五章 王であること
世界を滅ぼそうとしている双剣の男との、決戦直前。一世一代の大事な場面で――俺達は、なぜか食堂の床に並んで正座させられていた。俺と朔也はともかく、王族二人が正座で小さくなって並んでいるのは異様な光景だろう。
こっちにも叱られる時に正座する文化ってあるんだなと思いながら足を痺れさせる俺の前で、腰に手を当てて仁王立ちしているのは執事服に着替えてきゅっと可愛らしく眉を吊り上げたユマだ。
「いいっすか、皆さん。お風呂は騒ぐところじゃないんすよ?」
苛立ちを示すように大きくため息をつきながら、ユマはまず、とドライへ向き直る。ユマの鋭い視線を受けて、俺の右隣に座るドライの肩がびくりと跳ねた。
「ドライ様。いくら悲鳴が上がったからと言って、いきなり人が入浴しているところに飛び込んではダメっす。声をかけるなりして、許可をとってからにするっすよ!」
「うむ……すまなかった……」
諭すユマに、ドライは気落ちした声で応える。同時に頭の上のアンテナもへたりと元気を失ってしまった。その仕組みは相変わらず謎である。持ち主の心境と連動するとかどうなってるんだ。
「まあまあ、そんな怒らないであげてよ。あんな悲鳴聞いたら、動転しちゃうのも仕方ないって」
悲壮なほどに落ち込むドライが不憫になったのか、俺の左隣に座る朔也が手を伸ばし、宥めるようにユマの執事服の裾をちょいと引く。が、どうやら藪蛇だったらしい。キッとユマの鋭い視線が今度は俺と朔也へと投げられた。
「そもそも。お二人が元の身体は男性で、こちらに来る時に女性の身体になった、なんて大事なことを言わなかったからこんなことになったんじゃないっすか! 確かに『お兄ちゃん』とか、なんでだろうとは思ってたっすけど……って、ああああ……言ってるだけで混乱しそうっす……どういうことなんすか……なんで召喚されると性別が変わるんすか……聖女って何なんすか……」
「本当にな」
怒りながら頭を抱えるユマに、俺は力強い頷きを返す。正直、俺達自身も全く意味がわからない。
しかし、実際問題身体が変わってしまっているのだから、どれほど理解できなくてもそういうものだと受け入れるしかないのだ。世の中には不思議なことがあるんだな、で思考を止めるのが懸命だろう。匙を投げたともいう。
「ごめんねー。ボク達も、わざわざ自分の性別を申告するなんて発想が無くて……怒涛の展開で言うタイミングも無かったし」
頷く俺に続いてしおらしく朔也が頭を下げると、ユマはしばらくぐっと眉を寄せて葛藤していたようだったが、やがて諦めたように大きくため息をついた。同時に頭を抱えるのをやめたあたり、どうやら無事に考えることを放棄したらしい。
「もういいっすよ……じゃあ、最後にアルマ様っす」
「うぐっ……」
呼ばれて、朔也の隣で小さくなってたアルマが鈍い呻きを漏らす。ちらと視線をやれば、気まずそうに視線を泳がせるアルマの姿があった。そんなアルマに、ユマは困ったように口を開く。
「いつも言ってるじゃないっすか。王家の方々はそれぞれちゃんと浴室があるんすから、入るならそっちにって。それなのにいつもお客様がくると一緒に入って……」
なるほど常習犯だったらしい。若干呆れたような顔をするユマに言い聞かせられ、アルマは少し不満げに唇を尖らせた。
「だ、だって……みんなでわいわい入るの楽しいじゃないか……自分用のだとひとりで寂しいし……。まさか、ツバサとサクヤが元々は男の子だったなんて思わなかったけどね」
「本当に申し訳ありませんでした……見てない……見てないから許してくれ……」
「ボクもちらっとしか見てないから! その気はなかったとはいえ、騙すような形になっちゃったよね……ごめんね、アルマちゃん……許して……」
苦笑いするアルマへと、俺達は間髪入れることなく勢い良くその場でひれ伏す。こればっかりはもう謝るしかない。
不慮の事故とはいえ、一国の王女様の柔肌を目撃してしまったのだ。時と場合と状況によっては、口にするのもはばかられるような拷問の末に処刑のコース。アルマがそんな惨いことをするとは思わないが、それだけのことをしたということに変わりはない。
「そんな、いいんだよ! 私が二人を女の子だと思い込んで、勝手に入ったのが悪いんだし。ほら、顔を上げて」
床に頭を擦り付ける勢いで謝り倒す俺達に、アルマが慌てた様子で俺達の顔を上げさせる。アルマは申し訳なさそうに眉を下げているが、アルマには何の落ち度もない。こんなイレギュラーを想定しろと言う方が無理なのだ。
それに、性別を思い込んでいたという点では俺も人のことは言えない。俺はぎゅっと、拳を握りしめて覚悟を決める。
「実は……その。俺も、アルマのことずっと男だと思ってたんだ……これも、ごめん」
「なっ、そんな! 失礼っすよ! アルマ様はこんなにお美しいっすのに!」
きちんと謝らねばと俺が躊躇いながらも謝罪を口にすると、ユマが再びきゅっと眉を吊り上げた。しごく当然で、もっともな反応である。
さすがにこれはアルマも怒るだろうと恐る恐る様子を伺えば、アルマはぽかんとした顔をしている。あまりのことに言葉も無いのかもしれない。
先程脳裏をよぎった口にするのもはばかられる拷問が脳裏を駆け巡って俺はさっと青ざめたが、けれどアルマはやがて楽しそうに笑い出し始めた。
「なんだ、そうだったのか。なら、おあいこだな。この件はこれでチャラということにしよう」
からからと笑うアルマに、代わって俺がぽかんとするハメになる。想定外の反応に、思考が上手くついていかない。
「い、いいのか……?」
戸惑う俺へと、アルマはぱっと明るい笑みを見せる。
「いいんだ。だって元々は男に見えるようにと、こういう格好を始めたんだから。ツバサは何も間違ってないよ」
「男にって、それってどういうことっすか⁉」
どうやら理由は、ユマも聞いていなかったらしい。まさに寝耳に水、といった様子で目を白黒させて素っ頓狂な声を上げた。
「そっか、ユマは私が始めた理由を知らなかったっけ。あれはまだ、ユマが小さかった頃の話だものね」
ユマとは対象的に、アルマは落ち着いたものだ。目を細めてくすくすと笑い、昔を思い出そうとするようにすっと宙へと視線を投げる。
