第12話 天将軍

 帝国には総数八十万を数える軍を抱えていた。

 まずは戦線を支える軍として、帝都を中心に各方角を冠した軍が四方に展開しており、絶えず周辺国と国境を争っていた。

 それぞれの方面軍を司るのが、やはり方角を冠した四大将軍である。

 その内側、辺境部から帝都カラスキへと通じる道を守護し、関所や砦を運用するのが地軍であり、地将軍が司っている。

 では天将軍とはなにか。

 天軍の守備範囲は帝都そのものである。

 カラスキの重厚な石垣の守備、市内の治安維持、宮廷の警備までが天軍の支配下にある。

 帝国軍には以上六人の大将軍がおり、六人は同格であるというのが正式なのではあるが、実際は都に座し、国政にも影響力を持つ天将軍が最も権力を有している。

 ましてや皇帝の弟であればなおさらであり天地、そして四軍の総数八十万は突き詰めれば天将軍の手に握られていた。


 その軍事の第一人者が皇帝の急死を聞きつけ動き出していた。

 次期皇帝は天将軍であろう。そう言った噂をわずか二日で朝廷中に蔓延させた天将軍に、董螺司は少なからず感心していた。

 以前は大将軍という立場に満足している様に振る舞っており、帝位への野心など微塵も漏らしたことがなかった。

 それが、いきなり次期皇帝の候補として名乗りを上げたのだ。

 手腕も悪くない。

 董螺司は天将軍の能力、性格ともに好ましく思って居なかったのであるが、ここまで堂々としがみつかれるとむしろ清々しくすらある。

 同じように今回の一件で天将軍を再評価した重臣も多かろう。

 そうなると、深蘭には喜ばしいことではない。

 

 皇帝の意志が示されない今、次期皇帝は宮廷の重臣達が決める事になる。

 遠からず、それを決める会議は開かれる事だろう。

 両陣営に分かれて意見をぶつけるが、最終的には数が多い方が勝つのだろう。

 例え三公と呼ばれるような最重要職に就く者であろうと皇帝の権力の前ではあまりに軽い。

 次期皇帝の反対に回れば待っているのは追放、粛清、一族の破滅だ。

 一方、勝ち馬の尻に乗れば空いた席に座れ、出世も見込める。重臣たちが必死に牽制し合うのも無理ない事と思われた。

 特に、深蘭擁立派の有力者と思われる董螺司の元には様々な顔ぶれがひっきりなしに訪れ、戦況を聞いて行く。

 その都度、董螺司は曖昧に頷き、客を追い返すのだけど、まさか天将軍の手の者が直接訪ねてくるとは思っていなかった。

 宝剣の他、大家が書いた書、それに宝石。

 更には書面が添えてあり、中には皇帝就任に際する礼の確約がしたためてあった。

 使者に礼をいい、丁重に返したあと、董螺司は積まれた財宝の山を見る。

 皇子には出せない額の金を振りまくことで勝負を決定づけたいのだろう。

 手段は汚くともその行動は傍観を決め込んでいた者達への有効な説得材料になる。

 董螺司はため息を一つついた。

(若、天将軍は思いのほか強敵ですぞ)

 そう思いながらも深蘭が負けるとは欠片も思わない。

 権力にしか興味のない似非軍人など一片の存在価値もない、そんな男を戴くなら今までと何の変わりもない。

 それが董螺司の意見であった。深蘭ならこの状況からでも何とかするだろう。

 そう信じる董螺司にできる事はせめてささやかな手助けをしてやる事だった。



「だからな、董螺司……」


 そう言って深蘭に耳打ちされたのは次の日であった。

 まだ痺れの消えていない不自由な体を起こし、深蘭は笑っていた。

 はじめ、董螺司は深蘭の意見に耳を疑い、そして反対した。

 深蘭の提案はいくら何でも無理があると思われたからだ。


「だが、それが一番わかりやすかろう」


 と、深蘭は自信満々だ。

 確かに、それほどわかりやすい作戦はないのだろうが、それは成功すれば、という大前提があってこそだ。


「しかし、万が一失敗しました場合、若のお命が……」


「成功しなければどうしたところで叔父上の勝ちだ。そうしたら俺は真っ先に粛正されるだろう」


 確かに、その他に名案は浮かばない。


「わかったら叔父上の動きを調べておけ、成功するか否かはおまえの働き次第だ」


 そう言うと深蘭は他にもやる事があるといって董螺司を閉め出してしまった。



 天将軍は朝廷ではなくカラスキ北門の軍舎という建物に勤務していた。

 通常、宮廷に勤める廷臣以外の者が宮廷に登るには手続きが必要であり、それは天将軍といえども例外ではなかった。

 形式的なものとはいえ、長年にわたる法を天将軍が破る必要もない。

 許可が下りるまで数日かかるが、それまでは宮廷の外で手駒を動かしているのだ。

 深蘭は董螺司に天将軍がいつ宮廷に登るか、それを調べろと命じていた。

 董螺司には調査や人群の操作といった事に長けているところがあり、各部局に潜り込ませた手の者を通じて秘匿事項である登殿日も、確認するのはわけもなかった。

 次の月の初日、今日より五日後に天将軍は宮廷に登る。

 間違いなくその日になにがしかの行動を起こすだろう。

 その時が深蘭にとっても起の時。

 あるいは……。

 不安を振り払い、董螺司は天将軍にあわせて深蘭の登殿手続きをするのであった。

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