タマシイオクリ

 空へと昇るオレンジの灯火は、まだそこに生命が存在するかのように不規則に明滅し、だんだんと星と同じ大きさの光になっていく。

「さようなら、私の中のおばあちゃん……」

久しぶりに言葉を口にする。馴染みある日本語なのに、乾ききったため息のようだった。

 晴れているはずの星空がきらきらと歪む。何度も、何度も。二筋の流れ星をぬぐいながら、その美しく燃える魂の光が星々に溶け込むまで、私は見送り続けた。

やっと終わったんだ。私は両手を胸元に当て、彼女の存在を確かめる。向き合い、決別した私の心にその姿はなかった。

彼女のいなくなったこの世界で生きていこう。芽生えた強い決心が、煌々と心に灯り始めていた。


 灯籠流しを知っているだろうか。一説によると、送り火の一つとみなされており、お盆に帰ってきた死者の魂を、現世から再びあの世へと送り返す行事とされている。国内外で行われているそれは、今では夏祭りなどのイベントの一つとして定着している。

 私がそれを深く知ることになったきっかけは民俗学の講義だった。その日の授業は、灯籠など死者への手向けの品、すなわち副葬品に関する歴史を学ぶ内容だった。ネアンデルタール人においても、花を添えて埋葬していた痕跡があった、というトピックにはじまり、我々日本人の、生活に寄り添った品を三途の旅路に持たせる話、そして現在の各国の手向けの品についてなど、老齢の男性教授からの論述がなされた。

 私がひときわ興味を持った話は、お盆などの死者が戻ってくるという価値観と、行ったものは二度と帰ってこないという価値観の二つが存在することだった。日本では前者の考えが主だが、国によっては死者が帰ってくることが悪い吉兆であるというように、死者の帰還に関しても国ごとに違いがある、ということだった。それに付随し、死んだものの魂の行き来に関する話題の一つとして、灯籠流しの話が出た。

「灯籠にも前者、後者のものがあるが、ほとんどが前者であり、後者のものは珍しい」

その言に対し、学生からの質問が飛んだのだ。いや、正確には不意打ちのように、私の口が教授に向かって開かれたのだ。

「では、そもそも死者がこの世から出ていってない、という価値観や考え方はあるのでしょうか」

私を一瞥する老眼鏡の奥の瞳には、今まで見たことがなかった鋭さと、熱にも似た探求者の生命力のようなものを感じた。

「いい質問だ。講義後、私のところに来なさい」


 前触れのない、祖母の急死。それを知らされたのは、三ヶ月前のことだった。電話越しでもわかる、母の震える声。なぜ、この人はこんなにも緊迫感をもっているのだろう。対岸の花火や異国の戦争のような、現実感のなさ。とにかく、帰るチケットを手配しなければいけないな、という冷静で理性的な自分。今でも、その一連の記憶は頭から離れずにいる。

 祖父母の家に到着すると、既に明暗の幕が取り付けられ、屋内で親族が右往左往していた。そこからの記憶は断片的で、斎場へのバス移動、淡い照明に灯された祭壇に長い読経といった各行動が、目の前を流れていく。どの場面にも、私の感情が介在しておらず、退屈な無声映画を眺めているようだった。

 ようやく祖母の死を実感し始めたのは、それから何度となく祖父母の家を訪れた際に、祖母がいないという事実が突きつけられるようになってからだった。出迎える、憔悴した祖父。明るさがなく、広さを感じる茶の間。その一つ一つに、底知れぬ恐怖を感じるようになり、次第に私は、アレルギーにも似た嫌悪感を祖父母の家に抱くようになっていた。

 いつの間にか、私は祖母が死んだという事実を受け入れることに抗うようになっていた。私の中では、祖母は生きている。その強迫観念にも似た強い自己防衛反応が、いつの間にか祖母の記憶の残り香を魂に似た何かに置き換えて、自身の心の中に植え付けてしまった。


「これが、あの質問の意図です。ご理解いただけたでしょうか」

私は、教授室で向かい合う、教授の目をしっかりと見据えて言った。

「私は。いや、私の亡霊となった祖母の魂と、決別したいと考えています」

 教授の元へやってきた理由は、単純だ。私の心に残留した祖母の魂を解き放つこと。それだけだった。人は、死んでも他人の心で生き続けるというが、いい加減どこかで過去にしなければ、それは生き霊と大差ないのだ。生と死の狭間でただよう白いレースのカーテンは、私の心の中に悲しみを、そして、別れの言葉をかけられなかった後悔を永遠に生み出しつづけ、夢の中に現れ続けている。そんな私に残留する彼女を送り出さなければ、やがて呪いとなり、私の心はそれに侵食され続けるのだ。

