第31話 帰都

 周宗は宮殿に帰り着くなり、慎綺に与えられた離宮に向かった。

 番兵に誰何されるのももどかしく、駆け込むと、慎綺が周宗を見て目を丸くしていた。

 

「どうした。しばらくは帝都から離れると言っていなかったか?」


 肩で荒く息をする周宗に、慎綺が怪訝そうな目を向ける。

 その顔を見るだけで、周宗は満たされるのを感じ、跪きたくなった。

 しかし、跪くその前に、慎綺の横に侍っている女の正体を問いたださねばならない。

 

「そちらの女人はどなたですか?」


 周宗は深呼吸をすると慎綺に向かって尋ねた。

 すでに動揺は収まり、いつもの冷たい頭脳は動き始めている。

 

「こちら緋玉殿だ。深蘭殿の妹御であるが、私の腕が不自由だからと手伝いにきていくれている」


 紹介されて緋玉がにっこりと笑った。

 美しい。

 顔の造形については整っていると言われる周宗が、敗北感を感じる程に少女の姿は美しかった。

 そんな美人に言い寄られて悪い気がする男はいないだろう。現に、慎綺も嬉しそうに微笑んでいる。

 しかし、周宗には確認せねばならない事がいくつもあった。

 

「緋玉様は皇族に連なる御方であります。それを私室に迎え入れると言うことがどういうことか、慎綺様はご理解なさってますよね?」


 周宗はあえて強い口調で慎綺を問いただした。

 慎綺は気まずそうな表情を浮かべたものの、小さく頷く。

 周宗は膝から力が抜け、崩れ落ちそうになった。

 町場の男女ではないのだ。宮廷でそんなことをすればそこに情交がなくとも夫婦の契りを交わしたものとして扱われてしまう。

 その事実をわざわざ立て札で布告するということはそうなるように仕向けられたということだ。


「緋玉様。私は慎綺様の侍従を務めます周宗と申します。以後、お見知りおきください。さて、大変失礼ながら何故、皇女ともあろうあなたが一介の客人に過ぎない我が主の元を尋ねたのですか?」


 周宗の生活を補助したいのなら男でも下女でも構わない。


「ええ、お兄様が……ああ、皇帝陛下というんでしたね。お兄様が素敵な花婿をくださるというので会いに来たんですよ。そうしたらお手が片方ないものだから、不便だろうしなにかお手伝いをしてあげようかと思ったんです」


 緋玉は邪気のない笑みで説明してくれた。

 これで腹芸をしているのなら大した役者だが、そうではないだろう。

 しかし、まずい。

 慎綺が女を抱くのは構わない。むしろ、将来的には立派な御子を沢山生んでもわらねば成らないのだから、それが多少早くなったとて問題は小さい。

 しかし、その相手がよりによって皇帝の妹となれば話しは大きく違ってくる。

 落ち着き掛けていた周宗の鼓動が再び早くなる。

 

「緋玉様、事ここに至りましては私も腹を決めます。慎綺様は現状、皇帝陛下の客分にしか過ぎませんがいずれ、国の御再興をなさる身でございます。つきましては、安楽な生活とは無縁の日々を送ることになるかも知れませんが、耐えられますか?」


「まあ、私はお后様になるのね。素敵!」


 嬉しそうに笑う顔に、周宗は毒気を抜かれていくのを感じた。

 なるほど、寄る辺なく彷徨ってきた慎綺もこれに会えば寂しさから受け入れざるを得ないかもしれない。

 

「周宗、お前には迷惑を掛けるが、私はこの人を迎えたいと思う。許してくれ」


 慎綺が頭を下げるのを周宗は慌てて押しとどめる。

 

「頭を下げないでください、慎綺様。私はいたたまれなくなります!」


 あくまで周宗は慎綺の従僕に過ぎない。そういった意味で、助言は出来ても行動の決定は出来ないのだ。

 慎綺が緋玉を娶りたいというのであれば、その為に走り回り骨を折るのが周宗の仕事であり、存在意義でもある。

 ただし、今回の件についてはあからさまに深蘭の意図が透けて見えており、それに乗ってしまった以上、今後の行動には大きな制約を受けるようになるだろう。

 こうならない為に、残してきた親衛隊にはきちんと説明してきたつもりだったが……。

 そうして周宗はやっと気づく。

 周囲に親衛隊の顔ぶれがない。

 離宮の番兵を見た時点でそれに思い至らなかった自分の狼狽ぶりに笑いがこぼれそうになる。


「あの、他の親衛隊はどこへ行ったのです?」


 おそるおそる聞くと、慎綺はこれも微妙な表情で顔を染めた。


「食中毒が流行ってな、皆ふせっている」


 胃の腑を針で突かれたように痛みが走る。

 親衛隊は交代で食事を摂るので、誰かが発症したらそれ以外の者は食事を控える筈だ。

 にもかかわらず、全員が倒れ、親衛隊員たちより体力で劣る慎綺が元気なのだからもはや強引さに感心するしかない。


「解りました。私、董螺司殿に面会をして参ります」


 隠す気もないのだろうが、話しは聞かないといけない。

 間違いなく、あの老臣がかかわっていることを確信して周宗は部屋を辞した。

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