「私がユマくらいの歳……ううん、もう少し前くらいかな。父様みたいになりたいって言ったら、色んな人達から王位を継ぐには男でないと駄目だって言われてね。私は女だから弟が生まれるか、夫を貰うかしないといけないって。それが、すごいショックで。私はこの国が、みんなが大好きなのに、なんで女の子ってだけで国王になれないんだって。ものすごく、腹が立ったんだ」
「腹が、立った?」
穏やかなアルマに似合わない言葉に、俺が思わずぽかんとして繰り返す。するとアルマはいたずらっぽく笑いながら、さらりと綺麗な金髪の襟足を撫でた。
「そう。だったら男になってやるって、長かった髪をばっさり切った。従兄弟から服も借りてね、すっかり男の子の格好をしてやったんだ。そうしたらみんな真っ青。男でないと王位は継げないって私に言った人達なんか、倒れそうになってたくらい」
「まあ、そうだろうね……」
当時を想像したのであろう朔也が苦笑いを浮かべる。俺もつい思い浮かべて、似たような顔をしてしまった。
楽しそうにアルマが話しているために大したことではないと勘違いしそうになるが、なかなかとんでもないことをしている。しかも、やったのは王女。男でないととアルマに告げた人達の心境は凄惨なものだっただろう。
「それでその時、陛下はなんておっしゃったんすか……?」
俺達と同じようなことを考えたのであろうユマが少し青ざめながら恐る恐る問えば、アルマはふわりと柔らかく微笑む。
「父様はみんなに何も言わなかったし、私のしたことを叱らなかったよ。ただ面白そうに笑って、そうまでして国を背負いたいかって聞いてきた。お前が思っているよりも国を治めるというのは大変なことで、辛く苦しいことも多い。それでもやりたいかって。私が頷いたら、翌日から王位を継ぐための勉強が始まったんだ。勉強は思ってたよりずっと難しかったし、大変だった。でもやりがいがあったし、何よりも父様が私のしたことを子供のいたずらで終わらせないで、ちゃんと考えてくれた。それが、私はすごく嬉しかった。母様には、自分で髪を切ったことを怒られてしまったけどね。ものすごく雑じゃない、なんて言いながら整えてくれたっけ」
「懐かしい。いつもの国の集まりの時についてきてたアルマ殿が、ある時急に姫から王子になっていたからな。あの時はその逸話がよく話題になったものだ。そうか、あれはもう十年近く前のことになるのか」
急に右側からしみじみしたような声が上がって振り向けば、さっきまでしょげていたドライがいつの間にか復活していた。みょいんみょいんとアンテナも揺れて絶好調である。
「懐かしいって、その時ドライちゃんっていくつだったの?」
ぱっと見二十代半ばのドライの老成したような言い方に違和感を覚えたのか、朔也が首をこてりと傾げる。と、ドライは少し考え込むように首を捻り、やがて緩く横に降った。
「確か二百……は過ぎていたと思うが。自分の年齢など、もうきちんと覚えておらんな」
「二百歳⁉ 嘘だろ⁉」
あまりにも突飛な数字に思わず俺が声を上げると、ユマが笑って解説してくれる。
「初めて聞くと驚くっすよね。コトレッタ王国の方は長寿の方が多いんすよ。それに伴って成長もゆっくりだって聞いてるっす。大体五百歳くらいが平均寿命らしいっすよ」
「だからこれでも若い方なのだ。年寄り扱いはするなよ」
そう言って頬を膨らませるドライは、確かにどうあがいても年寄りには見えない。というか頬を膨らませたり、怒られて露骨に凹んだりするあたり、どちらかというと幼ささえ感じさせるから不思議だ。初めて見たときの威厳のようなものはもはや欠片も見当たらない。
ずっと謎だったあのアンテナの仕組みは、もしかしたら二世紀以上生きると獲得するものなのかもな……と俺がつい思考を脱線させていると、朔也がなにやら難しい顔で口を開いて話を戻す。
「男の子にならないとって髪切っちゃうの、嫌じゃなかったの? ドレスとか、着るのやめるの嫌じゃなかった?」
朔也自身そういった格好を好むからか、問う声はどこか寂しげだ。言われてみれば確かに、なりたいもののために服装を制限されるというのは、辛いものかもしれない。
沈んだ朔也の様子にアルマはちょっと目を見開いて、それから嬉しそうにはにかんだ。
「ありがとう、サクヤは優しいね。大丈夫。王位を継ぐと決まっても好きな服装をしていいって、父様も母様も言ってくれたんだ。私はこういう格好いい服が好きだから着ているんだよ。元々お転婆で、ドレスは普段着るには窮屈だと思ってたし。今ではたまに、気が向いたときに着るくらいかな」
「そっか。それなら……よかった」
アルマの答えを聞いて、心底ほっとしたように朔也は息をつく。そうして唐突に、俺の頭をぺしりと叩いた。
「った⁉ 突然なんだよ!」
突然襲った衝撃に驚いて思わず俺が叫ぶと、朔也がじとりとした視線を投げてくる。
「女の子に男だと思ってた、なんて失礼なこと言ったからその罰。アルマちゃんは気にしなかったから良いものの、下手したら人を傷つけることを言ったんだからね。正直なのはいいことだけど、時と場合によるでしょ。言っていいことと、いけないことをちゃーんと考えてよね」
「うぐっ……」
正論である。ぐうの音も出ない。誰だってきっと、自分の意図しないものとして見られたら嫌だろう。そしてその勘違いをわざわざ伝えて謝罪するのは、もしかしたら酷く身勝手な自己満足でしかないのかもしれない。
呻いて言葉を失った俺を見て、アルマがまあまあと朔也を宥める。
「そんなに怒らないでやって。正直なのはツバサのいいところなんだから。ここまで正直な人って、なかなかいないものだよ」
「そうっすね。ツバサ様ってなんか裏表っていうものを持てない人っすもん……すぐ顔に出るっていうか……」
苦笑しながら同意するユマのあまりの言い草に俺は少しだけむっとしてしまったが、ふと自らを振り返ってみれば悲しいほどに心当たりがある。むしろ心当たりしかない。知らなかった……俺って単純だったんだ……。
二人はフォローしてくれているはずなのに、なんだかものすごく切ない。悲しい想いに俺が襲われて肩を落としていると、ドライにぽんと背を叩かれる。
「まあ、気にするな。どんまい、というやつだ」
そうか、俺はアンテナで本心だだ漏れのドライにすらそう思われていたのか……。若干の哀れみさえ伴った慰めに俺はよけいに自らの単純さを強く実感してしまい、発作的にここではないどこかへと旅立ちたくなった。あー、山奥にこもって仙人になりたい。
