第50話 さよなら
「では、こちらです」
目はまだ赤く腫れているが、すでに普段の姿勢を取り戻した周宗の先導の下、慎綺と緋玉は声を殺して進んだ。
二人とも、とても皇族の旅装とは思えないような質素な服装を身に纏っている。
大勢で動けば見つかりやすくなるため、監視の薄い親衛隊は先だって出立させていた。
「ここです」
そこは皇居を取り囲む塀の出入り口ではなかく、人のゆうに三倍はありそうな高さの白壁がそびえていた。
「ここでどうするのです?」
緋玉が聞くと、それに応えるように闇の中から古若が現れた。さらにその後ろには数人の木蛇が付いている。
「まあ、不思議な方ですね。そこに立つまでぜんぜん解りませんでした」
古若は薄く笑うと、「姫さん、失礼しますよ」言って緋玉を抱きかかえる。
慎綺と周宗も他の木蛇に同じように抱きかかえられる。緋玉は楽しそうだが、赤ん坊の様だと慎綺は顔を赤くしていた。
木蛇の一人が手を組み、二人が肩車をして壁沿いに立った。
「じゃ、動かないでくれよ」
古若が跳ぶ。一人目の用意した手の足場に乗り、肩を蹴り、二人組の肩車を踏み越えて鮮やかに塀の上に立つ。
塀の反対側でも待機していた木蛇が同じように足場を造っていて、それを経て軽く着地した。慎綺と周宗を抱えた木蛇も後に続く。
最後の数人は綱を使って宮廷内から脱出していたが、古若はそれを待たず、緋玉を抱えたまま走り出した。
周宗の指示通り、警備兵を眠らせてはあるがいつ想定外のことが発生するかわからない。
一刻も早く安全地帯に逃げたかった。
「待たなくていいのですか?」
緋玉が聞くと、古若はにやりと笑った。
「お荷物がなけりゃあどうにでもなりますよ」
*
宮殿から近い通りに出ると、荷駄を引いた隊商に出くわした。
「さあ、さあ、お入りくださいな」
三人に小さな声が呼びかける。
馬の口を引く、馬子の一人だった。
よく見ればそれは狐で、慎綺たちの衣服も、馬子や雑役夫と同じものを着ていた。
周宗は、退路を任せた木蛇の手際の良さに舌を巻く。
確かにこれなら、このまま都市を出て行っても疑われることはないだろう。
すでに緋玉の頭には手拭いが掛けられ、慎綺の腕は荷台の藁に突っ込んであった。
「さて……」
歩きながら、狐が計画の説明を始めた。
仲間にしか聞こえない特有の話し方で、慎綺は真剣な顔で聞いている。
ああ、もう少し前をみなければ転んでしまう!
周宗はたどたどしく歩く慎綺にハラハラさせられてそれどころではなかった。
「しかし……」
狐が段取りの説明を終えると、慎綺が口を開いた。
「この時間はすでに城外への門は閉じられているではないか。どうやって出るのだ?」
確かに、日は陰りだし間もなく夜が来る。
往来は終わり、門番は門を閉めるころだ。
しかし、そのことについては周宗も狐と打ち合わせていた。
「大丈夫です。すでに南門の番兵を説得してあります。ご心配なく」
狐の言葉は、説得と言えば聞こえはいいがその実、家族をさらっての脅迫である。だが、慎綺にそれを伝える必要は無かった。
周宗は慎綺に、ただ清く輝いていて欲しかった。
*
速やかに門を抜け、少し行くと二十数名の木蛇が待機していた。全員が馬に乗り、四台の馬車が用意されている。
「ここから東へ向かう街道、山道のうち、私たちは五頭峡という険を通る訳ですが、三台の馬車を他の道にも進ませます。では、馬車にお乗り下さい。すでに宮殿にはお二人の影武者を配備してありますが、いつ発覚するとも解りません。一刻も早くここを離れます」
急かすように慎綺達を馬車に乗せると、周宗達は馬に跨った。古若が手を振ると他の三台の馬車と木蛇の半数を残して一行は動き出す。
馬車に揺られてすぐ、緋玉は眠りに落ちていた。常にない興奮が精神を昂らせたのだろう。
あれやこれやと楽しそうに指をさして話しかけていたが、糸が切れるように眠った。
慎綺と緋玉が乗った馬車は他の三台よりも二回りほど小さく造られている。
しかし、中は二人が乗るのに適度な空間を確保してあり、乗り心地がよかった。
この一台だけ質素な作りにしたのは軽くして、速度を保つためだ。
慎綺は遠ざかる帝都の空を見つめ、俯いた。
深蘭には随分と世話になったし、義兄でもある。まさか、こんな風に分かれるとは思いもしなかった。
慎綺は先のない右腕を見つめると、ふと、国が滅亡した日のことを思い出す。
ほとんど意識はなかったが、その時もこうして荷馬車で自分を助けてくれたのは周宗だったはずだ。
慎綺は傍らで眠る緋玉の髪を撫で、ため息をついた。
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