第七話――戦え! 恋知れ! おデブちゃん!――

 「奇襲は私とアレス、そして後方支援でのカレスが行う。そしてすぐさまタンクとしてユキア、私たちに続け」


 「うすっ」「わかったよ」「はい」


 それぞれヤマトの作戦に肯定の言葉を返す。

 今この場所は、木々の緑が深い森の中だ。

 なんでも週一でペースで行われているSSランク以上水準の依頼を遂行しに来ているのだ。

 今回の討伐目標は、岩と苔などが鱗として身に纏っている竜、地竜グラガントの討伐だ。


 「よし、では行くぞ」


 ヤマトとアレスは腰から、アレスが背から。それぞれ武器を手にし飛び出し、ワンテンポ遅れてカレスが膝立ちを止め立ち上がると、弓を番え体を横にし、そしてしなやかな動きで矢を弦にかける。


 「纏え、雷遁!」


 「風魔法、風爆突進ウィンド・スプリット!」


 二人が魔法とスキルにより速度を上げれば、同じ呼吸で出たはずのユキアを置き、グラガントの目先に来ていた。

 グラガントが二人に気づき、その短い豪腕で打ち倒そうと振り上げれば、軽く「ピシュッ」という音が鳴り、グラガントの腕に亀裂を入れ、怯ませる。

 突き刺さったのはカレスの矢だ。背後を振り返ってみれば、既に次を放つのか、矢を弦に宛がい、背を張るように引いていた。


 「ッ抜刀!!」


 「はあぁ!」


 ヤマトがグラガントの腹部に入り込み上に斬り上げるとその巨体は重そうな動きで前足から浮き上がり、その隙にアレスが分厚い胸部に槍を突き出す。

 流石に刺さりはしないものの、目立つような大きな岩は何個は剥がれ落ち、グラガントは苦痛な呻りを上げる。

 そして。


 「――グアアアッ!!」


 グラガントの発狂だ。

 大抵の竜にはこのように逆鱗に触れたとき起こり、発狂をする。その状態になれば、巨体からは想像もつかない機敏さで攻撃を繰り返すのだ。

 浮き上がった胴体が地面に戻ると同時に、グラガントはその重量を持って地面を崩そうと前足を打ちつけようとする。

 だが。


 「みんなちょっと速いよ!」


 普通の冒険者ではありえないほどの事象を目の当たりにして声を上げるが、体を休めることはしない。

 地面にしっかりと踵を踏み込ませ、体幹やその他の筋肉にものを言わすように、右手に持つ質素な片手剣を振り下がってくるグラガントの前足目掛けて横一線、薙ぎ払う。


 「ガゥア?」


 ユキアのベクトルの操作で簡単にその威力は方向を変え、先ほどのヤマトの攻撃以上に体を反り返らせ、仰向けに倒させる。


 「妖精よ、我が呼び声に答えるのなら、その紫電を授け給え。森精霊の悪戯ブレイジングシルフ!」


 カレスの番えた弓の矢尻からは、辺りに迸るほどの紫とした色の雷が溢れ、そして放たれる。

 ソレは軌道上の近くの大気を焦がしながら突き進み、容易にグラガントの鱗を突き破り、体内に雷が流れ出し、焦げたような黒鉛が滲み浮き上がる。

 死んだのか、と思いはするが、竜が電撃程度で死ぬわけがない。

 先ほどの電撃でグラガントの肉体と鱗の間には焦げて脆くなったものしか残らず、その重量を支えられなくなった鱗は全て剥がれ落ちる。

 ズシンズシンと重々しい音を鳴らしながら降り落ちる岩石に、ヤマトとアレスは華麗に避け、そして飛び上がり。


 「脳天衝撃斬!」


 「ディス・チャージ!」


 ヤマトは刀身に溜め込んだ電流を一気に開放させながら打ち込み、アレスは足裏に魔方陣を設置し、槍の穂先には小さな光る黒の球を生み出し、そして魔方陣を蹴りそのままグラガントへと突撃する。


