四章・1、 再会と
馬鹿馬鹿しくもくだらないことは世の中には溢れかえっていて、それをいちいち気にしていては疲れ果てる。どうでもいい事をいちいち取り上げ、考え込み、囚われていると、本当に大事な事に気が付かなくなってしまうだろう。
その物事がどうでもいいものであるかどうかは人によって基準が違う。ある人にとっては朝食の目玉焼きの焼き加減は揺るがせに出来ない重大な事柄であるかもしれず、またある人にとっては道端で人が倒れていることでさえもどうでも良い事柄となる。
しかしながら、馬鹿馬鹿しくくだらないどうでも良いことを全く無視することが出来る人生というのもそうは無いだろう。そのようなことに囚われ、惑わされ、関わっている内に人生を無駄遣いするのがごく普通の人間というものであろう。それは概ね理では無視すべきと分かっている事柄を、感情を交えて見てしまった場合に同じ判断が下せないことによる。
俺の人生が無駄に満ちているのは大体そんな理由だ。刑務所の壁に生えるカビの模様を観察しながら俺は「出所したら利益の出ない事はけしてすまい」と心に誓った筈なのだが、めでたく刑務所から出られた後も俺の人生はジグザグ模様。結局馬鹿馬鹿しいことに神経を使わないではいられずにいる。
子育てを馬鹿馬鹿しい事だなどといえばしかるべき筋から抗議が殺到してとんでもないことになるだろうが、単純に教育方針や日々の生活について頭を悩ませるのなら兎も角、普通のガキならやらないであろう悪事のフォローや謝罪のために苦労するのはどう考えてもあほらしい。リーフは俺と共に「タリスマン」の軍事基地となっている人工惑星「オスカー」に移住してからもその生活原理を変えることが無かった。ちなみに彼女の行動を決定する要素の中で最大のものは「面白いかどうか」であり、それが面白そうだと思えば如何なる困難や妨害をも乗り越えて実行してしまう実行力をも持っているのだから処置無しだ。
部屋の中が「蛇口って外したらどうなるのか知りたかった」などという理由で水浸しになっているくらいならまだ可愛げがあるほうだ。その場所に何があるのか知りたかったという理由で鉄塔の梯子を50mも上って降りられなくなりレスキューの世話になる。卵を投げつけたら割れて面白かったので、もっと高いところから投げ落としたらもっと面白いに違いないという理由で、ビルの屋上に潜り込んで地上、しかも繁華街の真っ只中に向けて卵を一ダース投擲。憲兵隊出動の騒ぎになる。模型の船をどぶ川で流して遊んでいたら堰で詰まってしまい、こんな堰は要らないと俺の部屋から持ち出した手榴弾で吹っ飛ばして大事件になる・・・。
まぁ、数え上げればきりが無く、何かやらかすたびに呼び出される俺はホーマーでは保育園に呼び出されるくらいで済んだのは幸せな部類であった事を思い知らされた。軍事要塞オスカーに警察は無く、憲兵が治安維持の任に当たっており、憲兵に軍事訓練を施しているのは軍事顧問准将、他ならぬこの俺だ。俺を呼び出す度に憲兵本部長コリン・モイヤーは複雑な表情で俺を見詰め、黙って首を横に振るのであった。
兎に角リーフの深海の色をした瞳が七色の彩を帯びる度に俺は胃が痛くなる思いを味わう羽目になった訳であるが、それもこれも多分大変であろうと分かっていながら彼女を伴った俺に全ての責任が帰されるわけで、今更どうしようもない。世の親であれば引っ叩いてでも厳しく躾けるのかもしれないが、部下には平気で鉄拳制裁を食らわすくせに何故か俺はリーフのことが殴れなかった。彼女がこの世の幸せを具現化したような笑顔で「面白かった!」と叫ぶのを見ていると、呆れるのと諦めるのと同時に、違う気分も心を過ぎったからかもしれない。
タリスマンへの軍事教練自体はさして困難も無く、順調だった。タリスマン軍事部に新たに設置されることになった陸上部隊の規模は二万人。あっさりと我が対策隊と同規模の部隊を新設してしまうところは、流石に辺境で最も強い勢力を誇る反帝国組織タリスマンといったところであろう。
きちんと給料が出ることもあって入隊希望者は多く、中には元帝国軍人も相当数含まれていた。対策隊立ち上げ時に比べれば雲泥の差だ。こりゃぁ、楽だ。あとはこいつらを適当に鍛えれば、俺は程なくホーマーに帰れるだろう。
俺の予測は外れてはいなかった。俺がホーマーに帰れなくなったのは、もっと複雑な事情による。
マアル・ユーリリ。この金髪おかっぱの目立たない女。ホーマーの留守居役に指名したエルミア・ソボアが是非にと教官役に推した彼女は、一言で言えば「鬼教官」。彼女に鍛えられる羽目になった部下たちがつけたあだ名は「鉄仮面」。ついでにリーフが彼女に対して抱いた感想は「あたしよりも負けず嫌い」であった。
いつもは無表情で、軍事教官とも思えないほど小声で話す癖に、彼女は教練となれば容赦という言葉を知らないような「鬼教官」と化すのである。ただし、無表情無感情は変わらなかったが。
「気を付け!」
「直れ!」
「遅い!もう一度!気を付け!」
と普段の三千倍の大声で号令を繰り返し、これを半日続けるのは朝飯前。
「匍匐前進!三千メートル!」
「ランニング四万メートル!」
「塹壕堀り!一人10m!」
基礎訓練ですでに脱落者を出し、更に射撃訓練でミスヒットが一発でもあれば、
「連帯責任!全員ランニング二万メートル!」
「遅い!一万メートル追加!」
などと、三日後には全ての隊員たちが立ち上がることも出来なくなり、流石に俺が休養を命じねばならなくなった。
これだけであれば隊員たちは即座に厳しすぎる訓練内容に抗議し、終いにはボイコットが起こったであろう。軍事訓練は厳しくて当たり前だが、それにしても程度というものがある。しかしながら、そのような事態は起こらなかった。なぜか。
ユーリリが隊員たちに課したメニューを全て一緒にこなしていたからである。しかも、常のあの無表情のままで。教官とはいえ小柄な女性が顔色も変えずに率先して教練をこなしているのに、まさか教練を受けている側の大男どもが不平不満を漏らすわけにはいかないだろう。
ユーリリが鍛えたチームは結局他のチームよりも早く、そして強靭な部隊となり、俺はソボアが彼女を推した理由を理解した。
しかしながら、ここで一つ付け加えておかなければならないことがある。
ユーリリは確かに運動神経抜群な、優れた戦士であった。それに加えて顔には出さないが強い闘志があり、冷徹な頭脳も持っていた。
だが、同時に彼女は小柄な女性であり、それ以上でもそれ以下でもなかった。体力的には。
つまり、彼女が隊員たちに課したような、超過酷な訓練をこなすには、彼女の体力は過小だったのである。だが、彼女はリーフが評したとおり、無表情からは窺い知れないような負けず嫌いであった。気力と負けん気だけで彼女は体力を水増ししてみせたのだった。彼女のチームに休養を命じたのは、実はそうしなければユーリリが真っ先に潰れてしまう気配を感じたからであった。
なにしろ彼女は訓練が終了して俺のところに報告に来て、敬礼したまま意識を失ってぶっ倒れたのである。完全に意識を失ったユーリリをそのままにしておくわけにも行かず、俺は自室に連れ帰った。
それからも表情には出さずにオーバーワークをし、限界を超えてはオーバーヒートしてしまうユーリリを放置しておけず、結局俺はこの無表情女と同居することとなった。彼女の頑張りでタリスマンの陸上部隊が見る見るうちに錬度を増し、それと同時に彼らが俺を含めた対策隊から派遣されてきた軍事教官への信頼を高めてくれていたのである。その彼女(だけではないが)をフォローするのは当然俺の仕事であろう。ユーリリは当然一人暮らしで、出張先のここでは他に頼る人もいまい。
転がり込んできたユーリリを見て、リーフは最初は子供らしい警戒を見せた。しかし、ユーリリがいわゆる口うるさく子供を指導するような女性で無いことを見て取ると「マー」と呼んで即座に懐いた。ユーリリも無口は無口なりにリーフのことが気に入り、可愛がっているようだった。
狭い2DKの宿舎に男女(プラス1だが)が住めば親密になる。どちらがどうしたというわけでもなく、俺とユーリリは男女の仲になった。ユーリリは無口無表情で反応が薄い女であったが、俺たちが求めたのは感情的交流ではなく肉体的交流。ぶっちゃけて言えば持て余すお互いの若い性欲処理であったからそれは問題にならなかった。
部下に「手を出す」ことには対しては、別に何の抵抗も無いのだった。初めてではなかったからだ。無理やり手篭めにしたのであれば問題も起こるであろうが、常にお互い合意の上での関係であり、職務上の関係とは別であることもはっきりさせていた。そして俺は始めから彼女たちに感情の交流は一切求めなかった。だから一回もいわゆる修羅場は起こらなかったし、関係も長続きしなかった。大概、俺が一方的に振られて終わる。
ユーリリがもしも今まで関係を持った他の女の中で稀にいたように、自分を恋人や愛人として扱うように要求してきたなら、俺は即座に彼女を部屋から叩き出して関係を絶っただろう。しかしながらユーリリは常のように無表情に俺に抱かれ、日常生活においては単なる同居人。公的には俺の部下。彼女の部下に対しては鬼教官として職務に励んでいた。細めの青い瞳からは一切表情が読み取れなかったし、普段は一切無駄口を開かず、しゃべったとしても聞き取れないほどの小さな声。そして俺は彼女が何を考えているかなど考えようともしなかった。
ユーリリと生活するようになって、不意にアニスを思い出すことがあった。
ユーリリとアニスは一切似ていない。だが、それでも何気ない一瞬、椅子に座ってお茶を飲んでいる姿や、不意に立ち上がるしぐさなどがアニスの影と重なる事があった。その度に俺は少し心が騒いだ。
