三章・2、辺境総督府

 空から音も無く降り続く白い柔らかな粒。


 私はそれを見上げながら思いに耽っていました。息を吐くと白い炎の様に空に立ち上り、消えて行きます。私の白い髪に雪が触れると見えなくなってしまいます。溶けて消えたのか、それとも積もっているのか、私自身にも分かりません。


 私は日光に当たる事が出来ない身体です。ですから昼間に外出する時には肌の色を変える薬を飲まなければなりません。しかし、悪天候の時には例外的に本来の姿のまま外出できるのです。私は特に、雪の日に外出するのが好きでした。


 帝都オルロフは温暖な惑星でしたが、四季がはっきりしており、意外に冬は厳しいのでした。歴代の皇帝の中には冬を逃れるように多くの離宮を造った者もいました。しかし、兄は別に冬を苦にしないようで、冬季に宮廷を移動するようなことはありませんでした。しかしその兄も雪の日にふらふらと出歩く私には苦笑したものです。


「風邪をひいても知りませんよ?」


私は身体が強い方では有りません。兄の言葉は私の健康を気遣ったものでしょう。それでも私は雪の日に外に出るのが好きでした。白い雪に包まれると、自分がまた雪の中に溶けて消えるような錯覚を覚え、自分がもしかしたら雪の一粒になってしまったのではないかと思えるのでした。


 銀色の空から降り続く私の分身。その中で私はまた、見ていました。様々な光景が吹く風に巻かれながら浮かび、消えて行きます。まだ、ほとんど何を表すのかも分からないシーン。未来の断片。


 ふう・・・。漏れた息が白い陽炎となって凍りつく空気の中で拡散して行きます。


 もう慣れたとはいえ、見たものが何を意味するのか分からないというのは、もどかしいことでした。見たことが現実になってから、何度あの時にこれが分かっていれば、と思ったことでしょうか。そのもどかしさが私を動かしています。私は見るためにならどこへでも行くでしょう。


 断面の一つに見覚えのある顔が見えました。グレッグです。私は微笑みました。元気かしら、グレッグは。


 グレッグ。私は必ず彼と再会するでしょう。それだけは分かっていました。彼は私の運命の行き着く先。どこへ行っても、分かれても隔たっても、必ず私はまた彼と会い、いつかその時を迎えるでしょう。


 いつか?そう、何時か。


 闇から降り続く光にも似た雪の中へ消えてゆく断片を見送りつつ、私は微笑むしか有りませんでした。




 中庭に佇む妹を見ながら、私は溜息を吐きました。あの妹はすぐに風邪を引くくせに、雨だの雪だのの日にふらふらと散歩するのが好きなようなのです。私は侍女に、部屋を暖かくして、アニスが戻ってきたらすぐ入浴させるようにと命じました。過保護かもしれませんが私は昔からアニスの身体のことについては非常に気を使っていたのです。なにしろたった一人の妹なのですから。例外は、彼女をグレッグに預けていた数年間だけです。


 例大祭も終わり、それに伴う神事も終わると、アニスはやることが無くなったらしく宮殿の中をフラフラしていました。もちろん、オルロフの皇宮は皇妹である彼女の宮殿でもありましたから、それが普通の状態でもありました。


「グレッグのところに帰らないのですか」


 ある時私が問うと、アニスは紅い目を丸くして驚きました。


「なぜ?」


「あなたは大祭のために帰ってきたのでしょう?」


「そうよ」


「終わったらグレッグのところに帰るのではないのですか?」


 アニスはああ、とその時始めてその選択肢に気が付いたというような顔をしました。


「そういう方法もあるわね」


「帰らないのですか?」


 アニスはクスクスと面白そうに笑いました。


「私の家はこの皇宮よ。お兄様」


「そうなのですか?」


 私は何となく腑に落ちない気分でした。グレッグにアニスを預けた時に感じた、あの予感というか、勘は外れたのでしょうか。


 アニスは私の顔を見てまたクスクスと笑い、少し考えてから、ポツリと言いました。


「そう、ここは私の故郷。だから、始めるならここから」


 私は視線でその言葉の意を問いましたが、彼女は曖昧に微笑んで答えませんでした。




 私の辺境改革計画は構想準備段階を終えて、実行段階へと入っていました。


 イムベ事件以降、私は予定を前倒ししてコラーナム星系の皇帝直轄地編入を進め、同時に周辺宙域の航路整備を進めていました。


 この時には既に私は、当初の予定を超えてコラーナム周辺を広く直轄地に編入することを決めていました。そうしなければ、広がり続ける辺境を統治することは出来ないと考えたのです。この新たな直轄地を拠点として、帝国政府が帝国の拡大を統制しなければ辺境問題の根本的な解決にはならないでしょう。そのためには辺境宙域の要とも言うべきコラーナム周辺を押さえ、辺境の経済流通を押さえる必要があったのです。


 イムベの謀反の企みも私を押し留めることは出来ませんでした。それどころか、私の意思はより強硬なものとなったのです。イムベを代表とする貴族たちの強い反抗こそ、貴族たちの気持ちが帝国中央から離れてしまった証拠でありましょう。帝国分裂の顕著な兆しであろうと思えたのです。皇帝として、これは看過し得ないことでした。


 私の望みは、帝国の拡大でした。本当の意味での、拡大です。辺境と帝国中央を有機的に結合し、相互に依存しあう経済構造を作り上げることが出来れば、辺境と帝国中央は不可分な存在となります。そうすれば辺境が帝国から分裂してしまうことは無くなるでしょう。


 そのためにはまず、直轄地の強化です。私はここを経済拠点としてだけではなく、辺境における軍閥問題や反政府組織の跳梁を解決するための軍事的な拠点ともするつもりでいました。


