第3話 挫折

朱ノ助は毎日通って勝負を挑んだ。こりもせずに勝負を挑んだ。ある日のこと、いつものように木刀を背負って侍の庵まで走って行く。そこへ、

「とおー、りゃー、せいっ」

というかけ声がいくつも聞こえてきた。物陰から、そおっ、と覗く。例のお侍さんが木刀を持って何人かの子どもに稽古をつけていた。ありゃ、庄屋の子のそろ太じゃねえか。あんなやつが。そろ太には恨みはないが、思わず心がざわめく。そして不安、恐怖、怒りがわき上がる。飛び出して叫ぶ。

「やい、やい、やい、変態侍、俺という弟子がありながら、どうしてそろ太になんかかまっているんじゃ」

 侍は無視をする。

「やい、やい、やい」

 やはり侍は無視をする。その場で立ちすくんでいたが、やがてそろ太の木刀をえいやっと地面に落とそうとした。するといきなり木刀が動かなくなった。侍が木刀をつかんでいたのだった。

「ガキ、失せろ」

 その目は凍り付くような冷たいまなざしだった。怖かった。やっとのことで、

「なんじゃ」

という。侍は、

「去れ」と言って朱ノ助を投げ飛ばした。そして二度と朱ノ助を見ることはなかった。朱ノ助は一目散で逃げ帰った。


 その足で育ての親である利吉のもとに行き、土下座をして頼み込む。

「お父、4文出してくれろ!」

 利吉はなぜじゃと聞く。

「俺は、寺子屋に通いたいんじゃ。それには4文いるんじゃ。頼む」

 利吉はわらでわらじを作りつつ、頭を振る。

「そんなことしないで働け」

「いやじゃ、俺、寺子屋に通いたいんじゃ。剣術を習いたいんじゃ」

 利吉は朱ノ助の目をじっと見つめる。

「いいか。親のないお前をここまで育ててきたんだ。それは慈善っていやあ、慈善じゃ。いいか、お前は身よりがないんだ。立場をわきまえろよ。いい子だからこれ以上迷惑を掛けるなよ」

「頼むよ」

 その時利吉は

「出せねえもんは出せねえ」

それきり黙ってしまって、布団を敷いて寝てしまった。


 朱ノ助はしばらくその場ですくんでいた。悔しかった。悔しかった。何で俺には親がいないんだ。お金もないんだよ。立場って何だよ。慈善って何だよ。というと今まで俺のこと憐れみの目でずっと見ていたのかよ。


苦しい。苦しい。苦しい。苦しい。

悔しい。悔しい。悔しい。悔しい。


ちっくしょー!


そのまま村の近くにある川に行く。そして河原でずっと夕焼けを眺めていた。雲が太陽の赤で染められている。川の水が石にぶつかって白いしぶきをあげている。そして、ざーざー、と音を立てて下流へと水が流れていく。魚が時々ジャンプしている様子も見える。遠くには山が幾重にもそびえ立っている。その山々は木々のありとあらゆる緑で覆われている。虫の音も聞こえる。じっとしているとありが体に昇ってくるので時々振り払う。


 そしてそのまま夕焼けの赤が地平線の彼方へと消えていく。だんだんあたりは真っ暗になっていく。星がひとつきらめき、ふたつきらめき、そして三日月が白く輝き始めた。


朱ノ助は身動きひとつしなかった。星の輝きを眺めて自分自身の不幸についてずっと考えていた。なんて不幸なんだろう。もしかして一生不幸なのかな。


ぽちゃん。


 ふと石の投げ込む音がする。気のせいかなと思ってじっとしている。すると、

「星、きれいだな」

 すっと隣から声がする。声からさっするに・・・・・・。

「変態侍か?」

「いい加減、変態侍というのは止めろ。俺にも判十郎っていう名前があるんだよ。小僧」

「俺にだって朱ノ助という名前があらあ」

 その言葉を言ってしまうと、また精神力を使い果たしてしまい無口になる。相変わらず虫の音がすごい。リーリーリーとかガチャガチャって音があたりに響きわたる。判十郎が草をくわえながら言う。

「どうした、いつものこっぱずかしい青春勘違い少年じゃねえじゃねえかよ」

「何だよ、青春勘違い少年って?」

「だってそうじゃねえか。俺が俺がってぐいぐい来るし、どんくさいのかなって思ってたら繊細だし、見ててこっちが恥ずかしくなるんだよ」

「ぶん殴るぞ」

「おう、やってみろよ」

 判十郎はきらきらした目でこっちを見てくる。エネルギーを吸い取られる感じがする。思わず、うつむく。

「いやいや・・・・・・。そんな気分じゃないから」

 判十郎は朱ノ助に肩をまわす。

「おいおいおい、つれねえなあ。何か悩んでんのか?」

「うるせえ」 

「いいぜ、話してみろよ」

 朱ノ助はぽつぽつと話し始める。


「俺さ、親が早く死んじまって村のみんなに育てられたんだよ。いつも村のみんなに認められたくてバカやったさ。特にそんなバカをいつも育ててくれた利吉のじじいもいる。いつも感謝しているよ。していたよ。今までは、な。でもな、今日、立場をわきまえろと言われたんだよ」

 朱ノ助は鼻をすすった。

「俺だけだよ。村のみんなを家族だと思っていたのはさ。俺って実は生き恥さらしているんだよ。居候の流れ者だったんだよ」

「親がいてくれたら寺子屋にも通って剣術を習って、読み書きを習ってさ。いろいろ出来たのになって思うんだ」

 判十郎がつぶやく。

「悲劇の主人公だな」

「悲劇の主人公って?」

「おめえ、よく考えてみろ。家があるだけで幸せなんだよ。あったけえ大根汁とか飲めるのも、な。寝床があるのも、な。それをよく考えろ。お前は愛情掛けられているよ」

「うるせえ。やっぱりお前みたいなごろつきに相談したのが間違いだったよ」

 判十郎は黙って星を見ている。天の川がとてもきれいである。朱ノ助もつられて見上げる。「そうさな。仮に、もしもお前がこの世で一番不幸な人間だとするぜ。それでお前は人生をあきらめちまうのか。長い、長い人生、このまま卑屈になって腐って生きていくのか」

朱ノ助は黙っている。

「もったいねえぜ。一回しかない人生なんだぜ。楽しもうや」

「俺にはそんな人生送れねえよ」

 判十郎は立ち上がると、尻についている土を払った。そして

「まあ、よく考えてみろ」

 でもま、

「俺、青春勘違い少年のお前結構好きだったぜ」

 じゃあな、そう言って判十郎は去って行った。

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