第51話 火事
慎綺、周宗の逃亡に深蘭が気付いたのは二日経ってからであった。
深蘭の多忙さ故、周宗の行動に気付けなかったのが原因であった。もともと慎綺と緋玉は毎日を静かに過ごしているし雑用は全部自分たちでこなす。周宗は政務の関係でカラスキを二、三日空けることがあった。
監視役につけた補佐官たちも上役への報告は三日に一度であり、それらを上手く通すように脱出は決行されたものと思われる。
補佐官の上役が報告がないのを不審に思い行き先を調べても見つからないことから発覚した。
「補佐官も護衛兵もおりません。おそらくは処理されたものと思われます」
董螺司がため息とともに報告すると、それを受けて深蘭は凄惨な表情を浮かべた。
「すぐに探せ! 捕らえてここに連れてこい!」
「天軍には既に命令を下しています」
董螺司が申し訳なさそうに伝える。
確かに、慎綺から目を離すなと命令を受けたにも関わらずこのようになったのだ。面目などあったものではない。
この失態を挽回できるものか
「慎綺様の部屋にはこのような書き置きが……」
宮廷内の捜索に当たった文官が差し出したのは周宗名で綴られた文書であった。
曰く、「慎綺様夫妻のたってのご希望により、忍びの旅へ行ってまいります。三日のうちには戻りますのでご心配事なきよう」とある。
「試しに三日待ってみれば……」
「馬鹿を言うな! 三日も待てば二度と追いつけんぞ!」
深蘭は書を破り捨てると文官を蹴り飛ばした。
付き合いの深い董螺司でも深蘭がここまで怒ったのを見たのは初めてだ。
「鉾麒、すぐに百騎を従えて東へと走れ。余計なことを考えずに最短の道を行け。東将軍に間道、獣道まで全てを封鎖するように言うのだ!」
「はっ!」
鉾麒と呼ばれた天軍隷下の武将は一礼すると走り出ていった。
「明圭、おまえは周宗がどの道を走ったかを探れ。四方の住民全てに聞き込むのだ!」
「はっ!」
同じく天軍の明圭も走り出る。
「董鉄、罪拳、おまえ達はすぐに騎兵を用意しろ!明日の日の出までにそれぞれ五千ずつ、用意出来次第出発し、東へと向かう道全てに分隊を進ませい!」
「はっ!」
二人も走り出してゆく。
「董螺司は東軍以外の三軍に早馬を立て、周宗と思しきものは全て拘束させよ。それから、慎綺と周宗の似顔絵を早急に造り国中に布令を出せ」
「は……」
「他の者は、すぐに戦の準備を始めろ! あ奴らがどこに隠れようとも必ず潰してやる!」
珍しく激情をむき出しにした若き皇帝に、その場に居合わせた武将達は皆肝を冷やした。
*
董鉄と罪拳はそれから一刻の間にそれぞれ五千の騎兵を揃えて見せた。
常日頃から即応の為に兵を整えている部隊を抱えていたのだ。
しかし、いざ出発しようとすると思わぬ事態が起こった。
カラスキの市街地で無数の火の手が立ち上ったのだ。
将軍たちは無視して進もうともしたが、兵のほとんどは市街地に家族を持っている者ばかりで、消火に参加しないわけには行かなかった。
数十箇所で突如火の手があがれば、すぐに周囲一区画を焼き尽くし、天軍が周囲の建物を壊して延焼を防ぐ。しかし、火の手が収まりかけるとまた別の場所で火の手が上がる。
数十万の人口を擁する巨大な都市において、異常な出火と、その消火に当たる天軍兵士による鼬ごっこは翌朝まで続いた。
焼け出された避難民や、家族を失った住民たちの上に朝日が昇り、董鉄は眠気不足のまま馬に騎乗する。
「予定より半日も遅れた。徹夜明けだがこのまま行くぞ」
号令を飛ばす董鉄の下に罪拳の副官が走ってきた。
「大変です!」
「どうした?」
「罪拳将軍が殺害されました!」
「何だと!」
予想外の報告で董鉄は混乱に叩き落された。
すぐに運ばれてきた罪拳の遺体は無惨に首を切られていた。
「何があったというんだ?」
「消火作業の指揮を執っておられる途中に姿が見えなくなり、今朝になってこのような姿で見つかったのです」
董鉄は原因を考えたが、罪拳がどこで恨みを買っているかなど見当も付かない。
「ええいっ!時間がない、罪拳の軍はすぐに陛下から新たな将を付けてもらえ。こちらは先に行くぞ!」
言って走り出す。
出発すると、すぐに情報を集める明圭からの伝令が来た。
「東へ向かう貴族用の馬車が目撃されています」
「西の集落でもそれらしい者を見たとの報告が……」
「南の方でも十数騎に守られた貴族らしき者を見た者がいます」
「北の方へも馬車が夜中掛けていくのを見たという者が多数いました」
数件のそれぞれ異なった情報に董鉄は顔をしかめた。
「一体どのような調査をしたのだ!?」
父である董螺司から周宗は賢明な少年だと聞いてはいたが、まさかここまで老獪だとは思ってもいなかった。街を燃やしたのも罪拳を殺したのも周宗の手下の仕業だとやっとのことで思い至る。
そうして、この放火の目的は軍の出足を鈍らせることにとどまらず、指揮系統を混乱させることも含まれるのだ。
董鉄は思わず帯剣に手を伸ばした。
隙を見せれば暗殺者に自らの喉も掻ききられかねない。
「クソッ! 最も人数の多い報告はどれだ?」
「南に向かった十数騎ほどですが……」
「では五百は南へ、三百ずつ西と北へ向かえ。残りは私と共に予定通り東へと向かう」
すぐに編成を行うと東へと走り出した。
カラスキからヨゼイへと向かうとすればその道に使えるのは大小合わせて十五本。
董鉄は小道十一本には二百ずつ、残りを四本の主要道にわけることにした。
全く野面で取り逃すことを第一に恐れねばならない。
とにかく獲物の位置を把握することだ。その後のことは後で考えればいい。
「いいか、どこで出会っても必ず慎綺と周宗は捕らえろ。決して逃がすことがないように。では、行くぞ!」
『応!』
董鉄隊は流水のように走り出した。
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