 コラーナムに辺境総督府を設置し、艦隊を配備します。そして、私の代官として総督を置き、辺境統治を任せるのです。既に辺境にいる監察使は総督の指揮下に入ります。


 この政策の要は総督の人選でした。私はこれに大いに悩みました。


 なにしろ、辺境という統治困難な場所に乗り込み、新たな統治機構を整備し、場合によっては反対勢力を討伐せねばならないのです。軍閥化している監察使たちを従えるには皇帝の威光だけではなく、総督本人の実力も必要でしょう。


 私は悩んだ挙句、一人の人物を呼び出し、辺境総督を引き受けてくれないかと頼みました。彼は目を丸くして驚きました。


「どういうことなのですか?陛下」


 太政大臣バルザック・オムオンは理解しかねるというような表情をしています。


「私に、太政大臣の職を辞せと?私に何か至らぬ点でもございましたでしょうか?」


「そうではない。バルザック」


 オムオン家は帝国政界きっての名門で、特にバルザックと彼の父ウェンリントンは親子二代に渡って太政大臣を務めていました。もちろん、血筋が大貴族であるということもありましたが、バルザック・オムオンが未だ50代の若くして太政大臣の要職に就けたのは彼が政治家として有能であったからです。事実私は、閣僚の誰より彼のことを頼りにしていました。


「もちろん、太政大臣と兼任で良い。辺境の情勢が落ち着くまで、そう、二、三年で良い」


 オムオンはそれでも眉を顰めています。


「とは申されましても・・・、コラーナムと首都は遠く隔たっております。太政大臣の職務をこなすには首都でなければなりませんし、首都では辺境総督の用はこなせますまい」


「辺境総督の方を優先させてもらいたい。余が太政大臣の職務はフォローしよう」


「陛下」


 オムオンは厳しい顔をしました。彼は私よりも年長で、私の父の代から政界の要職を歴任しています。はっきり言って私よりもよっぽど威厳がありました。


「どういうことなのですか?私は陛下の辺境政策には反対いたしませんが、辺境を優先するあまり帝国全体の政治が疎かになるとすれば、それは本末を転倒することになりましょう」


「そんなことは分かっている」


「はっきりと申し上げますが、私抜きでは現在進行中の重要な政策が幾つも頓挫してしまいます。私が長く首都を離れるなど不可能です」


「しかし、辺境の困難な統治を任せられる者はそなたの他にいないのだ」


 オムオンは首を横に振った。


「おっしゃることは分からないでもありませんが、無理です。他の者に御命じください」


 私は思わず唸りました。やはり無理か。半ば分かっていたこととはいえ、ガックリしました。一応は様々な要素を検討したのですが、オムオンの言うとおり、帝国全体よりも辺境を優先した感は否めません。オムオンにきっぱりと拒否されて、見通しの甘さに改めて気が付かされました。私は弱々しくオムオンに尋ねました。


「そなたが駄目となると、一体誰に命じたものか・・・」


 オムオンは眉を顰めたまま言いました。


「そもそも、辺境に大きな権力を持たせた者を置き、皇帝陛下の代理として辺境を統治させようと考えたのは、陛下が初めてではないのですよ」


「であろうな」


「それが頓挫したのは、適当な人材が見つからなかったからなのです。無制限の信頼を与えられる有能な廷臣など、そんなにいる筈がありません」


「であろうな」


 オムオンはそこで、カップを上げ、コーヒーを口に含みました。


「アニス様にお任せするのがよろしいかと存じます」


「は?」


 私は思わず間の抜けた声を出してしまいました。


「アニス様を辺境総督になさいませ」


 私はその言葉の意味を数秒、理解することが出来ませんでした。そして、ようやく理解すると思わず笑い出してしまいました。


「何を言い出すのですか。アニスに政治が出来る訳が無かろう」


 笑いながら私は言いましたが、オムオンの表情はいたって真剣でした。


「もちろん、お出来になりますまい」


「そのような者に任せられるような職ではないことはそなたにも分かるだろう」


「政治は出来ますまい。しかし、それは側近に有能な者を付ければ良い事。大事なのは、アニス殿下が陛下の妹で、帝国の筆頭巫女であるということです」


 私は表情を改めました。


「どういうことか?」


「大事なのは、陛下の代理を務めるに十分な血筋と、地位をお持ちだということです。アニス殿下ほどの方が首都を離れて辺境総督になられる。それだけで辺境、いや、帝国全土に対して、陛下と帝国政府が本気で辺境統治に乗り出したのだということの証左となるでしょう」


「それは重要なことなのか?」


「重要です。辺境総督が帝国の本気を背負っているとなれば、総督に逆らうことは帝国の本気に逆らうということになります。相当な覚悟を要するでしょう」


「しかし、辺境統治は難事だ。アニスには荷が重過ぎるであろう?」


「有能な家臣団を編成し、首都との連絡は可能な限り密にさせます。行わなければならない政策自体はもう検討済みです。後は、辺境における抵抗を如何に排除するか。そのために殿下が必要なのです」


 私にもようやくオムオンの考えが理解できて来ました。


「つまり、役割分担という訳か」


「陛下が私を人選なさったのは、権威と能力と信頼を兼ね備えていると思ってくださったからでありましょう。一人で全てを備えるのは、難しゅうございます。しかし、殿下は権威と信頼はお持ちでございます。あと、能力を補完する者を附ければよろしいかと」


 なるほど。私は考え込みました。流石にオムオンの考えは理に適っていました。


 単に有能な者というだけであれば、辺境において予想される、貴族たちの反抗や妨害を防ぎきれません。辺境に利害を持っている大貴族は多く、地位が低い者を送り込んでも彼らを従わせることは難しいでしょう。ですから、私は太政大臣にして大貴族という大権威の持ち主であるオムオンを送り込むという奇策を考えたのです。


 アニスを総督にすればどうなるでしょう。彼女は私の妹で、先帝の娘です。そして、帝国の筆頭巫女にして「銀の巫女」の称号を持つ者です。その権威は、大貴族の上を行くでしょう。それだけで、辺境に利害を持つ貴族たちに圧力を掛けることが出来るでしょう。それが重要なのです。彼女の威光が貴族たちを抑えている間に、実務チームが実効性のある政策を立案、施行すればいい訳です。


