第25話 見定め
夜半も過ぎて、久しぶりの寝床で朱天が唸っていると、部屋に誰か入ってきた。
「よお、痛そうだな」
月明かりに照らされたのは古若の横顔であった。
朱天は呻きながら体を起こし、恨みがましさを視線に乗せて古若に突き刺す。
「おい、あんたのせいでエラい目にあったぜ。悪ふざけは相手を選んでやれよ」
「悪いな。ちょっとした癖で強そうなヤツを見ると殺せるかどうかで計らずにはいられないんだ。まさか、その返礼で肋を折られるとは思わなかった」
古若は細長い目をさらに細めて口元を歪めた。
宴会場を飛び出した後も弦慈の追跡を撒くのに今まで掛かっていたのだ。
とっさに重心をずらして蹴りの威力を減じたのも、重傷を負った体で逃げおおせることが出来たのも古若ならではであるものの、それを誇る気にはとてもなれなかった。
「次は助けんぞ」
そう言う朱天の背中もどす黒く変色しており、丸太で叩いたような痣が浮かんでいた。
「いや、懲りた。次、あの男が酒を持っているのを見たら俺はすぐに逃げることに決めたよ」
古若は情けない事を堂々と宣言する。暗殺者である古若に取って逃げることは恥ではなかった。
「そんな事より、もう一人のガキの所に案内してくれよ」
言われて朱天は嫌な顔をした。
体が傷んでいて動きたくないのもあるが、慎綺をひっぱたいた事をとがめられるのも面倒だったのである。
「明日でいいじゃねえか」
しかし、古若はそれを受け入れなかった。
そもそも、古若は周宗という若者を見極めに来たといってよく、それが従うに値しないと見ればすぐに山から出て行くという話を朱天としていた。
「そのガキを殺すならさっきのバケモノがどこかに行った今がいい」
そこまで言われれば仕方がない。
朱天は痛みに顔を歪めながら立ち上がった。
※
「邪魔するぜ」
朱天は古若を伴って周宗の部屋の戸を開けた。
夜更けにも関わらず周宗は明かりをつけて何事か書類を作成している。蝋燭の火に照らされた横顔を、朱天はひどく老成していると思った。
「おい、お前が呼んだ客が来たんだ。顔出すのが礼儀だろうよ」
言って朱天が椅子に腰掛けると、周宗は深々と頭を下げた。
「朱天殿。この度はご足労願い申し訳ありませんでした。そして古若殿も不躾な呼び出しに応じていただき、感謝いたします」
周宗は顔を上げると机の上の書状を片づけた。
「いや、うちもたまにはヤサを変えなければならんものでね。そう言った意味では都合もよかったさ」
「そう言っていただけるとありがとうございます」
「まあ、それと無礼は別問題だけどな」
古若は傍若無人に笑った。
その様から大怪我を負っている様には見えない。朱天は密かに感心していた。自らも怪我をしているが、動く度に襲う激痛から、不機嫌を隠す気もなかったのだ。
「お前が会いたいのであればお前がくればよく、代理の使いを出すのはやはり失礼に当たるのではないか」
古若の目は冷たく光った。
「なにゆえ自分で来ずに朱天をよこしたのかを聞きたい」
古若の言葉に朱天も同調を示した。
「おお、それは俺も気になっていたんだ。おまえは自分じゃ無理だと言ったが、それは何でだ」
古若と朱天に見つめられ、周宗は大きく深呼吸をした。
次の瞬間、自らの命が奪われる事に関して覚悟を決めた様な目つきに古若達も気づく。
「それは、言葉通りの意味です。仮に、私が直接行って古若殿は来る気になりましたか?」
周宗は真っ直ぐと古若を見返した。
相変わらず、なかなかの胆力であると朱天は思った。
「ならなかっただろうな」
古若は言った。
実際、古若は手紙に書いてある通りに朱天を見て、興味を持った。さらにはその男を使う文人にも興味がわき鳴坤堂までやってきたのだ。
そう言う意味ではほぼ周宗の思い通りになっている。
「大したガキだ」
古若は苦笑と共に言った。
「褒め言葉と受け取っておきます」
周宗が小さく頭を下げた。
「いろいろ訊きたいことはあるが、何より一つ。俺はここにこうしてやって来たが、おまえは持ち上げる価値のある人間か?」
のこのこと一党を率いてきたのだ。それがボンクラなら木蛇まるごといい面の皮である。
古若の深い瞳が周宗を射抜く。しかし周宗は物怖じせずに言った。
「確かめますか?」
一閃、古若の右腕が掻き消え、周宗の顔の直前で止まった。いつの間にかその手には小さな刃物が握られている。あと指一本分で自分を切り裂くはずだった刃物を眼前に突きつけられても周宗は微動だにしない。
「痛いと思うが、動くなよ」
「どうぞ」
周宗がいうと古若の手は再び掻き消えた。
一閃、二閃、三閃……。瞬く間に十条の線が周宗の顔に引かれ、一拍遅れてそれぞれの傷から血が流れ出す。
机が血に染まるまで十秒もかからなかった。
「眉一つ動かさないな」
古若はあきれたように言う。
「どうだ、餓鬼のくせにすごい奴だろう」
朱天も感心して言った。
なにがすごいと言って、まずはこの糞度胸である。あの不景気な王子に心酔して頭のどこかがイカレてなければこうは行かない。
その危うさはいっそ清々しい程であった。
「それでは、私たちに力を貸していただけますか?」
顔の傷など無いかのように周宗は笑顔を浮かべる。
「まあ、どうせそのために来たんだから、朱天があんたを担ぐうちは俺も担いでやるよ」
「おいおい、だったら別にここまで切らなくてもいいじゃねえか」
その言い方だとまるで自分のせいであるようで、朱天は顔をしかめた。
「覚悟を計りたかったんだよ。中途半端な奴について行ってもつまらないからな」
そう言うと古若は周宗を切った刃物を机に突き立てる。
「記念にやるよ」
「じゃあ俺はあんたに従うから、詳しい話は明日、いや三日後にでもしようか」
そう言うと古若は朱天を置いて部屋を出て行った。
朱天もそれに続いて出ようと腰を浮かすと、その背に声がかけられた。
「それはそれとして、朱天殿。慎綺様の件でもう少しお話をしたいんですが」
朱天が振り返ると、周宗は先ほどまでよりよほど凄惨な表情で笑っていた。
ああ、怒っている。やはりひっぱたいたのは失敗だったか。
すこしだけ、朱天の胸に後悔の念が湧いた。
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