ファンタジーな異世界に来ておきながら俺がさらに非現実的な逃避をしていると、アルマがぱんっと切り替えるように手を打つ。
「よし、みんな。そろそろ行こう。時間的にもう少しで、日が傾いてきてしまうだろうからね」
言われて窓へと視線を投げようとして、すんでのところで俺は食堂は窓が塞がれているのだと思い出した。あまり普段意識することはないが、外の様子をぱっと見ることができないというのは意外と不便だ。常に薄暗いし、窓なんて破るものじゃないな……としみじみ思う。
しかたないと、俺は改めて今度は時計へと視線を投げる。昨日の日の落ち方を思えば、確かにそろそろ行動を始めなくてはならないだろう。しかし立ち上がろうとした瞬間、俺達に思いもしない悲劇が襲った。
「……う……ッ⁉」
「うおおおお…………!」
「うわっ……!」
「ッ……これは……!」
立ち上がろうと身じろぎをした俺、ドライ、朔也、アルマが呻き声をあげて次々と倒れていく。
「み、みなさんどうしたんすか⁉」
「ユマ待ってくれ! 私達に触れてはいけない!」
突然のことに驚き慌てたユマが手を伸ばそうとするのを、アルマの一声が止めた。
「そんな……みなさんに一体何が……まさか、敵の手がもう……⁉」
青ざめるユマが不憫だったが、俺達もアルマと同じ思いだ。ユマは……いや、何人たりとも今の俺達に触れてはならない。なぜならば。
「足が……痺れたんだ……すまない……しばらく立てない……」
「すっごいじんじんするう……むり……」
「正座、意外と長かったもんな……」
「うおおおおおお……」
四人床に転がりながら口々に訴えるのは、足の痺れだからである。一時的なものとわかっていても、本当にきつい。当然、今はおさわり厳禁である。
「……………」
しかし俺達の悲痛な叫びに、ユマの顔はすっと真顔になっていて。温度を感じさせない表情になんとなく嫌な予感がした、その直後。
可愛らしい見た目とは裏腹に無慈悲な細く小さい指先が、すいっとおもむろに伸ばされる。行き先は、大変なことになってしまっている俺達の足先だ。
「えいっす」
「びゃーッ⁉」
ぽつりとそんな愛らしい掛け声と共に、俺達四人は次々と突かれ地獄を見るはめになった。
「あっ、あれ可愛い! ユマちゃんきてきて!」
「サクヤ様、そんなに引っ張らないでくださいっすー!」
はしゃいだ声をあげて、店から店へと朔也がユマの手を引いて回っていく。服や雑貨、菓子屋などあっちこっちへと目まぐるしく移動して、朔也は楽しそうだがユマはすっかり目を回してしまっていた。いつもあの役割は俺がやっているので、ユマの気持ちは痛いほどにわかる。朔也の買い物に付き合うのは結構大変なのだ。
あれからようやく動けるようになった俺達は、ドライの合図を街外れの丘から双剣の男へ送るため城を出ていた。思えばこの世界に来てから初めて城から出たわけだが、まだ一泊しかしていないのにやけに離れがたかった。それがあまりにもいろんなことがあそこであったからか、これからの戦いに尻込みしてのことなのかはわからない。おそらく両方だろう。
後ろ髪引かれるような思いを断ち切って丘へと向かうため、まずはと城下町を抜けようとしたのだが。
「何これすごーい! ねえ、ユマちゃんこれ何ー?」
「あー、それはっすね……」
今いる大通りに来たあたりで、初めて見る品々への好奇心に朔也があっさりと負けてしまったのだった。少しだけならとみんなが足を止めるやいなや飛び出し、今やきらきらと目を輝かせて色々手にとってユマを質問攻めにしている状態だ。度重なる質問の嵐に、ユマはもはや精魂尽き果てたような顔をしている。少し不憫だったが、こうなっては仕方がない。朔也の気が済むまで付き合ってもらうしかないのである。
賑やかな二人の様子を視界の端に入れながら、俺は本来ならもっと賑わっているであろう辺りを見回す。たくさんの店が立ち並ぶ王都の大通りであるのに開いていない店が多く、人もだいぶまばらでなんだか閑散とした印象だ。僅かな行き交う人達は皆一様に怯えを滲ませ、全体的にどこか重く暗い空気が満ちていた。
「みんな他の町にいる親類を心配して見に行って巻き込まれてしまったり、逃げようと他の町に向かった先で襲われたりしてしまったんだよ。残った人達も、ほとんどが家の中に籠もってしまった。本当はここはいつも賑やかで、活気のある場所なのに」
同じように周囲を眺めるアルマが、ぽつりと寂しそうに呟く。憂いを湛えた緑の瞳は、もしかしたら華やかであった光景を思い出して今に重ねているのかもしれない。
沈んだアルマの様子に、ドライが痛みを堪えるような顔をして俯いた。きっと、自身を責めているのだろう。虚無に耐えかねて罪を犯してしまった重さが、改めて眼前に突きつけられているのだ。贖罪を望むドライにとって、これほど辛いものはない。出かける前にとドライが何気ない様子で羽織っていた大きな黒いマントの下で、その背にあるコトレッタ王国の人間であることを示す羽が小さくなっているように見えた。
沈み込む二人へ、俺は何も言うことができなかった。二人が抱えたものを思うと、今はどんな慰めの言葉も軽く安っぽいものに聞こえるような気がしたのだ。だって俺は幸福なまでに、平凡で平和な生活しか知らないのだから。
それでも二人を放って朔也達の方へ行くことはしたくなくてただ側で立ち尽くしていると、俺は少し離れた店の影からこちらをじっと見ている少女に気がついた。大体年齢はユマと同じくらいだろうか……いや、もう少し幼いかもしれない。少女はふわふわとした自らの茶色の髪を指先で弄りながら、同じ色をした大きな瞳を一心にこちらへと向けていた。
何か俺達に用でもあるのだろうか。そう思って様子を見守っていると、少女はやがてぱっと目を見開いてこちらへと寄ってきた。頬を上気させて向かったのはアルマの元だ。
「姫様っ! またきてくれてたんだ!」
ぴょんぴょんと飛び跳ねて全身で喜びを表す少女の歓声に振り向いた周囲の人々が、ぱっと打って変わって表情を明るくする。さっきまで沈みこんでいた空気が、にわかに華やいだ。
「まあ、いらしてたんですね。お元気そうでなによりです」
「こっちは残った人間だけでなんとかやってるよ。城も大変だろ? 無理はするなよ」
「姫様は頑張りすぎるからなあ……俺達も手伝えることがあったら言ってくださいね」