 もう一つあります。廷臣のうち有能な者を選んで辺境総督に任命した瞬間、私はその者が辺境で自立するのではないかという悪夢にうなされることとなるでしょう。辺境に利害を持つ大貴族にはその危険性があるのです。その点、世俗の権力に興味の無いアニスにならその心配はありません。


 様々な点で有効な方策であると言って良いでしょう。


 私はオムオンが辞した後、アニスを呼び出しました。アニスは案の定風邪を引いて白い頬を赤くして、鼻水を啜っています。


 アニスは私がオムオンに提案された、彼女を総督として送り込む案を聞くと、狐につままれた様な顔をしました。


「なにそれ?」


 アニスは熱でぼやけた瞳で私の顔を眺め、鼻紙で鼻をチンとかみました。


「私が?総督?」


 私はアニスに、詳しい説明をしました。アニスは分かったような分からない様な顔をして聞いていましたが、最後まで聞き終わると数秒考え込み、やがてあっさり頷きました。


「良いわよ」


 私は驚きました。


「そんなに簡単に引き受けてよいのですか?辺境の総督ですよ?大臣に匹敵する要職であると言って良いでしょう」


「でしょうね」


「大変な任務です。安請け合いされては困ります」


「じゃぁ、止めましょうか」


 私は言葉に詰まりました。


「私が断ったら兄様は困るのでしょう?」


 アニスは面白くも無さそうな表情でコップの水を飲み、もう一度鼻をかみました。


「辺境では三年も暮したのですもの。兄様が考えているより私は適任かもしれませんわよ」


 そしてヘロヘロと立ち上がりました。


「とりあえず、話は分かりました。風邪が治ったら実務的な話をしましょう」


 ふらふらと歩きながら部屋を出てゆくアニスを見送りながら、私はあっけに取られていました。




 アニスを辺境総督に任命するという話が帝国政界に知れ渡ると、多くは驚き多くは失笑しました。それはそうでしょう。アニスはこれまで政治的活動などしたことが無かったからです。私も客観的立場であれば同じ様に笑ったでしょう。


 もちろん、この人事に関して私に不安が無いといえば嘘になります。しかしながら、それなりの考えがあって彼女を辺境総督に任命した以上、不安な点を取り除く努力をする義務が私にはあるのでした。


 私は彼女に政治的能力をまったく期待していませんでした。であれば彼女の代わりに政治的な実務を行うものを選ばなければなりません。私は検討の結果、辺境に詳しい官僚チームを編成し、そのとりまとめとしてウイメン・モズルンという50歳台の官僚を選びました。彼は辺境における航路整備のスペシャリストで、辺境の実情に詳しいのでした。性格が至って温厚で、取りまとめ役にぴったりだということもあります。


 もちろん、大きな政策は既に私とオムオン太政大臣を始めとする帝国中央政府で決定されており、実施においても中央官僚機構と密接な連絡の元に行われる予定でした。総督府の実務チームは現地で得た情報を中央にフィードバックし、不測の事態に対して臨機応変に対応すればいいのです。


 そして、総督府の軍事力です。私は総督府に帝国艦隊を5万隻預けるつもりでいました。


 帝国艦隊百万隻とはいえ、5万隻というのは相当な大艦隊です。もちろん、私はアニスに軍事的能力もまるで期待していませんでした。


 私はリューフ・ヴァリュアルフ中将を呼びました。ヴァリュアルフ中将はいつも通りの凛々姿勢で敬礼しました。


「あなたに預けようかと思います」


 ヴァリュアルフ中将の表情が目に見えて緊張しました。彼女は正艦隊の指揮官でしたが、通常率いているのは2万隻の艦隊です。5万隻を常時指揮下に入れている将帥は、今の帝国には他に存在しません。


「よろしいのですか?」


 ヴァリュアルフ中将の声に私は片眉を上げました。彼女が何を懸念しているのかは分かっていました。彼女は正艦隊司令18人の内で最も若輩でした。その彼女が他を飛び越してこの様な高い位置に上ることで軍部からヴァリュアルフ中将と私に対する不満の声が上ることを心配しているのです。


「良い。辺境総督府駐留軍司令とは聞こえが良いのですが、中央から遠く離れるという意味では監察使と変わりません。年寄り連中は行きたがらないでしょう」


 実際、私の耳には高級将校たちの間で辺境総督府への赴任を忌避する動きがあるという報告が上ってきていました。高級将校たちにとって、一番重要なのは軍内部での昇進です。そのためには上層部への働きかけと根回しが不可欠で、それには首都から遠く離れたくは無いわけです。


「むしろ、そなたが断らないかを心配しているくらいです。この任務は重大で、困難です。誰にでも任せられる任務ではありませんからね」


 ヴァリュアルフ中将の頬が紅潮しました。彼女は音高く踵を打ち鳴らして敬礼しました。


「謹んで拝命いたします!」


「うん、頼む」


 ヴァリュアルフ中将は高揚と興奮を隠しきれないといった表情で謁見室を出て行きました。総督府駐留軍の編成は彼女に全権を与え、丸投げします。私は軍事にはあまり詳しくはありません。専門家である彼女に任せたほうが間違いが少ないでしょう。


 モズルンとヴァリュアルフ中将がアニスを支える。というよりは二人が実務を行い、アニスが対外的な顔の役目を果たす。その三位一体の体勢が上手く機能すれば、総督府は上手く行く筈でした。私はその他の細々した部分を官僚チームと共に検討し、翌年から辺境総督府を本格的に設置することにしました。




 アニスが何を考えているかなど、兄の私にも分かったことはあまり有りませんでしたが、それにしてもこの時の彼女がどういうつもりで辺境総督の話を引き受けたのか、想像もつきませんでした。


