伸ばした手(第52回 使用お題「伸ばした手」)

 小さい子の手から、するりと風船の紐がすり抜ける。

 ビル風にあおられてぐいぐい上昇していく風船に、小さい子がどんなに飛び上がって精一杯腕を伸ばしても、手は届かない。

 それでも、小さい子は泣きながら手を伸ばすのを止めなかった。


   *  *  *  *  *


 少し前を行く、夏服のセーラー服の白襟がまぶしい。

 距離はそれなりに空けられていても、一緒に帰るのを拒絶されないのは、期待していいんだろうか。

 それとも、自分が妄想しすぎて、近所にいる幼馴染みと長い通学路を歩いていたら変質者が出てこないからちょうどいいや…としか思われてないんだろうか。

 少年は悩み悩み歩く。

 嫌われてないのなら、ここでいきなり腕をつかんでも大丈夫だろうか。振り払われても、それで彼女が自分をどう思ってるかが分かるから、それでもいい。

 少年は息を詰めて腕を伸ばす。

 伸ばした手の先、自分より細っこい腕をつかむ、勇気が欲しい。


   *  *  *  *  *


 もうすぐだ、と老婆は理解する。

 もう身体全体に力が入らない。目の前はおぼろに霞み、耳栓をしたかのように音も遠い。

 子供たちはみな独立し、それぞれに仕事を持ち、それぞれが忙しく毎日を過ごしている。孫も何人も抱かせてもらった。充分に生きさせてもらった。 ただ、心残りがひとつだけある。

 片手を握りしめ、枕元で泣き続けるこの人を置いていくこと。

 その涙だけでもなんとか拭ってあげたいと、もう一方の腕を伸ばそうとするがまるで言うことを聞かない。

 少しだけ持ち上がった手が、ぱたりと落ちた。


   *  *  *  *  *


 昇ってきた風船を腕を伸ばしてつかまえながら、この手も暖かい形あるものをつかみたいものよ…と、かみさまは空の上から手を伸ばす人々を眺めながらひっそりと笑った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る