第5話 金田一華准教授
とりあえず、中庭にあるテラスへと向かう。階段を降りる。
「いやぁ、なかなか……。今時の子は、死んだ人の悪口とか、平気で困りますね」
拓郎が言った。その顔は教育者としてなのか、大人としてなのか、なんとも言えない顔をしていた。
「中庭のテラスっていうのはね、食堂横に作られたウッドデッキでね、なかなかいい場所なんですよ。南舎のマタっていう、南舎がアーチになってるでしょ、うちの校舎。変わってるんですけね、そこから光が入るんで、今の時間でもまだ日は当たってるんじゃないかな?」
そう言って中庭のテラスに来ると、白いテーブルに座って、確かに編み物をしている人がいた。
よれた白衣を着て、ひっつめた髪、化粧けのない顔。三人が近づくと目だけ動かしたがすぐに編み物の方へと向いた。
「金田一先生ですね?」
立川が言って、満面の笑顔を上げた。
「そうだといいんですけどね。そうだったら、大学なんかに居ないで名探偵するんですけど。あいにく、金田 一華と言います。一って印刷すると、前後左右に余白ができるんで、ぱっと見、金田と読むより金田一と読みたくなりますよね」
と笑った。
「あ、あぁ。失礼」
立川が謝る。
「いえいえ、高名な名前と間違えられるの、嫌いじゃないので……すみません、西日がまぶしいので座っていただけます?」
と言った。
青田が椅子を引く。
「刑事さんでしょ? 学生たちが大騒ぎしてますよ。なんか見たり、聞いたことはないかって聞かれちゃったー。って、浮かれてますよ。そうでなくても学園祭で浮かれてますけどね」
一華の言葉に立川も椅子に座る。
拓郎は隣の席の椅子に座った。引き寄せないのは一応刑事の仕事の邪魔をしていない。という態度なのだろうが、耳が完全に向いている。と思いながら、立川が切り出す。
「一限目は授業だったそうで?」
「ええ、世界史Bってクラスです。アリバイとしては完璧ですな」
青田が苦笑いをする。
「亡くなった笠田教授とはどういった知り合いでしたか?」
「……笠田教授? 何学部?」
「生物学です」
「……生物? ……岡やん、岡本先生しか生物は知り合いが居ませんねぇ。……あぁ、私ね、理事長にも、社会学部長にも嫌われてますし、あまり先生同士の交流にも参加しません。でも、各部で知り合いが一人か、二人はいます。それは、自分の専門外なので、その相談がある場合のみ話しかけるためです。生物史学部。つまり、土の中の化石となった生物のことは、やはり専門知識がある方がいいですからね。私は、土の中の食器や、武器には詳しいけど、それ以外には興味はない。あ、大げさに言うとですよ。だから、その時に行くけど、笠田教授っていうのは、……覚えがないなぁ」
「風貌は、」
青田が言うあとすぐに、
「陰湿で、小太り、油ギッシュで、ハゲ」
と拓郎が言う。一華が拓郎のほうを見る。
「俺の感想」
「……、風貌に興味がないので、解らんなぁ」
一華の言葉の後、立川が一枚の紙を机に置いた。
「金田 一華。高慢ちき、偉そう。人の上げ足を取って自慢したがる。名前にちなんで、探偵気取りなのも不必要な行動―」
紙一面に悪口を書きなぐっている。
一華はそれを表情を変えずに見つめていたが、横を通ろうとした、
「真帆ちゃん、真帆ちゃん」と手招きをし、白衣を着た美人を呼んだ。
「ねぇ、笠田先生が、これほど書いてるんだが、あたしは何をした?」
というと、真帆と呼ばれた女性はその紙を取り上げ、しばらく見ていたあと、スケジュール帳を開く
「……、え?」
そう言ってもう一度紙を見て、
「うわっ、マジ?」と絶句し、一華のほうを見て「一年前、去年の夏に、食堂で財布を盗んだって女生徒を疑ってたじゃないですか?」
「去年の夏?」
驚いたのは立川と青田だった。一華は首を傾げただけだった。