 モズルンとヴァリュアルフ中将を引き合わせると、アニスは自分の方から一礼した後、微笑しました。


「よろしく御二方。私の両の翼となって下さいね」


 ウイメン・モズルンは50歳台の男性官僚です。少し太り気味で、目が細く、いつも微笑んでいるように見える人物でした。実際非常に温厚な性格でした。


「よろしく殿下」


 声は渋いバリトンです。アニスは彼の目を赤い瞳で覗き込むように見て、うんうんと頷きました。


「なんでしょう?」


「あなたならそう在る事が出来るでしょう」


 モズルンはいぶかしんで眉を顰めました。しかしアニスは彼を放置して今度はヴァリュアルフ中将の方を向きました。アニスの赤い視線が、緊張を漲らせて立っているヴァリュアルフ中将の頭から足の先までをなぞりました。アニスがニタリと笑いました。


「行く時には行きなさい。あなたにはその資格があるから」


 ヴァリュアルフ中将も目を白黒させています。私は苦笑しました。


「気にするな二人とも。巫女の言葉は現世の意味を持たない」


 アニスは反論もせずにただ笑っていました。


 実務チームを自分で確認すると、アニスは彼らを信用することに決めたようでした。つまり、素人である自分が色々口出しして彼らの邪魔をしないように、何もしないことにしたようです。しかしながら、彼女は自分の役目をよく理解してもいました。


 アニスは帝国議会や委員会などに出て、辺境総督就任の演説や政策趣旨の説明を行い、マスコミへ積極的に露出して辺境総督府の広報を行いました。私は驚きました。これまでアニスには出来るわけが無いと思っていたような職務を、彼女は平然とこなして見せたのです。私が口に出してそういうと、アニスはコロコロと笑いました。


「お兄様の真似をしているだけよ」


 アニスはそして、貴族たちの屋敷を訪問して、辺境政策への理解を求めるということまでしました。もっとも、彼女には政策説明など出来ませんから、訪問して例によって怪しげな台詞で煙に巻いてくるだけのようでしたが。それでも巫女であり皇妹であるアニスが自分のところを訪問してくれたということに感動して、強硬な姿勢を和らげた者も多かったようです。


 アニスは変わっていました。辺境での暮らしによって。


 相変わらず非現実の世界を彷徨うような言動を見せ、しかし時にぞっとするようなリアルな側面を見せるのでした。生活感というか、地に足がついた意見が彼女の口から出るとびっくりしますが、三年も庶民の暮らしを経験したのであれば当然なのかもしれません。


「辺境に中央の流儀を持ち込んでも駄目よ」


 アニスはある時言いました。


「辺境はぐるぐる回る渦のように変化が早いわ。みんなそれに上手く対応してる。乗り遅れれば置いて行かれるだけ」


 私は思わず唸りました。たしかにそれはそうかもしれません。


「私とグレッグの住んでいたアパートの両隣の部屋は、半年と同じ人が住まなかった。繁華街のお店も潰れては新しい店がすぐに出来る。何百年も変化が無い首都の貴族たちに辺境を理解するなんて無理よ」


 ましてや、二千年の伝統を守ることが使命である皇帝には、と言外に匂わせます。


「では、どうしたらいいと思いますか?」


 アニスは首をすくめました。


「分からないわ」


 肝心なところで役に立ちません。


 しかし、私はアニスの言葉を聞いて思うところがありました。私はモズルンを呼び出して、コラーナム赴任に際しては現地の旧コラーナム自治政府のスタッフを重用し、情報を徹底して収集するように命じました。




 天象暦8019年末、アニスはコラーナムへ辺境総督として赴任するために、辺境総督府艦隊旗艦と定められた「シルクウィンド」艦上の人となりました。


「健康には気をつけなさい。天気の悪い日にふらふらしないように」


 私の言葉にアニスは面白そうに笑いました。白い髪、赤い瞳。白と朱の巫女装束。黒い軍服の間で異彩を放っています。


 アニスの後ろにはヴァリュアルフ中将が直立不動で立っています。私は彼女に向けて、


「アニスを頼みますよ中将」


 と短く声を掛けます。ヴァリュアルフ中将は緊張を隠そうともせず敬礼しました。


「では、行きましょうか」


 アニスが言い、私は最後に彼女の手を取りました。


「心配しないで兄様。別に今生の別れというわけではありません」


「そうですか」


「そうです。巫女の予言を信じられませんか?」


 そしてアニスは手を離し、身を翻す直前、私に横顔を見せつつ言いました。


「行ってきます兄様。今度会う時は・・・」


 最後は良く聞こえませんでした。聞き直そうとして、止めました。巫女の言葉は現世の意味を持たないのです。聞いても今意味が分かるとは限りません。


 私は宇宙港からシルクウィンド以下の総督府艦隊が離れて行き、星の光に紛れてしまうまで見送りました。


 私には未来を見ることも知ることも出来ません。確かに私とアニスは再会することは出来ました。しかしそれは、この時には想像も出来ない時、想像も出来ない状況においてであったのです。




 私に政治家の真似事が出来るとはまったく思っていませんでした。


 私は生まれて物心ついた時より巫女として育ち、そして自分でも巫女以外のことが出来るとは思っていませんでした。


 しかし、兄から辺境総督府就任を打診された時、私はそれが当然の事であるかのように思えたのです。だから受けました。


 受けたはいいけど、実際に準備に入るとこれが戸惑うことばかりでした。モズルンたちから政策についての説明を受けても、専門用語は初歩から分かりません。軍事についても同様。リューフはなるべく分かり易いように気を使ってくれたようでしたが、私には宇宙語と同じ。お手上げでした。


 しかしながら、責任者というのは何もかも分かったような、分かっているような顔をしていなければいけないようでした。議会やマスコミの前で演説をしたり質問に答えるのも初めての経験でしたが、モズルンやリューフの教えてくれた事を意味も分からずそのまま言っただけです。まぁ、世の中それでも大丈夫なようでしたが。


