三章・1-2、宇宙へ

 子供の頃の思い出は美しいとよく聞くが、俺には子供時代に思い出など無い。


 俺は子供の頃は、単なる貧乏人の倅であって、しかも片親であった母親は忙しくて子供と遊んでやる暇も無かったようだ。俺はそのことで別にぐれるでもなく、現実に特に疑問も抱かないまま生活していた。唯のありふれた馬鹿なガキだったということだ。


 それが、母親が死んで、軍隊に入隊していきなり現実の厳しさに直面し、挙句に路頭に迷って右往左往している間に、子供時代のことなどまったく頭から消え去ってしまったのである。だから後年、子供時代の友人を名乗る連中がごまんと現れても全て追い返してしまった。だから俺には、子供時代を懐かしむという習慣が無い。


 自分が子供の頃のことを覚えていない者が親になれば、きっと物分りの悪い親となるに違いない。だから、というわけでもないが、俺は自分が親になることなど考えもしなかった。そもそも、結婚することすら想像の外だった。アニスと共にいわば同棲状態にあった時にも、彼女と結婚し、子を成そうなどとは思ってもみなかったのである。


 その俺が親になってしまった。それはなんというか、俺的にも驚くべき出来事であったと言って良いだろう。


 ある日、俺は対策隊を率いて、ホーマーの海上航路を荒らす海賊を取り締まっていた。この頃には対策隊は、ホーマー自治政府の治安維持部隊とほぼ同等の地位を与えられていたのである。むしろホーマー自治政府は、予算が多く掛かる治安維持部隊の役割を対策隊がやってくれるのなら有難いとすら思っていた節がある。


 海賊退治事態は簡単だった。俺たちは数隻の駆逐艦(こんなものまでもう持っていた)で海賊たちの根拠地を急襲し、数十人の海賊と激しい銃撃戦の上、これを制圧、逮捕した。


 対策隊は最早立派な軍隊であり、人員も二万人に達していた。俺は対策隊の長官として少将の称号を帯びていたのである。ホーマー自治政府の公認を受けているのだから、俺は今や隠れもしないホーマーの名士だった。以前住んでいたアパートも引き払い、2LDKのマンションに住み、一日に一度家政婦が来るという、流れ者時代には想像もしなかったような優雅な生活を送っていたのだった。


 海賊たちは略奪品をアジトに集積していた。まぁ、主に金。売却可能な製品。変わったものでは美術品などもあった。そして、人間である。


 誘拐してきた女子供が一室に詰め込まれていたのだ。数は二十人ほど。一様におびえた顔をして身をすくめている。我々が解放に来たのだと分かると、一斉に歓喜の声を上げ、中には安堵で泣き崩れる者もいた。


 彼女らは身代金目的の誘拐、あるいは売春組織や臓器売買、変態の金持ちが慰みに買うような、いわゆる人身売買のために誘拐されてきていたのである。安堵するのも当然だった。もう少し我々が来るのが遅ければ、もうここにはいなかった可能性が高いのであるから。


 その中に、一人の子供がいた。


 少女である。年は五歳くらいだろうか。薄汚れたワンピースを着て、喜びに沸く人々の中でただ、立っていた。


 肩下まで伸びた黒い髪。無表情に、そして濃紺色の瞳が形容し難い光を帯びて、俺のことを見つめていた。俺はなぜかその瞳から目が離せなくなっていた。


 やがて少女は、人々から不意に離れ、まっすぐに俺の方へと向かってきた。そしていきなり俺の手を握った。


 意外なほどに力強く、そして熱い手だった。俺は狼狽した。


「な、なんだ?」


「ああ、その娘」


 一人の女性が沈んだ口調で言った。


「その娘の親は、客船が襲われた時に殺されてしまったんです。可愛そうに・・・」


 なるほど、それで無条件に喜ぶ気になれないのだろうか?しかし、これはどういうつもりだ?