そんな風に、みんな嬉しそうに口々にアルマへ駆け寄っては声をかけて去っていく。王族に対する態度としてはあまりにもフランクだったが、言葉のひとつひとつにアルマに対する信頼と親愛が溢れていた。
はっと夢から覚めたような顔で周囲を見渡すアルマに、最初に駆け寄ってきた少女が必死になって言葉を紡ぐ。
「あ、あのね、みんなね、姫様が大好きなの。いつだって一生懸命で、私達にも優しいし。世界が終わっちゃうかもしれない今、誰も投げやりになってないのはね、姫様が頑張ってるのを知ってるから。私達のために諦めないでいてくれるって、知ってるからなの。いつもありがとう、姫様」
いっぱいいっぱいといった様子で顔を真っ赤にしながらも、少女はふわりと柔らかな笑みを浮かべて去っていった。
少女の小さな背を見送って、ふいにアルマが笑い出す。
「そうだな、こんなの私らしくなかった。無くしたものを振り返って悲しむより、取り戻すためにがむしゃらになる方が私らしい。それが、みんなが信じてくれてる私なんだから」
そうして気合いを入れるようにぱんっと両手で自らの頬を叩いたと思うと、アルマはさっきまでとは打って変わって明るい顔で朔也とユマの方へと駆け出した。
「二人とも、そろそろ行くよー!」
「あ、アルマ様! すみません、すぐ行くっすー! ほら、サクヤ様。終わりっすよ」
「えっ、ちょっと待って! ごめんアルマちゃんこれだけ見せてー!」
三人が合流した店先で、わっと盛り上がる声が聞こえた。まだ見たいと粘る朔也をユマが急かして、そんな二人をユマが面白そうに眺めている。朔也のあの様子では出発にはもう少しかかるだろう。
楽しそうなアルマの様子に俺はほっと息をついて、横で沈んだままのドライの肩を軽く叩いた。
「ドライも、まだやり直せるだろ。だから、そんなに自分を責めなくてもいいんだ」
俺の言葉に、ドライがのろのろと顔を上げる。ドライの表情は未だ暗い。泣き出しそうな瞳でアルマへと投げられたドライの視線には、痛々しいほどの羨望が滲んでいた。
「アルマ殿は強い……こんな我輩を許すどころか手を差し出して、絶望的な状況でも前を向き続けて……だからこそ、ああやって民に慕われるのだろう……我輩は、きっとあんな風になりたかったのだ」
零されたのは、ひりつくような憧憬だった。自由を奪われ、民からは非難ばかりを浴び、虚無の中で生きてきたドライにとって皆に慕われるアルマの姿は眩しすぎたのだ。
唇を噛み締め、苦悶の表情を浮かべるドライの姿に、俺は躊躇いながらもその背を羽を避けて緩く擦ってやる。王の責務の重さも、難しさも何一つわからない俺が言う言葉なんて、無責任なだけかもしれない。それでも。
「なれるさ、なりたいのならこれから頑張ればいいだけだ。すぐには無理でも、少しずつ変えていけばいい。変わりたいと思っただけで、そのための一歩をドライはもう踏み出してるんだから」
「我輩に、できるだろうか」
応える声は細く、頼りない。力づけるように俺は勢い良く頷く。
「できるさ。ドライが変わりたいと思い続けてるなら、きっと」
俺の言葉で、ドライが少しでも自分を信じてくれたらいい。まだ出会って間もないけれど、不器用なまでに真面目でまっすぐなドライならいつか絶対に願いを叶えられるはずだと、俺はそう思うから。
俺の想いが届いたのか、ドライは初め戸惑うように視線を泳がせていたが、やがて小さくこくりと頷いてくれた。それを見て、俺は思わず破顔する。
「そのためにも、まずは双剣の男を倒さなきゃな! 頑張ろうな、ドライ!」
嬉しくなってドライの手をとってぶんぶんと振る俺に、ドライも釣られたように口元を緩ませる。
「本当に……お人好しの奴め……ツバサ殿になら、あるいはあの方も救えるかもしれないな」
ふいに真剣な表情になったと思うと、ドライはぎゅっと俺の手を握り返した。
「あの方は……双剣の男は、世界を滅ぼそうとする悪ではある。だがな、終わりない地獄のような日々を送る我輩に、初めて手を差し伸べてくれたのが双剣の男であるというのも確かなのだ。きっと、あの男が来なければ我輩は今も死んだように生きていただろう。それを思えば我輩はどうしても皆のように、あの男をそこまで悪く思うことができないのだ」
ぽつりぽつりとまるで懺悔でもするように、ドライは胸の内を吐露していく。迷って、戸惑いながらもドライは俺へとまっすぐな赤い瞳を向ける。
「この世界のことがわかる人間が欲しかっただけかもしれない、ただの便利な手駒だったかもしれない。それでも、我輩を自由にしようとしてくれた。共にいるときには、我輩を気遣うような素振りすら見せることもあった。そんな男が、真に悪い人間のわけがないだろう」
ドライの真剣なまなざしに、俺ははっと目を覚まさせられた心地になる。無意識に悪の化身のような人間を想像してしまっていたが、言われてみれば双剣の男は元は俺達と同じ世界の人間なのだ。俺の中で今まで概念のような存在だった双剣の男が、急に生身の体を持つ人間なのだと意識させられる。
「双剣の男は、ずっと何かに怒り続けている。どうかその怒りを鎮めて救ってやってほしい。男と同じ世界から来た聖女で、こんな我輩にも勇気をくれるツバサ殿ならばきっと、それができると思うのだ」
縋るような必死さで、ドライは俺に訴えた。ぎゅうと握られた手が、少し痛いくらいだ。ドライの思いの強さに、俺も応えるようにぎゅっと手を握りかえす。
「わかった。それも含めて、頑張ろうな」
世界を滅ぼそうとするほどの怒りだなんて、正直どう説得するのか全然検討もつかない。だが、ドライがそうしたいと言うのなら叶えてやりたいと思った。
「……ありがとう」
俺の返事に、ドライがほっとしたような笑みを浮かべる。今までずっとこんな双剣の男を擁護するようなこと、アルマやユマの手前話したくても話せなくて抱えこんでいたのだろう。溜め込んでいた想いを吐き出せて、ようやく胸のつかえがとれたような思いなのかもしれない。
少しでもドライの苦しみを和らげることができたのだと、嬉しくなって俺も笑う。
「翼ー、ドライちゃーん! おまたせー! ってあれ?」
とそこで、ようやく買い物が終わったのだろう。満足げな笑みを浮かべて駆けてきた朔也が、俺達を前にしてぴたりと固まった。朔也は大きな瞳を丸くして、うろたえたように自身の胸元をぎゅっと掴む。視線の先は、俺達の繋がれたままの手だ。