 「ッグアアアァァ……」


 二人の全力を無防備な体に受けたグラガントは、問題なく倒された。


 「今回も討伐達成だな」


 「よっしゃ!」


 ユキアの前で二人を手を合わせる。

 それを物惜しげに見つめていたユキアにも、ヤマトは笑顔を向けて手の平を差し出す。


 パンという気味の良い音を響かせ、ハイタッチと呼ばれるものを行った。

 その余韻に浸るように顔を緩ますと、アレスからも声がかかる。


 「ナイスタンク!」


 「おう! ナイスフィニッシュ!」


 互いに褒め言葉を飛ばし合うと、ハイタッチを交わす。

 ユキアが遠くにいるカレスに目を配れば、優しく微笑を浮かばせながら軽く手を振ってくる。

 その行動にユキアは顔を染め、思い出したように剣を鞘に収める。


 「さっ、さぁ! さっさと解体しちゃおうよ!」


 「んぁ? あぁ。そーですな」


 アレスがどこか呆れたように返事を返すと、槍を背に戻し、腰から解体用の小さなナイフを取り出し、グラガントの傍らに座り込む。

 ヤマトも刀に電気を帯電させると、簡単に頭、腕、足を切り分け、角や牙といったアレスでは採取不可能な固い部位を切り落とす。


 一般的な地竜から取れる素材とすれば、必ず地中眼と呼ばれる目が存在しており、透視の能力を持った素材が眼球から採取することができるのだ。

 それらは市場で比較的高値で売り買いされているもので、今回の依頼の中では、それの素材の採取も含まれているのだ。


 「しっかしよくこんな素材のために高い金出せるもんだな」


 「……アレス」


 「なっ、なんだよ、そのかわいそうな人を見るような目は! 俺はこの目がどんな能力を持ってるかとか普通に分かってるよ!」


 その言葉を聴いた途端に、ユキアとヤマトは驚いたような顔をする。

 それにアレスはからかわれていたことがわかると、恥ずかしさを隠すように無言で解体に勤しむ。


 「あっ、そういえばヤマトさん。この後はどうするんです?」


 何を、という主語は出さない。

 ヤマトもユキアの言葉に隠されてある主語は考えることもせずに察することはできている。


 「今日は地竜の眼が傷なしで取れたのでな。久しぶりに白狼亭に行こうと思っている。それかどこか良い所でもあるか?」


 「いいや。でも白狼亭か。なんだか感慨深いですね」


 その意味にすこし考える素振りを見せるが、直ぐに気づいたように声を出した。


 「かれこれで既に二ヶ月は経っているのか」


 二ヶ月の経過。それはユキアとアレスが大和革命軍に加入してからの日数だ。

 その過ぎた日の中では、時には関係が縮まり、そして時には離れるといった日々の連続であった。



 そんな思い出に耽る刹那に。


 「ッキャー!?」


 森の中でカレスの悲鳴が響いた。

 振り向くと同時に、地面が砕かれる轟音が耳に入る。

 地面を蹴り砕いたのだ。


 「カレスッ!」


 何があったか、何で悲鳴を上げたのかわからない。

 もしかしたら何もなかったかもしれないし、虫が出たからなどと、しょうもない理由なのかもしれない。

 でも、それでも駆けつけたい。

 君の呼ぶ声が聞こえたのならば、すぐその場に駆け寄りたい。


 そんな思いが溢れ、ヤマトたちが唖然とする間にユキアはすでに坂を上り終えていた。

 頂でユキアが見たものは、醜悪の塊であるゴブリンがカレスの立つ木によじ登り、背後から刃こぼれ満載の剣を振り下ろしていたところだった。

 あのような手入れをしていない剣ならばカレスが大きく斬られることはないだろう。だがそれであっても剣は剣、斬られれば跡が残るほどになるだろう。

 そんなとき、幸いにもカレスは木の枝から足を踏み外し体勢を崩して直撃コースから免れた。

 だがこのままでは落ちる。

 落ちてもさほどの衝撃にはならないため、特に怪我をすることはないだろう。

 だが、それでもそんな小さなことでもさせたくない。


 恋を知った人の子は、小心の如く敏感だった。


 「天疾てんしつ!」


 足に集中させた魔力を爆発させ、一気に加速する。

 辺りの砂を撒き散らせば、二歩目にはすでに地面に足は着いていなかった。


 「カレスさんっ!」


