第48話 告白

 無事、現地視察から帝都に戻った周宗は数日掛けて膨大な量の事務作業をこなした。

 ひと段落ついた夕方、周宗は覚悟を決めて席を立つと慎綺の部屋へと向かう。

 二人は主従の関係でもあり、それ自体は珍しいことではない。

 ここしばらくは仕事が立て込んでいたし、あからさまに監視の目が合ったため控えていたが、本来は何も憚る必要は無いのだ。

 途中まで着いてきた補佐官にも、皇族への失礼に当たるから遠慮してくれるように頼むと、彼らも渋々ながら引き下がった。

 皇族への深い忠誠心を持つ監視役だからこそ通じたが、次回は通じないだろう。

 いくら不敬を盾にしたって、深蘭の命令権能を上回ることはない。

 今回引き下がり、上役に相談すれば次回は断られるに決まっている。だからこそ、今までその手は使えなかったのだ。


 監視役たちが立ち去ったことを確認し、慎綺の部屋を訪ねると、数名の親衛隊が戸の前に立っており、慎綺に確認の上で中に入れてくれた。

 室内には慎綺と緋玉が机に座っており、周宗も招かれるままに同じ卓に着く。


「やあ、周宗。最近はあまり訪ねて来なかったが、忙しいのだろう。義兄上が仰っていたよ。お前は頼りになると」


 慎綺は周宗が深蘭から評価されることを嬉しそうに笑みを浮かべて語った。

 しかし、周宗は一緒に笑う気にはならず、深い息を吐いた。

 見回せば、室内は清潔で上等な丁度品が置かれている。

 周宗は胃に燃え盛るような熱を感じて、吐き戻しそうになった。

 自分が、今から言おうとすることは、この満たされた部屋から慎綺を引きずり出すことになる。その上、下手をすれば斬首か野垂れ死にさせることも考えられるのだ。

 忠節とは、一体何か。

 

「周宗、何か悩んでいるなら話しなさい」


 言葉を選びあぐねる周宗に言葉を掛けたのは緋玉だった。

 微笑む緋玉に促されるまま、抱え込んでいた言葉が滑り出て来る。


「慎綺様、ここの暮らしはいかがでございますか?」


 もはや後戻りはできない。

 覚悟を決めて聞いた周宗を慎綺はキョトンとした顔で見返した。

 

「ここはとてもすばらしいではないか。義兄もよくしてくださるし、いくらでも学問が出来る。そして何より平和だ」


 朗らかな、人好きのする笑顔だった。

 周宗はこの笑顔を守るために生涯をささげることに決めている。

 しかし、一時その顔を曇らせなければいけない。

 そう思うと心が引き裂かれるように痛んだ。


「では、祖国のことはすでに忘れられましたか?」


 周宗の言葉に、慎綺は少しだけ不機嫌な顔をした。


「……言葉が過ぎるぞ。この右腕がある限り忘れるわけがないであろう」


 慎綺は先の欠けた右腕を振って見せる。

 その腕を守れなかったのは自分のせいである。その上、さらに危険にさらし、場合によっては命までもなくしてしまうかもしれない。そうなれば自分も次の瞬間には後を追うだろう。だとしても言わずにはおれなかった。


「慎綺様が平和を望まれるのは重々承知の上で申し上げます」


「何だ?」


「今宵、私と共にこの国を出てください」


 しばらく沈黙が流れ、真っ先に口を開いたのは緋玉であった。


「あら、旅に出るのでしたら緋玉も付いていきますわ」


 にっこりと笑う。


「緋玉、意味が分かっているのか?」


 額に汗の玉を浮かべた慎綺が目を見開いて妻を見る。


「え?」


「この国から出ると言うことは、義兄上とは袂を分かつということなのだぞ?」


「あら、そうなのですか?周宗、本当ですか?」


「はい。もしここを出れば二度と帰っては来られないかも知れません」


「そうですか、では絶対に付いていかないといけませんね」


 言うと慎綺に抱きついた。


「兄様も好きですけど、旦那様から離れるわけにはいきませんもの」


「ま、待て、私はここを出るとは……」


 その前に、一本の懐刀が差し出された。


「慎綺様、どうしてもここから出たくないと言われるのでしたらこの刀で私を殺してください。慎綺様を戴くという私の言葉を信じてすでに多くの者が動いています。慎綺様を動かせないようであれば私はもはや死んで詫びるしかありません」


 周宗はあくまで冷たく言い放つ。


「ひ、卑怯だぞ。私がおまえを斬れるわけがないであろう」


 それも知っていた。

 慎綺は周宗に対して身内のような感情を持っている。

 主従関係は幼少期からであればそれも仕方ないことだ。

 しかし、そう言うというのであれば、本心は自分よりも深蘭を選ぶということに他ならない。

 愛する主君に無用の手間を掛けさせるわけには行かない。

 

「では、自らこの首掻き斬って果てます。残念ですがお別れです」


 周宗は呟くように言い、懐刀を納めると立ち上がった。

 その顔には紛れもなく相応の覚悟が浮かんでおり、深々と頭を下げると部屋の出口に向かって歩き出す。


「待て!」


 慎綺が声を掛けるが、周宗はその声が聞こえないかのように足を止めない。

 事実として周宗の胸中には後悔と絶望が満ちており、叩きつけるように高鳴る鼓動で耳は塞がっていた。


「待てというのだ、周宗!」


 慎綺が常にない声で呼び止め、周宗はようやくゆっくりと振り向いたが、その顔を見て慎綺は驚いた。

 まるで別人のように感じられたからである。

 初めて会って以来十年以上の付き合いになるが、周宗がこのように覇気のない顔を見たのは初めてだった。


「その重要な問題を何故今日まで私に話さなかった?」


「深蘭皇帝は抜け目のない方です。もし、慎綺様からその情報が漏れれば、私に従ってくれた者達の多くが粛正される危険性がありました」


 しかし、それも全て終わりだ。

 周宗は力なく吐息を漏らすと今にも消えそうなほど儚かった。

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