第43話 補佐役

 犀韓軍本営周辺に呼び寄せた朱天軍の世話を松白に頼むと、朱天と虎淡、それに朱天軍の主要な隊長達二十数名は軍議を開始した。

 周りを随行している木蛇に捜索させてからの、十分に警戒してからの軍議だったが、そもそも誰も潜んでいなかった。まったく警戒されてなどいないのだ。

 朱天が事の顛末を話して聞かせると一同に下卑た笑いが起こった。


「その犀韓って奴、えらく間が抜けてますね」


 誰かが言うと、どっと笑いが起きる。


「まあ、何にしてもおかげで動きやすくなったですね、頭」


 予想外の流れに皆浮かれていた。


「……そんなに簡単なものじゃないぞ」


 しかし、そんな一同に冷や水を浴びせるように朱天は静かに口を開いた。


「おまえ達、今までとは兵の率い方が変わるからな」


「どういうことです?」


 隊長の一人が聞いた。


「おまえ達は、今まで自分の部下しか率いてないだろうが」


 朱天の軍は帝国軍から連れてきた兵の他に、山賊達を多く含んでいる。

 余計な軋轢を生じさせないように元々の頭目衆にそれぞれの部下を率いさせている。頭数の調整で多少入れ替えることはあっても、そこまでだ。


「これからは半分近く毛色の違う兵隊を率いて貰う。無理強いはしない。もし、出来ないようであればそいつは今まで通りの賊将に甘んじていればいい。だが、うまくやれる奴にはどんどん兵隊を預けていく。それから、毛色の違う将とも一緒に戦わなければならん。これまでと違って軍法もきちんとする。息苦しくなるだろうが、必要なことだ。気に入らなければ……」


「頭ァ」


 朱天の説明を遮るように隊長の一人が口を開いた。


「何だ?」


「俺等は全員あんたの下で働きたくて着いて来たんだ。心配無用、頭が飛べって言やあ俺達皆空飛びますよ。ま、信じてみなさいって」


 その軽口に周りを見回すと、全員同じように揺るぎない表情を浮かべている。


「俺達よりもむしろ虎淡を心配してやんなよ」


 その一言にまた笑いが湧いた。


「違いない、副官殿には迷惑掛けっぱなしだからな」


 僅か数ヶ月で正規兵と我の強い山賊達が軍としての用を成すのは、そう簡単なことではなかった。当初は連日のように揉め事が起こり、兵の逃亡や喧嘩による死亡が続く事もあった。

 それが落ち着いたのは、一つは朱天自身のカリスマ性であり、もう一つは虎淡が寝る間も惜しんでまとめ役として走り回ったからである。隊長達の半数は朱天よりも年上であったが、全員この二人を認めている。

 改めてそう言われると虎淡はなんとなく嬉しくなって笑った。


「おい、おまえ等、あんまり虎淡に迷惑掛けるんじゃねえぞ」


 と、天幕に数人の兵士たちが入ってきた。

 手にはそれぞれ樽を抱えている。


「犀韓将軍から、酒を貰ったんですけど飲んでいいんですよね?」


 兵士の一人が直属の頭目に確認した。

 朱天が天幕の外をのぞくと、雑兵まで十分な量の酒が付けとどけられているらしく、すでに飲み始めている者達もいた。


「まあ、賊軍も今日までだし、いいんじゃねえか。そのかわり、明日からはのんべんだらりじゃやれねえぞ」


 朱天が言うと、兵士たちはぱっと明るくなって天幕を出て行った。

 酔わせて皆殺し……周宗ならそれくらいやるだろうが、犀韓を警戒するのはバカバカしくなったのだ。


 頭目衆も我先に樽へ群がり、杯を奪い合っていた。



「朱天殿……」


 自分を呼ぶ声に目を覚ますと、松白が立っていた。


「朝でございますが、本日は昼より犀韓将軍が軍議を致したいと申しておりますのでその旨了承願います」


 言って、踵を返す松白を朱天は捕まえた。


「何でしょう?」


「あ、えっとな……」


 酒で頭がまとまらない。


「昨日みんなで飲み比べをしたんだが……」


「負けたんですか?」


「馬鹿言うな、楽勝だった」


「それはおめでとうございます。では朱天様が一番なのですね」


「おお、ありがとう。いや違う、そうじゃなくてな、酒のせいでおまえに言おうとしたことを忘れちまった」


「何をです?」


「それがわからんから考えているんだ。ああ、思いだせん! 虎淡を起こせ」


 しかし、松白が呼びかけても体を揺すっても虎淡は起きない。


「貸せ」


 松白からひったくると胸ぐらを掴んで「起きろ!」と怒鳴った。

 その声に虎淡ではなく床で潰れていた他の隊長衆が起き出した。が、虎淡は起きる気配もない。


「頭、そりゃ無理だ。そいつ酒が弱いのに昨日は頑張ってたもん」


「おまえ等は起きて何で虎淡だけ起きないんだ?」


 隊長達はそれを聞いて笑い出した。


「いつも近くにいるから頭の大声には慣れちまったんだとよ」


「何だと、俺がこいつのために頭使ってるって言うのにのんきに寝やがって!」


「頭、虎淡の為ってどういう事だい?」


「あ」


 朱天は突然その手を離した。

 ごつッ。

 鈍い音を立てて虎淡の頭が床に落ちた。


「ぐああぁっ!」


 頭を強打した虎淡は眠気も忘れて転げ回る。


「思い出したぞ! 松白、おまえに虎淡の補佐官になって欲しい!」


「はい?」


 松白は目を白黒させた。


「お、それ良い案じゃないんですか。俺は賛成ですぜ、頭」


 隊長の一人が言った。


「いくら虎淡でも人数が何倍にもなったらまいっちまいますし、頭の良さそうなのを付けてやった方がいいっすよ」


 他の隊長達も頷く。


「そうだろ。よし、決定だ。松白、おまえは今から朱天軍副官補佐だ。解ったな?」


「し、しかし私のようなものを軍議も無しにそのような大役に……」


「大役って言うより雑用の雑用だよな。だいたい副官だって正式じゃないし」


 隊長達は大いに笑った。

 その笑いが止んだ頃、やっと虎淡が立ち上がった。


「おう、やっと起きたか虎淡」


「あ、親分お早うございます」


 まだ痛む頭を抑えている。


「松白がおまえの補佐官に決まったんだが、何か問題あるか?」


 朱天は拒否をさせないような顔で言い、虎淡はあっさり納得した。朱天に忠誠を誓っている以上自分のために回してくれた気を振り払うのは筋違いだと思ったからだ。


「じゃ、今日から松白さんは俺の副官で。一緒に頑張りましょうか。ね」


「え……あ、はい」


 思わず答えてしまった一言により、松白は朱天軍の副官補佐に決定したのであった。

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