「そしたら、一華先生、さっき、あんたが生徒のカバンに落としたの見たって言ったじゃないですか。ワザとか、不注意か解らないけどもって。そん時すごい形相で睨んでたんで、私調べたんですよね。生徒に聞いて。でも、今まで忘れてた。それっきり会わなかったから」
と言った。四人が不思議そうな顔をして真帆を見上げるので、真帆がスケジュール帳を広げる。
細かい字で、去年の日付に、[財布盗難。解決。笠田生物史学。陰湿、陰険。生徒から嫌われている]と書かれていた。一華がさらに前のページをめくれば、真帆が一華の助手になった三年前からのことが書かれていた。
「あんた……几帳面ね」一華がそう言ってそれを眺めながら、「そんなことがあったような、無かったような」
「その時の生徒、覚えてはいないですよね?」
「覚えてますよ。というか思い出しましたけど」真帆は満面の自信で「坂本 優菜です」と言った。
立川と青田は静かに顔を見合わせた。
「その時、先生は黙って引きましたか?」
「ええ。だって有ったのだし。彼女を援護する声のほうが大きくて。彼女がするわけないって。だから先生は逃げ帰っていきましたけど。……でも、一年以上も前のことを根に持ってるんですね」
「しかも、最近も何やらしでかしたようだね、あたし」
一華が文字を指で叩く「相変わらず、気に入らない。ブスのくせに」という文字を刺した。
「最近書かれたと?」
「インクの色が違うでしょ? この色で書かれている名前、ご丁寧に日付を書いているそのインクと一緒だから、」
笠田のメモの中に日記のようなものがあった。特別意識するものでないものなので机に置いたままだったが、確かに、一月前から青いインクに変わっている。
「ちょっと書いたということはないでしょうね。インクの色に対してこだわりがなくて、手近にあったペンで書いた。多分、持ち歩いているペンじゃないかしらね」
「最近、特に遭遇してませんよ?」
「あなたはずっとそばにいるんですか?」
「まぁ、一華先生の助手ですし、秘書的なこともしてますから」
一華が青田の側の紙を見るように首を伸ばしながら、
「それって、見せていただくことできませんか? 可能ならばですけど」
青田が立川のほうを見る。立川が頷き、立川が選別をして数枚差し出した。
一枚は名前にバツの書かれたリスト。一枚は、一華への暴言を書いた紙。一枚は女生徒から執拗に迫られているらしいことが書かれた紙。
一華は最後の紙に眉をひそめた。暫く三枚を見比べた時、賑やかに食堂からテラスに出てきた生徒の声に紙を裏返し、立川達に、静かにしておいて。と唇に指をあててから彼女たちを呼び止めた。
「なぁなぁ。笠田先生って知ってる?」
「殺された人っしょ?」
「らしいけどさぁ。あたし知らないんだよね。どんな人?」
一華の質問に、二人組だった子たちが、あっという間に五人集まり、
「超キモい」
「解る。それ一言だよね」
「君ぃ、スカート短いと覗かれるよぉ」
「あぁ、言う言う。あんたが見てんじゃん。って話」
「君ぃ」
「ギャー、キモいー」
五人が口々に「キモい」を連呼するので苦笑いしか浮かばない。
「それは中年だから?」
一華の言葉に五人は首を振る。
「全然。そうじゃなくて、なんか、ずっとエロ」
「わっかるぅ。もう、こう、あれだよね、AVの痴漢。ずっと見てるの」
「そうそう。そんで話しかけるとき、はぁはぁ。言うし」
「言う言う」
「ってことは、みんな先生の授業受けた?」
「受けてたけどやめた。キモいんだもん。でも、あたしたちは出席日数だけもらえたらいいだけだから、辞めたって別にいいけど」
「そうそう、利子とか優菜とかは大変だよね」
「利子? 優菜?」
「田上 利子と、坂本 優菜。ほかにも数人いるけど、特にこの二人は目をつけられてて、」
「いやなら辞めちゃえばいいじゃん」一華の言葉に、
