第29話 働こう!

 深蘭に呼び出され、周宗は私室に案内された。

 地上で最大の権力者が潜む空間としては異様な質素さに周宗はいぶかししむ。

 しかし、部屋の中央に据えられた机に座る深蘭を見て周宗あわてて目を伏せる。玉体と視線を合わせることなど間違ってもあってはならない。

 

「いい。顔を上げて椅子に座りなさい」


 周宗を案内した董螺司が背後から威厳のある声で命じた。

 しかし、ここで素直に従うほど周宗は間抜けではない。


「いえ、陛下にあらせられましては私など本来、同じ空間にいることも許されないほどの尊いお方。ご尊顔を拝することなどとても……」


 そう言っていっそうに頭を下げる周宗の襟首が背後から掴まれた。そのまま強引に引きずられ、椅子に座らされる。

 

「その意気やよし。しかし、本当に敬意を示したいのであれば陛下に同じことを二度、言わせないように」


 周宗の襟から手を離した董螺司が無表情に言った。

 細身の老人の、見た目からは予想も出来ない怪力に周宗は驚き、そのまま視線を正面に向けた。

 年の頃が近い少年がほほえんでいた。

 皇帝の顔を直視することが不敬とされる中で周宗がその顔を見るのは初めてだったが、思っていたよりもずっと普通だ。

 龍に例えられる地上最大の権力者は息を吸って吐く。目は瞬きをするし、意志の強そうな眉は周宗の視線を受けてまぶしそうに歪む。

 欠けた左腕と、それを隠す袖も無装飾の明るい部屋にあっては馴染んで見えた。


「さて、周宗。こうやって話すのは初めてだが、楽にしてくれ」


 深蘭の表情はどこか照れくさく歪んでいて、もどかしそうに言葉を選んでいるように見えた。

 董螺司はそっと場を離れ、部屋の隅にあった椅子に腰掛けた。

 周宗は眉間にシワを寄せそうになるのを必死に我慢する。

 自分がなぜ呼ばれたのかは分からないものの、楽になんて出来るわけがない。

 背中に流れる冷や汗を感じながら、周宗は静かに深呼吸を繰り返した。


「まず、始めにおまえたちが私を頼ってくれて嬉しく思う。これはおまえの案だな?」


 深蘭の問いに、周宗は曖昧に頷く。

 

「そうだろう。一応、主立った者はこちらで面談させて評価させて貰った。腕が立つものは多いが、それらをまとめる頭脳はおまえだな」


「いえ、そんなことはありません。行動は全て慎綺様のご配慮によるもので、私はその補佐を非力ながらつとめさせていただいているのみで……」


 自分の案は全て慎綺の手柄であり、慎綺の失敗は全て自分に由来する。周宗は心の底からそう思っていた。


「どちらにせよ、皇帝が替わり対外政策も変更されたと天下に示すいいきっかけになった」


 深蘭は楽しげに言うのだけど、真意がどこにあるのか周宗は計りかねていた。

 

「この恩には報いるつもりだ。出来ることはなんでも言ってくれ」


 しかし、すでに周宗が想定した以上の厚遇を受けている。

 あわてて首を振ると、頭を下げた。


「いえ、私たちの方こそ与えられたご恩に報いる事も出来ず。ただ帝都の片隅にでも置いていただければこれ以上のことは望みません」


「そう遠慮するな。ところでどうだ、周宗。俺は若いだろう」


 突然、深蘭は口調を崩して話し出す。

 

「官僚で俺より若いものなどいない。そこの董螺司をはじめ、信頼できる者はいるが、同年代の人材も身近に欲しいと思っていてな」


 態度から見て、深蘭の話が核心に迫ったことを悟り、周宗は頭脳を一層巡らせて言論に備える。


「おまえ、主替えをして俺に仕えぬか?」


 その言葉に周宗は激しく動揺した。

 自分が慎綺以外に仕えることなど想像した事もなかった。


「先に言うが、おまえが俺に直接仕えるのであれば悪いようにはしない。祖国を取り返したあと、一帯を帝国内親王領として慎綺殿に統治して貰う事も考えている」


 祖国を取り戻し、慎綺を旗頭に統治をするのであれば悲願は果たされたようなものではないか。それも帝国の後ろ盾が着いてくるのであれば、再び流亡の身に落ちることはあるまい。

 しかし。


「お断りします」


 周宗ははっきりと返答をした。

 

「陛下に対してその物言いはなんだ」


 静かな言葉が発せられ、周宗の首筋に刃物が突きつけられる。

 振り向いて確認するまでもなく、董螺司の仕業だ。

 それも無理はないと周宗は思った。

 一介の流れ者ごときが皇帝の提案を蹴ったのだ。下手をすれば慎綺も含めて全員が誅殺されてもおかしくない。

 思考として、それが分かっていながら、それでも慎綺以外の者に仕えるとは言えなかったのだ。もし、慎綺に仕えるのをやめてしまえば自分は立っていられなくなる気がした。

 

「どうぞ、首を切って下さい。ただ、願えますれば罪は私のみに留めおかれますよう」


 周宗は覚悟を決め、目を閉じて首筋を差し出す。


「馬鹿者、俺の部屋が汚れる。しかし、そう……か。じゃあ、諦めよう」


 深蘭があっさり言うと、首筋からは剣がひかれた。

 

「代わりに働いて恩に報いて貰うことにする。おまえは慎綺の部下でいいが、自分の食い扶持くらいは稼いで貰おう」


 鼻で笑い、深蘭は懐から何かを取り出した。

 竹簡。竹の切片に字を書いた命令書だった。

 バラバラと机の上に置かれた竹簡には名前と所属が書いてある。


「弦慈は北軍で北夷と戦って貰う。朱天は部下とともに南軍に編入だ。なに、心配するな。慎綺殿には宮殿で侍っていて貰うし、親衛隊も他は残そう。そしておまえは雑務だ」


 周宗は自分の名前がある竹簡を拾い上げて目を通す。

 

『帝都北部農園地帯の灌漑工事監督を命じる』


「一枚じゃないぞ」


 深蘭の言うとおり、隣の竹簡にも周宗の名前が記してある。


『帝都の排水道整備計画樹立を命じる』


『各方面主要道の維持管理を命じる』


『西方竹林帯の開墾を命じる』


 その他全部で二十枚の札が並ぶ。


「知ってのとおり、私は太っ腹だ。どれか一つとは言わん。全部受け取れ」


 深蘭は不敵な顔で笑った。

 やられた。周宗は顔をしかめる。

 皇帝の申し出を断った以上、いつかは帝国の庇護下を離れなければならない。そのためにはかけずり回って準備に明け暮れなければならないのに、これではその時間がとれない。

 

「おまえの首は預かっておく。失敗をすれば主と連座ではねるのでそのつもりでいろ」


 深蘭の言葉に凄みなど込められてはいなかったものの、その態度が逆に恐ろしく、周宗は絶句した。

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