第35話 空蝉

 周宗が朱天の離反を知ったのは、帝都から衛星都市へと続く道すがら。道路の整備に関して近隣に布陣する地軍の兵士を借りられないかと地将軍に面会し、追い返された帰りであった。


 周宗には六名の護衛と二名の補佐官が付けられており、彼らは監視役も兼ねているため周宗から目線を外すことはない。

 しかし、流石に道中ですれ違った隊商から食事を買うと各々、腹を満たすのに必死になる。

 周宗も揚げパンをほおばりながら、道ばたに座ると、聞いたことのある声が響いた。


「朱天様が動かれましたね」


 遠いような近いような声は、隊商の雑役夫に紛れた狐のものだった。

 監視役の視線が途切れるとはいえ、予定にない人物と会話を交わすことまで許されるわけではない。その為、狐が操る遠言の術の出番になる。

 この術で離せば、声は対象者だけの耳に入り、横にいる者にさえ聞こえない。

 対して、周宗はそのような奇術を修めていないためにもっぱら狐の読唇術に頼ることになる。

 

「動いた、というと離反ですか?」


 顎先に揚げパンを掲げて無言で話す。


「そうです」


 狐の返答に惨憺たる気持ちになってため息をつく。

 客分である自分たちは一蓮托生であって、誰かが足並みを乱せば他の者も不利益を被る事になるだろう。

 しかし、予想していた結果の一つでもある。

 火のように激しい気性を持つ朱天がどの程度、客将の身分に甘んじられるかは不安視していた。

 

「それで朱天殿は?」


「南下して帝国領を抜け、そこから更に東に走りました。フラフラとしながらですが、おおよそ周辺諸国の領土を進んでいます」


 朱天がいつ弾けるか、不透明であった。だからこそ、準備はしている。


「それでは計画通り、行動をお願いします」

 

「はい。準備はしています。古若様も動き出していますのであとは流れに沿って動きましょう」


 狐の声は耳の中で響くと、消えた。

 顔を上げれば、既にその姿はなく、前進を再開した隊商の荷車が動き出していた。

 周宗は食べかけの揚げパンを口に運び、飲み下す。

 護衛兵たちから見れば、寝不足ゆえに放心しているように見えたことだろう。


「具合が悪のですか?」


 心配そうに問う補佐官に応え、笑顔を浮かべると周宗は尻を払って立ち上がった。

 それはそれだ。頭を切り換えなければいけない。

 事実としてこなさなければ成らない仕事は山積していた。



 とりあえず最もほころび安いのは朱天だろう。

 古若はその様に考えていたし、事実その通りになった。

 その為、今回も南軍支配下の都市に物資を運ぶ隊商に紛れていたし、配下を南軍に潜ませてもいた。


 俺の読みも捨てたものじゃないな。


 そんな事を考えながら、朱天を追いかける事、十日目にしてようやく追いつくことが出来た。

 増えている。それが最初に思った事だった。

 周囲の雑木林に身を隠し、一行の規模を見れば五千人は下らない大群が屯している。

 朱天の配下は二千ほどだったはずで、そうなると残りはどこから湧き出たものか。


「山賊の根城を襲って数を増やしています」


 朱天配下に潜ませていた配下が遠言の術で古若に説明する。

 だとしても異様な早業である。

 古若は朱天の手腕に舌を巻くと同時に、そうさせた彼の鬱屈を思い知る。与えられた立場によほど我慢がならなかったのだろう。

 古若は木の陰で舌を出して笑った。

 

「今までは山賊の物資を奪って糊口を凌いでいましたが、ここからは適当な賊もいません」


 部下が言う通り、一行は近くの村に向かっていた。

 山賊の頭が山賊を率いているのだから、これは大規模な山賊であって、そうなると村をどうするかは火を見るより明らかである。

 その単純さに嬉しくなり、古若は声を殺して笑う。

 部下をねぎらうと、そのまま闇を伝って駆け出した。

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