「うそ……翼、まさか浮気……⁉ ボクというものがありながら……!」
露骨なまでに大仰に嘆いてみせるが、朔也の挙動はどう見ても芝居がかっているし、そもそも俺達はただの幼馴染である。浮気も何もあったものではない。
「朔也、お前なあ……」
朔也のいつもの悪ふざけに呆れながら、ドライと繋いでいた手を解こうとする。と、続いてやってきたアルマが、驚いたような声を上げた。まさかと思っていると、案の定勘違いしたらしく顔を赤くしておろおろとし始める。
「えっ、まさかこれが修羅場ってやつかな……⁉ ど、どうしたらいいんだろう……!」
「オレに聞かれても……あの、アルマ様、落ち着いてくださいっす。オレの首もげるっすよ」
遅れてやってきたユマがアルマにがくがくと形を揺さぶられ、ものすごい勢いで振り回されている。落ち着いたユマの様子を見ると、もしかしたらこのアルマの勘違い癖は頻繁にあるものなのかもしれない。見てる方は面白いが、本人にとってはなかなか疲れそうな癖だ。
「いや、だから朔也とは何も無いし、ドライとも特に何も無かったって……」
静止も聞いてもらえずになお揺さぶられ続けるユマが不憫になって、俺は何度目かの勘違いを解きにかかる。が。
「いや、何も無くはないだろう。ツバサ殿が我輩にくれた言葉は、何物にも変えがたいものだ。何も無い、なんてそんな寂しいことを言うでない」
少し拗ねたように俺の手を引いたドライによって、勘違いの火にかけようとしていた水がガソリンになってしまった。恐らくなんの悪気もなく、さっきのやり取りを指して言っているのだろうがタイミングが悪すぎる。
「そんな……翼、ボク信じてたのに……っ! 酷いよ……!」
おかげでドライの反応に茶番続行だと判断した朔也は涙を滲ませて俺の胸に縋り付き、
「えっえっ、つまりやっぱり修羅場なのかな⁉ 私、修羅場って初めて見たよ!」
「あー、オレの首と胴体がさよならしそうっすー」
余計に錯乱したアルマが更に激しさを増してユマを揺さぶる地獄絵図が完成してしまった。もうこうなってはどうしようもない。ユマ……お前の犠牲は無駄にはしないからな……。
縋り付くふりをする朔也に胸を揉まれながら遠い目で明後日の方向を見る俺に、ドライがきょとんとした顔で首を傾げる。
「我輩は何かおかしなことを言ったか?」
心底不思議そうな顔を見るに、どうやら本人にやらかした自覚は無いらしい。確信犯でないだけたちが悪い。
「すまん、ドライ。嬉しいんだが、ちょっとその言葉は今じゃない……今じゃないんだ……」
かと言って文句も言えない力無い俺の呟きはユマのやる気ない悲鳴に飲まれ、俺は無力感に苛まれる。俺達は今世界を救うための最終決戦目前という状態のはずなのに、なぜ昼ドラのような茶番を繰り広げているのだろう。よくわからない。
結局、茶番は朔也が茶番に飽きてアルマの誤解を解くまで続き、結果俺とユマがボロ雑巾のようなくたびれ方をする羽目になったのだった。
町の外れと聞いていたタリアの丘は城下町を出てすぐに広がる草原の中の、高さが五メートルくらいのこじんまりした小さな丘だった。見渡す限り真っ平らな地面が一箇所だけなだらかに盛り上がっていて、俺にもすぐにそこが目的地だと知れるくらいにわかりやすく存在していた。
日が傾きだして薄っすらと赤味を帯びた光に照らされながら、丘までの道を俺達は並んで歩いていく。最終戦への行程は思っていたよりもずっと穏やかで、ともすればピクニックにでもきたのかと勘違いしてしまいそうになる。
「とうちゃーく! みんな、早く早く!」
「待てよ、まだそんなに急がなくてもいいだろ」
先頭を歩いていた朔也が一足先に頂上へとたどり着いて俺達を手招くのに苦笑つつ、俺もその後に続いた。頂上で朔也の隣に並び立って軽い疲労から思わず一息つくと、朔也にちょいちょいと袖を引かれて顔を上げるように促される。
「ねえ、見て翼。すごく綺麗だよ」
弾んだ声で瞳を輝かせる朔也につられて視線を同じ方向――今歩いてきた方向へと投げた俺は、知らず感嘆の声を漏らしていた。
眼前に広がるのは夕日に美しく照らされた俺達がいた城と、城を囲むようにして広がる城下町、その全体像だ。小さな丘だからと侮っていたが、意外にも眺めがいい。何気なく過ごしていたが、こうして見るとやはりここは見慣れた元の自分の世界とは違うのだと強く実感する。
「ほう、これはなかなか悪くないな……皆がさっき見てた店はあの辺りだろうか」
「いや、ヨグの店なら向こうの辺りだよ。そっちは違う通り。こうやって見るとやはり良い町だな」
「ここに来るといつも思うっすけど城はやっぱり大きいっすねー」
今まで自分達がいた町を一望する光景に俺と朔也が見入っていると、すぐに三人が追いついてきた。それぞれが口々に風景への感想を零すのを聞きながら三人を迎えていると、俺はふと町の方から人影が走ってくるのに気がついた。
丘の麓辺りへと差し掛かるその人影は小柄で、目を凝らしてよく見れば中学生くらいの年齢の女の子のようだ。片側に高く結い上げられた綺麗な銀色の長い髪と、黒いひらひらとしたゴスロリのような服の裾を跳ねさせてまるで飛ぶように駆けている。どうやら、まっすぐに俺達のいる方へと向かってきているらしい。
「なんすかね、あの方。危ないから戻るように、オレ言ってくるっすよ」
俺の視線を追って少女に気がついて首を傾げたユマが、ぱっと登ってきたばかりの丘を駆け下りていく。下りだからか、それとも慣れてるのか、その足は速い。少女も結構な速度で走っているのかぐんぐんと二人の距離は縮まって、あと少しで二人が出会うだろうというところで。
「駄目だ、ユマ殿!」
突如、焦ったような叫びと共にドライがマントを放り投げ、羽を大きく広げてユマの元へと飛び出していった。ドライの挙動に驚き固まった俺は、直後に少女が大振りの剣を掲げたのを見て呆然と目を見開く。
どうして。俺達の敵は双剣の男であるはずなのに。なんであんな子が、剣を。
「ドライ! ユマ!」
混乱しながらも二人の名前を呼ぶが、どうあがいても俺の足では二人には追い付けない。険しい顔をしたアルマも剣を構えて駆け出したが、二人までの距離は俺達には少しだけ、だけど絶望的に遠すぎた。
「やめてーッ!」