 爆発した魔力の慣性を利用した飛翔で、宙で落下してくるカレスを受け止める。

 受け止めた際に体にかかる重さは予想外なもので一瞬、体勢を崩しそうになるが、目の端に映るゴブリンに気付けば、気合で持ちこたえる。


 「チェンジアクター、弓を番えよ!」


 唱えると同時に地に足が着き、背中から勢いよく開いた大弓が離れる。

 抱えたカレスを地面に素早く下し、未だに体に残る慣性を利用し、足を滑らせ半円を描くように振り返る。

 振り返りざまに弓を取れば片膝を地面に落とし、弓の焦点を木からこちらを睨むゴブリンに合わせる。

 獲物を取られたことに苛立ちを露わにさせ剣を無造作に振るう。


 お前の抱く苛立ちよりも。

 俺の咲いた憤怒の方が高くつくぞ。


 「手始めは、その命からだ」


 弦に手を掛ければ、体内から魔力が吸い取られ矢を模っていく。

 顕現された矢を以て殺気を感じたのか射線上から逃れようと木から飛び降りる。

 だがたかがゴブリン。手こずるはずもない。


 「射抜け」


 その言葉を以てから指を離す。

 途端に張った弦は元に戻ろうとして、矢を射出させる。

 未だ構築を続ける矢。

 そんな状態で飛ばされた矢は刃こぼれのように魔力が綻んでいくが、そんなものはユキアとゴブリンとでの距離では通用しない。


 外すはずもない距離、外すことのない状況。

 それが重なれば、ユキアの弓の腕は必中だ。


 「ッグアアァ!?」


 放たれた矢はゴブリンの首を射抜き、血飛沫を上げさせた。

 矢で射抜かれたゴブリンは、驚いたような声を上げながら喉から矢を抜こうと手を首元に動かし、背中から落ちるように仰向けになり地面に落ちる。

 苦痛に染まるくぐもった声が漏れるが、ユキアは気にすることはない。


 展開させた大弓を大剣の状態に戻すと、ユキアはカレスに目を配ることもせずにゴブリンに近寄る。


 「ぐっ、ぐっ、グウウゥゥ!」


 怖がるようにゴブリンが腰の抜けたまま後退ろうとする。

 だが喉に刺された矢のせいで思うように動けるはずはない。

 ユキアの歩幅とはまるで違い、すぐにゴブリンの元へとたどり着く。


 「逃げようとしても無駄だ。殺すと、そう言ったはずだろう?」


 「が、が、ッガアアァァ!!」


 せめてもの反抗のためにゴブリンは握りの甘くなった剣を一度に握りしめ、近づくユキアに振りかぶる。

 その剣が、手から離れてユキアへと飛ぶ。

 流血状態であったゴブリンにはあまり力が入らなかった。

 そう思えば素直に受け入れられるが、その投擲の精度が問題なのだ。

 まるで剣を振りかぶるのはフェイントで、本命がこの投擲だったのではないと疑えるほど正確に、ユキアの顔を狙って飛ぶのだ。


 「ッ!?」


 剣で叩き落すのには時間が足りないと瞬時に判断し、ユキアは顔だけを反 投擲された剣はユキアの狙い通り顔の横を通ったが、ほんの僅かに時間が足りなかったのか、頬を少し切り裂かれた。

 切り裂かれた頬からは赤黒い血液が垂れ、微かな戦慄を確かに持たせた。


 「振り下ろしショット・スタンプ!」


 剣が頬の横を通り抜けたと同時に技を発動させる。

 魔力を腕と剣に通し一本の木のようにさせ、力ずくで叩き落す。

 その光景が網膜一杯に広がったゴブリンは、恐怖に顔を染める。


 逃げよう。考えるが無理。

 避けよう。考えるが無理。

 ならばどうすれば。

 死ぬしかない。


 その答えに至ったゴブリンは声にもならないような声を口端から漏らし、どこか祈るように悟る顔になる。

 そして。

 堅い頭、頭蓋骨を切り裂く気色の悪い感触が手に伝わり、そして血の吹き出す不快な音が耳に入る。

 そんな魔獣としては綺麗であるといえる顔は、吹き出す血で隠された。


 「殺されるって分かってるんなら、無駄な抵抗とかは本当にやめてほしいですな」


 久しくこのような感情を抱いた。

 戦いの中で怒りという感情を抱くことは自ら禁止をしていた。

 抱いてしまっては人としての人格に欠ける。

 ただの殺人鬼にはなりたくないという思いの枷の顕現として、感情の抑制をしていたのだ。

 それがなぜ、どうして今外れてしまったのか。


 カレスの存在?


