カルテノアの絵描き

 大陸から結ばれた巨大な陸橋を鉄道が走り渡っていく。目の前には美しい水運都市、カルテノアが浮かび上がってくる。

 ターミナル駅に到着し、列車から降りると、ほのかな潮の香りがした。桟橋には停泊する小型ボートが散見され、観光客を乗せたゴンドラは滑るように水面を流れ、遊覧船は穏やかな波間を揺らし、波紋を広げている。

 駅舎を出ると、石畳の広場。そして、中央には彫刻の施された巨大な時計台が聳え立っている。幸いにも、列車が遅れることもなく、予定より少し早く到着することができた。

 予定までの空き時間をどう過ごそうか。私は考えあぐねる。見慣れぬ土地。勝手のわからぬ文化。異なる言語。私はこの国の人ではないのだ。

 ひとまず、駅構内の案内図に目を向けることにした。駅を中心に、ある場所は放射状に、ある場所は網目状に。広がる水の脈は、都市に大きく根付いていることが見て取れる。

 ふいに、大きく書かれた赤文字を視界に捉えた。レノヴィ大橋。中世に作られたその石橋が観光地として紹介されており、ここからもそう遠くないことがわかった。ちょうどいい時間つぶしになるだろう。私は足を運ぶことにした。

 レノヴィ大橋には、平日にもかかわらず、多くの人が行き交っていた。人々は橋の欄干で足を止めて腕をつき、緩やかに流れていく水河を見下ろしていた。橋幅は広く、橋上には多くの露商が店を構え、道行く旅行客に声をかけている。そんな姿を遠目に橋を渡っていると、自分にも声がかかった。

「お兄ちゃん、似顔絵どう?」

強い訛り。舌を巻いた英語。お兄ちゃんと呼ばれる年齢ではないが、袖を揺らされていることから、私を呼んでいるのだと分かる。見下ろすと、さまざまな色で澱ませたパレットを携える少女が立っていた。客引きとして子供が働かされているのかと思ったが、少女の着ている服がカラフルな色で染まっていることから、少女が絵を描いているのだと分かる。

まだ時間に余裕はある。加えて、この少女が描くのであれば、そんな高額な額を要求されないだろう。私は少女に返答する。

「お願いしようかな、お嬢さん」

「ホント!?」

飛び上がって喜ぶ彼女を宥めながら、話を続ける。

「ああ。どんな絵が描けるのか、見せてもらえるかい?」

「うん。いいよ! きて」

少女に人差し指を引かれ、三メートルほど離れた石橋の反対側に向かう。茶色の絨毯と椅子の置かれた少女のアトリエがそこにはあった。その傍らでは、白いひげをたくわえた、厚いレンズメガネのお爺さんが絵に向かっていた。彼も同じように絵の具で汚れたエプロンを纏い、筆を走らせている。

「おじいちゃん、見つかったよ!」

少女はお爺さんに駆け寄り、嬉しそうに話した。

「そうかい、良かったねぇ」

そう言って、私に体を向けると、

「孫がお描きしますので、よろしくお願いします」

丁寧に会釈してくれた。私も会釈を返し、小さな木製の椅子に腰掛けた。しばらく待っていると、少女は自分の絵を見せてくれた。

「あたしね、こんな絵を描くの!」

手渡されたそれらは、似顔絵ではなく、風景だった。どこか牧歌的な草原の広がりから、美しいアルプスの遠景まで、どれも少女が描いたとは思えないほど完成度の高い絵だった。わざわざ似顔絵を描かずとも、風景画で稼いでいける、そう思えるほどの筆力がそのキャンバスには収められていた。

