第38話 談話

「ヨゼイの国はな、小さい上に貧しいがそれでも数万の兵士がいる。山脈沿いにはほとんど布陣していないから、まず向こう側に降りたら水場を確保して陣を張れ。同時に山脈を通じる隘路の拡張もやって貰う」


 古若の指示に朱天が難渋を示した。

 

「越えるのも大変な道を鎧背負って行けってか。簡単には言うが脱落者が出るんじゃないか?」


「本来なら他にやりようもあったんだろうが、誰かが先走ったせいで方法が著しく限られる」


 古若が言うと朱天は諦めたようにうなだれた。


「それに、地元の商人達が使う山道は距離こそ長いが、そこまで峻険ではない。高所は寒く、水もない。当然草木も生えていないから煮炊きもできず、馬も連れていけないが、それを差し引いても脱落は一割以下にとどまるだろう」


 古若は全く根拠のない数字を示す。

 実際はどうであっても、朱天の統率力次第の結果が出ることだろう。


「おい待て、待て。馬もない、食料もないって、そりゃただ死にに行くだけじゃねえかよ」


「食料なんかはある程度、うちの方で運搬をするつもりだが、向こうでも近隣の村から買い集めて貰う。おまえ達の目的は尾根の向こう側でしばらく野営を続けることだ」


 古若が広げた巻物には上下二段にずらっと人名が綴ってあった。


「野営?」


「そうだ、おまえ達は時期が来るまで戦わなくていい」


「ヨゼイの軍が向かってきたら?」


「すぐに逃げろ、そして追跡が止んだらまた戻って野営を続けろ。その繰り返しをしていてくれ」


「逃げてばかりでいったい何になるって言うんだ?」


 朱天は上段の名前を指さした。


「おまえ達が相手にするのは、この犀韓という将軍になる。この男、将軍としては下の下だが、問題は上段に名前があると言うことだ」


「上段にあると何なんだ?」


「ヨゼイという国は高齢の国王が治めているが、跡取り候補の息子二人のうち、どちらを後継にするかをまだ決めていないのさ。それで有力な家臣達はそれぞれ兄の児功と弟の児益を持ち上げて二つの派閥を造っているそうだ。この巻物に書いてある名前の上段が児功派、下段が児益派に与する者のだ」


 言われて朱天も巻物を手に取る。

 

「上の方が少し多いですね」


 横からのぞき込む虎淡が口を挟んだ。


「やはり兄貴だからな。特に決め手がなければそのまま兄貴の天下だろ」


 朱天も口を開く。

 古若は軽く頷き、説明を再会した。


「その通りで、勢力的には兄派が優勢だ。だからこそ、つけ込める隙もあるだろう。『後継争いに不利な弟の児益がゼンキ帝国にヨゼイ国を売り渡すらしい』と噂が広がれば、まあ混乱も起こるだろ。まして、それを裏付けるように人が死ねばなおのこと」


「そう思う通りに行くものか?」


 朱天が首をひねる。

 国というのはなかなか機能的に出来ているものだ。

 壊そうとして壊れるものだろうか。


「さあな、全部周宗の立案だ。失敗するにしても、今はこの計画がもっともうまく行きそうなんだろうよ。俺はただ殺すだけだ」


「それじゃあ俺達はいつまで野営を続ければいいんですか?」


 今や朱天軍の運営を担当する虎淡が帳面を取り出しながら訪ねた。


「そうだな、二ヶ月ほどしのいで貰いたい。その間に周宗がどうにかして援軍をよこすそうだ。もし二ヶ月しても援軍が来ない場合は一度山を越えて逃げろとも言っていたがな」


 つまり現時点では何も具体的な計画がないのだ。

 自らのせいであると理解しつつ朱天は暗澹たる気持ちになった。

 しかし、それでも客将とは違い、これは自分の戦争である。

 そう考えて心を慰める。


「まあ、信じて待つしかないだろうな」


 自分に向けて言うと、朱天は立ち上がった。

 そうと決まればいろいろと準備も必要である。


「そうだな。後は俺達の腕次第だ。俺は一足先に山脈を越えてヨゼイ王国の首都に潜入する」


「なんだよ、一緒に行けばいいじゃねえかよ」


 朱天の言葉に古若が笑った。

 

「わかってないな、俺は暗殺者だぜ。胡散臭い連中がお山の向こうからわざわざ侵入してきたとなれば警戒が増すだろ。そうすると仕事がやりにくくなるからな、難しい仕事はなにもかもを始める前に済ませるんだよ」


「っていうと、この名簿で最初の方に書いてある大物を狙うのか?」


 正直、朱天には並ぶ名前のどれが有力者かも判別がつかなかった。

 

「アホ、王国に潜入するんだから、一番の大物と言えば国王に決まってるだろ」


 古若はこともなげに言うと、軽く笑った。  

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