第56話 睦言

 軍議を進め、ひと段落が付いたころ、周宗は虎淡が何か言いたそうな顔をしている事に気付いた。


「一度、休憩にしましょう」


 周宗が言うと、居並ぶ面々は小便に立ったり、水を飲みに出て行った。


「あの、弦慈さんが捕まえたっていう帝国の武将はどうします?」


 虎淡が寄ってきて小声で尋ねる。

 そういえば董鉄がいた。

 弦慈達が本体から離れて遅延工作をした後、合流した時には董鉄を連れてきたのだ。

 口には猿ぐつわを噛ませ、両手両足を縛ったまま荷車に転がしてここまで連れてきたのだった。

 虎淡からすれば、急に渡されても取り扱いに困るのは自明のことである。


「どこにいるのですか?」


「松白に頼んだんで、牢に入れていると思いますけど」


 やや考えたものの、会うなら早い方がいい。

 使える物はなんでも使っておこう。

 周宗は虎淡に頼み、案内してもらうと倉庫を改装したと思われる牢屋に入った。

 中には董鉄だけが寝そべっていて、その目がぎょろりと動くと周宗を捉える。

 

「董鉄将軍、この度は大変失礼をしました」


 周宗は深々と頭を下げる。

 捕獲したことを誤っているのではない。そこからここまでの間、拘束したままで一度も戒めを解かなかったことを謝ったのだった。

 人手も余裕もなかったための措置だったが、当然汚物は垂れ流しで、猿ぐつわも外さなかったため食べ物はおろか水さえ与えずに、董鉄の頬はこけ、目から生気が失われている。


「しかし、弦慈があなたを捕らえてくれたのは幸運でした。あなたがいてくれれば心強い」


 入り口前で松白から聞いたところによれば既に身を清めて食事も口にしているということだ。

 

「俺は今、考えることがあるんだ。また後にしてくれんか」


 董鉄が途切れそうな声で呟く。

 体も痛いだろうし、睡眠も碌にとれていないだろう。それに乾ききって死にそうだったはずだ。

 体力や思考、判断力を戻すには時間がかかるだろう。

 周宗は董螺司とばかり対面し、董鉄とこうやって話すのは初めてだと気づく。

 遠めに見る董鉄はいつも威厳にあふれ、配下に慕われる洒落者だったはずだ。

 その仮面を自らの手ではぎ取ってしまった。

 慎綺の為ならだれを縊り殺すのでもためらいはしないが、心は痛む。

 

「では、また後日。必要なものがあれば遠慮なく申し付けください」


 周宗は小さく頭を下げ、牢の間を出た。

 董鉄の目がじっとその背に突き刺さっていた。



「ねえ、慎綺様は軍議に参加しなくていいんですか?」


 ふと緋玉が尋ねる。

 ヨゼイの宿営地に入って一日経ち、二日経ち。

 周囲はあわただしくなっていくが、すき間に落ち込んだように慎綺と緋玉の周りだけが無風であった。

 仕方がないので慎綺は黙々と書物を読んでいる。

 もちろん、その風よけは周宗が血反吐を吐きながら建てたのを知っている。しかし、それを無下に断れもせず、ましてや打ち壊すことなど到底できなかった。

 

「……戦争は周宗や弦慈に任せておけばいいらしい」


「そう……周宗はあなたのことをよくわかっていますね」


「ああ」


 慎綺も頷いた。

 そもそも、戦争とは相手が屈服するまで人を殺しあい、奪い合うことだ。

 慎綺の精神構造は致命的に向いていない。

 今も、自分のせいで大勢の人が巻き込まれるという事実から必死に目を逸らしていた。


「私は、配下に恵まれすぎているな」


 それを聞いて緋玉はクスクスと笑った。


「何がおかしい?」


「だって、あなたと周宗は主従と言うよりもまるで兄弟なんですもの」


「そ、そうか?」


 心の奥を見透かされたようで慎綺は狼狽えた。


「そうですよ。私はいつも横から見ていますけど、周宗は貴方がかわいくて仕方がない兄の様で、あなたは愛を知るゆえに逆らえない弟でしょう」


 少女はそう言うと無邪気に笑った。


「そう言いわれると否定できないな。私が幼い頃から周宗は私によく尽くしてくれた。周宗は、私の兄だ」


「うらやましいです。私にも沢山の兄弟がいますけど、皆自分のことしか考えていないんですもの」


「君は違うじゃないか。周りのことをよく見ているし、優しい」


「それは慎綺様のことでしょう?」


 言いながら慎綺の首に手を回した。


「緋玉は、慎綺様と結ばれてとても幸せです」


 目を閉じ唇を重ねる。

 長い口付けが終わるとそのまま慎綺を押し倒した。


「慎綺様のとても暖かな雰囲気、大好きです」


 首筋に舌を這わせながら言う。


「私も、緋玉の優しさが好きだよ」


「ありがとうございます」


 にっこり笑ってまた口付けをかわす。


「義兄上は、君を連れ出したことを怒っているだろうか?」


「いいえ。あの人が怒る事なんてこの世には何もありません」


「そうか? 激情家じゃないか」


「あの人が怒るのはそう見せるのが効果的だからです。いわば演技のようなもので、本当の兄様はずっと冷ややかな人ですよ」


「はは、周宗のようだな」


「いえ、周宗には慎綺様のように感情を向けられる人がいますが、あの人は独りぼっち。愛する物も、大切な物も、何も持っていません。あの人の心はとても空虚ながらんどう。とても寒々しいのに、本人はそれに気付くこともない……」


「……達観者か」


「どういう意味ですか?」


「義兄上はきっと世に望まれているのだ。天が使わした天の子と言ってもいい。歴史上に同じような人物が何人かいるか解らんが、きっと彼らは皆、麒麟児として世を動かし、民の望む世を作り上げてきたのだろう」


「周宗だって麒麟でしょう?」


「……どうだろうな。確かに怪物かも知れんが、しかしあれは天が使わしたような者でないことは確かだ。世よりも私を優先するのだから」


「慎綺様がそれだけ魅力を持った人だということですわ」


「ありがとう」


 優しく緋玉を抱きしめる。


「だが、私なんかのために多くの者が天に逆らうことをどう考えたらいいのか、私は悩むよ」


「天がどう思おうと個人の気持ちまでは縛れませんわ。でも、慎綺様にはこれから忙しくなるのでしょうね」


「周宗次第だろうな。私に話を通すよりも周宗が直接指揮を執った方が早いし確実だ。その方が私も……」


 言いかける口を緋玉が塞いだ。


「睦言で話すような事じゃありませんね。緋玉はただ、どんなに忙しくても時にはこうして愛して欲しいだけなんです」


「約束するよ」


「まあ、嬉しい」


 それから二人は静かに抱き合った。

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