俺は、アニスとホーマーで暮していたころから時折娼婦を買いに出かけていたし、対策隊の活動が軌道に乗ってからは、部下やその他の女と適当に遊んでいた。朝まで女の部屋で過ごし、自宅アパートに帰らないこともしょっちゅうあった。その頃は他の女とアニスを重ねたことは無かった。俺にとってアニスは同居人であったが「女」ではなかった。ワンルームの狭い部屋で文字通り抱き合って眠ったのに、遂に一度も関係を持たなかったのである。
アニス・フラミニア。今、あいつはどうしているのだろうか。そんなことを考える自分に少し驚いていた。あいつは皇帝の妹で、帝都に帰ったのだから相変わらず訳の分からないことを言い散らしながら安穏と暮しているに違いない。俺のことなど忘れて。あいつは、そういう奴だ。
アニスのことを思い出したのは、自宅に若い女性がいるという状況が、アニスと暮していた時と似ているからだったのかもしれない。そうでなかったのかもしれない。
ユーリリとの関係は数ヶ月続いた。俺が女性と関係を持った期間としては、新記録だった。
俺はタリスマン陸上部隊の軍事顧問として派遣されていた訳であるが、だからといって陸上部隊をただ鍛えていれば良いというわけでもなかった。
俺をここに派遣した「救済」代表カール・シンの思惑を忘れるわけにはいかない。腹立たしい話だが、奴は俺に、かなり欲張りなことを期待してここへと送り込んだのである。
まず、タリスマンと親密な関係を作り上げることである。辺境宙域最大の反帝国政治組織タリスマン。このイリーガル寸前の政治結社と手を結べば「救済」がホーマー星を出て他星系へと勢力を拡大する際に色々と役に立つのだ。
それに加えて、シンは俺にタリスマンが持っている宇宙艦隊運営のノウハウを持ち帰ることを求めていた。言葉は悪いが盗んでくることである。これには宇宙艦隊編成のために不可欠な、軍需産業との関係構築も含まれていた。
無茶言うなという感じである。俺は陸軍部隊軍事顧問なのであって、宇宙艦隊司令部などほとんど関係ない。しかしながら俺の立場としてはそうも言ってはいられないのである。俺は考えた。そして逆方向で行こうと考え付いた。
俺はまず、陸軍部隊に軍需物資を納入している業者へ近づいた。これは立派な職務上必要性がある行動だ。顧問としては軍需物資が質量共に十分であるのか、種類、配分が適正であるか、コストパフォーマンスはどうなのかを確認するのは重要な職務だったからだ。
当たり前だが、軍需物資納入業者は軍需企業に繋がりがある。俺はそのルートでタリスマンに兵器、弾薬を納入している軍需企業との接触を図ったのだ。タリスマンのような非合法組織に兵器を売っている企業はそれほど多く無いだろう。案の定、陸軍部隊に兵器を売っている企業と宇宙艦隊に兵器(艦船を含む)を売っている企業は同じであった。俺はこの様な方法でまず軍需企業に顔を繋ぐことに成功した。タリスマン陸上部隊への納入だけではなく対策隊への利権をちらつかせて俺自身を売り込む。
そして今度は軍事企業との繋がりを生かしてタリスマン宇宙艦隊の司令部、特に艦船兵器納入に関わる部署と接触する。表面上は陸軍部隊の兵器納入時の参考にするというような名目で。こうして艦隊司令部に出入りできる口実を作れれば、後は陸上部隊顧問の肩書きを適当に振りかざせば、強い異論は出なくなる。
俺の行動を見てラルフなどは呆れたように言ったものだ。
「意外に陰険だな」
どう言われようが構わなかった。そもそも短い期間でシンに期待されたようなことを叶えるには強引な手段が必要であろう。非合法な手段で無いだけまだしもましだと言える。
タリスマン宇宙艦隊は総数2万隻。超弩級戦艦は2千隻にも及ぶ。重量級の大艦隊である。創成期の中古ボロボロ艦隊を知っている身からしたら思わず感慨に耽ってしまうほどだ。その陣容は宇宙を埋め尽くすと言っても過言ではない。
司令長官はリンダ・エーセルジュという女性で、黒髪を首の後ろで縛っているところといい、黒ぶち眼鏡といい、ラルフと同じ様な容姿だった。ラルフは線が細いし。もちろん女性であるからラルフより頭一つ背が低いというはっきりした違いもあるが、並んで立っていると兄弟姉妹のようにさえ見える。これで二人は恋仲だというのだから思わず苦笑を誘われる。
エーセルジュは最初に俺を紹介された時、臭いでも嗅ぐかのように顔を近づけ、俺のことを見上げながらぐるりと俺の周りを一周。そして何かを諦めたように一言。
「うちの主席もいい度胸よね。こんな奴を招き入れるなんて」
どういう意味だ、という問いには答えず、エーセルジュは俺に右手を差し出した。
「リンダ・エーセルジュ。残念だけどあなたの出番はここには無いわ」
俺は一瞬あっけにとられ、それで怒ることも出来なくなって苦笑した。彼女の右手を握る。
「そうだろうな。俺の仕事場はここじゃないし」
エーセルジュは握手をしながら俺のことを睨むように探すように見上げていたが、手を離すと同時に溜息をついた。
「そうね」
明らかに俺を警戒しているようであったが、それでもエーセルジュは俺に宇宙艦隊司令部への出入りを許可した。
宇宙艦隊というのはとんでもない巨大組織である。タリスマンの艦隊レベルになると、総員数は輜重部隊を含めて500万人を超す。陸上部隊の員数は二万人。比較にもならない差である。この巨大組織を動かすには並大抵の組織力では足りないだろう。巨大な機構は時に運用する人間を無視して暴走することがある。それをさせないためには強力な指導力も必要だ。つまり、見た目の地味さとは裏腹に、リンダ・エーセルジュはそれらを持っているということである。
この当時、タリスマン宇宙艦隊には階級が無かった。どうも民主主義的ではないとかいう理由だったようであるが、軍隊ほど平等主義が似合わない組織も無い。もちろん指揮系統の確立のためには上下関係が不可欠である。それを示す印として宇宙艦隊では色を使っていた。兵卒相当では緑、下士官相当では青、上級士官はオレンジ、将官は白といった具合である。これに番号を組み合わせて階級を表していたのだが、人員が増えると共に不便になったようで結局、陸上部隊で俺が遠慮なく取り入れた一般的な階級称号を後に導入することとなる。
タリスマン宇宙艦隊は数々の実戦を潜り抜けてきている。見せ掛けだけの艦隊ではないことは演習を見物していても良く分かった。俺は宇宙艦隊の指揮は門外漢だが、タリスマンの演習方法が手馴れている上に実戦的であることはわかる。
エーセルジュの艦隊掌握能力は高い。彼女の指揮の特徴は戦場全体を鳥瞰的に把握し、自軍に遊兵をつくらないというところにある。故に敵はこちらの戦力を実際以上に多く感じることになるのだった。速戦即決よりも粘り強い戦いに向いた指揮官だ。そしてその時の俺はまだ知らなかったが、詭計を巡らせる事にも長け、卑怯な作戦も厭わない。敵に回せば実に厄介なタイプだった。
もっとも俺は彼女を敵に回すつもりは無かった。俺が彼女に提案したのは艦隊人員にもある程度の陸上戦闘訓練を施すことと、陸上部隊員にも宇宙艦隊についてある程度の知識を持たせることであった。
「どういうこと?」
エーセルジュは眼鏡に隠れた眉を顰めた。彼女はそもそもは軍事教育を受けたことも無かった一般人であったらしい。そのためか一切軍人らしいところがなかった。それでいて有能な指揮官であるのだからおもしろい。
「宇宙艦隊と陸上部隊の有機的な連携が出来なければ、惑星降下作戦なんかは上手く実施できないだろう」
「そうなの?」
「そうなんだ」
宇宙艦隊司令長官殿に向かって戦術の初歩を講義する不思議も、エーセルジュの経歴を考えれば無理も無いと思える。そしてエーセルジュは人から教わることを厭わないタイプだった。
「本格的な戦闘は陸上部隊が担当するとして、揚陸艦の守備なんかは宇宙艦隊で担当してもらわなければならない。そして、降下作戦を効率的に実施するには宇宙艦隊と陸上部隊が共通の段取りをすることが不可欠だ」
エーセルジュはふむふむと腕を組みつつ頷いていたが、俺の説明を聞いて納得したのか言った。
「分かった。あなたに任せるわ」
丸投げである。俺は少しばかり呆れたが、後にエーセルジュの部下操縦法は一度信頼した相手にはかなりの権限を丸投げにすることであることを知った。つまり、俺は信頼されたと考えて良い様だった。
僕がタリスマンに陸上部隊を新設したのには幾つかの事情がある。
きっかけが「救済」代表カール・シンの指摘であり、グレッグ以下の指導員の派遣を約束してくれたからであることは確かだがそれだけではない。タリスマンが勢力圏を拡大するに従って、宇宙艦隊だけではなく陸戦部隊も保有していた方が良いのではないかと思えることが多くなったのだ。
まず、治安維持にあたる部隊がタリスマンには無かった。このため、勢力圏内にある治安が悪い惑星からの、治安維持要請に応える事が出来なかった。憲兵隊はあるにはあったが、これはそもそも宇宙軍内部での警察的活動のためにある部隊であって、大体において専門に陸戦や治安維持活動の訓練を積んでいない。
タリスマンへの服属を拒む組織を本当に壊滅させるには、やはり惑星表面でも戦わなければならないことが多くなってきたということもある。これは特に相手が小さな組織であると、ゲリラ的な活動を許してしまうからであった。タリスマンが拡大するに従って、辺境の中でも人類居住歴が長い惑星を勢力圏に組み込むことが増え、そういう惑星には地元にしっかり食い込んでいる組織が存在することが多いのだった。
そしてこれが大きな理由だったのだが、タリスマンがこれ以上の拡大をするには、テロ活動を行うことが不可欠だと僕が考えたことである。
テロ、というと無謀で無法で無駄な暴力活動であるという感想を無条件で抱いてしまうと思う。しかし、歴史上テロ行為が敵性国家を衰弱させ、勢力関係を覆すに至った例は数知れない。弱小勢力が強大な敵に立ち向かう場合、テロ行為は立派な戦術の一つなのである。