「それが、その人たちって、生物史学の道に進みたいらしいんですよ。好きなんだって、意味わかんないけど。まぁ、笠田先生じゃなきゃ面白いのかもしれないけど、私は解んないけど」
「優菜なんか、ほんと、オープンに誘われてたよね」
「でも、この前怒らせてから、完全シカトされてたじゃん」
「ああ、で、成績単位ゼロだったっけ?」
「ゼロ?」
一華と拓郎が同時に言う。
「そうなの、酷いと思わない? 出席してたし、テスト満点でよ?」
「なんだって、ゼロ?」
「夏休みに夏季合宿に行くって言われたらしいけど、その時、優菜のおばあちゃん具合悪くなって、入院だの、なんだので、一応助かったらしいけど、そういうので、いけません。って学校に連絡したんだって。そしたら、二学期始まってすぐに、なぜ来なかった! って激怒。でも、それがね」
「そうそう。だって、そんな夏季合宿、誰も知らないし、誘われてないんだもの」
「それを理不尽に怒られたから、優菜、両親に言ったら、お父さんが怒鳴り込んできて、」
「優菜に接近禁止が出るし、三上先生には怒られるで、その結果が、」
「判定ゼロ?」
一華が受け取ると、全員が、酷いよね。きもいよね。の大合唱をした。
「しかし、いい待遇だね」
一華の言葉に彼女たちが静かになった。
「だってそうでしょ? 気に入った子を夏季合宿だと誘えるなんて」
「でも、その代わりねぇ」
一華が首を傾げる。
「もう辞めたからいいけど、SXYさせろって。黙っていれば満点で卒業させてやるって言われたって。で、それを断ったら変なアルバイトをしているらしいって、三上先生に告げ口して退学させようとしたり、」
「してたの? 変なアルバイト?」
「そんなことしてないよ。多分。腹いせ? よく解んないけど、生活指導で説教されて、その子、笠田先生を問い詰めに行ったら、教師に暴力を振るったって退学させられたの」
「誰?」
「沙織。清水 沙織。でも、後で笠田先生の嘘だってわかって三上先生が、地方の別の大学への転校? を世話して、今はそっちにいるけどね」
一華が感心したような声を上げる。
「すごいじゃん、あんたたち。なかなかそういう裏話知らないよぉ。ほかにない? 三上先生とか、ついででいいや、笠田先生とか?」
「三上先生は別にないよね。まぁ、理事長を狙ってるとか?」
「あ、それはあたしもそう思うからいいや。ほか」
一華は彼女たちと楽し気に話を続ける。青田がそろそろ切り上げてと口を開きそうになるのを立川が止める。
「ほかねぇ。あぁ、誰かが妊娠したっぽいって話?」
「あ、でもそれって、何人もいるんじゃなかった? 一応手術費を出したとか」
「え? 口止め料じゃないの?」
「金持ちだね。そんなに金で解決できるなんて」
「そういえばそうだね。なんでだろ?」
「服とか超ダサかったのにね」
女子の軽やかな笑い声は甲高く、ただ、亡くなった人の話をしているにしては非常に不謹慎なものだった。
「他に、被害に遭っていそうな人は知らない?」
「さぁ? でも、大人しそうな人を狙ってる感じはするから、そういう子はほとんどじゃない?」
「範囲が広いなぁ」
一華の言葉に、一人が「そういえば」と言い出した。
「私口説かれたわ。君ぃ、今度の週末に史学発表会があるんだけど、内申よくなるし参加しないかって。てか、そんな発表会を日にちわずかで誘うかよ。って思ったし、イヤらしいから断ったけどね」
「イヤらしいんだよね、君ぃって呼ぶの。ぞっとするわ」
「君って呼ぶとぞっとするか」一華の言葉に全員が首を振り、
「あの先生、女子を呼ぶとき、君っていうのよ」
「男子はお前ね」
「なんじゃ、それ?」
「さぁ? わかんない。でも、なんか急に言い出したよね」
「急に? いつから?」
「え? 入った時からずっとだけど?」
一華が手を上げる。そして、最初からそう呼んでいたと言った子に、「なん回生?」と聞いた。
