第45話 圧迫

 しばらく沈黙が続いたが、朱天が口を開いた。


「……虎淡、松白を連れてこい」


「あ、はい」


 朱天に命じられて虎淡は飛び出していく。


「松白とは?」


 古若は怪訝そうな表情で朱天を見つめた。

 秘匿すべき自分の存在を誰にでも明かして貰っては困るという目つきだった。

 しかし、朱天は気にせずに笑みを浮かべる。


「ここで見つけた人材だ。松白にも軍議に加わって貰おう」


 しばらくして虎淡が松白を連れて戻ってきた。


「松白、こいつは古若だ。同じ主に仕えている」


 朱天の紹介に松白は頭を下げる。

 頭を上げると見回して聞いた。


「犀韓将軍達はどうされたのですか?」


「ああ、一月ほど牢に入って貰うことになった」


「どういうことですか?」


 松白は突然の宣告に鼻白む。


「犀韓将軍の名誉を守るために、って言うのは建前でな、これからこの軍を動かすのに邪魔にならないようにさ」


「……どういうことですか?」


「おまえには言っておく。俺達が王子のどちらかと結託しているというのは嘘だ」


「な……!」


 朱天の言葉に松白は息を呑んだ。


「犀韓に宛てた密書も古若が手配した物だし、俺らはこの国を乗っ取ろうとしているおまえらの敵だ。本来ならもうすぐ来る援軍を待ってこの砦を落とすはずだったが、成り行きでこうなった」


「そ、それでは私はどうすればいいのですか?」


「それを知った上で俺達に協力して欲しい」


「それは……出来ません。私は犀韓将軍の忠実なる部下、裏切ることは恥となります。そのような恥を晒すくらいなら……」


「死ぬのか?」


 それまで黙っていた古若が言った。

 深く、冷たい声に松白が驚いたように振り向く。


「死にたいなら俺に任せろ。瞬きするより速く殺してやる」


 古若の手にはいつの間にか短刀が握られている。


「う……」


 松白は後退り、しかし、すぐに踵が壁にぶつかった。


「どうした。死にたいんじゃないのか? 俺達に従わないなら当然おまえを殺すことになるが、その覚悟はあるんだろう?」


 真っ直ぐと見つめる氷のような眼は、まるでそれが他愛ないことのように他者の命を奪うことを裏付けていた。

 松白の全身に汗の玉が浮き、流れ出す。

 命を懸ける、文官の自分が?


「あ、いや……」


 その瞬間、古若は動いた。

 松白との距離を一歩で詰め、体を崩して押し倒した。


「さて、どうするか決めろ」


 松白の首にはすでに短刀が食い込みはじめている。


「た、助けてください! まだ死にたくありません」


 咄嗟に叫んだ松白の首から、しかし短刀は外されずに突きつけられたままだ。


「よし、じゃあ朱天に従うか?」


「はい! ですから助けてください!」


「すぐに言を裏返す奴を信じられるわけないだろ?」


 松白の絶叫を古若は一笑に付し、短刀がさらに深く差し込まれる。


「こ、古若さん、待ってください」


 虎淡が慌てて止めに入った。


「何だ、こいつを庇うのか?」


「松白は俺の補佐官です! 殺させるわけにはいきません!」


「信じるのか?」


「はい」


 虎淡がはっきり言うと古若はやっと剣を引いた。


「よし、じゃあこいつが裏切ったらおまえの首も一緒に落とすがいいな?」


「はい」


 古若は松白を助け起こすと軟膏を取り出し放った。


「……血止めだ」


 言って再び腰掛ける。

 呆然としている松白を虎淡が介抱している間、朱天は小声で古若に話しかけた。


「おまえやりすぎだぞ」


「そうか?」


「あいつが死ぬ気なんて無いって一目でわかるだろう」


「だから脅しで終わらせたんだ。あいつが死んでも信念を曲げないようならとっくに殺しているさ」


「とにかく、あいつはあれでいいんだよ。恥や体面で死ぬような奴は俺の部下にはいらん。生にしがみついて生きる強かさがなけりゃあ戦場では使えない」


「ま、とにかく今のであいつは虎淡に恩を、俺には恐怖を感じるだろう。これで裏切ることもないさ」


「裏切ったときに殺せばいいんだよ」


「馬鹿とは考えの深さが違うのさ」


 笑いながら朱天をくさす。


「何だと!?」


 このあたりから小声の会話ではなくなり、二人は罵倒し合った末に刃物まで抜き合うという喧嘩に発展したが、危ない所で虎淡が止めて事なきを得た。

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