つまり、ここに及んでタリスマンの前には正攻法では手に負えない、強大な敵が立ち塞がるようになってきたということなのである。つまり、それは、帝国そのものだった。
コラーナムに辺境総督府が置かれ、辺境総督としてなんとあのアニス・フラミニアが送り込まれてきた。その報は僕を個人的には驚愕させたが、辺境総督府の設置自体は予定通りだったのでそれほどの驚きは無かった。
しかしながら辺境総督府が置かれて間もなく、タリスマンと関係を結んでいた帝国の監察使たちが急によそよそしくなったという報告を受けたのである。その中には艦隊強奪作戦以降、常に蜜月ともいえる関係だったオムネア中将までもが含まれていた。
想像は容易だった。恐らくは辺境総督府から何事か指導監督があったに違いない。辺境総督府には最新鋭の艦船と精鋭を集めた五万隻の駐留艦隊がいるのだった。その戦力は監察使の何れをも上回る。その力を背景に脅しを受けたのだろう。即ち「タリスマンとの関係を絶て」と。
帝国軍監察使との関係を裏で結び、それを最大限活用して影に日向に勢力を拡大してきたのがタリスマンである。関係を絶たれれば、根を刈られるに等しいダメージを覚悟する必要がある。外交部は青くなって監察使たちとの関係維持に努めた。
僕は考えた。監察使たちはタリスマンと辺境総督府を計りに掛け、どちらを取るかを迷っているのだろう。
彼らは形式上帝国軍の一員であり、辺境総督府が設置された以上その指導下にあるはずだ。しかしながら同時に彼らはこれまでほとんど帝国中央から離れて好き勝手にやってきた連中でもある。勢力圏をほとんど私領化し、そもそも帝国中央に認められた以上のこと、私税や私法の施行、人員動員などを行ってきたのだ。辺境総督府が引き続きそのような無法を認め続けるとは思えないし、下手をすればそれまでの行いを咎められる可能性もある。彼らをタリスマン側に寝返らせられる可能性はあるのだった。
しかしそれには、タリスマンに付いたほうが得であると彼らに思わせる必要がある。つまり、タリスマンに付けば彼らの権益がこれまで通り保障されると思わせることだ。そして、タリスマンが少なくとも辺境においては帝国中央よりも強いのだと認めさせることである。少なくともタリスマンは辺境総督府よりも強いのだと。
強さにもいろいろある。宇宙艦隊を率いての決戦であれば、リンダは嫌な顔をするであろうが、辺境総督府駐留艦隊にはタリスマン艦隊は適わないだろう。単純に数が負けているし、あちらは帝国中央の精鋭でもある。更に重要なのはあちらには帝国中央からのほぼ無尽蔵な補給が期待できることであろう。タリスマン艦隊は文字通りの虎の子だ。失えば容易には補充できない。
しかしながらタリスマンには辺境総督府には無い強みがある。辺境全域に及ばんとする広大な勢力圏に張り巡らされたネットワークだ。これに対して辺境総督府は所詮役人であり、しかも自治性の高い辺境においては帝国の官僚の権限はそう強くない。つまり、惑星表面にはほとんど辺境総督府の目は行き届かないのだ。
辺境諸惑星表面におけるテロ活動。僕は辺境総督府と対決する戦略の基本ラインをそう定めた。
テロ行為を行って惑星表面の治安を悪化させる。それによって政情不安を引き起こし、民衆に帝国に対する不信感を醸成させる。その不信感をタリスマンが掬い上げて、勢力圏をより強固なものにする。そうすれば辺境総督府がいくら宇宙空間で頑張っても辺境における実効支配力を持つことは出来ないであろう。
ポイントはテロによる治安悪化が辺境総督府が設置されたからである、というように世論をコントロールすることであった。全てがタリスマンの仕業であると明らかになればもちろん逆効果である。
僕がこれらの事を話すと、グレッグは鼻の上に皺を寄せた。
「あまり好きじゃないな。テロは」
「なぜだ」
「一般市民を巻き込むことになるからな」
グレッグは根っからの軍人気質である。そして彼の所属する「救済」はそもそも底辺市民と強く結び付いた組織だ。その辺りが無差別テロに対して嫌悪感を抱く原因になっているのだろう。
タリスマンの方は弱小組織であった頃から、テロはごく普通の戦術であった。無差別テロを繰り返して治安を悪化させる事が出来れば、治安維持の責任がある自治政府などの求心力は低下する。困り果てた自治政府がテロの停止と権益を引き換えに裏取引を持ち掛けてきたこともある。使いどころさえ間違えなければ、無差別テロは有効な戦術になり得る。
「それは事実だろう?」
僕の言葉にグレッグはあまり納得はしかねる感じであったが頷いた。
なぜグレッグにこんな話をしたのか。それは、グレッグが鍛えている陸上部隊を使ってテロを行おうと考えたからである。
それを言うとグレッグはますます嫌そうな顔をした。
「陸上部隊はまっとうな戦いのために創設した部隊だ。テロに向いた人員じゃない」
「ゲリラ戦や都市での戦闘訓練をしていないとは言わせないぞ。テロの実行部隊に必要な能力はその二つだ」
グレッグは沈黙で僕の言葉を肯定した。
「もちろん、計画や準備、根回しは外交部がやる。陸上部隊の実戦訓練にも良いと思うのだが」
グレッグはしばらく額に指を当てて考え込んでいた。グレッグという男は責任感が強い。こういう時「なら勝手にやれ、俺は知らん」とは言わないタイプだった。やがてグレッグは顔を上げた。
「分かった。詳しい作戦を早めに指示してくれ。人選と訓練をしたいからな」
「助かるよ。グレッグ」
グレッグは肩をすくめた。
ラルフが提案してきたテロ活動。その有効性が理解できないほど俺も平和ボケな間抜けではなかった。俺は軍人であり、軍人とは力こそが世の中を動かしていると考える生き物である。話せば分かる、というような博愛主義とはもっとも縁が遠い人種だ。
だからラルフがテロのことを言い出した時に反対はしなかった。ただ軍人は、暴力は軍人だけの特権であると同時に、軍人同士のものに留めておきたいと考えるものでもあるのだ。自らの力を無差別に無辜の一般市民にぶつけるなど、軍人的には嫌悪せずにはいられない野蛮な所業と感じられるのであった。出来れば、やりたくない。
しかし、ラルフが決定した=組織のトップが決定したことであればそれはもう仕方が無い。全ての同義的責任は奴に押し付けるにしても、だからこそ軍人はその命に服さねばならない。
俺は正直タリスマンの一員ではないし、ラルフの命令を聞くいわれも無い。しかしながら、自分たちが訓練してようやく軍隊らしくなったタリスマン陸上部隊の初陣を、放置しておける筈も無かった。これは軍人的というよりは俺の個人的性向だが。
そしてラルフはとんでもないことを言い出したのである。
「コラーナムで、やって欲しい」
俺は聞き間違いかと思って奴の眉間を睨んだ。
「コラーナムで」
「テロを?」
「そうだ」
ラルフは生真面目に頷いた。眼鏡のレンズが光って奴の目が一瞬見えなくなる。
俺は思わず唸った。
コラーナム。コラーナム星系。そこはつまり、
「帝国の、辺境総督府が最近置かれた、ところだな」
「そうだ」
ラルフはいちいち真顔で頷く。それはつまり、このとんでもない提案が、洒落や冗談ではないということを示していた。俺はもう一度モーターの振動音のような声で長く唸った。
コラーナムには最近とはいえ辺境総督府が設置された場所であった。つまりそこは、辺境宙域における帝国の本拠地。そこには五万隻の帝国艦隊を始めとした500万人に及ぶ帝国軍がいて、辺境星系全体を威嚇しているのだった。
そこでテロをやれと?猛獣の群れの前で裸でダンスを踊るようなものだ。
「・・・理由は聞かせてもらえるんだろうな」
「コラーナムは辺境総督府のお膝元だ。テロが成功すれば効果が大きい」
「・・・その分、リスクは高い」
「ああ」
沈黙。しかし俺が口を開く前にラルフが言を継いだ。
「だが、君が思っているほど成功確率が低いとも言えない。理由はいくつかあるが、一番大きいのは、コラーナム惑星表面を、帝国が完全に把握しきっているとは言えないことだ」
良く分からない話であった。コラーナムとその周辺星系は、帝国の直轄地になった筈だ。辺境総督府設置と同時に治安組織や行政組織も置かれ、恐らくは帝国の威信に掛けて徹底的な管理が行われていることだろう。
「ところがそうでもない僕はコラーナムに行った事があるから分かるんだが。グレッグは行った事は無いのか?」
実はある。流れの日雇いであった頃に一度行って鉱山に潜ったことがあるのだった。
「なら話は早い。そう。あそこは鉱山惑星だ。惑星中が鉱山で、そこらじゅうが掘り返されている。地下には網の目の如く坑道が張り巡らされていて、後から乗り込んだ帝国がそれの全てを把握するなど不可能だ」
それは確かにその通りだ。ということは、その坑道に潜んでいれば帝国の治安部隊の目から逃れることができる可能性がある。
「そしてもう一つ。鉱山は人の出入りが大きい。労働力を確保したければ、星系外からの人の出入りを制限することは出来ない。つまり、現在でも意外に簡単に、入星出来るんだ」
人の出入りを厳しくし過ぎて労働者が入ってこなくなれば、コラーナムが如何に膨大な地下資源埋蔵量を誇っていようとも宝の持ち腐れにしかならない。鉱山はきつい職場で、人が長持ちしない。常に労働者を入れ替える必要もある。
「最後に、タリスマンの協力者は既にコラーナムにいる。情報は逐一上がってきている」
なるほど、確かにそれならばテロの実行は不可能では無いだろう。俺にもラルフが持っている確信の一端を知ることは出来た。
コラーナムでテロを成功させる。しかも、一回ではなく継続的に。そのことが有する戦略的重要性は十分理解出来る。それこそ他の惑星でテロを100回やるよりもコラーナムで3回やるほうが、帝国に対する揺さぶりという意味では効果的であろう。
