第21話 便り

 二人は奥に通され、客用らしい部屋に案内された。

 古若が周宗からの書状を読む間ここで待っていろと狐が言い、立ち去ると入れ替わるように茶や料理が運ばれてきた。

 虎淡が菓子を頬張りながら朱天に話しかける。


「しかしすごかったですね。俺、全然動けませんでしたよ。やっぱり俺みたいなチンピラと本業じゃ違うんですね」


 場違いも気にせず、暢気にハハハと笑った。

 その緊張感の無さに朱天もつられて笑い、併せて菓子にも手を伸ばす。


「そうだな、世の中は広い。あんなやつとは出来るだけ事は構えるなよ」


 などと二人が雑談していると、間を置かずに古若が入ってきた。

 足音もしなければ臭いもしない。目の前にいるのに、雰囲気が儚く、朱天は妙な気にさせられた。

 

「おう、読んだか?」


 周宗のしたためた書には封がしてあり、読めないようになっていたため朱天は目を通していない。周宗から渡せばいいとだけ言われていたし、封がなくても興味はなかった。


「ああ、読ませてもらったよ。おまえはずいぶんと不思議なやつに仕えているんだな。えらく綺麗な字と文章だったよ。ああいうのはきっと迷いのない真っ直ぐなやつの字なんだろうがそんな綺麗なはずのやつが山賊を従えている。実に興味深い事だ」


 古若はおもしろそうに言い、細い目をさらに細めた。

 しかし、本心から言っているわけでもあるまい。

 朱天は古若の目の奥に輝く冷たさだけが心に刺さった。

 

 

「俺の事も書いてあったのかね?」

 

「書いてあった。将軍になる男だとな」


「そういう約束のために俺は仕えている訳じゃねえけどな……。で、俺はあんたを連れてこいって言われてるんだが、来てくれるのか?」


 言いながら、朱天は古若との戦力差を計った。

 体格的には自分の方がふた周りほど大きく、それに伴って膂力も強いはずだ。というよりも古若の細い肉体は正面切って戦うよりもひっそりと相手に忍び寄り、首を掻き切って仕留めることに向けて作り上げられたものだろう。

 先ほどのように後ろを取られれば危険だが、こうやって向かい合っている限り、負けはないように思えた。

 後ろに付いてはさっきの事もあるため、この部屋に付いてから精一杯の警戒を怠っていない。

 古若が急に襲いかかってきても虎淡を盾にしてすぐに応戦できるよう椅子にも浅く腰掛けている。

 しかし、古若は朱天の警戒を気づいていないのか、気にするそぶりも見せずに手紙をひらひらと振って見せた。


「おまえは手紙の内容を知らないらしいから言うが、この手紙は木蛇ごと周宗ってやつに仕えろという内容だった。こんな紙切れ一枚で、あんたなら了承するかい?」


 いつの間にか表層に浮いた笑みは消え、疲れた老人の様な表情が浮かんでいた。ほんのわずかに表情を変えただけで数秒前とはまるで別人の様相になった古若に、朱天は驚きながらも問いに対しては素直に答えた。


「俺だったら乗り込んでいって殺すだろうな。明らかに相手を見くびっているし無礼だ」


 これは朱天の本心である。

 別段、周宗を尊敬して従っている訳でもないので、彼の男をフォローする気もない。

 歯に衣着せぬ言い方が気に入ったのか、古若は嬉しそうに目を細めて笑った。その表情は無邪気な少年の様だった。


「俺もそうだよ。おまえとは気が合いそうだな。」


 古若は楽しそうな表情で手をたたく。

 朱天は視線を動かし、部屋の入り口を確認するが誰も入ってきていない。

 大仰に手紙を振ったり、手を叩いて見せれば人の目はそれに吸い寄せられ、周囲への警戒が薄まる。こういった人間は行動の中に多種の動きを取り混ぜ、日頃から相手の視線を誘導するのだと、旅の奇術師に聞いたことがあった。

 そうして一瞬のよそ見をさせておいて相手の首を切り裂くのだろう。

 考えると朱天は首が薄ら寒くなった。しかし、その内に面倒になって考えるのをやめた。

 目の前の男や、屋敷に潜む気配がどのように動こうと、結局は全て掴みきれない。それならば余計な気を回して結局注意力が散漫になるよりは目の前の事に集中した方がいいだろうと思い到ったためである。


「無礼な手紙と、それを持ってきた俺も粗野な無礼者だ。まったく、申し訳もねえな。でも、俺はあんたを連れて帰るように約束している。その後の事は知らんが、約束をした以上それを破る気はない。悪いが一緒に来てはくれないか?」


 朱天は真っ直ぐと古若の目を見つめた。

 今、この瞬間に後ろから刺されても知ったことか。 


「断ったら?」


 意地悪そうに言う古若に虎淡が何かを言いかけたが朱天が腕で制した。

 どだい、こちらの分が悪いのだ。

 しかし、周宗との約束は守ろうと決めていた。そうでなければ、あの小生意気な小僧が約束を破ったときに大手を振って踏みつぶせない。

 

「こんな頭でよければいくらでも下げよう。たいした金はないがあんたに謝礼も用意しよう。それで頼む」


 そういって朱天は床に膝を着いた。


「お、親分やめてください!」


 虎淡が慌てて止める。


「頭を上げてもらって結構だ。もう十分わかった」


 古若が薄く笑い、犬歯をむき出した。獰猛と言うよりは、酷薄な猛獣の笑みだった。

 

「わかったとは?」


「あの手紙にはあんたを見て判断してくれって書いてあってな。アンタはついて行くだけの、顔を潰さないだけの価値がある相手だって事だ」


「来てくれるのか?」


「そうだな、行ってみようか。あの頭の良さそうな文字の主に会いにな。ただ、その上でそいつが気にくわなければ殺すことになるかもしれんが、いいな?」


 古若は念を押すように朱天を見る。その目は商取引を見つめる商人の目になっていた。


「俺が約束したのは古若、木蛇を連れて帰る事だ。後の事は知らん」


 朱天は本心からそう思っていた。結果、周宗の喉が切り裂かれても、それは知ったことではないのだ。

 周宗が死ねば約束も果たされなくなるが、そうなったら軽蔑して終わりだ。


「よし、決まりだ。狐、準備をさせろ」


 古若が言うと、いつの間にか朱天の横に立っていた狐が頷いて応えた。 

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