第32話 神官ども

「董螺司殿!」


 広い宮殿内を駆け回り、周宗が董螺司を見つけたときには随分と時間が過ぎていた。

 廊下を歩く董螺司は、周宗に声を掛けられるとゆっくりと振り向く。


「ふむ。任務を放置しての散歩は誉められんのう」


 その物言いにも腹が立ったが、とにかくきちんと話しをしなければならない。


「お話がございます。少しだけお時間をいただきたい!」


 抑えたつもりの激情が口からこぼれ、思わず強い口調になった。

 周囲には補佐官か取り巻きか、とにかく六名が董螺司を取り囲んでいたが、その中でも胸板の厚い偉丈夫が遮るように周宗の前に立つ。

 

「落ち着きなさい。その様子では董螺司様に近づけられない」


 両手を広げる男は、ただ体が大きいだけで武術などは無縁そうだったが、周宗にはそれを押しのける力はなかった。

 立ち止まり、鼻から深く息を吸う。

 腹の中のざわめきを抑えつけると、儀礼的なほほえみを浮かべた。


「あいや、これは失礼。目が悪いもので距離を間違えました。別段、感情的になっているわけではないのですよ」


 朗らかな、弾むような口調で述べると、男は判断に迷い董螺司を見た。

 

「別に構わんよ。しかし、周宗。君は若いからいいだろうが、儂のような年齢になると立ち話は腰に悪い。儂の執務室でもいいかね」


 どの口で言うのだろうかと周宗は思った。

 先日、襟首を掴まれた時に感じた膂力は老人のものとは思えなかった。身のこなしを見ても、おそらく相当に使うはずだ。

 しかし、話し合いに応じてくれると言うのであればなんでもいい。

 

「ええ、まったく失礼ながらお邪魔をさせていただきます」


 出来るだけ可憐に見えるようにペコリと頭を下げると、周囲の警戒心が明らかに薄まった。

 

「それでは、行くか。追従は無用だ。おまえ達は自分の仕事をしとれ」


 董螺司がそう言うと周囲の者は一礼して、散り散りに歩み去った。

 

 ※


「茶を飲むかね」


 董螺司の執務室には二人の侍女が侍っており、董螺司が言うと返答を聞くまでもなく一人が出て行った。


「いえ、結構です。食あたりでもすれば面倒ですので」


 周宗が答えると、董螺司は声もなく笑った。

 二人は簡素な机を挟んで、椅子に座って対面している。おかげで董螺司の目尻に浮かぶシワのゆがみまでが鮮明に見え、周宗は一層不快になる。

 

「不思議なものだな。慎綺殿の親衛隊は全員一時に腹を壊したそうで、替わりの番兵を手配するのも大変なのだぞ」


 董螺司が言いながら手を挙げると、残った侍女が小さい袋を持ってきた。

 手のひらに載るほどの布袋で、董螺司はそれを周宗に押しやる。


「果物の汁を煮詰めた粉だ。湯に溶かして飲めば腹痛に効く。部下に振る舞ってやれ」


 しかし、周宗は首を振り、手を伸ばさない。


「周宗よ、まあ聞け。もしお前さんが勘ぐっていることがあればおおよそ、その通りの事が起こったのだろう。そうして、その件に儂が関わっている可能性も極めて高い。だとすればもはや目的を果たしたのではないかね。これ以上、親衛隊の面々を痛めつける理由がない。と、いうわけでこれは純然たる儂の優しさだ」


「罪滅ぼし、というわけですね」


「犯していない罪を滅ぼす必要はないがね。さて、そろそろ本題に入ろうか」


 董螺司は布袋を拾い、あらためて周宗に投げやった。

 周宗は警戒しながらもそれを受け取る。


「緋玉様は陛下のご意向を受けて来たとおっしゃたのですが、これについて何か弁解はありますか?」


「弁解ね。そんなものはない」


 董螺司は鼻で笑った。


「皇帝陛下がなさりたい事をなさるのになにか理由がいるのかね。この帝国領内にあるものは全て陛下の所有物だ。そうして、臣下領民も同じ。おまえ達はその更に中心部である宮殿にいるのだよ。皇帝権力にまつろわぬとしても、自由でいられるものではないだろう」


 確かに正論である。

 しかし、慎綺を保護して貰うことと引き替えに自分たちは労役についている筈ではないか。そう言おうとして、言葉を飲み込む。

 皇帝の権限は規定上、無制限なのである。もし、深蘭が誰かを指して死ねと命じれば、逆らう事は出来ない。

 もちろん、ヒダを持つのが人間であり、誰も彼もがその理屈に完全に従うわけではないのだけど、この宮殿は特に権限が力を持つ魔窟である。

 深蘭が保護の見返りに無限の奉仕を望めば、周宗たちはありったけのものを差し出さねばならず、有限に過ぎない周宗たちはことごとく破裂して果てるだろう。

 つまり、いくら働こうが、それで示せる貢献は本質的に不足しているのだ。

 

「さて、周宗。我が主である陛下は事のほか、おまえ達を気に入っている。もちろん、そうでなくても庇護はしたが、おまえ達の望むものとは大きくかけ離れていただろう。なんせ、こちらは慎綺殿の名前だけをお預かりしておればよいのだからな。しかし、人当たりも悪くなければ、優秀な部下も持っている。喜べ、陛下のこしらえた篩いの目にはかろうじて留まったぞ。しかし、次に用意する篩いにも残れるかは私にもわからない。もし、陛下がいらんと言われれば儂はそれを取り除くだけだ。さて、以上の事を踏まえて聞くが、この場で私に文句を言うべきか、礼を述べるべきか。どちらだね」


 周宗はその目つきを見て、寒気がした。

 おそらく、彼は神官なのだ。深蘭に仕え、彼を奉り、そして為すべき事を代行する。つまり、使える神が違うだけで、周宗と董螺司はよく似ていた。

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