートした。

 推研部から渡されたヒントは、


[―それは誰のぞ?

それは来る人のもの


追いかけごっこをしよう しよう

ひまわりはきらい えらそうだからとシジュウカラが鳴く

桜を見たかったハツカネズミ

春が来たとカエルが言う


虹を見たいと願う少女

五日目の昼日に

左手を支えYの字を上手に作る


悪魔が来りて笛を吹く

の中で演奏された曲の

7小節目の#のついた音と

49小節目の休符前の音]


 全員が一巡ずつそれを読んでみた。

「詩? じゃないなぁ。何だこれ? なんか、呪文のような、」

 虎郎が顔をしかめて言う。

 紙は一華に戻った。一華は口の中で、つぶやく。

「やぁ、解りましたか?」

 拓郎の声に顔を上げる。女子大生を五人従えている拓郎は華やかだった。彼女たちの口元が緩んでいるので、解けたのだろう。

「解りましたか?」一華が紙に視線を戻してから聞いた。

「ええ、簡単ですよ。なんせ、昨日、推研部が仕掛けているのを見ていた子がいましてね。集会堂ですよ」

「えぇー、何で言うのよぉ」

「いや、すまない。でも、その中身は秘密です」

 拓郎と彼女たちはそろって集会場へと向かった。ほかにも何組かが集会場へと行っているようだった。

「集会場っすか?」

 卓人が不安げに聞く。

「多分、この虹と、確かに昨日、彼ら―推研部だったとは知らなかったが―集会場に出入りして、隠したかどうか話していたね」

「じゃぁ、集会堂?」

「行ってみたら?」

「行かないんですか?」

 一華は人差し指で空をさし、くるり、くるりと輪を描いた。

 バカにされた気がして、卓人と虎郎は顔を合わせ、様子を見てきます。と言いながら、順調に進むようなら戻っては来ないだろう。と一華は見送った。

「なかなか」

 一華は立ち上がると、正門に向かって歩き出した。東門から少し歩けば、一気に広がりを見せる正面広場。園芸学科があるので、そこの生徒が丹精込めた大花壇を横目に、南門―正門―までくると、すぐ横に、創立者である前理事長の胸像があった。


 集会堂の中―。集会堂の中には人がすでにいた。卓人と虎郎は後れを取った悔しさに顔をゆがめながら、それぞれのグループの後ろ辺りで情報を聞こうと近づく。

「それで、これから何?」

 という会話がほとんどだった。グループ内にいる「こういうの好きでしょ」と言われる人が頭をひねっているようだった。

 そんな中で、拓郎達グループは二階への階段を上っていた。

「左手で上手じょうずにというのだから、上手かみて側だろう。一階部の上手は、楽器演奏などが入ったりするので空間が空けられてれているだろ? 二階は客席があるので、」

「上手って左側のことなんだ」

「そう。さて、上がった。それではY-5の席を探すんだ」

「そんな番号ないよ?」

「そんなはずは、」

 集会堂に続々と人が集まってくるが、そのどれもがあいまいにそこに留まってしまった。

 卓人と、虎郎は合図を送り外に出る。が、先ほどの花壇に一華の姿はなかった。

「あ、一華先生見なかった?」 

 顔見知りに聞くと、正門側に行ったようだと言われた。

「模擬店堪能かよ」

 正面広場には、数多くの模擬店が出店していたので、二人は走って向かう。

 それをやっと集会堂から出た拓郎が見ていて、後を追いかける。

「なんで? 何?」

 と叫んでいる女子を置いていく。卓人と、虎郎の姿を見た時には、自分の推理は正しいと思い、一華よりも先に解けたと思ったが、Y-5などと言う席はなかったし、一華は集会堂には来ていなかった。