朔也の悲痛な叫びも虚しく、驚いて立ち尽くすユマを抱きしめるようにして抱え込んだドライの背に、少女は何のためらいもなく刃を振り下ろす。噴き出した大量の赤い液体が、少女を汚した。
「うぐッ……!」
「ドライ様っ!」
ざっくりと背中を斬られ崩れ落ちるドライの鈍い呻きに重ねて、ユマの悲鳴じみた呼び声が辺りに響く。
「二人から離れろ!」
アルマが一喝とともに繰り出した一閃を、少女はまるで舞でも舞うかのようにひらりと躱した。そうしてアルマの言葉に従うように、少女はとんっと軽く跳んで二人から距離を取る。
途端、俺達と少女の間をガラスの壁のようなものが遮った。そのまま、壁はぐるりと少女を閉じ込めるように次々と展開していく。少女の青と紫のオッドアイが、驚きに見開かれるのが見えた。
これは、朔也の壁だ。振り返れば、いつの間にか変身していた朔也が青く光る杖を掲げている。
「翼、お願い!」
朔也の必死な声にはっとして、慌てて俺とアルマはうずくまる二人へと駆け寄った。
「ドライ! 大丈夫か⁉」
「ユマ、怪我はないかい?」
ドライに抱きかかえられたユマを覗き込めば顔面蒼白で、がたがたと震えながら涙目で俺達に訴える。
「オレは、オレは何ともないっす……でも、ドライ様が……ドライ様がオレを、庇って……っ」
ユマの震える手が、ぎゅうっとドライの服を掴む。目の前で人が、しかも知っている人が斬られたのだ。動揺は計り知れない。
宥めるように震えるユマを撫でて、俺はドライの傷の様子を見るためドライの体をゆっくりと起こした。
「ぐ……う……」
ドライの呻き声と共に顕になった怪我は、思っていたよりもずっと深く、大きなものだった。羽と羽の間をざっくりと袈裟斬りにされたらしい。露出した肉と、どくどくと絶え間なく溢れる血液に俺はさっと青ざめる。
「これは……酷いね……」
同じように傷の具合を見たアルマも、表情を曇らせている。とにかく止血しなくてはと、手を伸ばした俺達にけれどドライは緩く首を振った。
「我輩は、大丈夫だ……治癒の術を使えるしな……」
少しかすれた声でそう言いながら、ドライは掌へぽっと淡い緑の光を生じさせる。ぐっと背へとその手を回せば、光の当たった傷の端がじわじわと塞がっていく。奇跡ともいえる光景に驚きながら、俺はそっとドライの様子を伺った。
「これで、全部治るのか?」
「ああ、治る。だが、少し深いのでな……時間がかかるのだ。それに、背中だからどうにもっ……難しくてな……っ!」
体が硬いのか、そう言いつつドライはなんとか背中に手を回そうとじたばたともがく。みょいんみょいんと頭のアンテナを動かして必死になっている姿に、俺はようやくほっと息を吐いた。傷はまだ心配だったが、この様子であれば恐らく大丈夫だろう。
「ユマ、ドライを頼めるか?」
同じくドライの様子を見てほっと息を漏らしたユマを伺うと、こくこくと頷きを返される。
「任せてくださいっす! ドライ様はオレが安全な所にお連れするっす! さ、ドライ様。行くっすよー!」
「すまんな……って、うおお……! ユマ殿羽は掴まれると痛……ああっ……!」
張り切るユマに半ば引きずられるような形で遠くへと運ばれるドライの背を、苦笑いで見送る。若干雑な扱いに、ドライがなんとなく喜んでいたような気がするのは全力で気のせいと思うことにした。
「ツバサ」
短く、アルマが俺を呼ぶ。顔を上げれば、アルマの鋭い視線は、少女を捕らえた壁へと向けられていた。視線を追うと、壁の中にいる少女が繰り返し壁を打ち壊そうと剣を振り回しているのが目に入る。そして、その壁に無数の亀裂が入っているのも。
「ごめん、もう限界かも! 翼、早く変身して!」
背後から、朔也の切羽詰まった叫びが飛んでくる。そうだ、俺も変身しなくてはならないのだ。そう思った途端、前回変身したあの時の信じられないほどの羞恥が一瞬俺の脳裏をよぎって、少しだけ怯んでしまいそうになる。だが、それでも。
「ツバサ、頼む」
アルマの、祈りを込めるような瞳が俺を映した。守るべき背後には、傷を追って避難をしているドライと、支えるユマがいる。羞恥なんてそんなもの、今ここで退く理由にはならない。
胸を突くような衝動に急き立てられて、俺は自らの右腕を天へと突き上げ、手首をぱっと返す。同時に生じた赤い光の輪を手首に認めて、勢いのまま腕を振り下ろした。
「……っ」
腕の動きに合わせて赤い光の輪の一辺が眼前を上から下へと落ちたのを認識した直後、全身を光に包まれ服の感覚が希薄になる。ぶわりと襲う焦燥に歯を食いしばりながら、俺はくるりと決死の思いでターンを決めた。はじけ飛びかけた光がまとわりついてふわりと服の形をとって、あのピンクピンクしい魔法少女服になったのを確認する。良かった、上手くできたみたいだ。
知らず詰めていた息を俺はそっと吐いて、今度は掌へと意識を集中させ淡く赤い光を放つ剣を生じさせる。ぎゅっと握り込めば、確かな感触が返った。城を出る前にアルマから習ったばかりの構えで、剣を構える。大きく息を吸って、吐いて。
「朔也、待たせたな」
俺が口を開くのを合図として、少女を覆っていた壁が砕け散った。姿を顕にした少女の視線が、宝石のように冷たく煌めいて俺達を貫く。
「君は、何者だ! 何故私達を襲う!」
「ドライ、うらぎった。おまえたちも、あるじさまのじゃまする。だからリリたちは、おまえたちをゆるさない」
アルマが放った誰何の声に応える桜色の唇から零されたのは、外見よりもずっと幼く舌足らずな言葉。だが、こもる激情は断ずるような強さがあった。
俺達と敵対している存在というのは現状において双剣の男以外にはいないはずだ。その男が『あるじさま』であるならば、少女――リリは部下なのだろう。部下がいるなんて話は聞いていなかったとか、もしかして他にも部下はいるのかとか色々聞きたいことがある。だが、今はそんなことを確認している暇はないのだ。
たんっとリリが、地を蹴ってこちらへと弾丸のように飛び出す。リリの剣先が定めるのは、俺だ。
「せいじょはとくにだめ。ころす」
「ぐっ……あッ!」
温度のない呟きとともに振り下ろされた一撃を、俺はとっさに剣の腹で防ぐ。が、がきんという金属がぶつかる鈍い音がしたと思った瞬間、想像以上の衝撃に気がつけば体が後方へと吹き飛ばされていた。
「翼っ……ッ!」
