第59話 周来来

 帝都カラスキには各軍からかき集めた十万に近い兵士が集められていた。

 宮廷内の謁見広場には上級指揮官だけが集められており、それでも身動き取れないほどひしめき合っている。

 董螺司はその様を見てため息を吐く。

 立案から出立まで半年。この規模の軍事行動としては異例の速さである。

 しかし、その目的はどうだ。

 大軍をもって東に進み、今だまつろわぬ国々を併呑する。その後、大山脈を越えてヨゼイ征伐へ。

 それを成し遂げるまで何年かかるか。果たして、それを支える負担に帝国が耐え切れるのか。

 董螺司にはそれが死の行進の様に思えた。冷静に判断すれば愚かしい行動でしかない。 

 しかし、それも董螺司の価値観であって、深蘭の価値観とは異なる。

 若き皇帝には彼なりの損得計算が成り立っており、董螺司の諫言を聞くことなど無いだろう。

 誰にも拠らず、一人で立てるからこそ地上の支配者足り得るのだ。自らはその補佐役にすぎないことも董螺司は知っていた。

 いずれにせよ、やると決定が下されたのならできるだけ速やかに、徹底的にやらないといけない。半端な躊躇はむしろ傷口を拡大する。

 陰鬱な気持ちになりながら、事務や戦略の担当者名簿を繰っていると、事務官が走ってきて、耳打ちをした。

 董螺司は一瞬、その言葉の意味が話からず、二度繰り返した後に書類をかなぐり捨てて走り出した。


 ※


 当方征伐軍が出発間近になっても深蘭は普段通り執務室に籠もっていた。

 軍務には適任者を多く登用し、彼らに任せてあるので特に頭を割くこともない。出発式典までの時間には別のことに頭を回す事にしていた。

 今、深蘭の頭を悩ますのは領土の拡大による農民の不足だ。これはゼンキ帝国が抱える慢性病のようなもので、歴代の為政者達も皆頭を悩ませてきた。

 地上統一国家の建設を掲げる以上、ゼンキ帝国は常に周辺諸国を取り込んで膨張していかなければいけないのだが、そのために農民を徴兵して軍兵に充てれば農民が減る。

 さらに農民に対して兵士の数が多すぎるのもまた食糧不足の原因になる。

 そこに農地開墾をした結果、農民の更なる労働を強いることになり、農民の逃亡が多数起こった。

 全くもって泥沼であり、帝国は常に食糧不足、人手不足、農民不足に悩まされているのだ。

 この泥沼から脱するには他国への侵略を止め、内政の充実に努めなければならないが、そうすると統一国家の建前に集まってきていた思想家たちが大量に離反することになるだろう。彼らはみな、上級教育を受けており、帝国の運営には欠くことができない。

 こうして、ある意味では薄氷の上にゼンキ帝国は存在している。

 深蘭が周宗を欲したのもその状況を打破出来ないものかと思ったからであるがすでに深蘭の頭に周宗の影はない。

 今、深蘭にとって周宗と慎綺は今後同じ様な者を出さない為に見せしめにする対象でしかなく、せいぜい激怒して見せ無慈悲に、無惨に打ち砕いてやればいいと思う程度だ。


「深蘭様、客が面会を求めております」


 董螺司が扉の向こうで言った。


「この忙しいのに客か。会う価値があるとおまえが判断するのなら通せ」


 言われて董螺司は扉を開けた。

 その背後に立つ男を見て深蘭は目を丸くする。


「周宗、おまえは何を考えているのだ」


 深蘭に言われて周宗はほほえみ、答えた。


「主に慎綺様のことを考えております」


「よし、慎綺の元に送ってやろう。董螺司、この者を足から一寸刻みにしろ。途中で眼球も抜けよ。それから歯と舌も取り除き、死ぬ間際になったら油をかけて燃やせ。死体を旗代わりにヨゼイに攻め入ってやる」


 深蘭は思わず怒鳴りつけた。


「陛下、お待ちください。なにとぞ周宗の言葉をお聞きください」


 董螺司が見苦しいほどに頭を下げる。

 

「イヤじゃ。今すぐに嬲って殺せ」

 

 深蘭ははっきりと命じる。

 周宗は自分を裏切ったのだから、徹底的に怒りをぶつけ、惨たらしく殺さなければならない。

 そうして後に続く愚か者どもに、道の先が何であるかを突きつけるのだ。

 それは欲求と言うよりも王者の使命に近い。


「お久しぶりでございます。陛下」


 周宗は構わずに頭を下げ、挨拶をした。

 しかし、深蘭にとってはその声も取り合うべきものではない。

 

「なあ、董螺司。おまえは一度ならず二度までもその男の口車に乗るのか?」


 董螺司の額に汗が流れる。

 深蘭は遠回しに周宗を切れと命じた。しかし、董螺司は固まったまま動かない。

 そこまで、周宗の話は魅力的なのだろうか。

 董螺司の態度に、義務的怒りを通り越して好奇心が沸き起こった。

 元来、知的欲求は強い方だ。

 周宗の意見を聞き、それから殺すのもよいか。

 そんな事を一瞬で考え、深蘭は手近な硯を投げつけた。

 硯は壁に当たって割れ、墨液が周宗と董螺司の着物を汚す。


「よい。聞いてやろう。その上でつまらんかったら貴様等二人とも嬲り殺しだぞ」


 ひとしきりの手順を踏み、深蘭は湯飲みから白湯を飲んだ。

 口を湿らせたついでに、湯飲みも投げると見事に周宗の頭部へ直撃し、流血した。


「ほら、話せ」


 深蘭が促すと、周宗は拭いもせずに深々と頭を下げる。


「よい、ここには俺達しかいない。顔を上げて話せ」


「では失礼いたします」


 周宗は赤く染まった顔を上げた。


「その前に、何故逃げた?」


 深蘭は文鎮を手に取り、睨みつけた。返答次第では即座に殴り殺せるように身構える。


「何故、と言われましても最初に言ったではありませんか。半年ほどで出ていくと」


 激昂して見せる深蘭に対して周宗はあくまでも穏やかである。


「ふん、ヨゼイを乗っ取ったそうだな」


「はい、帝国の者も多く協力してくれたため容易く成りました」


「その新国家ももう終わりだ。帝国から遠征軍が攻めていくからな」


「私もその件でここに参ったのでございます」


「助命を請うつもりなら無駄だぞ」


「もちろんただで助命を請うつもりはありません」


「条件を付けるというのか?」


「はい。陛下にとっても有益なお話だと思いますが」


 その言葉を深蘭は待っていた。提示するものは何か。それが自らの命を購うに足かを知らん男ではないだろう。

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