第52話 命令書

 東軍への伝令を受け持った鉾麒は一昼夜で早くも道程の半ばを消化していた。

 百騎の部下を連れて夜通し駆けるが、ここに至るまで慎綺一行が通過した形跡はなかった。


(もったいないな……)


 鉾麒は内心舌打ちしていた。

 戦地から遠く離れた天軍にあって逃亡者の追跡は功績を挙げる数少ない機会なのだ。

 出来ることなら自らも追跡者としてこの件に係わりたかった。

 しかし、まだ希望を捨てているわけではない。逃亡者である以上最短の道で逃げたいというのは人情であり、そうするとこの道の先に獲物がいることも考えられないことではない。

 一行が林の中の道に差し掛かったとき、それは起きた。

 突如行く先に縄が張られ、「と、止まれ!」叫んだが遅かった。

 勢いの付いた馬が急に止まれる筈もなく、押し出される形で数頭の馬が倒れる。

 先頭を行く鉾麒も地面に投げ出され強かに地面に打ち付けられた。

 何とか立ち上がると、すぐに剣を引き抜いた。


「誰だ!出てこい!」


 しかし、返答は言葉によるものではなかった。

 縄で止まっている騎馬隊に向かって雨のような矢が浴びせかけられたのだ。

 かすり傷を負った者さえ口から泡を吐いて悶えまわる。毒矢だ。

 あっという間に騎馬隊は全滅し、呆気にとられている鉾麒の前に数人の剣士が現れた。


「貴様ら、知っているぞ! おまえらは慎綺の親えっ……!」


 喋りかけの鉾麒を斬り、鉾麒隊の生き残りを全て切り捨てると、縄と仕掛け弓の痕跡を全て片付け木蛇と親衛隊の隊員達はあっという間に逃げ去った。

 後には百頭と百人の死体だけが転がっていた。



 慎綺一行は惜しげもなく馬を乗り潰し、すでに五頭峡を抜けていた。

 すでに隘路は土砂で塞いであるので後方からの追撃は心配ない。

 約束通り弦慈も合流しており、逃走計画は順調に消化していた。ここから先は慎重に東軍のいない道を通りさえすれば残る壁は何もない。

 しかし、隘路の終わり、平原の始まりには思いもかけぬ光景が広がっていた。

 東軍が布陣していたのである。

 近隣には小さな村があり、予備部隊の調練か休養が目的なのだろう。


「どうする?」


 傍らでの弦慈の問いに、「横を行くしかないだろう」と答え、周宗は馬を進める。

 数は二千程だろうか。緊張した雰囲気を感じられず、自分たちを探している雰囲気も無い。

 ともかく、一行の外見は輸送業者であるし、一人武装をしている弦慈も用心棒に見えないこともない。

 静かに街道を通るのみだ。

 周宗は弦慈の表情が期待に沸いているのを見て不安になった。

 この男はこの期に及んで敵との戦闘を期待している。

 

「お前は一切、口を開くなよ」


 周宗の言葉に、弦慈は顔を歪める。

 監視兵の目を引かないように、そろそろと街道を進めていると、陣から武将風の男が数人の部下を連れて来て道を塞ぐ。

 もしかして、脱走の情報が慎綺一行を先回りしてここに届いているのだろうか。

 周宗は表情を変えずに、しかし背筋を流れる汗を止められなかった。


「全部斬ろうか?」


 弦慈が耳元で囁いた。

 それはとても魅力的な提案に思えたが、周宗は首を振って否定する。

 出張って来た数人を斬るのはわけないだろう。しかし、その後は二千の兵に取り囲まれる。

 弦慈は自らの自信通り生き延びたとして、他が死ぬ。それに、逃げた兵が他の部隊に報告すればすべてが台無しになる。


「頼むから、動くな。黙って居てくれ」


 もはや哀願に近い命令を聞いているのかいないのか、弦慈は近寄って来る帝国軍将兵を見つめている。

 服装からするとこの陣の大将といったところだ。


「そこの一行、待たれい!」


 野太い声で制止を掛ける武将の顔に、周宗は見覚えがあった。

 先日まで地軍にいた武将、丁源だった。

 大柄な体に傷だらけの老人で、兵士からの信頼も厚く帝都近くの砦において守将を務めていて、周宗が砦の修繕を任せられた際に、打ち合わせ等で何度か顔を合わせている。

 実直な人物だったが、天将軍派の粛清に伴って行われた大改組において玉突き式に異動したとは聞いていた。まさかこんな場所で再開するとは夢にも思わなかった。

 

「んん、そこの君は周宗君ではないかね?」


 顔を隠すよりも先に、丁源が周宗に気づく。

 見られた以上覚悟を決めるしかない。

 周宗は背筋を経て、いつも周囲に見せる自信に満ちた薄笑みを浮かべた。


「これは丁源将軍、お久しぶりでございます。こちらにおられたのですね」


「ああ、もはや戦働きは出来んのでね、調練役さ。それで周宗君は何の用かな?」


 丁源は周宗の小汚い身なりをじろりと眺め、次いで連れの一行を見やった。

 皇帝の客人がこのような場所でこのような格好をしているのはいかにもおかしい。

 丁源の目には疑惑の光が満ちていたものの、いきなり捕縛しようとしないのは確信ではないからだ。

 周宗は密かに安堵の息を吐いた。


「私たちが人足に使っておりました朱天が反旗を翻しまして、道義からも私がそれを討つべき皇帝陛下に命じられております。現在はその途中でございます」


 それを聞いて丁源は顔をしかめた。支配域をまんまと抜かれ、責任問題にまで発展した東軍の者にとってその元凶たる朱天は嫌な話題なのである。


「しかし、あの悪鬼を僅かそれだけで討てるものかね?」


「私は知略を買われて皇帝陛下に厚遇されているのです。万の敵を討つのに万の兵を用いなければならないのなら私でなくとも出来ます。私が用いるのは奇策でございますれば屈強な兵は必要としません。ただ、静かに忍び寄る仮装さえあればわが身と引き換えにしても件の首を取る覚悟でございます」


 物騒な話をしながら周宗はにっこりと笑う。

 納得した様子ではなかったが、丁源は深く聞く気もないようで、軽くうなずいた。


「そうかね。では気を付けて行って来い」


 軽く会釈をして通り過ぎようとする周宗の背に声がかけられた。


「ただし、陛下の命令書を見せてからな」


「ああ、すみません。うっかりしていましたね」


 照れたように笑いながら馬の首に付けられた物入れから書を取り出した。


「こちらが命令書になります。お改め下さい」


 丁源はしばらくそれを見ていたが、やがて顔を上げた。


「ふん、本物のようだな。よし、通れ」


「ありがとうございます」


 今度は深く礼をすると仲間を集めて陣を抜けた。

 東軍の陣からかなり離れてから、弦慈は聞いた。


「あの命令書は何だ?」


「あれは偽物だ。だが、署名は皇帝本人だし印も本物だ。辺境の将軍ぐらいでは見破れない」


 周宗は、自らに下された命令書を、木蛇配下の偽書屋に頼んで偽造していたのだ。

 じっくり見れば紙の継ぎ目に不自然な点はあるものの、一見しただけではわからない。

 幸いにも今回はその威力を通すことができた。

 しかし、よろこんでばかりもいられない。

 計画ではあそこに兵などいなかった。誰にも見られず行くつもりだったが目撃された以上はいつ追っ手が来るかも解らない。


「できるだけ急ぎましょう」


 周宗は一行に告げる。

 今にも後ろから大軍が追ってきそうな気がして仕方がなかった。

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