そうであれば、後は俺たちが実行段階に生ずる困難を乗り越えさえすれば良い。
俺がコラーナムに入ったのはラルフからコラーナムでのテロの話を持ちかけられてから10日後のことであった。ほとんど直行と言っても良い。俺はその時までに人選を済まし終えていたし、ラルフの方も既に俺たちをコラーナムに送り込む方法を手配していたのだった。俺たちは偽造旅券で何隻かの貨物船に分乗してコラーナム星系へと入った。
人工惑星「オスカー」を出る際に俺が最も懸念したのは、無論リーフのことであった。もちろん俺は置いて行く気でいたのであるが、潜入部隊にはユーリリも加わっており、リーフの世話を頼める者がいなかった。俺の部下は数人、オスカーに残ることになっていたのだが、戦闘でなら100人を前にしても怯まない彼らが、リーフの世話を持ちかけるとあからさまに狼狽した。言を左右にしてこの俺の頼みを断りやがるのである。リーフの悪名はオスカー全体に轟いており、そんな火の付いた爆竹みたいな娘を抱え込みたくは無いというのは当然の感想であったろう。
そもそもリーフ自体がオスカーで留守番する気は無いようだった。付いてくる気満々、というか、置いていったら承知しねぇとばかりに爛々とサファイヤめいた瞳を輝かせていた。俺は全てを諦めて彼女をコラーナムに伴うことにした。ユーリリと俺とリーフで家族を偽装したほうが、入星の際に怪しまれ難いだろうなどという自らへの言い訳を準備しながら。
コラーナム星系コラーナム星は鉱山惑星で、移民者が非常に多い。そのため皇帝直轄地にして辺境総督府が置かれた重要惑星としてはありえないほど入星審査も緩かった。後から考えると、コラーナムに辺境総督府を置いた皇帝の考えは失敗だったと断ずることが出来る。
コラーナムが重要惑星である事は間違い無いが、それは鉱山としての重要さなのである。人の出入りが多く、定住者が少ないために治安が無秩序になり易いという特性は政治拠点としては不向きである。その特性を強く変更してしまうおうとすれば、結局鉱山としての能率を落としてしまうことになるのだ。コラーナムではなく、星系内の適当な惑星に基地でも築けば良かったのである。
俺とユーリリ、おまけのリーフは入星するとすぐにタリスマンの協力者を頼って宿を見つけた。宿というよりは鉱山労働者住宅の一つを俺たちの住居兼作戦本部として借りたのである。
偽装のために、俺はテロ実行部隊が集合するまでの半月ほど鉱山労働者として働くことまでした。これには情報収集の目的もあった。コラーナムの実情、特に辺境総督府に対する世論の動向を把握しなければならなかった。もしも辺境総督府への世論が非常に好意的だった場合、テロの中止も考慮しなければならなかったからである。
テロというのは、破壊行為そのものが目的なのではない。破壊行為によって政情不安を引き起こし、世論を誘導するのが目的なのである。今回の場合、テロによって辺境総督府の治安維持能力が無能であることを知らしめ、辺境総督府に対する不信感を増大させることが第一目的である。その上で世論が潜在的に持っている辺境総督府に対する反感を煽りたて、世論と辺境総督府が対立するように仕向けられれば更に良い。
しかしながら、世論がそもそも辺境総督府に好意的であった場合、つまり現状に対する民衆の満足度が高かった場合、テロによって政情不安を煽り立ててもそれは狼藉者に対する怒りにしかならず、つまりは異分子に対する排除の論理が働くことにしかならない。テロを行なった俺たちが単純に排除される結果が待つことになるだろう。
そこのところを見極めるには、この惑星で絶対多数であり。流動性も高いために他の星系への情報波及効果も高い鉱山労働者の世論を正確に把握する必要がある。俺と数人の部下は鉱山に潜り込み、俺は久々の鉱山労働で体中を筋肉痛に苛まれた。
俺が鉱山で働く間、ユーリリとリーフは普通の家族のように家にいた。ユーリリも何か働いて情報収集をさせようかとも思ったのだが、あまり派手に動いて面が割れるのも問題だったし、なによりリーフを放置出来なかった。ちなみに、連れて来るに当たってリーフには事情を説明し、兎に角、大人しくしているようにと厳命して彼女も神妙に頷いたのであるが、俺はリーフが「大人しく」という単語の意味を理解出来ているかどうかすら疑っていたから、ユーリリに目を離さないようにと頼んでおくしかなかった。
昼間鉱山で働く俺が帰ると、夕食の支度を済ませたユーリリとリーフが出迎えてくれる。正直これは軽く衝撃を受けるほど暖かな出来事だった。休日には三人で目立たないように服装に注意し、情報集めがてらではあったが、街に出かけて三人で買い物をしたりもした。ユーリリはそもそも無表情で笑うことなど皆無、リーフはいつ何をしでかすか気が気ではなかったが、それでも俺は結構楽しかった。
もちろん、程なくメンバーが集まり、俺たちは俺たちなりの日常に戻った。
コラーナムにおけるテロ行為。その最終的な標的は言うまでも無く辺境総督府が置かれたビルであった。しかしながら、いきなりこれを狙う事が出来るものではなかった。いや、不可能ではなかったが、中枢を最初に攻撃してしまうと、帝国当局が一気に警戒を強化してしまって、活動が制限される可能性があった。状況に混乱を生じさせるという目的のためには、テロが成功させる回数は多い方が良い。
そのため、我々が最初に標的としたのは、辺境総督府とは直接関係が無い、宇宙港の事務局が置かれた建物であった。ここを時限爆弾で吹っ飛ばしたのを皮切りに、当面治安部隊をあまり刺激しない程度の場所に時限爆弾を仕掛け続けた。楽なものだった。コラーナムに入ってきた総督府付きの治安部隊は土地に慣れておらず、検問を敷いたつもりで抜け道を残してしまう始末だったからだ。
テロを続けると、まず我々に接触してきたのは、地元の任侠組織というか要は裏社会を取り仕切っている男の一人であった。名をブルックリン・モールグといい、鉱山労働者崩れらしい豪快な体格と髭の持ち主だった。彼は苦い顔をして俺に言った。
「ああいうことを俺に無断でされちゃぁ、困るんだよ」
モールグはそう言った後咳き込んだ。鉱山労働者に多い肺の病気を持っているようだ。
「人死にが出るような事をするする時は、筋を通してもらわねぇと。そうだろう?」
「あんたの許可がいると?」
「そうだ。別に、親分風ふかそうってんんじゃねぇ。死人の始末をするには、いろんなところを調整せにゃならん。あんたらには出来ないだろう?」
調整とはずいぶん優しい言い方であるが、要するに殺されたことに対する怨恨を、硬軟織り交ぜた交渉や説得で手打ちにすることであろう。
「そうだな」
「あんたらのやることに手を出そうとは思わねぇよ。俺らも総督とやらは気にいらねぇからな。だがよ、あんたらが帰った後にまで恨みつらみが残るような真似をされちゃぁ俺が困る」
モールグは大きな目玉を動かして、俺をギョロリと睨む。俺は目を細めた。
「…分かった。どうすれば良い?」
「話が早い親方で助かるわぁ。事前に俺のところに吹っ飛ばすところを教えてくれればいい。その代わりあんたらの逃げ道は作ってやるよ」
ということで俺たちはモールグという重要な協力者を得る事が出来た。彼の目的はもっぱら自分の庇護下にある連中が我々のテロに巻き込まれないことであったから、彼の影響下に無いのだという市場やオフィスビル街、もちろん役場関係へのテロはむしろ積極的に協力してきた。我々の力を使って敵対組織を弱体化させようという狙いは見え透いていたが、モールグの提供してくる情報のおかげで活動はずいぶん楽になった。
我々のテロで一回に付き数十名の死傷者が出た。今更、善人面しても手遅れだが、兵士でもなんでもない一般市民を巻き込むことにはやはり心が痛んだ。
俺は自分が正義だとは思っていなかった。というより、そんなことは考えたことも無かった。自分の正義を信じていれば、あらゆる犠牲を正当化することが出来る。だから俺は自分のやっていることの有効性は信じられても、無辜の市民が死ぬという事実を正当化することが出来なかった。
しかし、これも戦争の姿の一つなのだった。戦場で兵士が戦うことが戦争の全てだった時代は宇宙時代以前で終わっている。そして戦争であればやはりそれは軍人の仕事であり、つまり任務を遂行するのは俺の役目なのだ。
コラーナム市内各所でテロが続くと、辺境総督府としても放置出来なくなってくる。治安部隊は増強され、市内各所に配備されるようになってきた。しかし、それは我々の計画遂行の妨げにはまるでならなかった。理由は簡単で、治安部隊がやるパトロールや検問があまりにも杜撰だったからだ。治安部隊は帝国中央から連れて来られた兵士たちばかりで、コラーナムに不案内であった。見知らぬ土地に連れて来られた者は誰でも警戒するだろう。非友好的な雰囲気を感じ取れば尚更だ。彼らは自分たちの身の安全を警戒しながら仕事をすることになり、任務に対して上の空になりがちなのも無理は無かった。
俺が辺境総督府で治安部隊を組織するとすれば、必ず地元の連中を雇うだろう。辺境総督府はその辺りが分かっていなかったのだ。逆に俺たちは地元の協力者を得ることが出来ていた。治安部隊の連中が知る由も無い潜伏場所と逃走経路を確保しつつの活動は、野原を走り回るのと同じくらい簡単なことだった。
20回以上のテロを成功させ、いよいよ本丸、辺境総督府ビルに取り掛かろうとしている時のことであった。意外な知らせが飛び込んできた。
モールグが治安部隊に逮捕されたというのである。俺は眉を顰めた。
確かにモールグはヤクザ者であり、いわゆる非合法活動に手を染めていたから逮捕されても不思議ではない。しかし、俺が懸念したのは、彼が俺たちの協力者であると辺境総督府当局にばれた可能性である。もしそうであれば面倒なことになる。俺は即座に部下たちにアジトを変える様に指示を出した。