 カレスが傷つけられそうな時、その一瞬だけでも理性というものが蒸発したのだ。


 だったらなぜ、そうなったのか。


 俺が、カレスのことを。その、すす、す……好きとかじゃねぇし?


 「カレスッ! 無事か!」


 「姉貴!」


 ユキアが葛藤に悩まされているときに、遅れたようにヤマトたちが坂を上がってくる。

 ユキアがいち早く駆け上がったため、ヤマトたち二人にはあまり焦った様子は見られない。

 ヤマトたちはすぐにユキアではなく、地面に腰を着けているカレスに駆け寄る。


 「カレス、大丈夫か?」


 呆けた表情になっているカレスを不思議がるが、ヤマトは構わずに片腕を掴み引っ張り上げる。

 ヤマトがたちあがらせるが、その呆けた顔は止まらずに。

 だが何かを言おうとしているのか、口内で言葉を発するように微妙に動いている。


 「……姉貴?」


 不審がるアレスが話しかければ、変化は唐突に訪れる。

 呆けた顔から、焦ったように顔を青ざめたものに変えたのだ。


 突然と吐き気でも催したのかと心配しアレスが介抱しようと手を体に触れようとすると、その手を拒むようにカレスが振り下ろせば、影の映るような背でユキアへと歩く。


 「……ねぇユキア君」


 「ッ!? ど、どうした?」


 突然のカレスの呼びかけに体を大きく震わす。

 振り返ることはしないが、手に持つ大剣を背に戻す。


 「入団の時にも言ったけどさ、ボクって風のダブルだから君が考えていることも分かっちゃうんだ」


 入団の時、それは初めてユキアとカレスとが出会った、白狼亭で苛立ちという感情を抱いていたときのことだろう。


 もしかして、好きという気持ちがバレてしまったのか。


 そう焦りはするが、カレスの声の抑揚から判断するにきっと違うだろう。

 ではなにがあるだろうか。


 考えてみれば、答えは簡単であった。


 怒りだ。

 怒りという感情を、あの一瞬だけ強く感じていたのだ。


 「ボクさ。君が戦闘中にワザと感情を抱かないようにしてたの、気づいてたのに」


 「……そうだったのか」


 気まずくさせてさいまったという後悔に苛まれるが、せめてもの気合で声色だけは正常を装って返答する。


 「それを今日、ボクが油断していたせいで君にそれを破らせたんだ……ッ!」


 相槌などは打たない。

 カレスが他人の考えていることがわかるように、少人数ではあるが、ユキアには人並みには人を見る目は育っている。

 故に、今言葉を発することに臆していることがわかる。

 無理をして言わなくたっていいといいたいが、カレスが言うと頑張っていることを邪魔するほど、ユキアは過保護でも束縛癖も持っていない。

 その為に口を閉ざし、その為に手出しもしない。


 幾分がたった頃。

 漸く勇気が付いたのか、カレスは一度大きく息を吸い込み、そして揺れる気持ちを一心に纏めた。


 「ボクたち冒険家は、命を奪うことに一線を引いていることが多いんだ。君のように、感情を抱かない、とか」


 だから。


 詰まるように吐き出した言葉。

 震える視線。縮こまる体。臆病に押し潰されそうな心。

 荒くなる呼吸。酷くなる嗚咽。押し殺そうとした涙。


 カレスは自身で溢れるように流れ込んでくる感情の波に驚いていた。

 普段から何事においてもドライな態度を突き通すカレス。

 それを演じ始めてから、カレスの心は普段から感じるようにしていた感情以外、波が立つことはなかったのだ。

 だが今はどうだろうか。

 様々な感情がこぼれ、思いが溢れて止まらないのだ。


 「だから、その……」


 慣れない感情に戸惑いながらも、無理やりに言葉を繋ごうとする。

 これだけは言わないといけない。

 だから邪魔をしないで。


 恐怖。

 邪魔だ。


 不安。

 邪魔だ。


 後悔。

 邪魔だ。