 走って追いかけると、拓郎たちと同時に、大股に校舎の方へと向かっている一華の姿を見つけた。他には誰も居なかった。

「何してんすか、てか、集会堂じゃなかったすよ」

 と話しかける卓人たちを無視し、一華は無言で歩き、立ち止まってから二人を見た。

「あら、先生? 取り巻きは?」

 二人は一華の言葉に振り返る。走り寄ってきた拓郎は、頭を掻きながら、

「えぇ、まぁ」と言葉を濁した。

「で、何やってんですか?」

「マスグレーブ家の儀式」

 しばらく三人は黙り、そして「はい?」と聞き返した。

「この暗号は、マスグレーブ家の儀式。的に解けということなんだろうね」

「その、マスグレーブ家の儀式って?」

「シャーロック・ホームズの話しの一つ。代々伝わる暗号を解くと宝があったというやつ」

「これのどこが? 推研部のやつらは何も言わなかったし、」

「最初の一節。それは誰のものぞ? 来る人のもの。は話の中にある一節で、まぁ、もっと古風な言い回しだった気がするが、だけど、他の小節と違って言い回しが古いので、まず、そうであろうと」

「小節で意味が違うってこと?」

「そうだと考えるのが普通だろ? それとも、この中の都合のいいことだけを取り出して、はい終わり。というのは、推理研究部。と掲げている以上ちょいとおざなりじゃないか?」

 一華はそう言って首を傾げる。卓人と虎郎も首を傾げる。

「そ、それで、何やってんの?」

「二小節目、

追いかけごっこをしよう しよう

ひまわりはきらい えらそうだからとシジュウカラが鳴く

桜を見たかったハツカネズミ

春が来たとカエルが言う

 をしていたところさ」

「していた?」

「この中に出てくるもので、ヒマワリと桜は方角を示していると思う。桜は西側に植えているだろ? ヒマワリは太陽を連想させ、この時間、太陽は南にある。えらそうだからとシジュウカラが言う。偉そうなのは、正門そばの創立者の胸像。その胸像の周りはヒマワリの花壇だった。だから、スタートはあそこだろう。

 嫌い。という表現は嫌いだとどうするかによる。嫌いだと背を背けるだろうから、北向きに進めということになる」

「北向きに……、でも、どのくらいってのは? 7小節目と49小節目?」

「まだ、一小節目だよ。その中で、数字があるじゃないか、シジュウカラとハツカネズミ。四十よんじゅうすずめ二十日にじゅうにちねずみ

「数は解ったとして、なんで正門ど真ん中スタートじゃないんですか?」

「方角に南と西がある以上、交わる場所がいる。正門真っすぐにいけば、中庭のテラスだ。だけど、正面からと食堂から出入りする以外に道はない。食堂は交わった点から東にある。桜はそこにはない」

「だから、この西渡り廊下へ行ける此処なんですか」頷く。

「歩数を数えていたんですか?」拓郎が正門のほうを見てから、

「そう。平均的歩幅なんてわかりゃしないし、そんなことを参加者に求めるわけにはいかないだろうから、多分大股で約一メートルで数えるのだろう」

 そう言って、一華は卓人の腕を引き、自分が立っていた場所に立たせる。

「じゃぁ、行こう。最初の四十は終わった」

「最初の? じゃぁ、次は二十?」

「いやいや、何故、追いかけごっこをしよう しよう。と繰り返してんだ?」

「じゃぁ、もう一回?」

 一華は何も言わずに首だけを少し動かした。

 卓人は肩で息をつき、少し大股ぐらいで四十を数えた。南校舎を過ぎた渡り廊下に出た。確かに、中舎の廊下に出た。西に向かって二十歩を二回数える。

 そこは個室教室で、戸は開いていた。その中に、たくさんのカエルの置物があった。ぬいぐるみのカエルもあった。よくこれだけそろえたものだ。

「これの、どのカエル?」

「春が来たと言っているカエルだよ」

 三人が必死で探しているのを、一華は後ろから眺める。歩数の謎が解けたらしい声が聞こえてきた。

「おばちゃん、どれ?」

 虎郎が振り返ると、一華の側に、「一つだけ持っていけ」と書かれた、蓮芋の葉を掲げているカエルがいた。

 虎郎がそれを取り上げると、三つだけ鍵があった。虎郎は一華の顔を見たが、首を傾げる。虎郎は、その一つを掴むと、四人はそこを出た。

「次は? あ、数えないと?」

「いや、次はすでに場所が書かれてるからね」

「集会堂?」

 卓人が言うのを先を歩きながら首を傾げる。

 食堂は昼の営業を終えてすでに閉まっていたが、ソフトドリンクなどの提供はしていた。食堂に人はないのは、椅子が机の上に乗せられていたからだ。

「なんで、食堂?」

「虹だからさ」

「虹ってステンドガラスだろ? ほら、みんな走っていく」

「集会堂に行って、何かあった?」

 虎郎の言葉に一華が聞き返す。卓人と二人が首を振る。

「虹を見たいと願う少女

五日目の昼日に

左手を支えYの字を上手に作る

 の、は、この机の並び。七列。のだから、みえちゃいけないんだろう?