モールグの部下たちは慌てると共に憤慨していた。もしかして俺たちが当局に密告を行なったのではないかとさえ疑っていた。まったく根拠の無いことであったが、ここで彼らと感情的対立に陥ることは避けたかった。俺はモールグ奪還のためには協力を惜しまないことを約束することで当面彼らの信頼を繋ぎとめた。
面倒なことになった。モールグの脱獄を支援するのは容易ではない。彼は辺境総督府ビルの一室に監禁されているらしい。単にテロであれば、ビルのどこかをふっ飛ばせばそれで済むが、モールグを連れ出すには潜入するなり突入するなりしてビルに侵入しなければならない。それはつまり総督府ビルを厳重に警備している治安部隊と戦わなければならないということであろう。
俺が連れてきたテロ実行部隊は僅かに二十名である。それとコラーナムにいたタリスマン人員が精々二十名。しかし彼らは俺の指揮下に無い。一番多いのがモールグの部下だが、こいつらは俺の言うことはまず聞いてはくれないし、所詮たんなるならず者の集まりだから頼りにはならない。つまり、俺の使える人員は二十人にしか過ぎない。
不可能だ。俺はあっさりそう結論した。まともに戦っては勝ち目が無い。
ではまともで無い方法を考えなければならない。やれやれ。テロでさえ既に軍人的にはまともだとは言い難いのに、更にまともでは無い方法を考えろと言うのか。
俺はとりあえず辺境総督府ビルの情報を収集した。元々コラーナムを支配していた企業が建てたビルで、飾り気の無い積み木のような建物であった。地下二階地上二十二階。特に重火器等の厳重な警備機構を有している訳ではないが、ビルの周囲には常に歩哨が直立不動で等間隔に立っている。それだけでも俺たちには手に余るのだ。
よし。アニスを誘拐しよう。
俺がそう言うと、ユーリリはいつも通りの平坦な表情を、ほんの少し曇らせた。部下の一人、アレックスはもっとあからさまに戸惑いの表情を浮かべた。
「どういう意味ですか?」
「辺境総督、アニス・フラミニアを誘拐しよう。それで、モールグを解放させれば良い」
アレックスは全く納得しなかった。
「どうやってですか?総督は総督府の中にいるのではありませんか?」
「だが、常にビルの中に潜んでいるわけでもない。現に住んでいる市内のマンションから総督府に通っているじゃないか。その通勤の途中を襲って誘拐すれば良い」
「しかし、その車は厳重に警戒されています。襲撃は危険すぎるでしょう」
俺は肩をすくめた。
「だが、他に方法が無い。総督府ビルへの襲撃はさらに危険だろう?それに比べれば、襲撃の場所やタイミングの選択権がこちらにある車への襲撃の方が、まだしも可能性がある」
そして、もう一つ。俺は皮肉な思いに唇を歪めた。
「俺は、アニスとは個人的な知り合いだ。顔さえ合わせられれば、言うことを聞かせる自信がある」
ユーリリの目が少し細まったようだった。アレックスは完全に納得が言った様子では無いが一応は沈黙した。
アニスが辺境総督としてコラーナムに赴任してきたという話を聞いたときは、まぁ、驚いた。その時にはまさかコラーナムに潜入するとは思っていなかったのだが。
やはり、あいつとは何かと縁があるらしいな。それにしても別れた時にはまさかあいつとこんな風に再会しようとは思ってもみなかった。いや、上手く行かなければ俺は辺境総督であるあいつの前に反逆者として骸を並べることになる訳か。
そのような感慨に耽っていると、冷たい声がした。
「アニスの事を思い出しているの?」
驚いた。滅多に声を出さないユーリリが、冷たい視線でじっと俺のことを見ていた。短い金髪なので、濃い青の瞳がはっきりと見える。
「・・・いや、別に」
アレックス以下、部下たちは微妙な表情をしていた。俺はあえて気楽な声を出した。
「アニスのことを知っていたのか?」
「勧誘された」
短い返答に俺は驚いた。そういえばアニスは「救済」の手伝いをやっていたことがある。
「あなたは、選ぶことが出来る、と、言われた」
なんのことやら分からないが、アニスらしい物の言い様だった。俺は苦笑して、ユーリリの質問に改めて答えた。
「別に思い出しちゃいない。思い出すほど、いい思い出があるわけでも無い」
「・・・そう」
ユーリリは呟くと、後は置物のように沈黙した。
アニスを誘拐し、モールグと引き換えにする。これは俺としてはいいアイデアだと思ったのであるが、実行前に挫折を余儀なくされた。アニスがテロを警戒して住居を総督府ビルに移してしまったからである。俺はその報告を聞いた時に思わす舌打ちした。
ただ、この事は一つの事実を示していた。モールグの逮捕はやはり偶然ではなかったのである。なぜなら、単純にテロを警戒してのことなら、もっと早くに警備対象を単純化するためにアニスを総督府ビルにかくまっても良かったのである。このタイミングでそうしたというのは、モールグの逮捕によって俺たちテロリストが何らかのアクションを起こすと予測したからなのだろう。偶然である可能性も勿論あるが、モールグがテロリスト関係者だと知れたと考えた方が良さそうだった。
心配なのはモールグが取調べで口を割り、テロの実行犯がタリスマンだと知れることだった。しかし、俺はモールグにタリスマンの名前を出さなかったし、俺を含めて俺の部下は一人も本名を名乗っていない。正体が帝国側にばれる可能性は低かった。
もしもアニスの考えで総督府ビルに住居を移したのなら。俺は思案した。それは常識的でテロ対策としては理に適った方法に見える。警備対象が少ない方が警備し易いのは事実であり、戦力も集中出来る。しかしながら、必ずしも全てにおいて有効であるとも言い切れない。
総督府ビルは繁華街の中にあり、警備をするにしても人員的に限界がある。警備対象が重複すれば、少ない警備に過剰な負担が掛かることになる。特に夜間。アニスが住んでいた郊外のマンションを警備するよりも複雑な街中の総督府ビルを警備する方が難しい筈だ。
警備に過剰な負担が掛かっている方が隙を作るチャンスは多い。アニスは墓穴を掘ったのだ。・・・俺はこの時半ば無理やり自分をそう納得させた。
実際には、俺はアニスに出し抜かれた気分でいたのである。アニスが俺の考えを先回りしたかのように住居を移したことが意外で、アニスに挑戦されたような気がしていたのである。
そのため、一度は常識的に考えて放棄した総督府襲撃の考えを、もう一度検討して実行に移してしまったのだった。
警戒厳重な目標を攻撃するにはいくつかセオリーがある、
まず、敵が陣形を固め、完全な守りの形を保っている状態では勝ち目が無いということである。何とかして相手の陣形を崩さなければならない。
次に、敵が戦力を集中している部分を直接攻撃してはならないということだ。正面からではなく側面から攻撃する。もしくは敵の裏をかく。
そして、もっとも重要なのが敵にこちらの意図や戦力を把握させてはならないということである。敵を振り回し、こちらの戦力を過大に錯覚させる。
この三つを実現することが今回の作戦では求められていた。俺の考えた基本的な作戦はまず、総督府ビルの近くでテロを行なう。総督府の警備部隊がそちらに気を取られる間に、少数の部隊が総督府ビルに潜入。総督府ビル内部で破壊工作を行なう。これも陽動だ。そして本隊がモールグを救出して脱出する。
戦術としては目新しい物ではないが、有効であるからこそ使い古されているのだと言うことも出来るだろう。
特に重要なのが最初の段階、総督府ビル周辺でテロを行なって警備部隊を挑発、刺激する段階である。警備部隊が単純に反応してくれるようになるまで、テロを繰り返す必要があった。それにはテロを完全に成功させるよりは、やや不手際な様子を見せたほうが良い。警備部隊が迅速に行動すれば、我々を逮捕することが出来ると思い込ませるのである。事態を単純な追いかけっこだと思いこませることが出来れば、警備部隊の動きの誘導が容易になる。
陽動の基本は、それが陽動だと悟らせないことであろう。我々が治安悪化のみを目的とした無差別なテロリストだと思い込ませること。テロを隠れ蓑に何か目的を隠しているなどとは思わせないこと。テロの実行犯を逮捕すれば何もかも片が付くと思い込ませること。そのように総督府の連中の思考を誘導する必要があった。
もう一つ、警備部隊が我々の行動を無視出来ないようにする必要があった。警備部隊の目的は治安維持ではなく総督府ビルの警備だ。そのため、テロは総督府ビルの機能に関係するポイントを対象とすることにした。具体的には電気や水道、通信に関わるインフラ設備関係だ。これらの設備は当然ながら最初から警備が厳重である。テロの標的としては難しいのだが、止むを得なかった。
水道設備を爆破し、変電設備をふっとばし、電話線を切断する。俺たちは慎重かつ程よい程度に大胆に行動した。目くらましにいくつか無関係の設備にもテロを仕掛けたが、おかげでコラーナムの治安状況は騒然となった。流石にこれ以上情勢が悪化すると、現在は衛星軌道上にいる帝国艦隊から治安維持のために陸上部隊が大挙して降りて来てしまうかもしれない。それは出来れば避けたい事態だった。
唯でさえ不案内な土地で、繁華街に建っている為に警備しにくい総督府ビルを二十四時間体制で守らなければならない警備部隊は苛立った。総督府ビルのすぐ近くでテロがあったにも関わらず、我関せずと動かなければ、周囲住民の対帝国感情は悪化し、警備はより困難になる。言い訳程度にでも出動する必要があった。それにテロによってインフラ設備が使用不能になれば総督府ビルにいる総督たちが困るのだ。俺たちはわざわざ少し姿を見せ、彼らと軽く銃火を交わすことまでした。
