第8話 旅立ち見送り
月明かりの下、周宗は思想にふけっていた。何一つ事態を好転させる事のできない己への苛立ちと焦りが胸を詰まらせる。
人前では決して見せられない不安を、月を眺めることでごまかさないと気が狂いそうでたまらない。
山塞に逃げ込んで、すでに三カ月が過ぎていた。
慎綺も意識を取り戻し、仲間たちも落ち着きを取り戻しつつあるものの、いつまでもここに居座るわけにはいかない。
朱天は自らの身を漠蜂の支配から解放した恩人として、慎綺一行を手厚く遇してくれているのだが、それに胡坐をかいてのんべんだらりと過ごしていれば、いつかは恩義に満ちた視線から疎ましいものに注ぐそれに代わるだろう。
いらぬもめ事を避けるためには、そうなる前にはこの山塞を出ていきたかった。
なにより、ようやく逃げ込んだ鳴坤堂も突き詰めて言えば三百名程の山賊が住まう根城に過ぎない。
朱天は千や二千の軍勢なら跳ね返すと豪語しており、事実としてそうなのだろうが、攻め込む軍勢の規模が五千や六千ならどうか。極端にいって一万ならどうか。
この山塞が天然の要害で、各所に結界や砦が設けてあったとしてもいつかは陥落してしまうだろう。
今は大小の国が争いあう乱世であって、わざわざ割に合わない山賊退治をしようという酔狂な国がないから助かっているものの、もし大きな国が周囲一帯を併呑して、狂乱から安定の時代に移り変われば目立つ山賊退治などは軍人の飯のタネとしてむしろ積極的に行われるはずである。
祖国が滅んだ時には悪運が働いてどうにか逃げおおせたものの、それが次回も成功すると、周宗にはとても思えなかった。
とにかく準備を怠らないことだ。
いざとなれば自分一人でも慎綺を連れて逃げねばならず、さらに差し迫れば自分が盾になって慎綺の逃走時間を稼がなければいけない。
ともかく、慎綺を無事に逃がせば王国復興の命脈も続くのだ。その為にはあらゆる犠牲に耐えよう。慎綺の為に必要なら自らを含めてあらゆる人の命を生贄の皿に載せる覚悟がある。
それは、周宗の大事な人々と共にすでに亡くなってしまった祖国への、せめてもの供養でもあった。
周宗が月を睨んで悶々と思索を連ねていると、近くに人影が立った。
チラ、と目をやれば影の主は親衛隊副隊長の栄沙だった。
「どうした?」
周宗は栄沙に声を掛けた。付き合いも長く、気心の知れた友人でもある栄沙も、こんな夜更けに理由なく訪ねてきたりはしない。
栄沙は固い表情のまま口を開いた。
「準備ができたぞ」
栄沙の言葉に、周宗の胸は激しく痛む。
気も合えば信頼もできる。そんな男に周宗は計画と呼ぶのもおこがましい行動案を打ち明けていたのだ。そうして栄沙は周宗の案に乗ると約束していた。
策自体は本当につまらない策だと、周宗自身も思っている。
作戦実行者である栄沙は死に、二度と帰ってこない。にもかかわらず成功率は低く、不確定要素も多い。
親友を死地に追い込んでまでやる計画ではないことを周宗も頭ではわかっていた。
準備ができたとはいえ、まだ出発もしていない。今なら計画自体を取りやめにすることも出来る。
「わかった。行ってくれ」
しかし、思考に反して周宗の口は言葉を発していた。
それを聞いて栄沙は頷く。
いつもそうだ。周宗は密かに下唇を噛んだ。
栄沙は危険な仕事や他人が嫌がる仕事を率先してこなし、人望を集めてきた。
努力も怠らず、実力も高い彼は将来を嘱望されており、国が滅びなければ将来は大将軍に指名されると、国の重臣たちも大いに期待を寄せていたのだ。
しかし国はなくなり、輝かしい未来は来こないことが決定された。
自分たちに幾らかの機を巡らせるためというあやふやな目的の為に、周宗は栄沙を惜しみながらも使いつぶそうとしている。
栄沙は緊張した面持ちのまま、大きく息を吸うと自らの顔を無理やり動かして不器用な笑みを浮かべた。
「世話になったな。慎綺様の事は頼むぞ」
「わかった」
栄沙の言葉に周宗は答える。
その表情は栄沙と違って固いままである。
笑うべきだ。そう思いながら、栄沙のように気丈には振舞えなかった。
急に喉がカラカラに乾いたようになって、気の利いた言葉は全部が出ないまま消えていく。
短い間、栄沙は周宗の言葉を待っていたのだけど何もないとわかると振り返ってそのまま行ってしまった。
周宗は手の一つも振らないまま、立ち尽くしてそれを見送る。
栄沙の後ろ姿が見えなくなると同時に罪悪感や後悔が胸にあふれ、内側から噴き出してしまいそうだった。
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