 覗き込むような眼光は、私の真意を確かめているようだった。わかった、と一言告げると、椅子を回転させ、後ろのガラス棚から分厚いファイルから一枚の論文を取り出した。

「これは、去年、ブラジルであった国際学会に出た時に発表のあった論文なのだが……」


 一枚の写真を懐に忍ばせ、日本を離れて三日が経った。南米の高地。一週間の滞在期間中、どうか、晴れますように。祈るばかりだった。

 決別の準備には一年近くかかった。まずは語学。私は三つの言語を学び始めた。英語、その国の公用語。そして、その民族のいる土地の言葉。次に文化。教授に紹介してもらった文献や、ネットの海にわずかに見つかった旅行記などを参照しながら、理解を高めた。次にお金。それら以外のことを考えている時間以外はアルバイトに明け暮れ、資金の準備を急いだ。最後に覚悟。どうしても、その場所に行くべきなのか、行かなければならないのか、日々自問自答し、理由をはっきりとさせた。

 あの日、教授に見せてもらった論文のタイトルは、「埋葬しない副葬品と死生観の関係に関する一考察」というものだった。その論文で紹介されている、この地の灯籠流しは、いわゆる昇り灯籠だが、他のものと大きく違う点がいくつかある。一つは、故人がこの世から去るための儀式であること。二つ目は、昇り灯籠を行う時期は、夏ではなく冬であるということ。三つ目は、現世に残る人間が死者に対して意志を示す点だ。

 一つ目の個人がこの世から去るための儀式については、この地の死生観が関係する。仏教のような輪廻はなく、人が死ぬと、次の上位の世界に行くという考えなのだという。先を行く人たちが、次の世界を作り続けるため、世界は無限に続き、一つ一つの世界で修行を重ね、さらに高次の世界へと渡り歩いて行くとのことだ。

 二つ目の、冬に昇り灯籠を行う点。次の世界に行くということは、死にネガティブな意味合いが他の地域に比べて少ないのだそうだ。そのため、葬式で遺影を置かないかわり、年末に、今年この世を去った人たちを点より上にある高次の世界へと送り出すために、昇り灯籠をおこなうのだという。

 三つ目は、現世に残る人々が意思を示す点。炎を使って地上絵を描くことで、空に登る死者に現世の安寧を伝えるのだそうだ。私たちは大丈夫だから、安心して次の世界にいってねと示すために。

 目的の村に到着し、まずは村長に挨拶に行った。老いてはいるが、知的な双眸を持つ老人が玄関先で出迎えてくれた。

「遠い異国の者よ、どうしてこの村へ?」

気を使ってだろうか、綺麗な公用語を使い、ゆっくりと語りかけるように村長は話してくれた。

「率直にいうと、この村の儀式に参加させてもらいたいのです。私は、今年、私のおばあさんを亡くしました。私の中に残り続ける彼女の幽霊を送り出したいと考えています」

一つ一つ、伝わりやすい言葉を選び、音にする。言葉は本当だ。だが、その祖母の霊は、祖母自身の霊ではなく、私が祖母との別れをうまくできなかったために生み出してしまった、記憶の亡霊だ。

「君たち、アジアの国は仏教だと聞いた。死生観が違うのではないか」

村長は仏教的考え方と、私の発言に違いがあることの真意を正そうと、しっかりと私を見据えている。

「祖母は急に死にました。別れの時間も一瞬で、死んだと言う事実を受け入れられなかった結果、私の心の中に、生きたままの祖母が残ってしまったのです。だからこそ、この場所、この儀式を通じて、私の中の祖母を弔うことで、死んだと言う事実を受け入れたいのです」

これまで一年間悩み、考え抜いた決断と、意志の強さを言葉の音にのせる。村長は少し考えた様子で、解釈した内容を告げた。

「つまり、君のおばあさんは正しく弔われていたが、君がその死を受け入れられていないうちに、君の心の中に亡霊となって残り続けてしまっているということなんだね」

「……はい」

言葉を考え、私は続けて口を開いた。

「私の国の弔い方では、ダメなんです。死んだものの魂はそれぞれの心に宿り続ける、とか。そう言っているにも関わらず、別れの儀式を行い、無理やり決別できたかのように人々は振る舞う。さらには、死者が帰ってくる行事もある。こんな、死者を自由に行き来させることの、どこに本当の別れがあるんでしょうか。私には理解できません。ただ、時間とともに記憶を劣化させることで別れたつもりになっているそんなことができる、そんな私の国の人間の方がおかしいと感じて仕方がないんです。

 現に、私は時間経過させても、彼女を心の中に生かし続けてしまった。その結果、別れることができなかった罪悪感。別れられない苦しみ。彼女が生きているという自己暗示をかけることで心の平穏を頼ってしまっている。その全てが呪いとなって私を飲み込み続けています。だからこそ、私はちゃんと、彼女と別れたいんです」

