第6話 仙人くずれ

 鳴坤堂が居座る山は自然が作り出した天然の要塞である。

 峻険な崖や所々に流れる激流の川によって登山道は限られ、しかも一度に通れる人数も制限される。

 僅か数百の山賊が我が物顔で周囲を闊歩するのもこの山塞を背景にしているのが大きい。

 山賊たちはこの山塞から飛び出ると、雲霞のように略奪をし、周囲を荒らし回る。

 それ故に周辺の住民からは妖怪の住処とも呼ばれ恐れられていた。


 その山塞の奥にある鳴坤堂本陣大屋敷は漠蜂の居城である。

 山の上とは思えない華美な装飾が彫られた柱や、所々に飾ってある値の張りそうな陶器、武具の類いは漠蜂の趣味なのだろうか。

 周宗は周囲をさりげなく観察しながら廊下を歩く。

 後ろ手に縄で縛られていて、ただでさえ歩きにくい。

 それに輪をかけて、腰紐で後ろの者と繋がれているのだ。すぐ後ろにいるのが弦慈というのも周宗は嫌だった。

 弦慈は体がデカいくせに周宗が引っ張らないと歩きださない。しかも、度々勝手に立ち止まる。

 おかげで腰紐は華奢な周宗の腰に食い込み、皮膚を破っている。

 それでも、弦慈の後ろを歩く親衛隊員よりはマシで、彼らは他にあわせようとしない弦慈に引きずられ、たびたび転倒していた。

 彼らも後ろでに縛られている為、受け身もろくにとれず、中には顔を打ち大きく腫らしている者もいた。

 弦慈ではなく栄沙を連れてくればよかったろうかと、今更ながら周宗は思った。

 しかし、栄沙には栄沙で残りの隊員を纏め、慎綺を守って貰わなければならない。それに朱天に率いられるこちらも、弦慈の腕前が不可欠であった。

 周宗はため息を隠し、腰の痛みも無視して足を進める。


 長い廊下を抜け、広間に出ると二十人ほどの男たちが左右に並んでいた。

 広間の奥は一段高くなっており、その中央の立派な椅子に、ガリガリに痩せた幽鬼の様な男が座っている。

 周宗が朱天を見ると、小さく頷いたので間違いないだろう。

 この怪人こそが仙人崩れの漠蜂。鳴坤堂の現首領だ。

 朱天は広間の入り口で恭しく頭を下げる。

 漠蜂までの距離はまだ随分と有り、しかも間には守衛隊が屯している。尋常の面会ではなかった。

 当たり前ながら、漠蜂は朱天の事をまったく信用していない。

 朱天に聞いたところによると、三十歩いないに踏み込めば容赦なく呪いを発動すると言われているのだそうだ。

 

「朱天よ、用はなんだね」


 漠蜂が椅子に座ったまま問うた。

 さして大きくないのに、聞く者の腹を震わせるような嫌な声が響く。  

 朱天はそれに比すればずっと生気にあふれた声で怒鳴るように応えた。


「旅人を捕らえまして、その中に漠蜂どの好みの者がおりましたので連れて参りました」


 漠蜂の両脇には屈強な鎧武者が二人控えており、地獄の亡者と獄卒のようだと周宗は思った。

 朱天によるとこの二人も相当な使い手らしく、二人同時では朱天も部が悪いと認めざるを得ない豪傑であるらしい。

 その護衛に挟まれ漠蜂はにやりと笑った。

 端的に表すればおぞましいの一言に尽きる笑みが、周宗に向かって注がれる。

 しゃれこうべにそのまま泥を張り付けたような肌と禿げ上がった頭髪で、年齢がまったく解らない。

 五十と言われれば五十、百と言われれば百歳だと信じてしまいそうな外見でありながら、汁気をたっぷりと残しているのが特有の雰囲気でわかる。

 周宗は絡みつく様な視線に鳥肌を立てながら、身をよじる。


「朱天、なかなかわかってきたじゃないか」


 漠蜂の男色趣味は周宗の耳にも入ってきた悪名の一つである。

 殊に美少年を愛し、これを犯しながら切り裂くのを無上の喜びとしているのだそうだ。

 漠蜂に近づくにはこれを利用するしかない。警戒されないために、周宗達の服装も庶民のものにしてある。


「おい、おまえ、顔がよく見えんぞ、もっとこっちに寄れ」


 猫なで声で手招きする漠蜂に周宗は半ば本気で怯えてみせた。


「た、助けてください。何でもしますから命だけは」


「おお、おお、怯えんでよい。近う寄れ。ほら、早う」


 おそるおそる立ち上がり漠蜂の下に歩き出そうとした周宗はしかし朱天の長剣により抑えられた。


「漠蜂殿、いきなり近寄らせてよいのですか?」


「やかましい! よけいな事を言わんで早くこちらによこさんか」


 漠蜂に怒鳴られ、朱天は剣を引いた。しかし、捕虜の五人は皆一本のひもで結ばれている。


「ええい、早うそのひもを切らんかい!」


 苛立った漠蜂の罵声に応えて朱天が剣を一振りすると周宗の手を縛る紐は床に落ちた。

 周宗は縛られてできた手の痣をさすりながらゆっくりと漠蜂に歩み寄る。

 周囲を取り囲む山賊たちの中央を歩きながらも周宗は怯えた振りを続けた。いや、実際に怯えていた。

 失敗はつまり我が身が漠蜂に嬲られ、殺されるだけではない。慎綺の命さえも危うくさせる。

 周宗の額に緊張の脂汗が浮くのを、恐怖によるものと勘違いした漠蜂は嗜虐心に満ちた視線で舐めていた。 

 そしてあと三歩の距離になったとき周宗の手が動いた。

 袖に隠してあった懐剣を掴み、投げ打つ。弱気そうな青年の一呼吸の動作に誰も反応できなかった。放たれた懐剣は漠蜂の額に深々と刺さり、漠蜂のひび割れた体はどうと倒れた。

 全員の視線が漠蜂の死体に注がれ、沈黙が広間を支配した瞬間、朱天が弦慈たちの縄を切り落とす。

 瞬間、朱天の長剣を奪った弦慈は嵐の様に駆け抜け、あっと言う間に半数の山賊を切り伏せた。

 残りの親衛隊員たちも倒れた山賊たちの武器を拾うと、動揺の解けない山賊たちに襲いかかる。


「貴様ら!」


 屈強な護衛が二人して剣を引き抜いた時にはすでに弦慈が迫っており、容赦のない一閃は彼らの胴を二つ纏めて撫で斬り、切断した。

 僅かの間に趨勢は決し、広間の中は血の雨が降ったかのように真っ赤に染まったが、倒れたのは山賊ばかりで、親衛隊側には一人の被害も出ていない。

 大成功である。緊張が解けた周宗の全身から一気に汗が噴き出して流れる。

 朱天は腕を組んだまま成り行きを眺めていたが、やがて満足そうに頷くと、漠蜂の死体に近づき、頭を踏みつぶした。

 グシャリ、と音がして頭部の内容物が床に広がり、頭を失った体は何度か痙攣してから動かなくなった。


「この瞬間を随分と待ったぜ。クソ野郎め」


 朱天はそう言うと、死体に唾を吐きかけた。

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