黄金色の季節

篠岡遼佳

黄金色の季節


「うう、つべたい~」


 食器を洗い終わって、手の水を拭う。すっかり水仕事がおっくうになる季節になった。

 僕はヒーターの前に立ち、それに手をかざしながら唱えた。

「"精霊よ、君の力を貸してくれ"」

 すると、柔らかく空気を動かす何者かがくるりと僕の周りを飛び交い、そのままヒーターに飛び込んだ。ヒーターの保温板に、彼らはその熱を分け、そして飛び去っていく。

 今年最初の精霊運転だが、うまくいったようだ。昨日掃除しておいてよかった。


 窓の外にのどかな田園風景の広がるこの場所、この家は、今も見える金色の銀杏並木が気に入って借りたものだ。

 僕はこのちいさな町で、医者のようなことをしている。

 ここから南へ4日間の中心都市に行けば、精霊術を使った最新の医療も受けられるが、それは遠いし、値段も張る。

 そこで、僕のような、精霊医科学校に入学したけれど、とりたてて中心都市に魅力を感じなかった者は、地方に散っていき、その技術を使って生計を立てることになる。


 人を治療するということは、常に死や生と隣り合わせである。

 特に、あまり中心都市から近くないこのような場所では、大けがをしたり、重い病を患ったりした場合の緊急度が非常に上がる。

 ここに来てそろそろ10年が経とうとしているけれど、治療の時は、いつも軽い緊張をもって臨んでいる。


 そして、10年も経つと、別段病気でも怪我でもないのに、話し相手にやってくる人がいる。


「せんせー、ちょっとこの家、寒いですよー」

 診療室のドアを開けるなり言うのは、小麦色の髪をした活発そうな少女だ。

「やあ、ミエット。おじいさんの調子はどうだい?」

 僕は白い上着(医者の正装)を羽織りながら少女に尋ねる。

 彼女は考えるようなポーズをとって、続ける。

「可もなく不可もなく、かな。腰はたまに痛いみたいだけど、先生の飲み薬がよく効くみたい。そろそろ収穫祭だけど、根っこ物がたくさんできて、うち全体としてはいい年越しになりそう」

「そう、それはなにより。それから、むこうの森の魔物はどうなった? 警備隊の人と対応してたみたいだけど」

「ああ、あれは魔物の方が臆病だったみたいで、行ってみたら逃げちゃいました」

 彼女は微笑み、両手でなにかをもふもふとするジェスチャーをした。

「ふわふわでかわいかったから、飼ってみてもよかったんだけどなぁ」

「こらこら」

「身も厚そうだったし、毛皮も売れそうだった」

「ええー」


 とまあ、そんな感じだ。


 ミエットは18歳、小さいときは熱をよく出して、僕も夜中によく駆けつけたものだった。

 今はもうすくすくと育ち、町の警備隊の一員として暮らしている。精霊術は女性の方が腕が立つけれど、その中でも彼女は格別だ。なにしろ、中央都市の精霊学校に通い、普通なら6年かかるところを、飛び級で4年で卒業してきてしまった。

 その才能があれば、中央都市で暮らすことも充分にできただろうに、彼女はなぜかこの町に戻り、畑を耕したり水車を修理したり、僕の家に遊びに来たりする。


 それはひとえに、


「でさ、先生、そろそろ決めた?」

「決めません」

「いいじゃん、気心の知れた仲で、私は全然かまわないし、みんなもいいって言ってるし」

「そういうことで決めたくないの」

「そーいうところが、長く中央にいたひとっぽいよね」

「そうかな?」

「そうだよ。こういうことはなんとなくでいいんだよ」

「よくないです」

 僕がさらに否定すると、彼女は椅子を机に寄せて、僕の顔を両手で捕まえて、ささやくように言った。

「ね、結婚しようよ」

「しない」

「また玉砕した!」

 言いながら、楽しそうに笑うミエット。

 そう、僕とミエットは、町のみんなから結婚しろとせっつかれているのだ。

 理由は一つ、「精霊術に長けている同士なら、相性もいいだろう」というもの。

 だが僕は、そういう理由でミエットの将来をどうこうしたくないのだ。

 ただ、ミエットは僕のことを気に入っているらしい。こうして足繁く僕の元を訪れ、度々「結婚しよう」と言うくらいには。

 だって僕、もうそろそろ30になっちゃうんだぜ。さすがに、乙女の大事な時期を、僕だけに使ってほしくない。

 彼女はその能力を、もっとほかの場所で生かすべきなんだ。貴重な才能なんだから。


「……ねえ先生?」

 勝手知ったるというやつで、手早く戸棚を探り、茶を入れながらミエットは続ける。

「あのさ、言っておくけど、私だって恋愛の一つや二つはしてますからね」

「急になんだい? いや、ミエットはかわいいから、そういうこともあっていいと思うけども」

「でも、私はこの町に帰ってきたの」

「うん」

 精霊に頼んで一瞬で湯を沸かし、カップに茶を注ぎ、ソーサーに乗せてこちらのテーブルにやってくる。

「何でだかわかる?」

「……それは……」

「そう、その考えはうぬぼれでもなんでもないよ。私が、先生のことが好きだからだよ」

 カップを傾けて、じっと青い瞳で僕を見つめる。

「けれど、君のその才能を、将来を、……僕は……」

 そう、僕は恐れているんだ。

 ミエットの心は決まっていることも、彼女の将来を背負っていけるかどうかも、その才能を一つの町で終わらせてしまっていいかどうかも。

「ごめん……」

 言えたのはそんな情けない一言だった。

 ミエットは賢い。僕の不安も見通しているだろう。

「なあ、こんなに駄目なヤツなのに、どうして君は僕がいいんだい?」

 彼女は薄く微笑みながら言った。

「――だってね、一番苦しいとき、病気の時、おじいちゃんが倒れたとき、そばにいてくれたのは先生だよ。今でも時々思い出すの。かあさんがいないから、熱出して一人ですごく心細いときも、先生はそこにいてくれたじゃない。おでこに冷たい精霊を乗せてくれて、私が吐いても嫌な顔せずに片付けして服も替えてくれたじゃない。それは治療の一環だって先生は言うかもしれないけど、それはうそだよ。半分うそ。できない人って、ぜったいできないんだから。先生は、優しくて、思いやりのある人だから、そばにいてくれたんだって、私は知ってる。同情しすぎることもなく、でも私を学校に入れてくれたことも知ってる。

 ――そんな人を好きにならずに、誰を好きになれっていうのよ?」

「…………」

「先生、結婚してください。私、先生と一緒に、人生を楽しみたい」


 天使のような笑顔でそう言うと、彼女は僕の左手を取って、約束の薬指にそっとキスをしてくれた。

 自分の頬が熱くなるのがわかる。

 ああ、もうだめだ。


 ――僕だって、君のことが大好きだよ。



 

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黄金色の季節 篠岡遼佳 @haruyoshi_shinooka

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