第27話 老臣と妹
深蘭の元に周宗が手紙を出したのは半月前であった。
通常、どこの馬の骨ともしれない者の手紙が無数の官僚にかしずかれる皇帝の元に届いたりはしない。
しかし、それが一国の王子からの親書ともなれば話しは別であって、携えてきた使者も手厚くもてなされ、返事を持ち帰った。
「こんな返事を出さずとも直接来ればいいものを」
深蘭は相変わらず質素な資質で腹心の董螺司に呟いた。
「そうもいきますまい。いきなり首を斬られてもたまらんでしょうし」
董螺司は深蘭の楽しそうな表情に、年齢相応のものを見ていた。
そもそもの手紙について、深蘭は董螺司と供に開封し、中身を検討している。
「本物ならよいのですがね」
董螺司は肩をすくめる。
遠方の、それも小国の王子など宮廷に棲む者は誰も顔を知らない。もし、偽物が名を騙ったのだとしても判別するのは難しい。
「どちらでもよいさ」
深蘭は貰った手紙を広げて内容を読み返す。
国が襲撃を受け、王は死亡。王権の継承者たる慎綺王子は部下達と供に逃れ、野に伏しているとある。
次いで、さしあたっては保護を頼みたい旨の文章が書いてある。
そうして、深蘭は彼らを快く迎え入れる方針を下し、返事を出したのだ。
「前帝の時代にも何度か、この手の手紙は届きましたが、検討もしませんでしたからな」
董螺司は苦い笑みを浮かべる。
ゼンキ帝国の国是は統一国家の建設であり、その立場からすれば帝国以外の国は全て敵対勢力である。しかし、いかなる方針にもヒダを含ませなければ、得るべき果報を取りこぼすことになるものだ。
どこかの、聞いたこともない王子が国を追われ、泣きついてきたとなれば手を差し伸べるべきなのだ。
そうしておいて、その者の存在を錦の御旗に、奪われた国を取り返せば、単に武力で国を奪うよりもずっと抵抗が少ない。
さらに、人情深い深蘭の手腕を喧伝すれば滅ぼされるのを恐れた国が自ら膝を屈してくれるかもしれない。
慎綺とかいう小僧にその資格があれば元の国を統治させ、そうでなければ適当なところで殺す。いずれにせよ、帝国としては都合がいい。
「なにごとも最初が大事だ。丁重に扱え」
そう言う深蘭を見ながら、董螺司は知っている。
深蘭から見て、慎綺に価値がないと認めた場合、容赦なくその首を斬るのだろう。そうして、誰も知らない王子の替え玉でも仕立て上げれば結局一緒なのだ。
大事なコトは困窮の王子が皇帝を頼り、快くそれを迎えたという事実のみで、その先は余録に過ぎない。
「それから董螺司、緋玉を呼んでくれ」
「はあ、緋玉様を?」
「どうせなら最大限の札を切ろうかとおもってな」
深蘭の提案に董螺司は常になく大いに慌てた。
*
しばらくして、
「兄様、入ります」
返事も待たずに緋玉は入ってきた。
前帝の娘、深蘭の腹違いの妹である。
まだ十四になったばかりだというのに輝かんばかりの美しさを持っていた。
「緋玉よ、ここではいいが公の場では陛下と呼べよ」
「はい、兄様!」
数多い弟妹達の中で最も仲のいい妹ではあるが、政治に疎い。
夭逝した母親に似たのであろう美貌と父親譲りの楽天主義が混在する緋玉は帝位から果てしなく遠いことも手伝って、誰もが彼女を陰謀から遠ざけたがった。
深蘭も大事には思っていて、献上された菓子や宝物などの珍しいものはこの妹に下げ渡すことが常であり、その為、今日は何が貰えるのかと緋玉は嬉しそうに笑っている。
「じつはな、緋玉……」
「何です、兄様?」
笑顔で聞き返す妹に、深蘭は珍しく胸が痛んだ。
その視線は自分を疑うことも測ることもせず、ただ愛している。そんな者を政治的な目的の為に利用する事など許されるのだろうか。
しかし、自分は皇帝であることもまた事実で、多くの臣民の安寧と秤に掛ければ自分の罪悪感も無邪気な妹も比する事は出来ない。
「おまえに嫁に行って欲しい」
感情を抑えながら深蘭は重々しく言った。
流浪の王子を保護し、あまつさえ妹を与えて縁戚とした。その事実が欲しかった。
それだけの事で、今後の帝国はどれ程助けられるか。
宮廷内に庇護者のいない緋玉にはその人柱になって貰わねばならない。
しかし、深蘭の言葉に、緋玉の耳はピクンと動いた。
そうして、明るかった表情が一層明るくなる。
「まあ、素敵!」
緋玉は弾むような声で言った。
「は?」
深蘭も緋玉の考えは読めない。あるいは何も考えていないのかも知れない。
「今度は何を下さるかと思っていたのですけど、恋人を下さるのですね! どんな方ですか?」
「いや、悪いがどんな男かは解らない。俺も会ったことがないのだが、そんな男に嫁いでもらう。恨んでくれても構わな……」
「まあ素敵!」
深蘭の言葉を遮って緋玉ははしゃぎだした。
「会うまで知り得ない恋人、考えるだけでこの胸が躍りますわ!」
「い、いや、だから普通はもっと悲しむものだが……」
「大丈夫、兄様が今まで下さった物につまらないものはありませんでした。もっと自信を持ってください!」
「そ、そうか。喜んでくれるなら何よりだ」
「それでその方のお名前は?」
「慎綺、つい先頃まで小さな国の王子だった男だ」
「まあ素敵な名前! 私、必ず幸せになりますわ」
なんとなく築き上げて来た価値観が崩れるのを感じながら、深蘭の力が抜ける。
こんなに喜んでいるのに、場合によっては花婿をすぐに暗殺せねばならないのだ。
慎綺とかいう男が、少しでもマシな男であってくれ。
深蘭は心の底からそう願うのだった。
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