第23話 出迎え
街を出発してから七日目、日が沈むころにやっと鳴坤堂が見えてきた。
夕日に照らされる我が家に心も弾み「よし、一足先に行って出迎えの準備をしておこう。先に行くぞ」と、朱天は一騎駆け出した。
突然現れた首領に目を丸くする山賊たちを横目に山道を馬で駆け上がり、本陣にたどり着くと、そこには少年が一人立っていた。
顔を見て、どこかで見た顔だと思ったものの、包帯の巻かれた右腕を見るまで誰だったかは思い出せなかった。
「よお、王子様じゃねえか。何やってんだい、こんなところで?」
朱天は馬を降りながら聞いた。
気安く土産話をする間柄でもない、小僧が神妙な面持ちで立っていれば愉快な話にならないことくらい想像がつく。
帰還に浮かれて盛り上がった気持ちが萎れていくのを感じながら、朱天は駆け寄って来た部下に馬の世話を命じた。
いつもべったりの親衛隊が周囲にいないのも気になる。朱天が周囲に視線をやりながら舌打ちをすると慎綺が地面に膝を着き、頭を下げた。
「朱天どの、すみませんでした。どうぞお許し下さい」
「あ?」
朱天にはさっぱり話が見えなかった。
「おい若様よう、あんたいったい何をやってんだ?」
慎綺は頭を上げようとせず、そのままの姿勢で答えを返す。
「私たちはあなたの厚遇のおかげで助かりました。あなたには百万の謝辞を送っても足りぬ身です。その私が、大恩あるあなたを部下のように扱ってしまった。許されることではありません!」
朱天の眉間に深い皺が刻まれる。やはり愉快な話にはならなかった。
なぜこんな目に合わねばならんのか。朱天は慎綺にも目を離した周宗にも腹が立った。
「おい、頭を上げろ小僧。お前は大恩ある俺様に後頭部で話しかける気か?」
そう言うと朱天は慎綺の襟首を掴み引き上げた。朱天の怪力は布団でも掴み上げるように慎綺を高く持ち上げる。
「なあ、いいか。何か勘違いしているようだから言っておくが、俺はおまえに従ったつもりは一切無い。自惚れるな」
静かに言うと、手を離す。慎綺は体勢を崩して無様に尻餅をついた。
「し、しかし……」
払いのけられていながら、慎綺は諦めずに食らいついてくる。
「周宗があなたに指図をしました。彼のこれまでを見れば私のために何かするのは見抜けたはず、すべては私の至らなさ招いた非礼です」
朱天は少し考えたが、慎綺に顔を近づけて言った。
「なあ、俺はあんたと取引をしたんだったか? 周宗は俺を天下の大将軍にしてくれるらしいが、あんたは周宗の代わりに俺を偉くできるのか?」
「……無理です」
慎綺は悔しそうに表情を歪める。
それも無理からぬ話で、慎綺は王子といっても肩書の上に「亡国の」が付く。今となっては何の権力もない穀潰しに他ならない。
「じゃあ少し黙っててくれねえか、俺が取引したのはあんたとじゃない。あんたを馬鹿みたいに支えようとする優秀なあんたの部下だ。俺を剣で黙らせたのも、俺を呪いから解き放ちこの鳴坤堂の堂主に押し上げたのも全部あんたじゃない。あんたの部下達だ。そして、これが大事だが、そいつらなら約束を果たしそうな気がしたから付き合ってんだ」
朱天は慎綺を正面から睨みつけた。地獄の鬼さえ逃げ出しそうな真剣の怒気。それでも慎綺は恐れる様子がなく、朱天は内心で驚いた。
「お前なんか最初から相手にしてねえよ。大体いまのお前に責任なんか取れないだろうが」
怒気はそのままに朱天が吐き捨てる。
「この首を差し上げます」
慎綺が静かに言った。真っ直ぐな、嘘はどこにも見いだせない本気の目だった。
「おまえの首を取ったところで、周宗達は俺から離れて行くに決まっている。それどころか命を狙われる」
他の連中はともかく、周宗は間違いない。朱天は確信をもってそう判断していた。
あの狂信者はいかなる手を尽くしても復讐を果たそうとするだろうし、それに対処するのは面倒だった。
「遺言を書いてあります」
朱天の言葉を遮るように慎綺が言った。
なるほど、先ほどから恐れを見せないのはどうやら死ぬ覚悟が出来ていたかららしい。朱天は内心で納得する。
「それであなたの命が狙われることはないでしょう」
慎綺はそう言うものの、周宗は慎綺に害を加えた者にその理由を問いただしたりしないだろうと思い、朱天は顔をしかめる。
「おい、死にたいなら俺の知らん他所でやってくれ。そんなところまで恩人様の手を煩わせるんじゃねえよ」
朱天に言われて、慎綺は複雑そうな表情を浮かべる。
「とりあえず理由を聞かせてみろよ」
朱天はドカリと地面に腰を下ろし正面から慎綺を見据えた。
慎綺はしばらくためらっていたもののゆっくりと口を開いて理由を語り出した。
*
慎綺が詰まりながら語った内容は朱天には興味もないものだった。
しかし、その行動が部下の為を思ってなのは間違いなく、部下の異様な献身も少しは納得がいく。
「話は以上です。どうか、私の部下のためにもこの首を切り落としてください」
要約すれば、自分の存在が部下を縛っていることに気が付き、死ねば彼らを自由にしてやれるのではないかと思い詰めての行動だった。反吐が出る生ぬるさに朱天は怒る気も失せる。
所詮はいいとこの坊ちゃんなのだから、山賊風情と価値観が合わないのは当然であった。
首をくれるというのだからこれくらいはいいだろうと、朱天は慎綺の頬を張り飛ばした。
慎綺が驚いたような顔で朱天を見つめる。
「ほら、痛えだろ。首を斬られりゃもっと痛いかも知らんぜ」
そうしてもう一度、二度、三度。
慎綺の顔を左右から叩くと、慎綺は鼻血を噴き出して倒れた。
五発目の平手を構えると、慎綺は無様に腕を上げ、顔を守る。
「お前に尽くす部下を置いて死ぬとか簡単に言うな。俺に恩を返したいのなら便所掃除でも豚の世話でもやって働け。しばらく俺の前には顔を出すなよ」
呆然としている慎綺を置いて、朱天は歩き出した。
朱天はどこかで周宗が見ていやしないかと、それだけが怖かった。
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