第26話 悪巧み
「痛くないのかい?」
朱天は血を流しながら苦情を言う周宗に聞いた。
傷は丁寧に眼球や口を避けているものの、長いものでは額から顎まで延びており、もはや顔に赤くない箇所を見つける方が難しい。
「痛いに決まっているでしょう!」
なにを当たり前のことをといいながら、朱天が慎綺を叩いた事に関する嫌みが続く。
「その辺の話は血が止まってからにしてくんねえかな。痛々しくて見てられねえよ」
朱天がうんざりしながら抗議すると、廊下に人影が映った。
「おい、客だぜ!」
これ幸いと朱天は話を切り上げて腰を浮かせる。
「周宗さん、おじゃましますよ」
扉を開けて入ってきたのは狐だった。
柔和な顔をした狐は手提げをもって周宗の正面に陣取る。
「どうされました?」
周宗は朱天に向けていた感情を引っ込めると、いつもの朗らかな笑顔で狐に向かう。しかし、血は止めどなく吹き出しており服どころか足下にまで大きな血だまりを作っていた。
「いえ、古若様からあなた様の手当を仰せつかりましてな。傷を見せて下さい」
狐はそう言うと周宗の顔に手を伸ばす。
「ふむ……なるほど、相変わらず見事な腕前で」
机に刺さっている刃物を引き抜き、「刃にも問題は無し、と」言ってまた突き刺した。
「よかったですな周宗さん、古若様は最大限の注意を持ってあなたのお顔をお切りになったようです。数日ほど一歩も動かなければ傷は全く残りませんぞ」
狐は懐から薬を取り出すと傷口に塗り込んだ。驚く程の効果が出て血はあっという間に止まった。
「それと、これは血を無くしたときに飲む丸薬です。飲んでおいてください」
小さな小瓶を机に置いた。
「血の片付けは他の者に任せて、あなたはゆっくりお休み下さい。少々の頭痛はしますが睡眠薬を置いておきますのでどうしても眠れないときには少しお飲み下さい。ではお大事に。朱天様もお休みなさいませ」
そう言うと狐は恭しく頭を下げて出て行った。
「おい」
しばらくして朱天が口を開いた。
「よかったじゃねえか、傷が残らないって」
これで嫌みも止むと、上擦った声で朱天が言うと、周宗は薬の効果か、うつらうつらと舟を漕いでいた。
見る間に周宗は眠りに落ち、机に突っ伏した。
朱天はしばらく寝顔を眺めていたものの、床の血を拭き、周宗に上着を掛けると部屋を出ていった。
*
二日後、果たして狐のいった通りに周宗の傷は順調に回復していた。
まだ、傷跡は生々しく皮膚は突っ張るのだけど、痕が残らないという言葉を信じて良さそうだった。
周宗は頭を下げながら古若を部屋に迎え入れる。
既に朱天と弦慈が椅子に座っていて、古若に視線を投げかけた。
古若は部屋に一歩入るなり、周宗の顔を無遠慮に撫でた。
激痛に周宗は総毛立つものの、古若は細い目をさらに細めて笑う。
「治りかけだな。俺の肋はまだかかるぞ」
そう言って服の裾をまくり上げた古若の腹は青と赤が混ざったまだら模様を浮かべていた。素人目にも熱を持って晴れ上がっているのが見て取れる。
しかし、怪我を負わせた弦慈には記憶がないらしく、我関せずとでも言わんばかりの表情で惚けている。
「怪我で張り合ってどうする。周宗、いいから始めろ」
朱天が言うとつまらなそうに古若も椅子に座り、周宗は咳払いをした。
「さて、お二人にお越しいただいたのはこれからの具体的な打ち合わせをするためです」
周宗は集まりの目的を確認する。各勢力を率いる彼らには方針を納得して貰わなければならない。
「そもそも、私達の目的は慎綺様を玉座に着かせることです」
周宗は大目標を伝えた。
まずは国を用意し、その首魁に慎綺を座らせる。それこそがあるべき姿なのだ。
力説する周宗を古若が挙手して止めた。
「ここの三百程のゴロツキどもで戦争が出来る気でいるのか?」
国を得るには縄張りを得ねばならない。縄張りを得るには当然、兵が要る。
それもこの山に引きこもる賊とは桁が違う大軍が必要で、古若が調べた限り、それを賄う金も食料もどこにも隠されていなかった。
一党を率いる古若としては熱病の若者について行くわけには行かない。きちんと腹の内を探り、周宗が妄言を吐くだけの馬鹿であれば首を切り裂き、出て行く腹積もりである。
「もちろん、最終的には軍を編まねばなりませんが当面、兵は必要としません」
「それじゃ国をつくれないだろう」
周宗の答えに今度は朱天が口を開いた。
「当面はゼンキ帝国に庇を借り、まずは力を蓄えます。そうして準備が整ったら外に出て我々の国を作るのです」
そう説明する周宗の顔が無表情なのは縦横に走る傷のせいか。
「ゼンキ帝国といや、統一国家を旗印に掲げてる国じゃねえか。国家再興に力なんか貸してくれるものか」
朱天が不服そうに言った。
どう考えたって自らの敵を育てるような行為ではないか。
横に座る古若もおおよそ、同じ意見を持った。
周宗は当然の反論に頷いて言葉をつなぐ。
「ゼンキ帝国は最近皇帝が変わりました」
それは古若も知っていた。
前帝の急死により太子が即位したとの情報は、すこし耳聡い者ならそれこそ大陸中で知っていることだろう。
「私の集めた情報によりますと、この新皇帝はなかなかの傑物らしく、公明正大で人を見る目があり、頭脳も明晰だということです」
朱天はそれを聞いて鼻で笑った。
「そんな大層な皇帝様じゃなおのこと相手にされないんじゃないのか?」
「いえ、逆です。頭がいいからこそ利に訴えることも出来るのです。あとは私の存在を賭けての詐術と差配ですが、こちらには貴方達もいる。どうにかなりそうな気がしてきませんか?」
周宗の顔は楽しそうに歪んで見えた。
朱天と古若は互いに顔を見合わせる。その横で話を聞いているかどうかもよくわからない弦慈も含めて、互いに頼もしい顔ぶれであるような気もしてきた。
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