まっすぐ、村長を見つめる。あの、教授に向き合った場面のリプレイが、シーンにシンクロする。私の目を確認すると、村長は立ち上がった。

言葉を吐き切ると、自然と涙が溢れていた。

「本来であれば、我々と文化の異なる人間の儀式への立ち入りは断るところだ。こんな、突然やってきて、入れてくれという不審な人物を入れるわけにはいかない。

 だが、事情は聞いた。ちゃんと、我々とも意思疎通ができるよう努力し、意志も伝わった。ならば、受け入れないわけにはいかない」

そう言うと、村長は先ほどまでと打って変わり、柔和な表情を浮かべ、こう言った。

「写真を見せてくれるかね、君のおばあさんの」

「ええ」

私は、写真を取り出し、村長に手渡す。すると、隣の椅子に座るよう促された。

「…どんなおばあさんだったんだい?」

私は一つずつ、祖母と過ごした記憶、思い出を語り出していく。拙いが、一生懸命に学んできた異国の言語に翻訳す、言葉を紡いでいく。きっと、伝えられたことは半分も満たないないだろう。それでも、感情が正しく織り込まれた言葉には力があり、たとえ異国の言語でもその思い出は私の頬に涙を伝わせ、嗚咽をこみあげさせた。村長は背中をさすりながら、私のたどたどしくも寄せては返していく言葉の波を、ただ、言葉が止まるまで聞き続けてくれた。


 青空は赤みを帯びたのち、灰を重ねて黒へと近づく。人の音、生活の音、風の音、普段音に囲まれていた私にとってはとても寂しい夜だった。村長の息子夫婦の家に泊めてもらうことになった私は暖かくもてなされ、三世代を囲んだ夕食に入れてもらった。そして、儀式の話を詳しく聞かせてもらえることになった。

 儀式は、儀式期間中で晴れた日の、風のない夜に行われる。明日から数日間、好天を待ち、準備をする。

 この一週間は、地上の準備、すなわち地上火の準備をするものと、昇り灯籠、すなわち天上火の準備をするものに別れて作業をしていたのだという。もちろん、天上火を準備をするのは遺族の担当で、それぞれが自ら作り上げるのだという。

 加えて、近代化に伴い、儀式が変容し始めたことも教えてくれた。これまでは、籠の中に入れるものは、生前、死者が身につけていたものや、爪や歯など肉体の一部だったが、写真が普及するようになってからは、本人の映る写真を入れるようになったとのことだった。これに関しては、教授から資料をもらっていたため、写真を持ってくることができていた。

 翌日。村長の計らいで、急遽、自分の昇り灯籠を作らせてもらった。拙い現地語でコミュニケーションをとりながら、手のひらより少し大きな灯籠を作り上げるため、蔓の編み方を学び、樹液で作ったらしいのりを使って繊維の残った和紙を麻袋型に仕上げていった。手を泥や樹脂の色で汚しながら、夜が来るのを待った。

 赤道近いこともあり、高地ではあるものの、湯上りの夜道のように湿気を孕んだ涼しげな夕べだった。広場へ向かうと、数十人の人たちが地上火の円のなかで、打ち上げの準備が始まっており、そこに村長の姿があった。

「君が来たからかもしれない。週の初日に儀式が行われたのは、十一年ぶりだ」

円の中に立ち入りが許されるのは、遺族のみ。あとの人たちは、その円の外から見守ることになっているらしい。すでに集まっていた村長の息子夫婦に挨拶をすると、

「さぁ、行っておいで」

村長の息子さんに背中を押された。私は感謝の意を述べたのち、自分の灯籠を持って円の中に立ち入った。

 円の中に入ると空気が変わった。いや、私の心持ちが変わったのかもしれない。急に、すっと体の感覚が軽くなったのだ。印のついた私の飛ばすべき場所に向かい、ろうそくや籠の準備を始める。

 写真を四つ折りにし、細い蔓でぐるぐるに縛り、蔓でできた籠に結びつけた。その後、紙でできたパーツを取り付けると、飛ばす合図を待った。

 村長の声がこだまする。その声に、一同が立ち上がると、ライターや炎の灯るろうそくを持つものが、籠につけられたオイルの浸された芯に火を入れた。一瞬で、籠を持つそれぞれの顔が明るく映し出され、なんだか優しい気持ちになる。灯籠は上昇欲求を持ち始め、ふわふわと手の中から抜け出そうと揺れ動き始めた。

 心の準備を私は始めていた。この中に、私の生み出した亡霊が込められていること。私は別れを告げるのだということ。前に進む、ということ。その強い思いは、カウントダウンを聞き逃すことになり、周囲が手を離す瞬間に、五、六秒遅れて、空へと灯籠を解き放つことになった。

 空に放つ時。周りが、同じ言葉を唱えていた。それは、教授にも、村長にも、確かに教えてもらった現世に残る人々の意思だった。この一年間、必死に調べ、覚え、声に出して練習したその言葉を、私も一言、一言、想いを乗せて、空に向かって告げた。

「私たちは。あなたたちなしでもうまくやっていく。どうか、次の旅路に幸あらんことを」

歓声のような、祈りのような人々の声が空に吸い込まれていく。私はそっと灯籠から手を離した。


それぞれが、祈りや感謝、安寧を祈る言葉を小さな光の粒に届けようと声をあげた。その喧騒に乗じ、私も大切な母国語で言葉を紡ぐ。

「さようなら、私の中のおばあちゃん……」

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