 は五列目。は日の当たる側に向く。Yは、少し考えたけども、手偏と支えるで技、Yのワイという音で、災い。つまり左側ではなく右側五列目」

 卓人が机の裏を覗く。

「譜面?」

「悪魔が来りて笛を吹くの譜面かぁ!」

 虎郎が大はしゃぎをする。

「悪魔が来りて笛を吹く

の中で演奏された曲の

7小節目の#のついた音と

49小節目の休符前の音

 七小節って、七個目だろ? #のついた音なんかないぞ?」

 卓人が一華を見上げる。

 一華が譜面を見る。そして片方の眉を動かし、

「譜面、読めるか?」と聞いた。

 三人は首を振る。

「ドレミ ドレミ ソミレド レミレ」と歌って見せた。

「なんか、聞いたことある……」

「チューリップじゃない」

 橋おばちゃんが言う。

 一華は首を傾げ軽く笑いながら、そこから北舎側の通路に出た。

「あ、でも、北舎は立ち入り禁止だったか?」

 一華が言った時、虎郎と卓人はすでに北舎のドアを開けた。

「鍵をかけたと言っていたのに」

「ここの鍵、何度か動かしてたら開くんですよ」

 と虎郎が胸を張って言う。

「お前、夜、忍び込んだりしてないだろうね?」

 一華の言葉に、内緒っす。と言いながら「そんで次は?」と聞く。

「あの教室」

「あのって、何?」

の教室。昔は、あいうえおだったのよ。教室番号が」

 三人が感心する。というだけあって、一階すぐの教室だった。以前の化学物理実験室だったらしい。教室を移動したときすべての荷物が運び出されているので、中は不必要なものしか置いていないはずだ。

 ドアノブを回して戸を開ける。鍵はかかっていなかった。使われていないのでどこか古くて、少し埃っぽい感じを受け、開ける速度が鈍る。

 戸を開けて、四人は一瞬同様に固まった。すぐ、一華が卓人と虎郎の腕を引き廊下に戻す。それに拓郎が反応し戸を閉めた。

「推研部の小道具か?」

 拓郎の言葉に、一華は息を整え、

「二人は北舎から出るんだ。入り口で、佐竹先生を見張る。佐竹先生は、入り口に立って、あたしが手を触れないことを証明して」

「何をする?」

「あの側に行って、人形かどうか見極める。人形であればいいけど、……一応、スカートを履いていたようだからね、」

 一華がおどけて見せた。卓人と、虎郎は、あれは推研部の小道具で、一応、本格的だ。とワクワクして北舎の入り口から顔を突っ込み、戸を半分開けた状態で拓郎が立ち、一華は足元にことを確認して、近づいた。

「残念だけど、警察を呼んで」

 一華の言葉に、拓郎が首を出している二人に警察を呼ぶようにと告げた。

「人が死んでいると言え」

 卓人と、虎郎が、急な吐き気から、やっと警察を呼んだのはすぐだった。

 ウォークラリー参加者も集まっていたが、一華が戸の前をふさぎ、拓郎が北舎入り口で説明して道をふさいだ。

 三上先生が大慌てで走ってきた。「いったい何事だ?」

 警察からの確認の電話で走ってきたという。一華が中を見せると、「本物か?」と聞くので、一華は頷いた。

 三上先生は、廊下の窓際に作られた流しに縋り、吐きそうに体を曲げた。

 警察が到着した。二人の警官が中を確認後すぐ、要請が出され、一か月前会った立川と青田がやってきた。

「またお会いしましたね、金田先生」

 一華は口の端を上げる。―なるほど、金田先生。というのは妙に気分が悪い。言われる方が気分が悪いのだから、言っている方はもっと気分が悪いのだろう。だから、みな、一華先生と呼ぶのか。と一華は思った。