これが数日に渡って繰り返されると、警備部隊は惰性的にテロの現場に駆けつけるようになり、同時に間抜けなテロリストを今度こそ逮捕してやろうと躍起になった。その様子を観察し、俺は頃合を計った。
総督府ビルはそもそも、コラーナム星に殖民が始まった時に最初に建てられた建物の一つでした。その後、コラーナム星が開発され、人口が増えると共に総督府ビルを中心にコラーナム市が形成されます。ですから、総督府ビルは文字通りコラーナム市の中央にあるのでした。
コラーナム市の人口は30万人くらい。大きいとは言えない都市でしたし、まだ発展途上でしたから建物はみすぼらしく、道路が舗装されていない場所もありました。それでも総督府ビルから眺める夜景は、活気のある惑星らしく煌々と輝いています。その輝きを見ながら、私はふと、ホーマーの夜景を思い出していました。グレッグと一緒に、展望台のあるタワーに上って夜景を見たことがあるのでした。その、光の絨毯のような圧倒的な夜景に比べれば、コラーナムの輝きはまったく見劣りがします。それなのに、なぜ、あの時の事を思い出したのでしょう・・・。
「ああ、そうか」
私は白い髪を掻き上げながら一人呟きました。
「グレッグが、いるんだわ」
だから、今日に限ってグレッグと見た光の渦を思い出したのでしょう。
私は薄々感じていました。テロの警戒のために住居を総督府ビルに移したのは私が考えたことではありませんでしたが、そのことを警備担当のナスカ准将に求められた時、反対しませんでした。
頻発するテロに強い意志を感じたからです。単なる世を騒がせる事を目的としたテロとは違う、最終的な目的のために段階を踏んで着々と実行されている破壊工作。私はテロに関係があると思われるモールグという男を逮捕させ調べさせましたが、テロリストについての情報は得られていませんでした。しかし、モールグがテロリストに関係があることは間違いありません。テロリストが奪還を企む可能性はあるでしょう。
いや、これほど強い意志を示すテロリストであれば、手段を選ばず奪還しようとするに違いありません。私が警備しにくい状況にあれば標的とされる可能性はあると考えなければなりませんでした。ですから私は総督府ビルに入ることにしたのです。
そうか、グレッグか。
あの人なら納得でした。あの人ならこれほど強い意志を、無差別テロといった卑劣な行為の中に込めて見せるでしょう。全てが一本の道に繋がるように。あの人なら辿りつくでしょう。私の所に。それがなんだか面白くて、私は微笑しました。
私は好きなように、趣くままに動いていたつもりでした。グレッグも自らの意思で前を切り開いて来たに違いありません。それでも、私たちはこうやって交差する。やはりグレッグは私の運命の人なのでしょう。
私は隣室に控えている筈の侍女を呼びました。
「警備主任を呼びなさい。急いでね」
俺たちは総督府ビルへの侵入方法として、ごくオーソドックスに下水道ルートを選んだ。総督府ビルは繁華街の真ん中に建っており、人目に付かずに接近するには空を飛ぶか地に潜るしかなかったからだ。そして、俺たちには空を飛ぶ手段がなかった。
コラーナムには下水道の整備が不十分なエリアも多かったのだが、総督府ビルの辺りは流石に整備が行き届いていた。直径3m程の暗くて臭いトンネル。俺たちはこれまでのテロ活動で何度と無く使っていたので、慣れてしまっていたのだが。
侵入部隊の人員は俺とユーリリを含む5名。他の15名及びタリスマン、モールグの組織の連中は陽動部隊に回してある。本格的な攻略作戦ではなく、要するにこっそり侵入してモールグを救出して脱出すれば良いのだから、むしろ少人数の方が良いのである。
下水道を伝ってビルの内部にまで入れれば簡単なのだが、勿論そんなことは出来ない。ビルから下水本管までの管は細過ぎて人が入れるようなものではないのだ。俺たちは事前に下水道の見取り図を入手しており、総督府ビルに一番近いマンホールを把握していた。陽動部隊は時間を合わせて総督府の警備をそこから引き離そうとしている筈だ。
警備の連中がマンホールの位置を把握し、そこをマークしている可能性もあったのだが、俺はあまりその心配はしていなかった。今まで下水道の中を自由に逃走ルートに使えていたということは、総督府治安部隊の連中が下水道のことを把握出来ていない事を意味していたからだ。実際、俺たちがマンホールの蓋を慎重にずらして地上に忍び出た時、そこには治安部隊の姿は皆無だった。
俺たちは即座に総督府ビルに張り付き、移動した。このビルの一階は元々この惑星開拓時に作られたもので、移民受付などをやる事務所だった。ぐるっとガラス窓で囲まれている。俺たちは予定のポイントにやってくるとガラスにダイヤモンドカッターを当て、大きな三角形にカットした。音を立てないように倒し、出来た穴からビル内部に侵入する。
内部は真っ暗だった。そもそも総督府になってから、この一階は使用しておらず、立ち入り禁止になっていたのである。総督府の連中は地下駐車場からエレベーターで出入りしているのだ。警備上の都合だろう。
階段は当然警戒されているだろうからとてもではないが使えないだろうし、エレベーターは一階を素通りしてしまう。
そこで俺たちはエレベーターシャフトの中に侵入、そこを上って行くという手段で上層に侵入することにしていた。もちろん、エレベーターの扉を無理やりこじ開けたら警報が鳴り響いてばれてしまう。なのでここだけは丁寧に警報装置を解除した。手順は事前にエレベーター管理の会社から入手しておいた。
警報を解除して扉をこじ開ける。ビルを貫く竪穴は鉱山の坑道のようで、一瞬自分が地下に潜ったのかと錯覚させられた。意外に広く、不気味な音が反響してもいる。俺は一瞬、逡巡した。恐れたのではない。不吉な予感がしたのだ。
戦場では、勘というものは馬鹿には出来ない。極限状態では人間の感覚と言うのは研ぎ澄まされているものだからだ。一瞬の判断が生死を分けるような場合、考えるよりも先に行動しなければ間に合わない事もある。なので俺は勘の囁きにはある程度素直に耳を傾けることにしていた。
この作戦が限度を超えて危険であることは認識していた。俺たちのテロはこれまで、帝国総督府の隙を突き、裏をかいたからこそ成功してきたのである。真正面から戦いを挑むには総督府はあまりにも巨大であったからだ。しかしながら今回はどうであろうか。総督府ビルへの侵入は総督府側も当然予想し、警戒している事である。それなりの備えがあると考えるのは容易だ。
そのため、陽動を起こして敵の目を逸らしたのだ。しかし、それで十分ではなかったら?敵が陽動を見破って、あるいは総督府ビルといういわば自軍の本陣をがら空きにする危険を認識して警戒を緩めていなかったら。俺たちは敵の弾幕の中に飛び込むような危険を冒すことになる。
ピリピリと俺の勘が不吉さを訴えていた。総督府ビルへの侵入は予定通りに済んだ。エレベーターシャフトへの突破口も開いた。侵入し、内部で騒ぎを起こした後にモールグを救出。別に考えてある退路から逃げる。必要最小限の、素早い行動が出来れば可能であろうと考えたからこそ作戦を実行に移したのであるが、かなり不確定要素の残る作戦であることも事実であったのだ。
俺は反射的に後退を命令しそうになった。
それをしなかったのは、ここまで侵入した後に作戦を中止すれば、侵入の痕跡が残ってしまい、敵が次からは警戒を強めてしまうが故に、二度と同じ作戦を繰り返せないという事に思いが至ってしまったからだった。モールグをなんとか奪回しなければならないことは動かし難い事実だった。
そしてここまで敵が警戒している動きを見せていないということもある。エレベーターシャフト内を見上げても何も起こらない。物音一つしない。外部からビル内部を探っている偵察部隊からも異常を伝える連絡も無い。全ては順調に推移している。ここで作戦を中止すれば臆病風に吹かれたと非難されても反論出来ない。
結局俺はそのまま前進した。
エレベーターシャフトの中を、ワイヤーを掴んでよじ登る。勿論、この時にエレベーターが動いたらとんでもない事になる。深夜だから総督府ビルは活動を停止している筈だが油断は出来ない。迅速な行動が求められた。
総督府ビルは地上22階建て。俺たちは一気に4階まで上った。なぜ4階なのかと言えばここが総督府の一般事務職員の事務所だったからである。この時間には無人な筈であった。俺が真っ先にエレベーター扉に取り付き、扉をこじ開けた。素早く転がり込み警戒したが、エレベーターホールになっているその場所には人気が無かった。薄暗い常夜灯がうっすら光っているだけ。思わずホッと息を吐きそうになって慌てて気を引き締める。問題はこれからなのだ。
なにしろモールグがどこに捕らえられているのかが分からないのである。総督府ビル内で陽動を掛けるにしても、目標の位置が分からなければ不可能だ。
外部からの観察で、総督府政庁の重要機能は18階から20階。その上の階にアニスが居住しているらしいことは分かっていた。その辺りの階層の警戒は下の階よりも遥かに厳しい筈だ。そこまで侵入しなければならないような場合は諦めて撤退しなければならないだろう。
俺はとりあえず隊を二手に分けた。マアル・ユーリリたち3人と、俺とエバン・アレックスの二人。ユーリリたちは階段の一つから。俺たちは違うルートから進む。
「頼んだぞ」
別れ際、声を掛けるとユーリリは表情の少ない瞳で俺のことを見上げた。何かを言いたげに唇が震える。しかし彼女は結局金髪おかっぱの頭を揺らして頷いただけだった。
俺とアレックスは事務所の一つを突っ切って窓へと向かった。コラーナムの貧弱な夜景が広がっているが、一瞥しただけで俺たちは窓ガラスの一つを押し開いた。冷たい夜風が吹き込んでくる。俺は目もくらむ高さを無視して窓の外に半身を乗り出し、上の階に向かって鍵爪のついたロープを投げた。
