第54話 撃退

 藪の中からは次々と悲鳴が巻き起こり、兵士たちは次々血煙に変えられていく。

 董鉄は父である董螺司譲りの冷徹な思考を巡らせて善後策を考えていた。

 茂みの中には伏兵、小道を塞ぐ弦慈。一呼吸に一度飛び来て命を奪う矢。

 急行軍ゆえ、軽装で駆けてきたため重厚な鎧や盾はない。

 五千の兵士を射抜くほどの弓も暗殺者もいないだろうが、小道ですぐに動かせるのはせいぜい百人ほどである。

 その百人も、突如現れた怪物と得体のしれない茂みの中におびえて浮足立ってしまっている。

 とにかく前進だ。ここで停滞するのが一番まずい。

 

「全隊前進、正面から行けば矢が数人を打ち倒すうちにたどり着く!」


 馬に隠れながら喚くように言うのだけど部下の反応は鈍い。

 そうこうする内に矢は兵士たちを打ち砕いていく。

 五千本も矢を射かけることはないだろうが、このままではあまりに一方的である。

 何より、このままでは慎綺を取り逃がしてしまう。

 悔しさに唇をかみしめていると、後方から重量物が落ちる、ズンという音がいくつも連なって響いた。

 次いで聞こえる喧噪、悲鳴。

 背後の方にも何事か仕掛けられている。

 

「えい! かかれ、嵩になって押し潰せ!」


 ただでさえ混沌とした先頭部隊に後方の混乱まで伝わってはいよいよ打つ手はない。

 

「俺を越えてあいつに向かった者は俸給の百倍を払う。打ち取ればさらに三百倍だ!」


 破格の賞金を提示し、ようやく兵士たちの目の色が変わった。

 彼らが死ぬまで目にできないだろう大金は、理屈を置き去って人を動かす。

 一人、また一人と心を決め、続々と兵士たちが前進を始めた。

 彼らが弦慈にたどり着くまでに射られる矢は十射ほどだろうか。

 三十人は行ったのだから、少なくとも矢の飛来はやむはずだ。

 董鉄はようやく身を起こすと勇敢な部下たちの後姿を見た。

 彼らにはたとえ破産しても報いてやらねばならないだろう。

 しかし、兵士たちを打ち倒したのは矢ではなかった。

 殺到する三十騎を嵐のように引き裂き、弦慈が姿を現す。

 能面の様な表情だと思った顔は、血を舐める獣のように生気に満ち溢れ、死をまき散らす怪物に対して董鉄は生命の躍動を感じた。

 そうか、こいつは俺たちとは別の生き物なんだ。

 ぼんやりとそんなことを考えた董鉄の横を、一瞥もくれずに通り過ぎた弦慈は死体を踏み砕いて駆け抜ける。

 右往左往する部下たちが次々と屠られるのを見ながら、董鉄は敗北を感じた。

 こちらは五千の騎兵がいるのだとか、天下の帝国軍だとか、皇帝陛下の腹心、董螺司の息子とかそういうのはこの場で何の意味も見いだせない。

 と、森の茂みから二人の男が出てきた。

 手には血が滴る短刀を握っており、服装は農民の平服である。

 しかし、身のこなしはどう見ても農民のそれではない。

 なるほど、森の中にはこのような妖怪も潜んでいたのか。


「董鉄殿とお見受けするが、いかがか」


 男の一人が問う。違うと答えれば淡々と首を切り裂いていくだろう。

 董鉄が頷くと、地面に倒され後ろ手と足を縛られ、後ろから首を絞められた。

 遠のく意識で、ただ茫然と草の匂いだけが鼻についた。


 *


 董鉄が捕らえられ、その部隊が壊乱した頃、周宗が率いる本隊は遙か東を走っていた。

 本隊とは言っても慎綺の乗る馬車を護るのは親衛隊を含めて僅か二十騎ほどで、木蛇の面々も古若を残して弦慈が務める殿の援護に回している。

 逃亡より以前から何か所かに罠を仕掛けていて、丁度よく追っ手を引き込めたが、それでもあくまで奇襲であって、突破されるかもしれず、周宗は背後ばかり気になった。

 

「おい、追っ手の撃退に成功したらしいぜ」


 同じく後ろを向いたまま馬を走らせる古若が言った。

 古若の連中はいかなる秘技か、遠方にいる仲間に状況を知らせる手段を抱えている。

 光か、煙か、いずれにせよそのあたりを用いているのだろうが、周宗がそちらを見ても何も見えない。

 しかし、古若が言うのなら間違いないだろう。

 作戦の一応の成功に胸をなで下ろした。

 正直に言えば、周宗は上手くいくとは思っていなかった。

 しかし、誰かが残って働かねばならず、そうなると逃げ足に優れる木蛇が適切だったのだ。

 弦慈が残ったのは単純に本人の希望に寄るところで、周宗は止めた者の本人が勝手に行ってしまったのだった。そうなると、もはや誰も止めることはできず、周宗はため息とともに見送ったのだった。


「しばらく時間が稼げたな」


 古若が楽しそうに言う。


「まだです。東軍からの追っても編まれるでしょうし、何より帝都からはより強大な討伐軍が来るでしょう。今回の件で私たちの居場所は掴まれました」


「はあ、可愛げのないガキだ」


 古若は口を尖らせて苦笑した。

 周宗は意味が解らず首を傾げる。


「成果を上げた時くらい悦べよ」


 成果とはなんだ。周宗は自問する。

 詰まるところ、慎綺を旗頭に国を興すことではないか。

 しかし、古若はその固い表情が気に入らないようで、目を細めた。


「一体どこまで考えているんだ? 今、うまくやれたら素直にそれを喜べ。あんまり遠くばかり見ていたら誰もついてきちゃくれないぞ」


「私たちの指導者は慎綺様です。私が人望を得られずとも」


 周宗の言葉に古若は肩をすくめる。

 眼前にはヨゼイへと続く山々がそびえていた。

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