 なんだかんだと慌しく時間は過ぎ、私はシルクウィンド艦上の人となりました。別れ際になって兄は急に心配になったようでした。いろいろと細々した、母親がするような忠告を言っていました。心配すべきはそんなことではないと思うのですが。


 そうして私は辺境へ。なんとなく懐かしい辺境へと向かいました。


 途中、ホーマーの横を素通りしました。帝国中央から総督府が置かれるコラーナムへ向かうには、ホーマーは一応通り道でしたから。しかし、特に用も無いので星系外延のワープエリアに一度ワープアウトをし、補給を済ませるとすぐに次のポイントへと向かいました。ワープエリアからはホーマー星はあまりに遠すぎ、星の中に紛れて判別できませんでした。


 総督府がおかれるコラーナム星系は鉱物資源が豊富な惑星が連なる星系でした。私たちはその中で、唯一テラフォーミングに成功した第二惑星コラーナムへ入りました。私が先年、不審人物として拘留されたのもここです。


 コラーナムは先に皇帝暗殺未遂を起こし、本人は自殺、家計断絶、財産没収処分を受けたケネル・イムベの親族が開拓、経営していたところです。没収により帝国直轄地になっていました。しかし、総督府を置くにあたって特に準備がなされていたわけではありません。


 とりあえず、もともとここを統治していた経営企業の使っていたビルを総督府に転用しました。私や総督府高官の住居はあまり上等とはいえないホテルに置きます。ちなみに艦隊はコラーナムの衛星軌道上に移動式要塞を設置してそこに仮配備してあります。


 コラーナムに到着すると、私は早々に命じました。


「監察使たちを集めるように」


 監察使とは、辺境の治安維持のために送られた帝国軍の将軍たちのことでした。担当区域でのある程度の自由な裁量を認めているので、それを乱用して地方領主化している者も多かったのです。


 この監察使の軍閥化は、辺境における様々な問題の一つでした。しかしながら私の命に対してモズルンは首を傾げました。


「集めてどうなさいます?」


「単に挨拶よ。よろしくと」


 私は嘘を付きました。


 集めるまでも無く、監察使たちは私の総督着任を知って挨拶に続々訪れてきました。この当時、監察使は辺境全域に合計で20名ほどいました。


 私はほとんどの者たちとはにこやかに会見し、彼らの既得権益を侵さないことを鷹揚に約束し、協力を要請しました。内心、彼らはこれまで持っていた権益を取り上げられるのではないかと恐れていましたから、私の言葉にあからさまにホッとした表情を見せ、喜び、私に対する忠誠を誓います。


 しかしは、数名の者とは態度を異にして会見しました。特にヴィキル・オムネア中将という者と会う時には心に鎧を纏いました。


「そなたとは一度会いたいと思っていた」


 私は出来うる限り冷たい表情をして言いました。オムネア中将は60代前半のあまり特徴の無い、覇気を感じさせない男でした。額の汗をしきりに拭いています。


「こ、光栄でございます」


「これが最後になるかも知れぬがな」


 オムネア中将の手が止まりました。


「ど、どういうことでございましょうか」


「どうもこうも無い。そなたが解任され、辺境を去る事になれば、二度とは会えまい、という意味じゃ」


「か、解任!?」


 オムネア中将は顔を赤くしたり青くしたりしました。ハンカチを持つ手が震えています。


「小官に何か落ち度でもございましたでしょうか」


「ふむ」


 私は彼の顔を正面から見、視線を彼の瞳奥深くまで射し込みます。


「そなたの忠誠を信じるには、そなたが大事にしている『お守り』を捨ててもらわねばならぬ」


「お、お守りでありますか?」


「そう、お守りじゃ。帝国に仇成すお守りをそなたは持っている」


 私は微笑んで見せました。


「そなたが忠誠を示すには、それを捨てねばならぬ」


 オムネア中将は真っ青な顔で退出しました。他にも数名の監察使将軍に私は同じ様な脅しを掛けました。「お守りを捨てねばよくないことが起こる」と。同席したモズルンにはおそらく意味が分からなかったでしょう。


 私が脅した監察使達は、タリスマンとの関係が深い者たちだったのです。彼らはタリスマンと癒着し、タリスマンに対して有形無形の援助を行っていました。私はタリスマンとの関係を絶たなければ、解任して帝国首都召喚もありうると警告したわけです。タリスマンは古い言葉で「お守り」を意味します。


「これくらいで潰れてしまうようなら、タリスマンは『鍵』にもなれない」


 私は一人呟きました。




 私が積極的にやったのはそこまででした。


 全ての監察使と会った後は、私はモズルンやリューフの邪魔をしないように大人しくしていました。単に執務室で座っているだけです。たまに回ってくる書類に目を通すのでしたが、意味がさっぱり分からない有様です。


 総督府の基本方針としては、これまで野放しだった辺境開発の統制のために、まず星間航路の再統制を行い、密航路や無許可のワープエリアを摘発します。その上で物資の流通を明らかにし、密貿易を根絶。同時に海賊やその他武装組織を摘発して治安の改善を行い、更には各星系自治政府への監視を強化して帝国法の適用徹底を図り、無法状態及び人権侵害が横行している状態の改善を図る。同時に帝国中央との連携を強化して、中央と辺境の有機的な関係を構築し、将来的には帝国国土として不可分な状態とする。


 私には難しすぎる話でほとんど兄やモズルンからの受け売りです。そのために何をしなければならないのかなどさっぱり分かりません。わかる必要も無いと思ってもいました。


 全てのことはモズルンやリューフを始めとするスタッフがやってくれます。私はそれに承認を与えるのが仕事です。彼らは有能でしたから、素人の私が余計なことを言うべきではありません。そして、皇帝の妹である私の承認があれば、彼らの仕事がスムーズになることも分かっていました。


