第40話 夜襲
その夜も、朱天は物見の怒声で目を覚ました。
「敵襲! 敵襲!」
朱天は野営用の幌を飛び出るとあらん限りの声で叫ぶ。
「足止め以外は全員撤収! 忘れ物をするなよ!」
虎淡が指揮を執り、野営地はあっという間に解体された。
慌ただしい喧噪の中、朱天は専用の強弓を手に敵が迫る方に向かう。その後ろには百人ほどの半弓を手にした部下達がついて来ていた。
「火矢、放て!」
朱天の号令の下、百人の弓から火矢が放たれ、用意してあった枯れ草の堤がたちまち燃え上がった。
燃え尽きるまでほんの僅かの時間、追っ手の足を止める壁だ。
「はっは、よし、逃げろ! 遅れるなよ!」
それぞれ馬に乗って一散に走り出す。
朱天は一人、強弓をつがえると炎の壁の向こうに向かって矢を放った。
うなりを上げて飛んだ矢は、炎の向こうで立ちすくむ雑兵三人を纏めて貫く。
朱天はさらに十数本の矢を射掛け、騎馬も歩兵も勢いよく打ち倒していった。
やっと炎を迂回した騎馬が迫ると、今度は馬上で槍を振るって暴れ、突出した騎馬武者を数騎、返り討ちにする。
ある程度暴れて気が済むと、朱天は陽気な笑いをこぼしながら部下を追って山に逃げ出した。
まったくもって茶番である。
朱天は哀れな戦士者を横目に見ながら馬をとばす。
ヨゼイの軍兵は度々襲撃をかけてこそくるものの、正面からの戦闘は望んでいないように見える。
何故か。上役が二の足を踏んでいるからだ。
自国内に入り込んだ数千の山賊軍など、本当ならあっというまに蹴散らされただろうに、そうしないのは朱天軍を誰が引き入れたかについて様々な憶測が飛び交っているからである。
「よし、銅鑼を鳴らせ!」
山に築いた木柵の内に朱天が入り込んだのを確認し、虎淡が号令を掛ける。
すると、付近の数カ所で銅鑼が鳴り始めた。その音はどんどん広まり、ついには周囲の山々も含めて夜の空を響かせた。
暗闇に鳴り響く銅鑼の音は兵士達の肝を潰すのだろう。
まして、果敢に戦っても誉められない戦場ならなおさらだ。
ヨゼイの軍は朱天軍の野営地にしばらくして滞在した後、日が昇ってから帰っていった。
朱天の方もそれを追撃するわけでもなく、敵が見えなくなったら再び山から出て陣を張る。
※
もう二十日以上も同じような事が繰り返されていた。
その間ヨゼイ軍は日に一度か二度、昼夜問わず朱天の軍を追い払いに来た。
しかし、未だに本格的な戦闘は一度もなく毎回似たような展開が繰り広げらている。
その原因はすぐに逃げる朱天軍だけではなく、ヨゼイ側にもある。
討伐軍を率いる犀韓は名家の出身で、家柄で将軍にはなったものの本来は軍人などには向かない優柔不断な男であった。
その犀韓が今回の王位継承問題、兄の児功派が有利と読んでそちらに付いたはいいがそれが怪しくなりつつあるのだと噂に聞いたものだから悩みの種となっていた。
慌てて都に部下を飛ばしたが、帰ってきた者の口から王の死亡をきき、腰が抜けるほど驚いた。
上役から派遣されてこんな山沿いまで出張ってきたものの、果たしてこんな辺境にいてもよいのか。国父が死んだとなればすぐに後継者を巡ってさまざまな陰謀が張り巡らされるだろう。それに取り残されればいい椅子には他の誰かが先に座り、栄達は危うい気もする。
そもそも、そんな一大事が伝えられないとすれば、自分の存在など宮廷内では忘れ去られていやしないだろうかと言う気にもなる。
王の死も、暗殺ではないかという噂も部下は持ってきた。
そうだとすると、手引きしたのは兄派か弟派か。
糾弾すべきか、隠蔽すべきか、派閥に尽くすべきか、移籍すべきか。
陰謀とは無縁の農村で、接収した屋敷で配下の者共と協議を重ねても一行に結論は出ず、王都に飛ばした物見役たちは次々にいろんな情報を持ち帰る。
処理しきれない報告に囲まれ、結果、矛先は鈍り、命じられた賊軍討伐もいまいち踏み込めない。
もし、あの賊軍が王子どちらかの手配した援軍だとすれば、おいそれと手を出すのはまずい。
その結果、呼び寄せた方が王位に就いた日には自分の首どころか親族まで一同処刑されるかもしれない。
しかし、その逆が王位に就いた際には敵を引き入れたとそしられ、これも一族ことごとく処されてしまうだろう。
なんとしても沈む船には乗りたくない。
どちらが勝者になってもいいようにどうとでも取れる態度をとり続けなければならない。
そうして、犀韓はまた無為な出撃命令を部下に下すのだった。
その犀韓の元に密書が届いた。
差出人は弟王子派の重臣で、内容は『犀韓が向き合っている軍を速やかに通し、犀韓の軍もその指示を仰ぐこと』文末は『児益の王位継承の暁には犀韓に確かな見返りを約束する』と締めくくられていた。
密書そのものは大いに怪しいもので、側に使える老臣達も眉をひそめて真贋を疑う。
しかし、行くも戻るも出来なかった犀韓はこの密書に光を見たような気がした。
そうして、常の彼らしくもなく果断な行動を取らせることになるのであった。
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