ロープが固定され、上階から反応が無いことを確認した後、俺はロープに身体を預けた。まったく。こんなのは兵士じゃなくて怪盗とかそういう連中のやることだ。俺はいろんなものに毒づきながらロープを手繰った。
上の階に上ると、アレックスを引き上げる。二人とも上り終えてから、ユーリリに無線で連絡する。マイクを一回叩いた音が返ってくる。了解の意。続けて8回。8階侵入成功の合図だ。
俺とアレックスは窓の外、ほんの50cmほどしか幅がないコンクリートの桟を歩いて8階を探った。しかし、人っ子一人いない。仕方が無い。またアスレチックだ。
同じ様に9階、10階と上っていったのだが、モールグどころか人の気配すらなかった。別ルートを進んでいるユーリリ達も同様のようだった。これは、まずい。先ほども述べたが、総督府の重要機能は最上層に集中している。上れば上るほど危険度は上り、脱出は難しくなって行くのである。これは悩みどころだった。一体どこまで上るべきか。
踏ん切りがつかないまま俺たちは13階まで上った。そこで初めて変化がある。俺は慌てて身体を伏せた。そこを、まさか13階の窓の外に人がいるとは夢にも考えていないだろう巡回兵が適当にライトを振りながら歩いていた。
俺はほとんど無意識に動いた。巡回兵が角を曲がるのを待って、ダイヤモンドカッターで窓ガラスを一気に切り、内部に侵入。俺は巡回兵の後を追った。巡回兵はのんびり緊張感も無く歩いていた。完全に油断している。俺は一気に距離を詰め、飛び掛った。
一挙動で口を塞ぎ、床に引き摺り倒す。背中からのしかかって動きを封じた。続けてアレックスも走り寄り、ロープで手際良く男を縛り上げ、猿轡を噛ませた。俺はナイフを抜いて巡回兵の喉に擬した。
「おい、答えろ。このビルに地元のヤクザが捕らえられている筈だ。どこだ」
男は一瞬躊躇した。俺はナイフを容赦無く男の肩に突き立てた。激痛に身をよじる巡回兵。俺は再度同じ質問を繰り返した。男は恐怖と激痛に錯乱状態になりながら何度も頷いた。
猿轡を外してしゃべらせる。男によるとモールグはこの上の14階の北の端の部屋にいるとの事だった。俺たちの真上くらいだ。
「分かった」
俺は必要な情報を得るとナイフを振って男の首を横に切った。血が噴出す様もほとんど見ずに立ち上がる。アレックスが若干動揺したように言った。
「殺すことも無いでしょう・・・」
アレックスの言葉が終わらない内に俺は右手を握ってアレックスの頬を殴りつけた。
「行くぞ」
アレックスは姿勢を正して敬礼した。
俺は無線でユーリリに連絡を入れた。短くモールグの位置を伝える。ユーリリは返事をしなかったが、元々モールグを発見した場合、近い方が救出。遠い方が陽動作戦を行なう事に決めていたのである。つまり、俺が救出部隊。ユーリリが陽動と決まった訳だ。俺とアレックスはもう一度窓の外に出て、機を窺った。
あまり待つ必要は無かった。鈍い音がしてビルが僅かに揺れた。感じたのはそれだけだったが、爆弾の爆発であることは間違い無いだろう。ユーリリの仕業だとしか考えられない。俺は少し待って鍵爪つきロープを階上に投げ上げた。
慎重に顔を出すと、窓の内側は大騒ぎになっていた。廊下を兵士たちが走り回り、何事かを叫びあっている。と、再び爆発音。兵士たちはどっと走り出した。ユーリリたちはかなり派手にやっているらしかった。
俺とアレックスは兵士たちの姿が途切れたのを見計らって窓ガラスを叩き割って三度内部に侵入した。途端に耳に警報音が飛び込んでくる。館内放送が非常警報を鳴り響かせていたのだった。俺とアレックスは拳銃を手にモールグが捕らえられているという部屋へ向かった。
部屋の前には歩哨が立っていたが、如何にも新兵という感じでそわそわ顔を左右に動かしている。それでいて目には何も入っていない。俺は物陰からそれを見てとると、一気に駆け出した。
歩哨はすぐに気が付いたのだろうが、その瞬間には俺は発砲していた。初弾は当たらなかったが至近を掠めた。歩哨を動揺させるにはそれで十分だった。続けざまに引き金を引き、6発中3発が歩哨の身体に命中し、内一発が額を打ち抜いた。錐揉みするように倒れる歩哨に構わず、俺とアレックスは扉に取り付き、こじ開けにかかる。
それほど丈夫な扉ではなかった。ブーツで何度か蹴り付けると鍵が弾け飛ぶ。俺とアレックスは肩で扉を押し開けて内部へと転がり込んだ。
思わず息を呑んだ。
誰も、いない?
元々は職員か何かの宿舎だったのだろうと思われる、ホテルの一室を思わせる小さな部屋。
そこには人の気配が無かった。モールグの姿は勿論無い。奥のトイレやシャワールームも確認したが、誰もいない。
「そんな馬鹿な。歩哨がいたんだ!何も無いわけが無い」
アレックスが納得がいかないという風に壁を蹴った。そう、歩哨がわざわざ守っていたのである。何か無ければおかしい。そう。何かが。
俺は苦笑した。アレックスが驚いたように俺を見た。俺は低く声を漏らしながら笑った。
やられた。完全に。
その時、拡声器で増幅された男の声が聞こえた。
「その部屋の中にいるテロリスト!聞こえるか!」
いつの間にか警報が消えていた。
「もう分かっているとは思うが?お前らは袋のねずみだ。逃げ場は無い。挨拶なしで蜂の巣にしなかったのは我が総督の慈悲だと思え」
確かにな。ずいぶんと回りくどい事をするものだ。
「大人しく投降せよ。寛大な処置は我が総督、銀の巫女アニス・フラミニア閣下が名誉に掛けて約束してくださる」
俺は遂に声を出して笑ってしまった。
「隊長?」
アレックスが俺の正気を疑うかのような声を上げたが、俺はほとんど聞いていなかった。
俺としたことが、結局アニスの手のひらの上で踊ってしまったか。いや違うな。アニスのことを意識し、無用な見栄を張り、無理な作戦を決行し、引くべき時に引かず、拙速を承知で強攻したのである。自滅であり当然の結果だった。俺は拳銃をベッドの上に投げ出した。
「仕方が無い。連中の慈悲にすがるとしよう」
「いや、しかし・・・。陽動隊は・・・」
「退路は伝えてあるし退却出来ないならやはり俺たちと同じ様に降伏するだろうさ」
俺はかなり投げやりに言った。ああ、そうだな。逃げる気ならここからでも逃げられなくは無いのか・・・。
しかし俺はアニスにしてやられたというショックで、かなり自暴自棄な気分になっていたのであった。いやそれとも違うかもしれない。アニスに嫌味の一つでも言いたかったのか、それとも・・・。
俺とアレックスは頭の後ろに手を組んだ状態で部屋の外にゆっくりと歩み出た。明かりを付けられた廊下は妙に白く、そして静まり返っていた。左右10mくらいのところに帝国兵が人垣を、ハリネズミのように銃身を突き出した人垣を築いていた。そしてその向こうに、俺は見た。
赤い瞳でやはり物珍しそうに俺を見ている。口元が涼しげに笑っている。純白の髪。巫女服。何となく初めて出会った時のことを思い出すような姿だった。
アニスは真っ直ぐに俺のことを見ていた。俺はその表情に何かの感情が浮かばないかと思った。思ってしまって、馬鹿馬鹿しいことだと考える。俺はただ黙ってアニスを睨みつけた。アニスは動かなかったが、周囲の兵士たちは殺気立って警戒する。
「捕らえなさい。殺しては駄目よ」」
特に感情の篭らない指示が聞こえた。俺は反射的に叫んだ。
「殺すなだと?殺せるものなら殺してみろ!アニス!」
声を出すことで感情の何かの箍が弾け飛んだ。俺は頭の後ろに腕を組んだままアニスの方へ歩き出した。
「俺に勝ったつもりか!上から目線で俺に慈悲をくれてやろうというのか!アニス!ならばお前は俺の敵だ!」
兵士たちが銃を突き出して威嚇してくる。しかし俺は止まらなかった。
「知っている筈だな!お前は!俺が敵に対してどんな男であるのか!」
アニスは微笑んだようだった。
「知っているわ」
そして言った。
「私はあなたの敵でいい。グレッグ。今は」
俺はその言葉に完全にぶち切れた。腕を下ろし、懐に隠していたナイフを抜くと同時に駆け出す。兵士たちはアニスを取り囲み、同時に小銃を掲げて俺に照準した。逃れられない死が真っ直ぐに俺に殺到する。
「俺は!」
一瞬後には俺は死ぬだろう。だからこそ俺はアニスに何かを言いたかった。
その爆発音は背後から聞こえた。あまりにも近い爆音と閃光に俺は吐き出す寸前だった言葉を飲み込んでしまう。
振り返ったそこにユーリリがいた。というより、爆炎と敵兵の隙間を突っ切って弾丸のように掛けてくる小柄な女。それがユーリリだと気が付いた瞬間には彼女は俺の腰の辺りに抱きついていた。
抱きついたのではなかった。ユーリリはそのまま信じられないような膂力を発揮して俺を持ち上げると、さっき俺が出てきたばかりの扉を逆戻りした。
部屋の壁に叩きつけられた。したたかに後頭部を打って立ち上がれもしない俺をユーリリが息を切らせながら見下ろしている。表情は普段と同じ様な鉄仮面だった。
「逃げて」
ユーリリは言うと、部屋の隅を指差した。そこにはダストシュートがあった。このダストシュートを使うのが当初からの脱出のプランだったのだ。
「私が食い止めるから」
「おい!」
俺は言い掛けて、言葉を詰まらせた。ユーリリが血だらけであることに気が付いたからだ。特に腹部から背中に抜けている銃創。防弾服を貫いていることからして大口径銃弾によることが確実なその傷は・・・。
「馬鹿な・・・、事を」
陽動部隊も当然敵に囲まれていた筈だ。しかしユーリリは来た。どうやって?その答えがこの姿だ。ユーリリはしかし首を振った。
「生きて。あなたは」
「しかし・・・」
「リーフが悲しむ」
ユーリリの視線は俺の顔から動かなかった。
「そして私も」
彼女は手を伸ばし、俺の頬に手を触れた。冷たい手だった。
「だから生きて」