地面へと叩きつけられるはずだった俺は、後ろにいた朔也に抱きとめられる。変身して身体能力が上がっているはずの朔也だが、勢いは殺しきれなかったようで俺達は纏めて地面へと転がった。
「ってえ……朔也、大丈夫か?」
「なんとか……って翼! アルマちゃんが!」
俺と共に呻きながら体を起こし、顔を上げた朔也が焦ったような声を上げる。慌てて朔也の視線を追えば、激しい剣戟を繰り広げるアルマとリリの姿があった。
リリの少女とは思えないほどの剛力によってか、アルマの方が少し押され気味だ。間髪なく次々と繰り出される一撃を全て受け流し捌くため、必然的に防戦となってしまっている。ここからでも、アルマの表情に焦りが滲むのが見えた。
「アルマ!」
変身後の脚力を活かして、俺は勢いをつけつつアルマ達の方へと飛び出す。少し上に跳んで、落下する勢いを利用しリリへと斬りかかった。
「せいじょ……!」
俺に気が付いたリリが、迎え撃とうと剣をこちらへと向ける。が、俺を追い越すように放たれた朔也の光の矢が、リリの手から剣を弾き飛ばした。
「あ……ッ⁉」
リリが悲しげに悲鳴を上げた隙を、アルマが逃すはずがない。瞬間、アルマは神速とも呼べる速さで剣を振り抜いた。
「ぐっ……!」
リリの鈍い呻きと共に、僅かな鮮血が宙を舞う。腕を大きく薙ぐはずだったアルマの剣先は、寸前でリリが回避を計ったため浅く傷を作るに留まっていた。だが、代償は大きい。
「ツバサッ! 今だ!」
「……ッ!」
完全にバランスを崩したリリが、無防備な姿勢で剣を振り下ろす俺の眼前へと投げ出される形となった。避けようのない攻撃に、リリの顔が屈辱に歪む。狙うのは、剣を握っていた右腕だ。
「くらえッ!」
渾身の力で俺は剣を振り下ろし、赤く光る刃がリリの腕を今度こそ深く斬りつける。だがそこに、鮮血が噴き出すことはなかった。
「え?」
確かに当たったはずだ。重い手応えも確かにあった。けれど、リリの腕にあるのはアルマがつけた小さな傷のみ。これは一体どういうことだろう。現実へ追いつかない理解に、俺は思わず一瞬固まってしまった。
「……?」
リリ自身も何が起きたのかわからないといった表情で、斬られたはずの右腕を押さえて後ろに飛び退く。直後、体勢を立て直そうとしたリリは大きく目を見開いた。
「うご、かない……?」
信じられないといった様子で、リリが己の腕を見る。確かに、だらりとした腕には全く力が入っていないようだった。よくよく見てみれば、俺が斬りつけたあたりに細い赤い光の輪が嵌っている。どうやら、力が入らないのは輪の先らしい。
「もしかして、この剣は斬った先を無力化するのか……?」
「みたいだね。たぶん、攻撃してダメージを与えることは想像できたけど、怪我をさせることは想像できなかったんでしょ。翼らしいね……たぶん変身解いたら、あの輪も消えると思うよ。翼だし」
呆然と俺が口にした推測に、知らないうちに側にきていた朔也の肯定が返る。
言われてみれば確かに、攻撃を当てることばかり考えていて他は何も考えていなかったような気がする。なるほど、想像次第で使い方が変わるということは、こういうことなのか。ドライと戦った時は、まともに斬らなかったから気が付かなかった。
「さて、形勢逆転だね。どうする?」
「おとなしく降参してよねっ!」
アルマが剣を構え、朔也が杖を構える。慌てて俺も二人に続いて剣を構えると、リリはぐっと悔しげに唇を噛んだ。動く方の手で縋るように、先ほど朔也に弾き飛ばされて地面に突き刺さった剣へと触れる。まだ抵抗する気かと身構える俺達の前で、リリがぽつりと呟いた。
「やっぱり、リリだけじゃ……だめみたい……きて、セツ」
リリに応えるように、剣の装飾である青と紫の宝石が光を放つ。あまりの眩しさに、一瞬目がくらんでしまった。視界が戻るとそこに剣の姿はなく、成り代わるように少女が一人立っていた。いつの間に、少女はここに来たのだろう。周囲に人影なんてなかったはずなのに。
「リリ」
混乱する俺をよそに、現れた少女はリリを呼ぶ。少女は、リリに瓜二つの姿をしていた。片側に結い上げた髪と、青と紫のオッドアイだけがリリと対象的になっていて、まさに二人は互いに鏡に映したような外見をしている。
「セツ」
少女を、ほっとしたようにリリが呼ぶ。セツと呼ばれた少女はリリを見つめて、動かなくなった方のリリの手をそっと握る。
「リリ、ふたりでがんばろう」
「セツ、いっしょにたたかおう」
二人は言葉を交わして、ゆっくりと繋いだ手を掲げた。二人を中心に、地面へと紫の光を放つ魔法陣が展開していく。
「サクヤ、ツバサ! 気をつけて!」
「わっ! なんなの、これ……⁉」
「とりあえず、避けたほうがいいんだろうが……ッ、間に合わねえ……!」
アルマの警鐘と同時に俺達三人は魔法陣の範囲外を目指したが、展開するスピードがあまりにも速い。あっという間に、俺達の足元は紫の光に飲まれてしまった。
「ッ! 閉じ込められた!」
アルマが、陣の外へと抜けようとして見えない何かに阻まれる。確かめようと俺も手を伸ばせば、陣の終わりの辺りである何もない空間でばちりと手が弾かれた。剣で斬ろうとしても同じように弾かれてしまう。朔也の壁と違って、何もないように見えるのがまた厄介だ。
「うえ⁉ 魔法が使えない⁉」
なんとかできないかと剣を振るう俺とアルマの横で、朔也の悲鳴が上がった。杖を掲げて愕然とする朔也へと、冷たいニ対のオッドアイが視線を投げる。
「このなかはリリたちのせかいだから」
「このなかはセツたちがさいきょう」
淡々と零された直後、ぶわりと辺りに白い煙のようなものが広がる。正確には魔法陣の中だけ、見えない壁を堺に煙は満ちていく。閉じ込められた俺達に、逃げ場はない。
「……っ!」
「翼……ッ!」
もろに煙を吸ってしまった直後、強烈な眠気に似た目眩が襲う。俺を心配した朔也も、がくりと崩れ落ちるようにして地面へと座り込んだ。どうやら煙を吸うと、意識を奪われてしまうようだ。思わず膝を着きつつ口元を押さえたが、徐々に濃くなっていく煙にいつまで抵抗できるかわかったものではない。
「サクヤ……、ツバサ……!」
同じく姿勢を低くして俺達を呼ぶアルマの姿も、白の向こうに消えていってしまう。指の隙間から侵入してくる煙に、意識が霞んでいく。
「おやすみなさい」
「ばいばい」
