第41話 使者
朱天軍が山際に陣を敷いて四十日目。最近は襲撃も数日に一度ほどになり、惰眠を貪っていた朱天は虎淡に起こされた。
「親分、何か犀韓の使者って奴が来てるんですけど、どうします?」
朱天は大あくびをしてから首を捻る。
はて、このタイミングで使者を送ってくる意図が読めなかった。
「とりあえず連れてこい」
話しを聞いてみないことには判断もつかないし、殺すにしても近くに寄って貰った方がいい。
虎淡は天幕を出ていき、すぐに見慣れない男を伴って戻ってきた。
「こいつです」
虎淡の無礼な紹介に怒るでもなく若い使者は頭を下げた。きびきびとした動作は朱天に好感を持たせる。
「将軍殿の使者だってねえ。それで一体何の用だい?」
朱天が睨め付けても使者は動じず、朗々と、少々大げさに語り出した。
「犀韓将軍が決断をされました。犀韓将軍以下一万五千、あなた様の指揮下に入ります」
その言葉は朱天の脳内に意味を結ばず、そのまま通り過ぎていった。
しかし、それではしょうが無いので通り過ぎた言葉を再び反芻してみる。
「うん……は?」
隣の虎淡を見ても怪訝な表情を浮かべていた。
どうやら言葉の意味が分からないのが自分だけでは内容で朱天はほっとする。
朱天が黙っているのを、続く言葉の催促とでも受け取ったのだろう。
使者は勝手に言葉を継ぐ。
「都から密書がありまして、あなた方を一刻も早く引き入れるようにと……」
「あ、ああ。あれか……わかったちょっと外で待ってろ」
言うと朱天は使者を天幕から追い出した。
「おい虎淡、どういうことだ?」
困惑した朱天が虎淡に尋ねるも、虎淡も同じくらい困惑していた。
二人して唸り、やがて虎淡が一つの仮説に辿り着く。
「えっと、多分アレですよ。木蛇の連絡員が言ってたじゃないですか。犀韓を混乱させるために古若さんが手紙を書くって。犀韓って奴はその嘘手紙を信じちゃったんじゃないですか?」
「ああ、そんなこと言ってたな。しかしいくら何でもそれは無いだろう」
偽書など最も単純な詐術の一つである。
単純で効果的ではあるが、だからこそ争い中などはまず手紙を鵜呑みにしないのが原則である。
それを頭から信じたのだとすれば相当に馬鹿ではないか。
「罠……ですか?」
虎淡がおずおずと聞く。
「多分そうだろう」
朱天も同意した。
「じゃあどうします?」
「そうだな。せっかくのお誘いだし、この機に犀韓とやらの顔を拝んでおくか」
相手の策に乗ってやるのも悪くない。
流石にこの野営も飽き始めていたところだった。
「おい、使者どの!」
朱天が怒鳴ると再び使者は入ってきた。
「お呼びでございますか?」
「ああ、犀韓将軍に伝えな。『貴殿の御英断にいたく感服いたしました。貴殿もその部下の方々もその活躍を残さず次期王にお伝えいたそう』とな」
「ありがたきお言葉、必ずお伝え申します」
「それから明日の夕刻、改めて伺うとも伝えてくれ、ご苦労だったな」
朱天が金貨の詰まった小袋を差し出したが、使者は困惑の表情を浮かべた。
「これは私の役目なればこのような報酬を受ける事は出来ません」
手を振って辞退しようという使者の手を掴むと、朱天は強引に握らせた。
「これは俺の流儀だ。あんたが気に入ったからなにか渡したいんだ」
使者はそれでも断ろうとしたが、朱天の力にかなうわけもない。
結局、抵抗も虚しく小袋を懐にねじ込まれてしまった。
「使者殿の気持ちはわかる。金などと言う無粋な物を贈る奴なんてろくなのがいない。だがここは戦場で気の利いた物はないからな、これで勘弁してくれ」
深々と頭を下げる朱天に使者は慌てた。
「お、およし下さい。どうぞ頭を上げてください」
使者は朱天が頭を上げると懐から小袋を取り出すと、その中から金貨を一枚だけ取り出した。
「では、これで花を買えるだけ買いましょう。それを朱天様から頂いたことにいたしますれば私は持ちきれないほどの花を戦場で贈られたことになります」
使者はにっこり笑って小袋を朱天に差し出す。今度は朱天も満足そうに受け取った。
「あんた、いい男だな」
朱天の言葉に、使者は明らかに照れた表情を浮かべる。
その顔も、様になると朱天は思った。
「もったいなきお言葉」
「じゃあ、明日行くと伝えておいてくれ。手みやげは用意できんがな」
「いえ、滅相もございません。では明日、お待ちしております」
使者は深々と礼をすると維幕から出て行った。
「格好のいい男でしたね」
使者を見送ってから虎淡が言った。
「やっぱりあれくらい言えないとダメなんですかねえ『これで花を買いましょう』ですっけ。俺には言えないですよ」
虎淡は感心したように言った。
「ところで、おまえはあのときの金貨は何に使ったんだ?」
その問いに虎淡は詰まった。
「何にって、街を出るときに知り合いに渡してお袋の墓を見てくれって……」
「全部か?」
じろりとにらむ。
この男がそんな玉じゃないと朱天は既に見抜いていた。
「う……お、女買いました。それもあの街でいちばん上等な女を……」
その頭を朱天が小突く。
「それくらいのヤツが手元に置くにはちょうどいいさ」
朱天は満足そうに笑った。
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