第19話 キツネ

 翌日、昼も大きく過ぎてから朱天は目を覚ました。

 起きようとすると、体に蒲団がくっついていた。血がこびりついたまま寝たせいである。

 バリバリと蒲団を引きはがすと、朱天は服を脱ぎ、外で行水をした。

 途中廊下には血が残っている箇所があったが、宿の主人から文句を言われなかったのは部下が金を包んだか美鹿荘が取りなしたからだろう。

 体中にこびりついた血を洗い流すと、「親分目が覚めましたか?」と声をかけられた。鳴坤堂の部下二人だった。二人とも何か言いたげな表情を浮かべ、朱天の機嫌を伺っている。


「どうした?」

 

 朱天が聞くと、二人は顔を見合わせて言った。


「あの虎淡ってガキなんですがね……」


「おお、虎淡がどうした?」


「親分の元で働きたいって言ってきたんですがどうしやしょう」


 二人の背後には旅装束の虎淡が伏せていた。


「お、お願いです。俺も朱天さんの……いや、親分の下で働かせてください。昨日、親分を見て惚れました!」


 言って虎淡は必死に頭を下げる。


「はあ? おまえは古亀荘……は、もう無いが、美鹿荘にでも世話になればいいじゃねえか」


 しかめっ面ではねのけようとする朱天に部下の一人が耳打ちした。


「それがどうも……、古亀荘の縁者達はあらかた殺されたみたいです。長年の抗争で積もり積もった怨みが古亀荘の残党に向けられたようで……」


 事実、虎淡も命からがら逃げてきたようで血まみれであった。


「……そうか。しかし、おまえさん家族は捨てていく気かい?」


 朱天はなんとなく尋ねた。街に根を張るゴロツキは流れ者が多い山賊と違って家族を抱えるイメージがある。

 

「家族なんて、俺は捨て子でしたから」


 朱天は一瞬考えたが、おもむろに虎淡の首を掴んだ。

 虎淡本人にはまったく興味はないものの、何かの縁である。それに窮鳥を救っていいことがあったばかりでもある。


「よし、わかった。たった今からおまえの命は俺が預かろう。後悔するなよ?」


「はいっ、死ぬまでついて行きます!」


 この小僧は何か揉め事を運んでくれるだろうか。迂闊そうな外見は揉め事を呼び込む風体である。朱天はそう思って笑った。

 それを優しくほほえみかけられたと勘違いした虎淡は感涙にむせびつつ深々と頭を下げる。

 そうして朱天と虎淡の親子の契りが結ばれたのである。



 それから朝昼を兼ねた食事を摂り、朱天は虎淡を伴って街の外れに向かった。

 前夜、古亀荘の首領から聞いた情報によると、変わり者で知られるらしい。

 通行人を捕まえて、片っ端から聞き込んでいると、知っている者があらわれ、屋敷に辿り着くことができた。

 一介の変わり者を孔富が知っていて虎淡が知らなかったのは、ゴロツキとしての格の問題だろうと朱天は判断した。

 

「ほう、立派だな」


 朱天が屋敷の塀を見上げ言った。


「はは、そうっすね」


 虎淡も見回して苦笑いをした。

 その屋敷は、建物も土地も大きかった。梅や柳など各種の木々が思い思いに生えていて美しくもあった。

 しかし、屋敷も、その周囲を囲む高い土塀も酷く傷んでいる。


「立派な廃墟って感じですね」


 庭好きの主が死去したまま手つかずのお屋敷といった風情だ。

 

「まあ、ここだって言うんだから間違い無いんだろう。考えてもしょうがねえから、ほら行くぞ」


 言って朱天は歩き出し、「は……はい!」虎淡も慌てて後を追った。

 古びて歪んだ建物の扉を開けると中は意外にもきれいだった。埃も積もっていないし、何より確かに人が住んでいる匂いがする。


「邪魔するぜ、誰かいねえか!」


 朱天が声を上げると間もなくして奥から一人の男が出てきた。


「はいはい、いらっしゃい。本日はどんなご用事で?」


 四十がらみの小男だった。全体から柔和な雰囲気を醸し出している。


「あんたが古若さんかい?」


 朱天の問いに男は訳のわからないという顔をした。


「古若……はて、何ですかね。私はしがない占い師でして、捜し物なら占って差し上げますが」


「いや、この家に古若って男が住んでるって聞いてきたんだが、あんたの事じゃないのか?」


「さぁ……私は狐と呼ばれておりますが、古若などと言う名前は聞いた事もありません」


 朱天は眼を細め、狐と名乗る男を見据えた。狐は困ったように苦笑を浮かべ、小首をかしげている。

 孔富から聞いて来たのだし、通りで古若の名を尋ねてこの屋敷を見つけたのだ。

 それを住民が知らないということはないはずだ。

 しかし、目の前の男が知らないと言うのだから、関わり合いたくないということだろう。


「そうか、それじゃあ人違いだろう。悪かったな」


 朱天はあっさりと言って踵を返した。

 狐と名乗る男がその背に「いえいえ」と声をかける。

 扉に手をかけ、朱天は狐と名乗る男に尋ねた。


「ところで、あんたはこの広い屋敷に独りで住んでるのか?」


「いえ、一人はさみしいもので、仲間内で寄り添っておりますが……」


 狐の言葉を聞き朱天は再び向き直った。


「あんたらの身内で古若を知っている者がいないか、今晩にでも聞いておいてくれよ。俺たちはしばらくこの街にいるから、また明日にでも寄らせて貰う」


 朱天の言葉に、狐は人好きのする笑みを浮かべた。


「何度も来られなくても結構でございますよ。こちらも忙しい身の上ですので、話しは一度で伺います」

 

 そう言うと、狐は服の袖から数枚の鉄符を取り出した。

 何事か文字や模様が描いてあり、占いに用いる道具のようだ。


「どうしても知りたいというのであれば、あなたがお探しの人がどこにいるか占って差し上げましょう。見料はいただきますが、いかがします?」


 狐の顔は変わらず笑っているものの、声の調子が変わっていた。

 およそ、詐欺師が用いる以外にない声色で、神がかりを演じる芸人と同じだと朱天は思った。

 低く、腹のそこを揺するような声をむずがゆく思いながら、朱天は小銭を放る。

 

「よろしい。では始めます」


 狐は自らの服の襟に手を突っ込むと、赤い布きれを取り出し、無造作に選んだ数枚の鉄符を包む。


「いかがでしょう。今ならまだ、止めることも出来ますよ。占いなどアテにはならんと鼻で笑い、地道に目的に人を捜しませんか?」


「それで見つかるならいいが、そうで無けりゃ最後まで占ってくれよ」


 朱天が言うと、狐は困ったような表情を浮かべ、包みを床に落とした。

 ガチャン、と音がして、朱天の視線が注がれる。

 その瞬間、後ろから伸びてきた手が朱天の首に刃を押し当てた。

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