 総督府は順調に動き始めたようでした。私は執務室で印を突くだけの単調な毎日を送りながら、それでも別に退屈もせずにその様子を見守っていました。




 私はしばしば薬を飲み、容姿を変えて、コラーナムの町へお忍びで出かけました。コラーナムは有望な鉱山惑星で、発掘された鉱物資源を集積し、宇宙港まで荷揚げする軌道エレベーターがある主都市コラーナムはそれなりに栄えていました。もっとも、都市計画が貧弱なまま人口が急増してしまったために、町並みは無秩序で汚く、総督府を置く前に帝国軍憲兵隊を警察として送り込んで治安維持に努めたものの、それでも治安には不安があるのでした。


 私はモズルンや護衛の目をすり抜けて町へと出かけ、ほっつき歩きました。コラーナムの雑然とした町並みはホーマーの下町を思い出させます。


 ある日私は市場をひやかしていました。様々な商品を見て、人ごみに流されていると、ふと気が付けば私は来たことが無いような細路地に迷い込んでいました。


 市場のあるような大通りとは違う細い路地。こういう場所は治安が悪い場所が多く、ホーマーにいたころからグレッグに「絶対に一人では近づかないように」と念を押されていました。


 私はその忠告を守っていました。この時も私はすぐに大通りに引き返そうとしました。


「おねぇちゃん」


 声が聞こえて私は思わず振り返りました。しかし、そこには誰もいません。


「こっちだよ」


 私は視線を下に向けました。


 一人の子供。小さな男の子が私のことを見上げていました。


 年のころは10歳以下。黒髪の上に茶色いハンチング帽子を被り、灰色のシャツ、薄いブルーの作業ズボンを履いています。黒い瞳がまっすぐに私の事を見つめています。


 その瞬間、私は何かを見た気がしました。薬を飲んでいなければもっとはっきり見えたでしょう。


「あ・・・」


 呟いた私に眉を顰めながら、彼は私のセーターの裾を引っ張って言いました。


「そっちに行かない方がいいよ。危ないから」


 グレッグの忠告と逆のことを言います。私は面白くなり、しゃがんで男の子と視線の高さを合わせました。


「何が?どうして危ないの?」


 男の子はじっと私の目を見ながら、一語一語を切るように、ゆっくりと言いました。


「もうすぐ、そっちで人が死ぬ。行くと、きっと巻き込まれるよ」


 私は思わず目を丸くしてしまいました。男の子はどこか真剣さを感じさせる表情を崩さず、私のことをじっと見ています。私はそれを見て、微笑みます。


「分かった。そうするわ。もうしばらくここにいればいい?」


 すると男の子は逆に驚いたようでした。


「信じるのか?」


「そうよ。信じるわ」


 男の子は呆然とし、そしてやがて照れ笑いを浮かべた。


「面白いおねえちゃんだね」


「そうよ」


 私と男の子は並んでとある戸口のたたきに腰を下ろしました。


「あなた、名前は?」


「人に名前を聞く時は自分から名乗るもんだぜ」


 どこか得意げに胸をはりつつ男の子は言いました。


「そうね。私はアニス」


「ランスロット。ランスロット・モールグだ」


「立派な名前ね」


「ありがとう」


 私はじっと、彼の黒い瞳を覗き込みました。今、自分の目が茶色であることがもどかしい。赤い瞳であれば、もう少し色々なものが見えると思うのに。


「どうして、分かるの?あなたも見えるの?」


「?どうしてって、ただ、知ってるだけさ」


「知ってる?」


「ああ」


 ランスロットが頷いた時でした。


 ボフン、という古いクッションを思い切り叩いた時のような篭った大きな音がして、地面が少し揺れた気がしました。


 音のした方向は市が立っていた大通りでした。瞬間、土ぼこりが舞い上がり、一部が私たちのいる路地に流れ込んできます。


 少し遅れて悲鳴と怒号。そしてそれに被さる様にもう一度爆発音と煙。騒然とした雰囲気が拡散して行き、空気が帯電します。


「なるほどね」


 私が呟くと、ランスロットは眉を顰めました。


「何がなるほどなの?」


「爆弾テロでしょう?反帝国主義者の」


 ランスロットは更に眉を顰めました。


「そんな難しいことは知らないよ。昼過ぎに市場には行くなって、親父に言われただけさ。そういう時は大体こんなことが起こって人が死ぬんだ」


「そう、ありがとう。おかげで助かったわ」


 おかげで彼の父を始めとした反政府主義者たちは辺境総督である私の殺害という大金星を逃すことになったわけですが。


ランスロットはへへん、と鼻をすすり、私の方に手をずいと伸ばしました。


「じゃぁ、謝礼」


「謝礼?」


「助かったんだろう?感謝の気持ちを表してもらわなきゃ」


 私は微笑みました。


「なるほどね。いくら?」


「気持ちだよ気持ち!おねぇちゃんの感謝の気持ちを表現してくれればいいのさ!」


「そう」


 私は立ち上がって彼の額にキスをしました。


「ありがとうね」


 私は呆然と立ち尽くす彼を置いて、その場をゆっくりと立ち去りました。


 総督府に帰り着くと、同時テロの処理のためにおおわらわになっていました。私は警察担当者の一人を捕まえて「モールグ」という市民をテロの容疑者として取り調べるように命じました。コラーナムは総督府を置くにあたり、在住者全てに市民登録を義務付けてありましたから、「モールグ」という市民の逮捕は容易な筈でした。




 アニスが首都オルロフを旅立って、それで辺境政策が全て終わるならそんなに楽なことはありません。


 辺境安定、ひいては辺境開拓をコントロールしようという帝国政府の意図が、過去何度も失敗してきたのは、辺境開拓を実際に行う企業、そしてそこに資金を投入する貴族たちの強固で根強い反対に直面してきたからでした。


