第16話 飯屋

 翌日、朱天は慎綺の親衛隊から二人、鳴坤堂の賊の中から気の利いたのを二人見繕うと都合五人で山塞を発った。

 空はよく晴れ、旅立ちには絶好の日和である。

 思えば漠蜂に捕らえられて以降、山塞を長期間離れるのは初めてだった。

 せいぜい近隣の村落までであって、長くても一泊である。

 それが今回は片道四日の行程だと聞いていた。

 不意に、自由を実感すると朱天は嬉しくてたまらなくなり、もう二、三日余分にかけて行こうと決めた。


 部下には親父の墓参りと伝えてある。

 朱天の出身は南の方だが、そんな事を知っているものは誰もいなかった。

 十七歳で武を頼み、立身を夢見て故郷を捨てたのだが、その三年後には漠蜂に捕まり山賊に身を落とした。

 それからもう十年近く山賊をやってきた。

 結果、朱天には世に出る機会を奪われ、くすぶり続け、そして様々なものに興味がなくなった。

 そうして鈍感になりきってしまった朱天の心を周宗は動かして見せた。

 ほんの、細っこい頼りないガキが天下を動かしたのだ。自らの剛腕で世間をあっと言わせなくてどうする。

 そんなことを考えさせられるのは果たして、周宗が賢いからか、己がバカだからか。

 もはやどちらでもよく、ただ、故郷を出た日の様な焦燥感にも似た感情だけが胸の内をつついていた。

 若さを思い出させてくれた礼に、朱天はしばらく従う約束を全うする気でいる。

 その間に周宗の企みが形になればそれでいいし、ならなければ山塞から追い出すまでだ。

 いくら悩んだところで己の頼るのは『武』なのだから、その時がくれば自分の長剣で切り進むしかない。それは朱天の基本姿勢であり、すべてであるとも言えた。


 *


 六日後、一行は目的の街に着いた。規模はやや小さいが活気がある街だった。

 五人は宿を探すと三部屋を陣取っり、さっそく探索を開始した。

 周宗から頼まれたのは『殺し屋』の一味を連れて帰ってくることだ。

 組織の名は『木蛇』、長は『古若』。他には何の情報もなく、後は自力で探す以外ない。

 鳴坤堂の二人と慎綺の部下二人がそれぞれ散った後、朱天も探し始めた。


(そう広い街ではないし、それらしいのに聞けば一発だろう……)


 そう考えながら道を歩いていると、向こうからいかにも筋者らしき若者の二人組が歩いてくるのがみえた。朱天はさっそく二人に近づくと声をかける。


「ちょっと聞きたいんだが……」


 すると一人が朱天を睨みつける。

 今にも噛みつかんばかりの勢いで朱天の胸倉を掴んだ。


「何だァ、このデクノボ……」


 ゴッ!


 言い切らないうちに朱天の拳がその男を吹っ飛ばした。勢いよく吹き飛んだ男は土壁にぶつかって止まり、ベシャリと地面に落ちる。


「お……おい」


 その連れがあわてて駆け寄り、相棒の体を起こした。


「うわッ……」


 若者は情けない悲鳴を上げると相棒の体から離れた。殴り飛ばされた男の顔は顎から頭の半ばまでが潰れていた。


「で、聞きたいんだが……」


 状況を飲み込めずに放心している男の肩に朱天が手をかけた。

「ヒッ……!」逃げようとするが、力の差が大きくて動けない。

 朱天は男の襟首を掴むと強引に目線の高さへ持ち上げた。

 怪力と無法を見せつけられた男は怯え切ってもはや抵抗を試みようとさえしなかった。


「なあ、おい。酒が飲める店はどこだ?」


 朱天が尋ねると、片手で持ち上げられた男は、必死で通りの向こう側を指し示す。

 その指の先には小さな飯屋の看板がぶら下がっていた。

 朱天はそれを確認すると相好を崩して、頷く。


「よし、行こうか」


「……え?」


 男は一瞬、意味が解らなそうな顔をしたが、朱天には関係ないことだった。

 男を降ろすと、そのまま襟首を掴み引きずって歩き始める。


「は、離してくれよ!」


 男は哀願するような声を上げたが、朱天の「なんか言ったか?」の一言で言葉を失った。

 そのまま店に入り、男は朱天の向かいに座らされた。


「酒だ。それと肉を適当に」


 朱天達の風変わりな来店に目を丸くした飯屋の親父は、朱天が言うと慌てて厨房に入って行った。

 

「で、おまえの名前は?」


 朱天に正面から見据えられ、男は呻いた。

 突然現れたこの怪物は何の冗談だろうか。

 いきなり連れを殴り殺し、そして今自分をなぶっている。

 しかし、朱天は男の逡巡も気に留めず、眉間にシワを寄せた。


「聞こえなかったんなら、もう一回言おうか?」


 ほんのわずかに不機嫌が混ざった声に、男は身を震わせた。


「コ……虎淡です」


 男が慌てて応えると朱天はゆっくり頷く。

 そこに飯屋の親父が現れた。さえない飯屋の親父が虎淡と名乗る男には救世主に見えた。

 しかし、当の救世主は話に関わる気もないらしく、酒を机に置くとさっさと引っ込んでしまった。


「虎淡よ、さっきの男は仲間か?」


 朱天は先ほど殴った男が倒れている方向を顎で示した。


「は、はい……さっきのは俺の組仲間でして」


「そうか、いいやつだったのかい?」


「いや、そんなには……」


「そんな面してたから殴った」


 朱天はそう言うと酒をあおり、「人の事は言えんがな!」と笑った。

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