第36話 説教

 古若が全速力で馬を駆り、目的の村に辿り着くと、すぐに朱天一行も姿を見せた。

 厳つく、泥臭い男達の群れは村を見下ろす丘にだらりと広がり、立ちふさがる古若を取り囲む。古若は広がる軍勢に向かって怒鳴った。


「朱天、出てこい!」


 しばらくの間、軍勢はざわざわと顔を見合わせていたものの、やがてその声に応えるように兵が割れ、奥から虎淡と朱天が進み出た。


「何しに来た、殺し屋!」


 そう言うと朱天は古若に向けてまっすぐ槍を向ける。

 その目からは明確な敵意が発せられていた。


「おまえの首を取りに来た訳じゃないから安心しろ。こういう場合にどうするか、指令を伝える」


 そもそも、暗殺者が首を取りに来たのであれば正面から相対したりしない。寝首を掻くか、食事に毒を盛ればそれで終わりなのだ。朱天もそのことは理解しているのか、ややあって槍を下ろした。

 それでも警戒心は消えていない様で、いつでも振るえるように槍を離さないまま前に出る。脇には虎淡だけが侍っている。


「おまえまで帝国の犬になっちまったか?」


 朱天は吐き捨てる様に言う。

 よほど据えかねたのだろう。悪鬼の様な目は血走り、睨んだ者を燃やしてしまいそうな勢いがあった。


「悪いな。あんまりそういう主張に興味はないんだ」


 しかし、古若はそれに応えず背の荷袋から大きな袋を取り出した。


「金だ。この辺の物価なら十分に飯を買えるだろう」


「はっ、そんなもんいるかよ。もう俺は周宗に見切りを付けたんだ」


 だから金は不要で、村を襲って糊口を凌ごうというのか。

 その感情や判断は理解できるが、それでも古若は笑わずにいられなかった。


「……俺が犬なら、おまえは猿だな」


「なんだと!」


 古若の発言に激昂し朱天は槍を構える。

 

「周宗に付き合うのではなかったのか山猿よ! 約束も義理も忘れ果てて獣に成り下がったか!」


 その声は全軍に届くほどの大きさで響き渡る。その言葉に誰より激怒したのは虎淡であった。


「貴様! 親分に向かって獣だと!? だいたい最初に約束を反故にしたのは周宗だろうが! 奴が、慎綺王子を持ち上げて国を興すって言うから親分は付いていたんだ。それがなんだ、王子は皇帝の義弟で、周宗は帝国の官僚だ? ふざけるな! 周宗の方がよっぽど義理も糞もない獣じゃないか!」


 言うと虎淡は剣を引き抜く。古若はその視線に覚悟が定まった者特有の光を見た。


「親分、殺っちまいましょう」


 しかし、今にも走り出そうとする虎淡を朱天は抑えた。


「おい、なんだその顔は?」


 朱天が言う通り、感心した表情を浮かべていた。


「いや、おまえは良い子分を持ったなと思って」


「そうだな、今では立派な副官だ」


「じゃあその大将と副官殿に聞きたい」


「なんだ?」


「おまえ達、これからどうする?」


 その問いに、朱天も虎淡も黙ってしまった。しばらく考えて、虎淡がようやく口を開いた。


「……親分の国を興すんだ」


「ほう、国を興すのか。どうやって?」


 今度こそ二人とも何も答えられなかった。朱天も、虎淡も国の興し方などは知らないのだ。

しばらくして古若が口を開いた。


「俺も知らん。国の興し方なんて興味もない。俺に出来るのは国を興すことではなく、人を殺すことだ。おまえらに出来るのは兵を率いて戦うことだ。どういう考えで兵を増やしたかは知らんが、それを喰わせるために奪略をするのなら山塞にいた頃と何もかわらんだろう。もう少し考えてみろ。周宗は、帝国に溶け込む気ならとっくに客分の身は捨てている。この数ヶ月、周宗は遊んでいたわけではない。軍資金の確保、人材の探集、情報の収集、おまえらの出世の手回しまで、政務の傍ら寝る間も惜しんで駆け回っていたのだ! その上で義理を投げ捨て出ていく者を獣と呼ばずになんという!」


 古若は金の入った袋を投げ捨てると馬首を返した。


「餞別だ。獣らしく後は好きなように生きて死ね」


「……待て」


 歩きかけた古若の背に朱天が声をかけた。

 古若は振り返りも止まりもせず「何だ」とだけ言った。


「周宗は俺になんと言っているのだ?」


「周宗に見切りを付けたのならばもはや知る必要もあるまい」


 なおも進み行く古若を、朱天は追いかけ馬首を並べた。


「待て、少し考えさせてくれ」


「何をだ?」


「これからの身の振り方だ。確かにおまえの言うとおり俺は国を興すような柄じゃない」


「周宗に従うというのか?」


 朱天は苦々しい顔をした。一度飛び出た場所に戻るというのはそう簡単なことではない。

 しかし、このままでは兵隊を喰わせることも出来ず、末は夜盗山賊の類になるしか道はない。それがわからぬほど馬鹿ではない。


「そうだ、約束通りもうしばらくは周宗に従うことを誓おう」


 言う朱天の首にいつの間にか短剣が突きつけられていた。


「今度その約束を違えたときは即座にその首落ちると思え」


 古若の殺意と朱天の感情が互いの視線を通してぶつかり合う。

 一瞬の沈黙。


「ああ、わかった」


 朱天はすぐに馬首を返し兵をまとめた。


「虎淡、その金で村から食い物を買ってこい」


「え、でも親分……」


「いいからさっさと行け!」


 怒鳴られて虎淡は金を拾い、数人の部下を連れると村に入って行った。

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