 焦燥。

 邪魔だ。


 悲観。

 邪魔だ。


 冷静に感情の取り分けをし、口を開こうとする。

 だが、できないのだ。

 これほどの感情をなだめても、未だに胸は軽くならないのだ。


 思いが。

 思いが溢れて止まらないのだ。


 あり得ないと。拒む価値もなかった。

 そんな思いが。


 恋を。


 ――自覚したのだ。


 弟やヤマト、ギルドのみんなに向ける好意とは、違った思い。

 確かな感情。


 それに気づけば、瞬時に開きそうになった口をキュッと閉じる。

 次第に熱を帯びる頬に、警鐘のように鳴り響く早鐘の鼓動にさらに顔を朱色に染まる。

 恥ずかしい。そう思えば思うほどに、自分の犯したことに罪悪感が増す。

 なんでボクはこの人に。なんで君だったんだい。


 自責に悩んなされれば、抱いた思いは沈下していく。


 後悔が募る。

 後悔が心を抉る。

 もう、この場から消え去りたい。


 失敗さえも、挫折すらも全くといってなかったカレスだからこそ、抱く思いだ。

 初めて味わった、自らの行いの苦悩。

 それはアレスと別たれたとき以降の本気の後悔だ。


 「その、ね?」


 大切だからと思って、耐えられないと思って自らが眠らせた悲しいという感情。

 隠したつもりだったはずの思いが。


 目覚めてしまった。


 君という、新しい大切だと思える人と出会って。


 だから。

 だからこそ言わなければいけないんだ。


 恥ずかしいから、情けないから、かっこ悪いからと拒んできた謝罪というもの。

 純粋な心で謝るという気持ち。


 大切だと思えるのなら、そんな建前は要らない。


 思いを。


 伝えたいものを。


 そのまま言葉にするだけで。


 そのために必要なことをするだけだ。


 「だから……ごめんなさい」


 口からすんなりと出た言葉。

 久方ぶりの独特な恥ずかしさに、心臓がキュッと、締め付けられる。


 言ったんだ。

 言ったからッ。


 静寂に、自然と涙がこぼれる。


 涙が流れても王子様は来ない。

 その言葉のように、静寂が破れることも、他の仲間がやってくることもない。


 でも。

 それでも『従士』はやってくる。


 「……カレス、さん」


 「っ!?」


 ユキアの声が、静かに響く。

 ビクリと、カレスは体を震わせる。

 ヤマトたちも、その変化に驚いたような顔をする。

 変わったのは、言葉ではない。

 ユキアの纏う雰囲気だ。


 「カレスさんが涙を流す必要なんてない。俺はただ、仲間を助けたくて、傷つけられたくなくて自ら枷を破っただけだ」


 ユキアが振り返れば、カレスの目には悩まし気におどけた笑顔を裂かすユキアが映る。


 「ただ、カレスさんが傷つけられたくないっていう、俺の傲慢で破っただけなんです」


 未だに手に残る、ゴブリンを斬り付けたときの感触を右手を開閉をすることで誤魔化す。


 今この俺の手の役目は、敵を斬り付けることではない。

 今俺がすることは。

 お姫様を助けることだけだ。


 「だからカレスさんがそんな顔をする必要はないんですよ」


 不器用にも、カレスの目に浮かぶ涙をそっとぬぐう。

 怖がるように一瞬肩などを縮こませるが、今のユキアにはそれを気にすることは出来ない。

 高鳴る鼓動を隠すのに意識を向けすぎ、今の真っ赤に染まる顔にも気づくこともできない。

 同時にそれはカレスにも言えたことであり、顔を真っ赤に染まりながらも、必死に驚きや恥ずかしさなどを隠す。


 二人の距離は、すでに髪の毛が触れ合うほど。

 互いの吐息が頬をなで、温かい感覚の残す。

 見つめ合うほどに鼓動は早まり、苦しくなる。


 これが恋というものなら。

 俺はギルドに入った意味を見つけられたと言えるのだろうか。


 きっと言えるだろう。


