第47話 剣士

 弦慈は一人剣を振っていた。

 森の中で黙々と、ただ剣を振るうのを目的に生まれてきた生き物の様に、飽きることなく空間を切り裂き続けている。

 汗がしたたり、服は濡れそぼり、湯気となって立ち上っているが、動きに鈍りはない。

 弦慈は朱天と同様、客将として全線で兵を率いたのだが、すぐに外されてしまった。

 弦慈が戦闘中、まったく部下を顧みないのだ。

 ただ、敵だけを見つめ、近づいて行って切り伏せる。

 相手が大群だろうと、小勢だろうと関係無く、弦慈は敵を見かけるとすぐに突っ込んでいって暴れた。

 圧倒的な技量は雑兵、精鋭の差無く蹴散らして皆殺しにするのだが、そもそもこれは弦慈の唯一といってよい趣味だったのだ。

 平時であれば奪うことを許されない命を、次から次に平らげて行く事に無上の喜びを感じ、戦いに身を置いている途中はその他の事が全て意識の外に押し出していた。

 当然、指揮官としては完全に無能であり、無駄な兵の損耗や脱走兵の増加の責任をとると言う名目で彼は最前線から下げられてしまった。

 しかし、弦慈としてはそれにも不満はなく、より心地よく命を奪おうとすれば道具の整備は欠かせないことを知っていたし、その為の道具は何よりも自らの腕前であることも理解していた。

 敵はすぐそこにいて、俺が剣を振り下ろすのを待っている。

 そう考えると、鉄面皮に珍しく笑みが浮くのだった。



 体中から滝のような汗が出ていても弦慈の動きは少しも乱れない。

 風に吹かれて落ちる一枚の葉を一息に八片に断ち割るとようやく剣を止めた。

 葉の欠片が風に吹かれて消えると、森の奥からと獣が歩いてきた。

 密林の猛獣、虎である。

 弦慈は目を細めてその強さを測った。

 しなやかな体、鋭い爪、硬い牙、常人の二、三人分はあるだろう目方。

 どれをとってもそこら辺の雑兵とは比べものにはならない。しかし、それ以上の興味は湧いてこない。

 弦慈が殺したいのはあくまで人間で、虎ではない。

 しばらく考えたが、弦慈は気にもせず鍛錬を続けることにした。

 虎が自分の間合いに入れば斬り殺すし、そうでないなら他は知ったことではない。

 虎はしばらく悩んでいたようだが、やがてすごすごと去っていった。


「何故斬らん?」


 その声はすぐ傍で発せられた。


「向かってこないのならば追ってまで斬る価値のある物でもない」


 答えながらも落ちてきた葉を十二に割る。


「おまえが逃がすことによってあの虎が何人を喰うかわからんぞ」


「俺の知ったことではない」


「……相変わらずだな。だが、おまえに知ってもらいたいことが山ほどあるから聞いてくれ」


 その男、周宗が言うと弦慈は剣を鞘に収めた。周宗は現在置かれた状況を一通りの説明をすると頭を掻いた。


「もどかしい。監視がきつくて思うように動けない」


「こんな所まで来てよかったのか?」


 弦慈は首をかしげた。

 帝都から弦慈がいるところまでは数日かかる。


「ああ、一応国内視察で五日間は都を空けることを許された」


 周宗は地方の実像把握の為に視察を願い出て、ようやく許可が下りたのだった。

 その視察にしても厳しい監視の中、護衛や補助官が交代するのに合わせて狐が替え玉を用意してくれたからここまでこれたのだ。

 周宗は、そういった深蘭との暗闘や遠くヨゼイの地での準備に疲労を感じていた。


「あの皇帝の相手もなかなか骨が折れる。次々と私に鎖を巻いてくるし、気を付けていないとあっという間に動けなくなりそうだ」


 もっとも好ましい状況は皆で一度にヨゼイへ向かう事なのだけど、それは困難であることはあきらかだった。


「殺したらどうだ?」


 無造作に、弦慈の口が物騒な言葉を吐きだす。


「皇帝を?」


「皇帝でも誰でも。俺が行って斬ってこよう」


 弦慈の言葉に周宗は苦笑した。

 そして、あらためて目の前にいるのが負ける事を考えた事の無い怪物だと思い出した。

 確かに、この男なら百人やそこら蹴散らして目的の人物を切れるだろう。

 だが、そう単純でもないのだ。

 まして、王宮を守るのは万の精兵である。

 仮に弦慈が負けずに切り続けたとしてもその間に皇帝は逃げてしまうだろうし、そうなると慎綺は処分されてしまう。

 それに、運良く深蘭を殺害したとして現状がよくなる保障もない。

 なにより、突然やって来て皇族に加わった慎綺を快く思っていない者は大勢おり、それらの勢力から堤防となって慎綺を守っているのは他ならぬ深蘭なのだ。

 少なくとも、周宗が慎綺を連れて帝国を出るまで死んで貰っては困る。


「ところで、慎綺様の心境はどうなんだ?」


 弦慈が珍しく人の心境など気にしたので、周宗は驚いた。

 しかし、仮にも親衛隊長である。本来は誰よりも慎綺の安否を気遣うべきで、そう思えば何もおかしいことはないではないか。

 そう考えると周宗はおかしくなって少しだけ笑った。


「慎綺様にはまだヨゼイを攻め取る事を話していない。あの性格だから、うまく説明しないと納得してはくれない」


 現在の様々な準備はあくまで周宗が勝手にやっていることで、慎綺は関知していない。

 芝居が出来る人でもないし、恩人への反抗など考ることもできない人柄だからだ。

 それに、深蘭が証拠を握り、周宗が追い詰められても無関係と言うことで慎綺の命は助かるかもしれない。


「では、どうする?」


「あの方は嘘を付けない。始終皇帝の妹君と共にいるのだから慎綺様に話したらその日のうちにでもカラスキを出なければならん。つまりは、準備が終わって決行の日まで慎綺様には一切内緒だ」


「その辺は適当にやってくれればいいが、追っ手はかからんものか?」


「間違いなくかかる」


「どのくらい?」


「都の守りもあるから、一万は超えないと思うが、それでもその日のうちに数百。三日のうちに数千だろうな」


「それは俺が抑えよう。皆殺しにすればいいのだろう?」


「当たり前だ、何でも私に任されても困る」


 周宗は思わず笑ってしまった。


「しかし弦慈もここにいなければいけないんだろうから、どうやって合流したものか」


 周宗が口に手を当てて考え込むと、弦慈はきょとんとした顔を浮かべる。


「その日に帝都まで行けばいいんだろう。日取りさえ教えてくれれば忘れないようにするさ」


 当たり前の様に弦慈は呟く。

 しかし、そもそも隔離と監視を込めてここに送られているのだ。


「そう簡単に脱出できるなら苦労は……」


「別に苦労はないだろう。そこに行けばいいんだから。普通に馬に乗っていくさ」


 どうも話しが噛み合わない。しかし、それが弦慈だったことを周宗は思い出した。

 

「ひょっとして、ただ帝都に移動するつもりか?」


「当たり前だろう」


 常識を疑われた様に弦慈は深いな表情を浮かべた。


「追っ手がかかるぞ?」


「なんだよ。もうそうなったら全部斬っていいんだろう?」


 弦慈は面倒そうに表情を曇らせる。

 なるほど、自らの武に一片の疑いも無ければこの様な思考法になるのだ。

 周宗は今更なが弦慈の異様さに呆れて口が塞がらなかった。

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