 帝国は貴族によって支えられている社会です。貴族の大本は、帝国成立前に銀河の各地で自立していた地方領主であり、それも元をただせば自らの手で銀河を開拓してきた者たちの末裔でした。人類は宇宙に飛び出してから、飽くなき努力と汗と資金によって居住空間を地道に広げてきた彼らのおかげで、その繁栄を拡大させていったのです。


 帝国はその彼らを取り込み、まとめる事によって成立したに過ぎません。各星系のネットワークを形成、維持する。そのことで人類社会は有機的な結合を得、単星系では成し得なかった更なる発展と繁栄を得ることが出来ました。これは帝国の功績でしたが、それも元々は開拓を行い惑星、星系を経営している企業貴族の努力があったればこそです。


 それゆえ帝国は彼らの意思を無視出来ず、辺境開発を帝国政府統制化に置こうという意図は悉く阻まれてきたのでした。


 貴族たちの反発を押し切る形で辺境改革に取り組んだ私でしたが、この改革によって貴族企業による開拓事業の意欲を減退させることは避けなければなりませんでした。そんな事になれば辺境経済が停滞し、それは辺境の資源や生産力に支えられている帝国中央に影響を及ぼさずにはいられないでしょう。


 私は辺境開発の認可を厳しくする方針を打ち出す一方、開拓地域から輸送される資源や製品に関わる流通税を下げることにしました。しかもこの減税を適用するのは、あくまでこれから開拓を始める宙域星系であるとしたのです。


 更に開拓事業に助成金を出すことにし、新規企業が参入し易くすることも狙いました。辺境開拓には巨額の資金と、開発した宙域星系から資源や製品を輸送し流通に乗せるルートが必要で、既に辺境に地盤を持っている貴族でなければ行うことが難しかったのです。帝国中央に多い、新興貴族たちが参入し易い条件を整えてやれば辺境開拓は活発化するはずでした。同時に辺境開拓参入を狙う新興貴族たちが私への支持に回ることも期待していました。


 しかしこれらの措置が実効性を発揮してくるまでにはまだまだ掛かる筈でした。それ以前に総督府の行う辺境統制政策によって、辺境に帝国政府による秩序が確立されなければこれらの政策は単なる絵に描いた餅です。


 この時私はモズルンを始めとした総督府官僚チームの手腕が発揮されるのをひたすら待っていました。




 このころから私を悩ませる問題が新たに起こり始めました。それは、辺境問題とはまったく関係ないところで起こったのです。


 きっかけは私に子供が無いことでした。私とリャーナの間には相変わらず子供が出来ませんでした。私はあまり問題にせず、リャーナにも気にしないように言ってはありましたが、これはやはり宮廷内では話題に上ることが多い問題であるようでした。


 これがどう間違ったのか、私とリャーナが意図的に子を成さない、もしくは子供を作ることが出来ないという話になってしまったようなのです。私とリャーナがいわゆるセックスレスであり、夫婦生活そのものが無いという話も出たようでした。


 これがごく普通の夫婦であれば単なるゴシップで済むのでしたが、話が現皇帝に関わる話題となれば途端に話が生臭くなってきます。


 私が子を成せないとなれば、皇家の正統が途絶えるということになります。しかしながら、正統が途絶えたからといって帝国の皇帝がそこで終わってしまうわけではありません。帝国の歴史は1千年に及び、その間延々と続いてきた我が皇家は子、孫、ひ孫と繋がる間にどんどん枝葉を伸ばし、初代皇帝の血を引く子孫を着々と増やしていたのです。帝国の皇帝になるには初代皇帝の血を引いていなければなりませんが、逆に言えば皇家の血を引いてさえいれば皇帝になる資格はあるのです。


 実際、皇家の正統は何度か途絶えていました。その度に選ばれた皇族がその後を継いで皇家は何事も無かったかのように続いてきたのです。


 皇帝に子が出来ないイコール、皇族たちにとっては自分たちがもしくは自分の子や孫が皇帝になれるチャンスでもあるのでした。私がリャーナを娶って既に七年。子が出来ない期間が長くなればなるほど噂は信憑性を増し、皇族たちも「その気」になってきます。何人かの有力皇族は気が早いことに将来の皇位を狙って動き始めているようでした。


 この動きに呼応したのが私に対して不満を抱いていた有力貴族たちでした。


 辺境改革や貴族社会に対して強権を振るう私に対して、貴族たちは根強い不満を抱いています。彼らは有力皇族に取り入り、将来の支援を約束する見返りとして現在の支援を求めたのです。


 皇族は、皇帝と貴族社会が対抗した場合、皇帝を支援することが期待されています。皇族はそのために保護され優遇されているのですから当然です。ところが、貴族たちは皇族を取り込んで皇帝を孤立化させようと計ったのでした。


 これには私も困りました。皇族と貴族が手を組んで、正面と側面から私に対して対抗してくるとすれば、絶対に近い権力を持つ皇帝と言えど苦戦は免れ得ません。皇族が貴族と手を組むことは何としても阻止せねばなりませんでした。


 しかしながら、妙策が思い浮かびませんでした。そもそもの問題は、私に子が無いことによって皇族たちに無用な期待を抱かせたことです。ですから、私とリャーナが子を成せば、皇族たちは次の皇帝選びなどということをせずに済むこととなり、結果貴族たちの誘いに乗ることも無くなるでしょう。しかし、そう簡単に願いどおりに子が出来るのであればそもそも問題が始めから生じないのです。


 私は悩んだ挙句、太政大臣バルザック・オムオンに相談しました。オムオン家は何代か前に皇女が嫁いだ家柄で、バルザック自身は現皇妃リャーナの兄です。彼自身にとっても他人事では無い話の筈でした。


 私の話を聞いてオムオンは頷いてあっさり答えました。恐らくは前からの腹案だったのでしょう。


「もしも、陛下にお子が出来なかった場合、次の皇帝を誰にするか決めておしまいになればよろしいのです」


 どういうことか?首を傾げた私に向かってオムオンは説明します。


「皇族の方々が、陛下の跡目を狙って妄動なさるのは、陛下の次の皇帝が誰になるのか、不明であるからです。この状態で陛下が、仮に、お亡くなりになれば、次の皇帝を選ぶのは皇族の方々の役目となるでしょう。皇族の方々にはその期待がおありになるのでしょう」