 だってこんなにも、胸いっぱいに広がる充実。

 俺が求め望んだものだから。



 だからこの胸の苦しみも、愛おしいといえるだろう。


 ――俺、カレスさんが。


 ――ボク、ユキア君のことが。


 口には出せないが、気持ちは抱ける。

 今は近くにいれるだけでも。

 それだけで心地よい。


 そう思った刹那――。


 「はいはーい! 姉貴もユキアもさっさと帰るぞー!」


 突然とアレスが、ユキアとカレスの間を裂くように、体を捩じ入れユキアを突き飛ばす。


 「ほらほら姉貴! いつまでもそんな変な顔してないで! 早く帰るよ!」


 突き飛ばされたユキアはその力に耐えきれずに尻もちをつく。

 それによって視野の広がった視線で見渡し、この場にアレスとヤマトがいたことを始めて認識する。

 二人の前で、一丁前に涙をぬぐって見せるという恥ずかしい行為をしていたことに後悔が奔るが、すぐに意識は別のところに変わる。

 ヤマトが物言いたげな顔でアレスを睨んでいたのだ。

 この状況から察するに、きっとヤマトの静止を拒んだのか。

 それならば納得はいくが、なぜアレスはヤマトの指示を拒んだのか。


 疑問が残る中、ユキアは突き飛ばされて地面に着いた腰を持ち上げ、血の出る頬を撫でてみる。

 手には、まるで溜まりに入れたみたいに真っ赤に染まり、出血した量の多さが分かる。

 頬という点で血液が出やすいというのは常識として備えているために焦りはしないが、何かしらの手当てなどはしないといけないだろう。

 そう判断したユキアは、腰に巻いたポーチから赤色のポーションを取り出し、瓶の先っぽを折り口に含む。


 「……うぇ」


 独特な苦みが口内と鼻孔に広がるが、それを押し込みながら一気に飲み込む。

 ねっとりとしたものが喉に纏わりつき違和感を覚えるが、すぐに剥がれて食道に誘われる。


 「ユキア。大丈夫だったか」


 心配してやってきたヤマトが話しかけてくる。

 数回、咳払いをし喉の調子を戻せば、強張った顔を止めいつものような頬の緩んだ顔にする。


 「大丈夫ですぞよ! とりあえずあそこで死んでるゴブリンが奇襲かけようとしてたですよ」


 「そうか……なら、無事と言ってもいいな?」


 ユキアとカレスを交互に見る。

 カレスは傷一つ負っておらず、ユキアも出血量は危険なものだが、傷はそこまで重症ではない。

 ならば無事というラインには達しているのだろう。


 「俺ももうポーションは飲んだし……とりあえずは」


 腕で頬を染める血を拭き取れば、すでに傷の塞がった頬が見える。

 傷自体は治ったが、少し薄く傷は残っている。

 そんなことを気にするほどの女心はユキアは持ち合わせていないが、なぜかその傷跡にはどこか高揚感にもにた胸の高鳴りを覚えた。


 初めて他人のために負った傷だからだろうか。

 そう思えば、どこか納得にもにた線が通ったような感覚が奔った。


 「それじゃあ帰りますか!」


 「あぁ、そうだな。アレス! カレス! お前らも帰るぞー!」


 ヤマトがイチャつくような距離感のアレスたちに言えば、カレスに抱き着いていたアレスは少し不満そうな顔を向け、カレスがそれを咎むように軽く頭を叩く。


 「よし姉貴、行こうぜ」


 「行こうぜって。アレスがボクを放さなかったんだろう?」


 「え? そうだったっけ?」


 とぼけるように笑みを浮かべれば、カストは呆れたように「もう」と小さく零す。


 なぜか姉弟の水入らずの会話のはずなのに。

 ユキアは嫉妬にも似た感情を抱く。


 ヤマトとユキアの間を通り去る二人に、ユキアは羨望な眼差しを向けていた。





 これはある世界の、小心者な主人公がお姫様に恋をする物語である。


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