序論 2
2
私を取り巻く問題について書かねばならない。
今、目の前に座っているのは、私と一回りくらいしか齢が変わらないのに、なんだか小難しい話をいともたやすく説きまわることのできる女性である。
「和泉くん、君、この部屋に呼ばれた理由分かるかね」
「はい」
「単位は取れる?」
「一応とれていると思います」
「卒論は出すのか」
「出したいテーマがありませんので」
「来年もここに残ると?」
「まあ、学費は私費で賄えるのでお世話になるかと」
女性は長い溜息を吐きながら、顔に手を当て首を振った。
彼女は、海外暮らしが長かったのか、妙に大げさな反応をする。
本棚の上には写真立て。
学帽を被った様々な肌の色の学生が彼女の肩を抱いて乾杯をしている。
そして数々の小難しい本の中に、彼女の書いた本があったりする。
要するに、この人は私の指導教員であり、若くして数々の論文を雑誌に掲載したり本に載ったり、活躍目覚ましい才媛だそうだ。ショウコ(仮)がこの間言っていた。この間、学会誌の表紙を飾っていて興味本位で手に取った覚えがある。内容はよくわからなかったが。
「全く、君は相変わらずのふてぶてしさだな。そこのソファにでもかけてコーヒーでも飲みたまえ。今日は、じっくり話す気で呼んでいるのでな」
「いえ、観たいアニメがあるので、手短にで十分です。先生も貴重な時間を私などに割く必要は」
「いいや、ダメだ。まあ、座りなさい」
「……」
「さあ」
「はい」
しょうがないので、私は座ることにする。ソファが私を離すまいとギュッと腰を包み込む。トラバサミに甘噛みされているような気分だ。
思ったよりも座り心地自体は悪くない。居心地は最悪だが。私の学費の何割かがこの椅子にに使われているのかとふと思う。
その先生はしばらくの間、何を話すでもなく、自分で淹れたコーヒーを飲んでいた。私はというと、これから切り出される話に自分はどう返すかを少しシミュレーションしていた。
それは、卒論についてであり、単位についてであり、大まかに言ってこれからの進路についてのことであろうことは、頭の巡りの悪いショウコ(仮)が仮に呼ばれていたとしても気づくはずである。勘の鋭い私などは、ゼミの時間こちらをチラチラと先生がこちらを伺っていた様子で、ついに決戦の時は来たかと分かる、いや理解るのである。
問題は先生である。
「美味いか」
「は?」
「珈琲だよ。最近凝りだしたんだが、なかなか面白い」
「……言われてみれば美味しい気がしますね。
インスタントしか飲まんので味なんてさっぱりですが」
「君は正直だね。いいことだ」
さっきからこんな調子で話を切り出そうとしないのだ。私はというと、想定されるパターンを思い浮かべては消してを繰り返している。しかし、こうものんびりとした人だったのか。
時計の針が五月蠅くてしょうがなかった。
「あの」
「なんだね」
「先生は何がしたいのですか」
こうなっては面倒だ。こちらから話を切り出すしかない。
「今は君と話がしたい。そのためにいろいろ用事も済ませてきたんだ。
結構、今は教員も大変でね。余計な事務仕事が多すぎるんだよ」
「そうまでして私なんかと話をしてどうなると」
「案外、生き急いでいるんだね。意外だ」
「はぐらかさんでくださいよ。私はこの時間に意味があるのかと聞いているんです」
「君はこの学生生活に意味はあったと胸を張って言えるのかね」
隈の濃い瞼の向こうからじっとこちらを見据えている瞳が、急に引力を放ち始めた。威圧するでも、導こうとするでもない。なんだろうこれは。
「ある……とおもいます」
「もっとちゃんと具体的に」
「それはちょっと言えないですけど」
「では、この生活を続ける意味はどうだ」
「わかりません」
「なら、いいじゃないか。もう少し付き合いなさい」
ひょっとしたら、自分は観察されているのかと思い立つ。先生にとって私は貴重なサンプルなのかもしれない。海外留学に研究、実績を積むことなどで息つく暇などなかった彼女は、珍妙な生き物に出会ったと思ったのではないか。そのうえで優越感に浸ろうとしているのではないか。
全く持って、教員というのは禄でもない奴らばかりである。
そして私は、彼女から課題を受けることになる。
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