 なるほど。


「ですから、陛下が『自分にもしものことがあったら次の皇帝はこの者とする』と定めておしまいになれば、皇族の方々は無用なことで頭を悩ます必要が無くなるでありましょう」


 確かにその通りです。皇太子が明確に定められていれば、私が死んだとしても皇位の継承は流れ作業のようにスムーズに行われ、皇族や貴族たちが手や口を出す余地はありません。


「なるほど、それは分かった。しかし、いったん皇太子を立ててしまえば容易に変更出来まい。余とリャーナに子が出来た時に困るのではないか?余はやはり自分の子に皇位を継がせたい」


「立太子してしまえば確かに問題がありましょう。しかしながら、あくまでも陛下に子が出来なかった場合にのみ適用される皇位継承順位を発表するだけなら問題はありますまい」


 なるほど。私は納得し、オムオンの提案を入れることにしました。


 しかしながら、これは簡単ではありませんでした。単純に血の濃さで言うなら、私の次に皇帝の資格があるのは妹のアニスでした。しかしアニスは巫女であり、子孫が期待出来ない立場でした。特に非婚と定められているわけではありませんでしたが、皇家の巫女は子供を成したことが無かったからです。そのため、彼女を次の皇帝とする訳にはいきませんでした。


 となると、有力皇族から選ばなければならない訳ですが、ここで私が考えたのは「あまり力のある皇族からは選べない」という事でした。実力を備えた皇族に、次期皇帝の肩書きを与えれば、その者の権威が上がり過ぎ、宮廷や政界に無用の混乱を招くことになりかねません。かといって、傍流の、皇家の血脈が薄い者を皇位継承順位において上位に置くのも、皇族の序列を乱すことに繋がります。


 私は検討の末、父帝の妹の息子。つまり私の甥に当たる者を選びました。


 ロードルという少年で年齢は七歳。選考の表向きの理由はその年齢が私の次の皇帝として適当であるから、でした。しかしそれに加え、ロードルの父は既に亡くなっており、母親も温厚誠実な女性であるというのも重要な要素でした。


 私はロードルを皇位継承順位二位に置くことを発表しました。しかし同時に、私に子が生まれた時にはその子をロードルの上に置くことも明確にしておきました。リャーナにつまらないプレッシャーを与えたくなかったからです。


 私はこれでこの問題を片付けたつもりでいました。しかしながらこの問題は尾を引き、私を延々と悩ますことになるのです。




 その日私はリャーナとお茶を楽しんでいました。リャーナが入れた紅茶でした。


 彼女は家事が出来るようになっていたアニスに触発され、侍女などに習って少しずつ料理などを覚え始めたようなのです。その実力はまだまだでしたが、そうやって新しい事に取り組むリャーナは活気があって、どこか幼い少女のような無防備な、恐らくは彼女の素の表情を見せてくれるのでした。


「うん。おいしいですよ」


「そうですか」


 リャーナが嬉しそうに微笑みます。リャーナはこの年、天象暦8020年。24歳になっていました。こげ茶色の髪をアップにし、好きだという薄い水色のドレスに身を包んでいます。


「今度はケーキを焼いてみようと思います」


「良いですね。それは楽しみです」


「本当にそうお思いですか?」


「そうですね。この間のクッキーはなかなかのものでしたよ」


 リャーナが少し頬を膨らませます。


「どこがどうなかなかだったのですか?」


「私は焦げっぽい味も嫌いではないのです」


 私はすまして答えました。リャーナは上目遣いで私の事を睨みます。顔色が赤くなっています。


「今度は失敗しません」


「リャーナは慎重過ぎるみたいですね。侍従長が言っていましたよ『侍女がもう大丈夫、大丈夫!』と言っていたのにあなたが『もうちょっと、もうちょっと』と言って焦がしてしまったと」


 むー、とリャーナは唸りました。無邪気な怒り顔です。私は声を上げて笑いました。最近、リャーナとこういう風に飾り無くリラックスした時間を過ごすことが出来るようになっていました。


 良いことです。私はもう一口、やや渋いレモンティを喜びを持って口に運びました。


 その時、侍従長がドアを開けて入ってきました。良く注意していれば、常に冷静沈着である彼にしてはドアを開けるのが乱暴であったことが分かったでしょう。その時の私には分かりませんでした。


「・・・お寛ぎのところ、申し訳ありません。陛下に、至急電です」


 頷いて私は紙片を手に取りました。さして珍しいことではありませんでした。役人には定休日があっても、皇帝にプライベートな時間など無いのです。夜中にたたき起こされても不満をぶつける先もありません。


 どうせ、どこかで事故があったとか、海賊が出たとか、テロが起きたとかいう連絡でしょう。私は紙片に目を通し、


 凍りつきました。


 私の表情を観察していたらしいリャーナが私の異変に目敏く気が付きました。


「どうなさいました?」


 リャーナの言葉が聞こえていなかったわけではありません。しかし、私は反応する事が出来ませんでした。紙片に書かれた文章。暗号電文を解読して書きつけたものをそのまま慌てて持ってきたと思しきそれを、私は三回読みました。


 めまいが、私を襲いました。


「陛下!」「陛下!」


 リャーナと侍従長が同時に言って、私を左右から支えました。リャーナの水色の瞳が強い憂いを浮かべています。


「・・・ああ、すまない」


 私はテーブルに手を付いて身体を起こそうとし、紙片を取り落としました。リャーナがそれを拾い、


「・・・!」


 声にならない悲鳴を上げます。


 紙片にはこう書いてありました。


「コラーナムの総督府で爆弾テロ。死傷者多数。総督アニス殿下の安否不明」

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