いっそ慈悲さえ感じるリリとセツの言葉を聞きながら、意識を手放しかけた時。突如ぱんっと弾け飛ぶような音が、俺の鼓膜を揺らした。同時に地面に広がっていた魔法陣がかき消え、ふっと煙が空に溶ける。
「助かっ……た……のか……?」
開けた視界に俺が重たい頭をなんとか持ち上げ辺りを探れば、ユマに支えられながら地面に手をつけこちらを真っ直ぐに射抜くドライの姿があった。
「初めて見た魔法陣だったのでな……解除に手間取った。皆、大丈夫か」
弱々しく笑ってドライはよろけながらもみょいんみょいんとアンテナを揺らして、立ち上がる。
「ドライ様、無理しないでくださいっす!」
ユマが慌てている辺りまだ全快では無いだろうが、ある程度塞がったのかドライの足取りはさっきよりもずっと確かだ。
「じゃまものがきたの」
「うらぎりものがきたの」
声を尖らせ再び繋いた手を掲げようとするリリとセツの方へと、ドライが瞳を赤く光らせて腕を振る。巻き起こった強い風が俺の目の間を駆け抜けて、二人を襲った。
「きゃ……ッ!」
「やあ……ッ!」
二人分の短い悲鳴と一緒に高く巻き上げられて、リリとセツは成すすべもなく地面へと叩きつけられる。衝撃にすぐに身動きが取れないのであろう二人の姿に、朔也がはっとして俺を見た。
「翼!」
「わかってる!」
投げられた視線に、俺はふらつく体を叱りつけて走り出す。
「く……っ!」
「こないで……!」
俺のやろうとしていることを理解したリリとセツは立ち上がろうともがくが、抵抗するには少しダメージを受けすぎていた。
「せえの……ッ!」
掛け声と共に、俺は二人の膝から下を目掛けて剣を勢い良く振り抜く。剣が通り抜けた箇所に、赤く細い輪が嵌った。
「……ッ!」
「あ……ッ!」
がくりと立ち上がりかけていた二人の膝が崩れ、座り込む。足が動かなければ、もう戦うことはできないだろう。ぎっと睨みつけてくる二人分の視線に突き刺されながら、俺は念のために二人の両腕も斬って無力化して。そこまでしてようやく、そっと安堵の息を漏らした。
「な、なんとか取り押さえたぞ……」
「翼、お疲れさま! ぐっじょぶだよー!」
「うぐおっ!」
疲労にぐったりと丸めた俺の背中に、はしゃいだ朔也が飛びつく。支えきれずに地面へと崩れ落ちると、きゃーと楽しそうに朔也が悲鳴を上げた。気持ちはわかるが、完全に浮かれている。
「お前なあ……」
呆れ半分に苦笑しながら身を起こすと、アルマとドライを支えるユマがぞろぞろと集まってくるところだった。
いつの間にか日が大分落ちて、薄暗くなった空の下。全員でただ頷き合って、リリとセツの二人へと向き直る。双剣の男と関係があるのは確かなのだが、どうも他が全く何もわからない。ちらりと視線をドライにやれば、ドライは緩くかぶりを振った。
「我輩は、この二人と会ったのは今が初めてだ。そのはず、なのだが……」
言い淀みながら、ドライがリリとセツを見やる。するとむすりとした表情でリリとセツが唇を尖らせていた。
「そんなことない。リリたち、ドライとなんかいもあってる」
「ますたーをうらぎって、セツたちまでわすれるなんてひどいやつ」
恨みがましい非難の噴出に、ドライがうっと怯む。少しの間アンテナをみょいんみょいんと揺らして考え込んでいたが、やがて諦めたように再び頭を横に振った。
「駄目だ……本当に覚えがない。確かに初めてのような気がしないという思いもあるのだが、どんなに思い出そうとしても心当たりがないのだ。双剣の男の側に、こんな少女はいなかったはずだ」
ドライの主張を聞いて、セツとリリのむすりとした表情がさらに険しさを増す。互いに顔を寄せ合ってこそこそと小声で悪態すらつき始めた。
「リリたち、ずっとあるじさまといたのに。ドライのぽんこつ。やくたたず」
「ますたーのどこみてたの。そのめはかざりなの。ドライのばか。もうしらない」
「うう……っ、そこまで言わなくても良いだろう……」
稚拙な罵詈雑言に傷付くドライを横目に、俺達は揃ってリリとセツの言葉に首を傾げる。強く主張するほど双剣の男の近くにいたというのに、ドライがリリとセツの存在を全く認識せずにいたというのはどういうことなのだろう。
「双剣の男と共にいたなら、会っていたのはつい最近だろうに……不思議な話だね」
「そんなに見た目が違ったんすかねえ……?」
考え込むアルマにユマがぽつりと零した一言、それが俺の頭にぱっとある考えを走らせた。双剣の男の側、まるで対のような二人、変身した俺達と同じ常人離れした怪力、そして剣と入れ替わるようにして現れたセツ。バラバラだった情報が、一つの推測を描き出す。
もしかして、リリとセツは。
「リリ! セツ!」
だが推測を俺が口にする前に、誰かの必死な呼び声が耳に飛び込んできた。突如として割り込んできた第三者の声に慌てて振り向けば、町の方からきたのか燃えるような赤毛をした長髪の青年が肩で息をしてこちらを――リリとセツを見ている。ひゅっと、ドライの息を飲む音が聞こえた気がした。
「先に走って行ったと思ったら、なんでこんな……!」
ぼろぼろのリリとセツの姿に青年は榛色の瞳を大きく見開いて、それからきっと強くこちらを睨みつける。
「リリとセツに、何すんのよ!」
放たれた怒声と同時に、ごうっと火が地を走り俺達とリリとセツの二人を分断した。
「熱っ⁉ 何⁉」
「誰っすかあの人!」
慌てて飛び退く俺達の目の前、炎の壁の向こうで青年がリリとセツへ駆け寄る。さっきのリリとセツに対する俺の考えがもし、正しいのだとすれば。彼の正体は、きっと。
「ますたー……」
「あるじさま……」
リリとセツが、縋り付くように青年を呼ばう。応えるように伸ばされた青年の腕が二人を抱きしめた時、かっとセツが現れたときと同じ光が俺達の目を眩ませた。
「うわっ……!」
「くっ……」
強烈な光に網膜を焼かれ、何も見えなくなった一瞬の後。戻った視界の中、真っ直ぐにこちらへと向き直った青年の両手にはそれぞれ同じデザインの剣が一振りずつ握られていた。どちらも初めリリが持っていた剣だ。そしてそこに、リリとセツの姿はない。やはり二人こそが双剣であったのか。
「双剣の……男……」
呆然と、朔也が呟く。
ここにきてから、何度も何度も聞いた存在。世界を滅ぼさんと望む男が、今まさに俺達の前に立っていたのだ。
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