 立川と青田が現場に入り、鑑識やら、その他の刑事ですっかりにぎやかになった教室の入り口で、一華と拓郎は待たされた。

「触ってませんね?」

「ええ、自分が見てましたから」

 拓郎が頷く。

「なんで金田先生が中に?」

 立川の言葉に、推研部の小道具だとしても、スカートを履かせている以上、男子に確認させるのは。と思ったと告げた。

「なるほど」

 遺体が下ろされた。

 遺体は、教室の中央。滑車の仕組みを勉強するための梁につけられた滑車の隣に、ひもをかけて首をつっていた。

 被害者は、田上 利子りこ。この大学の三回生で、生物史学科を専攻していた。

 流行りのニットワンピースに、薄手のジャケットを羽織っている。着衣は乱れ、首、手の甲、頬の傷がついていた。特に、首の傷はひどかった。乱暴された。という点では強姦はされていないようだった。

「死亡時刻は朝の六時から八時の間でしょうかね」

 監察医がそう言って遺体とともに帰っていった。

「金田先生、」

 と立川が話しかける前に、一華が三上先生を振り返り、

「先生、北舎を閉めたのは何時でした?」と聞いた。

「え? あぁ、来て、すぐだから、七時五十分以降だろう」

「夜間は閉めますよね?」

「ああ、七時には閉める。残っていれば、渡り廊下を通って、正面玄関から帰る。いつもそうしてるだろ?」

 三上先生の言葉など無視して一華は「朝は、何時に開けます?」

「今日は早かったはずだ。学園祭だからな、いつもは、七時半だが、」

 そう言って、秘書代わりとしてやって来ていた事務員に、戸締りをする用務員を呼んでくるように言った。

「今日は、一番の生徒が六時に来たんで、六時には開けましたよ。五分とせず、たくさんの生徒さんが来ましたよ」と胡麻塩頭の用務員は言った。

「生徒以外の人は?」の問いには、

「さぁ、生徒さんだか、先生だか、顔見知りじゃないと何とも。制服があるわけではないのでね」と言って、帰っていった。

「つまり、彼女は、六時から、七時半の間に吊るされたんでしょうね」

 一華の言葉に三上先生が素早く反応し、

「自殺だろ?」

 と言った。

「何を根拠に?」一華の言葉に、

「いや、何となく。最近の若いのはすぐに自殺するから」

 といった三上先生に嫌そうな顔をする。

「とりあえず、自殺、他殺の両方で捜査しますよ」

 と青田の言葉に、

「他殺でしょ」

 と一華が言った。

「根拠は?」今度は立川が一華に聞いた。

「床がきれいじゃないですか。

 それからね、……ねぇ、自殺しようとする」と拓郎のほうを見る。

「俺?」

「自殺しようとする。縄は用意した。さ、この教室に入って、あの梁に縄をかけて首をつろう。どうする?」

「どうする? そりゃ台に乗って……」

「台に乗って首をつって、台を片付け、床を掃除する? 首を吊ったのに?」

 一華の言葉に、全員が床に目を落とした。

 教室は空ではあったが、全くの空ではなかった。廊下側には椅子や机の少し傷んだものが片付けられていたし、窓際の流しの側、その中にも椅子などが置かれていた。そして、その足元には、白い埃がうっすらと見えた。吊るされていた一帯から入り口にかけて埃が消えていた。

「この光の中だとよく見えるね、さっと掃除した跡が」

 一華に言われ、積み重ねられていた机の中に誰かが動かしたような道が、教室後方の掃除道具入れに続いていた。掃除道具入れを開ける。古い箒にはやわらかそうな埃がついていた。

「そうですね、最近使った感じですね。埃も放っておけば湿気を吸いますから、でも、これはそうではないようですね」

 鑑識が確認してそう言った。

「彼女を引きずって入ってきて、滑車でつるし上げ、先にくくっていたロープに首をかけて、滑車側を外す。その時、自分が使った椅子を片付けた。そん時、床に椅子の足の痕を見つけた。彼女を引きずって入ってきたから、そこも。彼女をいったん寝かせた場所も、彼女自身も、と思ったが、人が来た気配に慌てて出たんでしょうね、彼女のジャケットはナイロン製で滑りがいいのか付いていなかったけど、ニットワンピースには、ちゃんとついていたから、引きずったんでしょうね。それをのけようとしたけど時間がなく、とにかく片付けて逃げた。ってところでしょう」

「じゃぁ、ここで首を絞めたわけではないと?」

 一華は首を傾げた。



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