第55話 到着

 結局、大山脈を超えるまで帝国からの追っ手に遭遇することもなく、過酷な行程でありながらどうにかヨゼイの国に降り立つことができた。


「待っていましたよ!」


 虎淡が数百の兵士を引き連れて迎え入れてくれ、周宗はやっと一息つくことができた。

 軍に対抗するには軍が必要であり、いくら腕が立とうとも少数の親衛隊では不足なのだ。

 後から弦慈も合流したが、結局いくら腕が立とうとも一人では対応できる局面が限られていることには変わりない。

 虎淡の先導で、朱天軍が屯する宿営地に到着し、長い逃亡の旅の疲労から周宗は倒れそうになった。

 しかし、まだやることは山積している。


「お帰りなさい」


 出迎えたのは文官風の優男で、松白だと虎淡が紹介した。


「虎淡殿の副官を申し付かっております」


 松白は一行に恭しく頭を下げて付け足す。

 虎淡は荷物を松白に渡すと、周囲を見回した。

 

「他の人たちは?」


「議堂でお待ちです」


「ああ、そう。それから敵将を捕らえてあるから牢に入れて飯喰わせといてくれ」


 恭しく頭を下げる松白に部隊の解散を任せると、虎淡は周宗達を議堂へ案内した。

 


 周宗と古若が議堂に入ると、朱天が立ち上がって二人を迎える。


「よお、待ったぜ軍師殿。それで我らが大将はどこだい?」


「慎綺様でしたら、旅のお疲れを癒していただくために宿舎へ行っていただきました。軍議は私たちで十分でしょう」


 横で古若が皮肉な笑みを浮かべていることも承知の上で周宗は答える。

 

「あんまり甘やかすもんじゃないぜ、あのお坊ちゃんだって男なんだから」


 朱天が肩をすくめるが、周宗にとってはその言い分こそ理解できなかった。

 慎綺は御旗としてただ清々しくあればよく、物事の暗部を知る必要さえない。

 これまでもそうやって来たし、これからもそうであればいいのだ。

 

「とにかくこのすかした兄ちゃんが我らの行動を指示する。皆、よく顔を見て覚えておいてくれ」


 周宗の顔に向けて粗野な視線が向けられるが、気にせず開いている朱天の隣の席へ腰かける。

 朱天は居並ぶ面々を一人一人、周宗に紹介した。

 三割が山賊上がりで、一割が帝国軍崩れ。残りはヨゼイ国の武将である。


「出自は気にするな。皆、よく納得してくれている。お前は成果をもたらし、こいつらの勇気に見合うだけの報酬を支払わなければいけない。それだけが条件だ」


 朱天は椅子にどっかと座り、周宗に告げた。

 その条件を満たせなかった場合、どうなるかは考えるまでもない。

 

「ええ。利益による結びつき、大いに結構。それでは具体的な軍議を始めさせていただきます」


 現在のヨゼイ情勢は道中古若から聞いており、朱天側の最新情報と地図を見ながら作戦を練る。

 ここに集まったのは一部を除けば烏合の衆で、複雑な行動や部隊同士の連携が可能な軍ではない。

 しかも、忠誠心は皆無であり、損害が出れば早々に退却してしまうだろう。

 周宗は戦場の流れを思い浮かべながら各人に行動計画を割り振っていく。

 

「ちょっと待てよ周宗殿!」


 立ち上がって声を荒げたのは新顔の武将、路鈴だった。

 朱天討伐軍を丸呑みしたときに虎淡が懐柔した武将で、鬼の朱天が頼みにする男が周宗のような細面だということへの不満を隠しもしない。


「路鈴殿、座ってください」


 周宗が穏やかに言ったが聞く耳を持たない。


「だから納得が行かないんだよ、なんだその布陣は!」


 路鈴は壁一面に描かれたヨゼイ攻略図を指した。

 各将の配置場所の中で路鈴の部隊は最も激戦が予想される場所からかなり離れていた。


「俺を信用できないって言うんなら俺は出ていくよ」


「信用できないなんてとんでもない」


 周宗は正直に言った。路鈴は帝国にいるころ名前を聞いたことがあり、堅実な用兵をすると評価されていた。山賊や戦争経験のないヨゼイの将軍たちに比べれば異国としのぎを削り続けた彼はどれほど頼もしかろう。

 しかし、本人がそういうのなら仕方がない。

 正式な軍と違って彼らとは主従の契りも交わしていなければ、前金で雇ったわけでもないのだ。


「じゃあ何で俺はいてもいなくてもいいような所に陣を敷くのだ。俺を見くびっているからだろうが!」


 そこに虎淡が割り込む。


「ま、まあまあ路鈴さん落ち着いて……」


 虎淡が抑えるのも聞かず、路鈴は今にも剣を抜きかねない剣幕である。


「親分も落ち着いてないで何とかして下さいよ!」


「そういうのは俺じゃなくて周宗の仕事さ。本人にやらせとけよ」


 朱天がそっけなくいい、果たして路鈴は虎淡を押し退けた。

 

「では、路鈴殿には王都南門の攻略でいかがか?」


 周宗が地図を指しながら口を開いた。

 今回の王都攻略戦においてわかりやすい難所だ。

 路鈴はその提案に満足したのか、留飲を下げて自席へ戻った。

 しかし、周宗は密かに下唇を噛む。

 本来、路鈴隊を配備しようと思っていた位置は都の退却路であり、慎綺軍の勝利に近づけば我先にと逃げる貴族や武将を間違えなく捕獲するための配備予定だった。

 しかし、他の任務の関係から、そこに割り当てる人間がヨゼイ出身の将になってしまう。

 彼らはこの土地の者で、情もあればつながりもあり、重要人物を見逃すことも大いに考えられた。

 対して、南門は確保できればその後の戦略こそ広がるものの、実際には形だけ攻撃して兵力の分散を守備側に強いればよく、無理をすれば出城からの兵に退路を塞がれることさえ考えられる。

 周宗としてはこういう箇所にこそ失っても痛くない賊将あたりを当てたかったのであるが、しかしそれも仕方がない。

 周宗はため息を噛み殺すと、そこから先の戦闘計画を編みなおしていた。

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