「一回生です」
「あなたは?」
「二回生です」
「いつからだか覚えてる?」
生徒は首を傾げた。
「変わった呼び名だね。あたしも変えようかな。名前覚えるの苦手なんだよな」
一華の言葉に、生徒たちが笑い、「君とお前じゃなかったらいいよぉ」と言った。
にぎやかな彼女たちに礼を言い、手を振る。彼女たちも手を振り、学園祭の準備に戻っていった。
「いいねぇ。悲劇が起こったところで、自分たちの楽しみでそんな悲劇を感じないというのは。若いからと。よほど、笠田先生は人望がないんだね」
一華の言葉はずいぶんと茶化した空気があったが、表情は全くの無で、視点も一点にとどまって動かなかった。
「ところで」と言って顔を上げる。「死亡時刻というのは? 一限目の間?」
にぎやかな声が走っていく。
「いや、10:30から50分ぐらいでしょうね」
周りが静かになったので、三時限目が始まったのだろう。そうなってから立川が言った。
「かなり絞れてるんですね?」
「目撃者がいるのでね。10:30に北舎に来てくれと言われた生徒がいましてね」
「生徒が目撃?」
「ええ、先ほど話に出ていた坂本 優菜です」
「一人?」
「いいえ、高橋 真由という生徒です。リストにはありません」
「気が強そうですか?」
「高橋 真由ですか? ええ、強そうですね」
「彼女たちは犯人を見たんですか?」
「さっき言っていた、君。を聞いたようです」
「……君。ねぇ」
一華が腕組みをする。
「そんなに変か? 変だけども、そういう風にしたんじゃないか? 一年前だったら、さっき話していた、坂本 優菜の父親が乗り込んできたころだろ? 名前を呼ぶな。とか言われたとかで変えたとか? ということはないか?」
一華がまじまじと拓郎を見た。
「なんだよ?」
「あなたは刑事じゃないのね?」
「……ここの准教授。あんたの同僚」
「あ、そう……。知らんなぁ」一華は興味なさげに答えた後で、「なかなかな事件ですね」とつぶやいた。
「……ところで、私に聞きに来たのは、この紙だけですか?」
「いや、現場が北舎の三階、時計塔に上がるところです。あの上には、考古学倉庫がありますよね?」
「なるほど。あそこですかぁ……。確かに倉庫の鍵は私と、もう一人が持っていますが、もう一人は出張中ですからね。今現在あそこの鍵を持っているのは私だけになりますね……。でも、それよりもあそこ、ですかぁ」
一華はそう言って少し考えた。
「あ、そうね。そうかもしれないね」
「と言いますと?」
青田が聞く。一華は青田と立川のほうを見て、
「明日、10:20ごろ、現場に来てもらえます? 目撃者も一緒に」
立川が眉を顰める。
「あの二人が殺したと?」
「いやいや、実験です。まぁ、あの子たちが拒否をしたら、図にあの場を起こして、正確に目撃した位置を聞いてください。それで、終わると思います」
「はぁ?」
青田が聞き返す。
「ねぇ、刑事さん? あなたはとりあえず、学生時代彼女がいたでしょ?」
「あ? はぁ」
立川にたしなめられ、浮かした腰を下ろす。「それがどういった関係を?」青田が聞く。
「まぁ明日ですよ。あたしは昼を食べて、そろそろ自分の部屋に行かなきゃいけないので」
「お供しますよ?」
「いえいえ、刑事さんはやることあるでしょ。バツ印の子に、レイプされたか聞かなきゃ」
一華は編んでいたものを大きなトートバックに詰め込み、それを肩に担いで立ち去った。
「立川さん?」
「そうだな、調べるしかないな。別段、あの先生が何かした証拠はないのだから」
青田は頷き、紙を回収して二人の刑事は立ち去った。
拓郎は刑事を見送り、まだ学校に居て捜査している警察を横目に自分の個室、Z89号室に向かって行った。
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