「素敵な作品だね」

拙い発音ではあったが、自分の想いが伝わるよう、ゆっくりと彼女に感想を告げた。

「ありがとう!」

準備を進めていた彼女は、画材の陰からぴょこんと顔を出して微笑んだ。

「じゃあ、そこに座っててね。お兄ちゃん!」

元気の良い声が途絶えると、少女は台座に向かい、手を動かし始めた。

「お嬢さんはいつから絵を描いているの?」

見た感じでは、少女は小学校中学年くらいのようにみえる。お爺さんの真似をして絵を描き始めたとして、小学生に入った頃から書き始めたのだろうと考えていると、

「三歳!」

元気よく返してくれた。想像した年齢よりも早いことから、私は驚いた。その表情を見ていたおじいさんが横から補足をしてくれた。

「筆を握ったのは、です。子供のお絵描きみたいなものですよ。ちゃんと絵描きになったのは二年前からです」

「それにしては、ものすごく立派な絵を描かれますね」

「そんなことはありませんよ、みえているままを描いているのですから」

優しい笑みを浮かべたおじいさんは再び自分の絵に向き直った。


「できた!」

 十数分が経った頃、少女は高らかに宣言した。

「動いても良いかい?」

「うん!」

私は立ち上がり、少女の側に移動する。

絵を見た瞬間、私は二つの意味で驚かされた。ここ、石橋と水運の美しい街並みが、短時間とは思えないほど緻密に背景として描かれている一方で、似顔絵と宣言していたのその絵の中には、私がいなかったのだ。

「あれ、お嬢さん。似顔絵じゃなかったのかな?」

身なりから学校に通っていない可能性を考える。そうであれば、似顔絵の言葉の意味をそのまま絵として理解しているということもありえる。加えて、先ほど見せてもらった絵は、全て似顔絵ではなかった。しかし、お爺さんから習っているのであれば、似顔絵という言葉の意味を知らないのもおかしい。私は困惑し、苦笑いを浮かべながら尋ねた。

「うん、似顔絵だよ!」

どうやら、似顔絵の意味自体は知っているらしい。否定することもなく、にっこりと少女は微笑む様子に、お爺さんが説明してくれた。

「絵の中の、自分の座っているところを見てみてください」

そう言われ、私は今一度、丁寧に絵を覗き込む。そこには、茶色の小熊が椅子にちょこんと座っていた。

「お兄ちゃんの似顔絵はくまさんだったの」

「あなたの今の顔がそうみえるみたいです」

「お兄ちゃんはね、強くて優しい。でも優しすぎて、決められなくなってるみたい」

確かに、最近の自分は思うように仕事がうまくいかず、決断力というものが欠けていた。今の状況に合致する少女の発言に驚いてお爺さんに顔を向けると、補足してくれた。

「この子は少し特殊な体質で、人の姿が認知できないんです。そのかわり、人の心を感じることができる。言うなれば、外見は見えないが中身がみえるみたいで、その人の、今の心の様子がみえるようなんです」

その言葉に、私は先ほど少女から見せてもらった少女の絵を見返した。すると、絵の草原には一匹の雄ヤギ、アルプスには寝転ぶ大型犬と、どの作品にも少なからず一匹の動物が描かれていた。よく見ると、どの動物もどこか動物離れした豊かな表情を浮かべていた。この動物たちも、描いていた人たちの心象を示したものなのだろう。

「お兄ちゃん、もう少し頑張れはいいことあるよ」

そう告げる少女は、私の中に、何をみているのだろうか。

「ありがとう。すごいね、お嬢さん。よく描けてる」

「ありがとう!」

「お代はいくら」

要求された値段は、想定した額よりもはるかに低かった。そこで私は言葉を変えた。

「その値段なら、絵を描いてもらったお金を払うんじゃなくて、君の絵を買うことにしたい。私の好きな値段で買わせてほしい」

私は、百倍の値段分の紙幣を少女に渡し、お爺さんに目配せをした。おじいさんも嬉しそうに微笑んでいた。

「いいの、こんなに」

「ああ。これで必要な画材を買って、もっと上達してほしい。いつになるかわからないけど、また描いてもらいに来るから」

「ホント? じゃあ、約束ね」

人のみえない彼女の手を、私の方から掴みにいき、優しく握手を交わした。

「おじいさん、これからも見守ってあげてください」

「ええ。また、お待ちしています」

きっと、彼女は私に似顔絵を描くと誘ったとき、私の心をみて声をかけると決めたのだろう。再びカルテノアにやってきたときも、彼女に見つけてもらえるよう、前に進んでいこう。そう心に決め、私は賑やかな大橋を立ち去った。

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