ユーリリは表情を変えなかった。笑いも、泣きもしなかった。鉄で出来たような表情でただ俺を見詰めていた。そして決然と言った。
「行きなさい。グレッグ」
俺は立ち上がった。ユーリリの言葉に操られたかのように。
ユーリリは頷くと、俺に背を向けた。俺はダストシュートに取り付くと、蓋を引き剥がしに掛かった。幸い、敵は来なかった。どうせ逃げ場は無いと安心しているのだろう。ダストシュートに何とか潜りこめるくらいの隙間を開けると、俺は言った。
「ユーリリ」
「何?」
「お前は、いい女だ」
ユーリリは振り向かなかった。俺はダストシュートに潜り込み、無理やり身体をくねらせて必死に前へ進んだ。
グレッグとユーリリが部屋の中に飛び込んでも、私は兵を部屋の中に差し向けませんでした。
グレッグは無傷で捕らえたかったからです。あの人を傷付ける事などしたくは無い。それは私の正直な思いでした。例え、今は敵対する立場だとはいえ、あの人が私にとって大事な人であることには変わりがありませんでしたから。
そのため、彼らが総督府ビルに侵入して来たことが分かってもすぐには捕らえず、犠牲を覚悟で罠を仕掛けたのです。
グレッグなら、自分が敗れたと知ったなら、命を無駄に捨てるようなことはしないだろう。私はそう確信していたのです。ですから、上手くグレッグをその部屋に誘い込み、逃げ場を奪う事が出来て、実は私は物凄くホッとしていたのでした。
しかし、降伏勧告に応じた筈のグレッグは、感情をほとばしらせて私に向かってきました。それはグレッグらしくもあり、グレッグらしからぬ無謀な行為でもあると思えたのでした。
そしてそこへユーリリが飛び込んできて、グレッグたちは再び部屋に入ってしまいました。もっとも、あそこから脱出するには何れにしても部屋の外に出なければならないでしょう。ですから私はグレッグたちが降伏する気になるまでここで待っていれば良いはずでした。
それにしても、ユーリリがあんなになってまでグレッグを助けようとするなんて。意外でもあり、あの二人に何があったのか、知りたくもなります。きっとユーリリは私の知らないグレッグを知っているのでしょう。
長く待っていた気もしますが、ほんの5分ほどだったでしょう。部屋の入り口から一人、出てきました。小柄な女性。ユーリリです。グレッグは出てきません。いぶかしむ私にユーリリが無遠慮な視線を向けました。
ゆっくり手を上げて私の方に歩いて来ます。足元がおぼつきません。それはそうでしょう。見れば彼女は全身に傷を負っています。血は既に黒い夜間戦闘服をべっとりと濡らすだけではなく、歩くたびに足元に血だまりを作っています。私は思わず言いました。
「そこで止まりなさい。武装解除したら医者を呼びます」
「いらない」
ユーリリは即答しました。青い瞳にはまだ力が残っていました。彼女は明らかに私を見ながら、呟くように、しかしはっきりと言いました。
「昔、あなたは言った。私は選ぶことが出来ると」
「?そうでしたか?」
「私は選んだ。あの人を。だから。満足」
ユーリリはそして、にっこりと微笑みました。彼女はあんなふうに笑う女性だったでしょうか?
「いい女って、言われた。満足」
私は無意識にむっとしたようでした。それは私が、グレッグから女として扱われたことが無かったからかもしれません。
「あの人は私の運命の人です」
「違う。あの人は私のもの」
言葉よりも吐き出す血の方が多いかもしれません。もはや立っているのもやっとと言うような状態なのに、なぜあんなに瞳が輝いているのでしょうか。彼女は嬉しそうにそれでいて悔しそうに、そして満足そうに、魅力的な笑顔で宣言しました。
「あなたには渡さない」
次の瞬間世界が光に包まれました。
衝撃音と共に俺は自分の身体が浮き上がるのを感じた。
ダストシュートは狭く、進むのは難儀だった。途中で詰まってしまい、間抜けな格好で逮捕されるという間抜けな危険も頭に浮かんだ程だった。俺は必死で身をよじった。
しかし轟音と共に俺は後ろから無理やり押された。熱い。恐らくは爆発の衝撃波であろう。熱さと無理やり押し出される痛さとに俺は歯を食いしばった。銃弾の気持ちが分かるような体験。
しかし長くは続かない。ダストシュートは各部屋の細い部分から、ビルを縦に貫く集中ダストシュートに繋がっている。つまり俺は押し出されて集中ダストシュートに転がり落ちたのだった。慌てて壁に手を付いて落下を止める。直径1mほどの縦坑である。衝撃波と熱波は俺の顔面をひとしきり熱して、そして収まった。あれが爆弾の爆発だとすれば相当な規模の爆発だろう。
「今のは・・・」
俺は直感した。
あれはユーリリだ。
ユーリリが最期に、もっていた爆弾をありったけ自爆に使ったのだろう。なぜ?俺を逃がすためだ。
俺はほんの僅かな時間、煙の噴出す横穴を見上げた後、集中ダストシュートを下って行った。ユーリリにここまでさせたなら、俺は生き残らなければならない。
しかし、俺は思わず一人呟いた。
「あいつが、そんなに簡単にくたばる訳は無い・・・」
あいつとは、ユーリリのことではなかった。
コラーナム宇宙港。俺は総督府ビルを脱出すると、ほとんどここに直行していた。
俺たちはやりすぎた。
ユーリリ最期の自爆の結果、総督府ビルは半壊したのである。脱出して、ビルの中央付近からごっそりと抉られ、炎と煙に包まれる総督府ビルを見た瞬間、俺はコラーナムからの撤退を決意した。
帝国の威信を背負う総督府の本拠にこれほどの被害を与えたのである。帝国が寛大な態度を示す筈が無かった。断固として犯人を、俺たちを逮捕しようとするだろう。それこそコラーナムの鉱山が機能停止しても構わないというくらいの覚悟で。
逃げるには総督府が混乱している今しかない。協力者であるモールグの救出に失敗。仲間もユーリリを含めて多数を失い、恐らくはタリスマンのコラーナムに置ける拠点も失うことになる。これ以上のコラーナムにおけるテロ活動は不可能になるだろうが、止むを得ない。
俺は宿舎に戻ると、着替えをしただけで飛び出した。寝ぼけたままのリーフの手を引いて。途中、残った部下たちにも脱出を指令した。タリスマンのコラーナムにおける協力者やモールグの組織には連絡しなかった。
宇宙港で金に糸目をつけずに便を手配する。コラーナムは非常に人の出入りの多い惑星である。幸いすぐに便は見つかった。俺はリーフの手を引いて早足で出星ロビーを歩いた。
「ねぇ」
ようやく目が一杯に開いた感じのリーフが不思議そうに言った。
「マーは?一緒に行かないの?」
俺は瞬間言葉に詰まった。しかし、首を振って正直に言った。
「死んだ」
リーフの深く沈んだ青色の瞳が見開かれた。しかし、彼女は不意に、まるで大人のように表情を消した。
「そう・・・」
そして、そのまま黙って俺に続いた。
ロビーの一部に人だかりが出来ていた。TVに集まっているのだ。勿論、コラーナムで起こった大規模テロ事件のニュースを見ているのであろう。俺には用が無い。俺はその横をスピードを落とさず通り過ぎようとして、
『・・・行方不明・・・』
急制動を掛けた。
今、なんと。
『総督、アニス・フラミニア皇妹殿下は・・・』
アニスが、
『所在が確認されておりません』
沈痛な様子でインタビューに答えているのは副総督のウイメン・モズルンだろう。俺は画面を食い入るように見詰めながら、今聞こえた情報の意味を確かめていた。
アニスが・・・。
「グレッグ、痛い」
右手でリーフの手を握り締めていた事にも気が付かなかった。俺は我に返ると、リーフの手を引いてゲートへと急いだ。
「アニスが、死んだ・・・?」
総督府ビルのあの惨状を見ればそれは予想出来ない事では無かった。ましてやアニスは爆発の中心にいたのだから。しかし、それでも尚、俺は形容し難い衝撃を受けていた。彼女が死んだかもしれないということに。
俺は思っていた。あいつがあんな事でどうにかなる筈が無い。あれはそういう存在じゃない。
その考えを現実が否定したことに、衝撃を受けていたのだった。
総督府へのテロを受けて、コラーナム市には戒厳令が布告されていました。
市場は閉鎖され、夜間の外出は全面的に禁止。道路には検問が多数設置されます。もちろん兵士たちが町中を走り回っていました。
この後、総督府は鉱山の操業の一時停止、坑道内の徹底調査を行い、当面の出入星の禁止まで行なうのでしたが、この時はまだ戒厳令は市内に留まっていました。
彼は座っていました。自宅の戸口に。
黒髪にハンチング帽子を載せた少年です。彼は沈んだ表情でぼんやり座っていました。理由は分かります。数日前に彼の父親は総督府によって逮捕され、未だに帰って来ていないのです。
ランスロット・モールグは冷たい朝の空気と柔らかな日差しの下で溜息をついていました。
「大丈夫よ」
私が声を掛けるとランスロットは飛び上がって驚きました。
「ふふ、驚かせた?ごめんね?」
「な、なんだ、この間のお姉ちゃん?いったいどこから、て、なんかこの間と感じが・・・」
白い髪と赤い瞳の姿ですから。しかも服は巫女服ですし。
「大丈夫。お父さんは無事よ。もうすぐ帰って来るわ」
「本当!?」
「ええ」
私は彼の正面に立って彼の顔を見詰めました。少年はなんだか顔を赤くしています。私は逃がさないように彼の頬を両手で押さえながら、彼の漆黒の瞳に語り掛けました。
「私の事を覚えておきなさい。ランスロット。未来へと今を語る者よ」
ランスロットは目を白黒させていました。理解出来ないでしょうし、その必要も無いことでした。彼が私のこの姿を見て、記憶に鮮明に留めておけばそれで良いのでした。呆然とするランスロットを置いて、私は去りました。
太陽の光を一杯に浴びながら。
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