「・・・離してくれないか」


「いや」


 即答である。俺は困惑の度を深めた。


「なんで」


「おじちゃんと一緒がいい」


 その瞬間、俺の後ろにいた部下が思わず吹き出した。おいおい。俺はまだ二十代で、おじちゃんと呼ばれるとちょっとショックなんだが。俺はだが子供相手にそんな反論をする気にもならず、ただ黙って少女の手を振り解いた。


 すると、少女は実に恨みがましい顔で俺を睨んだ。


「あたしの事が嫌いなの?」


 いや、別に嫌いというわけでは無い。が・・・。


「じゃぁ、一緒」


 少女は再び私の手を握った。


 俺という人間は、どうもこういう訳の分からない、どこか普通じゃない女性と縁があるものらしい。俺は結局、困惑しつつも少女の手を引いて歩く羽目となり、街に帰ってからも彼女を引き取らせる場所が無いという現実に直面し(ホーマーには孤児院など無かった)、なんだかんだとあった末に、少女を引き取ることになってしまったのである。その顛末を聞いてシンは爆笑したものだ。


「いやいや、女性に手が早いのは私の専売特許かと思っていましたが、どうしてあなたも負けていないじゃないですか」


「冗談はよせ」


「いやいや、その娘はきっと美人になりますよ。十年後が楽しみだ。それで?その娘の名前は?」


 それが、少女は保護された時から名前を名乗らなかったのである。


「おい、いい加減、名前を教えてくれないか?」


 俺は少女に尋ねた。少女は明け始めた夜空のような瞳をスーっと俺の方へと向けた。


「グレッグがつけて」


 俺はおじちゃん呼わばりに辟易し、グレッグと呼ばせるようにしていたのだ。


「なんで?名前はあるんだろ?」


「付けて欲しい」


 俺が迷っていると、シンが言った。


「いいじゃないですか。付けてあげれば。何か理由があるのでしょう」


 シンがあとで付け加えたところでは、両親が殺されたという心の傷を忘れるために、以前の記憶全てを無意識に捨てたいと考え、新しい名前を欲していたのではないかということだった。実際、この後も少女から両親や以前の生活についての思い出が聞かれることは無かったし、遂に彼女の本名は分からず終いだった。


 しかし、名前ね。俺は頭を捻って何か良い名前は無いものかと考えた。しかし、俺の詩情に欠ける脳みそが気の効いた女の子の名前など考え付くはずも無かった。ただ、この時はまさか彼女がこの名前を一生使い続けるとは思っていなかった(そのうち本名に戻すと思っていた)こともあり、終いには面倒くさくなって適当な名前を口走った。


「リーフ」


 何かの物語で読んだ名前だったか、知人の知人の名前だったか。多分その程度の思いつきであった。その瞬間、リーフ・オルレアンとなった少女は私の事を見上げ、目を細めて嬉しそうに、笑った。




 はっきり言うと、俺には子育てなど出来ない。拾っておいて無責任極まるが、これはどうしようもない事実だった。そのため、俺はリーフの面倒は殆ど家政婦に任せた。対策隊長官としての職務が忙しくて、家に帰るのも遅く、リーフは自宅に放置状態だった。


 彼女は住所年齢共に不詳であった。実はしかるべき筋にリーフの素性について調べさせたのだが、まったく分からなかったのである。おそらく移民か、市民だとしても特に裕福ではない階層の娘であったのだろう。素性が分かれば、親戚か何かに彼女を返すつもりだった俺は当てが外れてしまったのである。このままでは彼女は幽霊扱いになってしまう。仕方なく俺は正式に彼女を養女とし、俺の戸籍(俺は既にホーマー市から市民権を得ていた)に入れた。


 リーフは、引き取った時には実に大人しい娘に思えたものであるが、これは単に猫を被っていただけだったということが即座に判明した。彼女は基本、活発、腕白、いたずら、とにかく元気なのだった。家政婦の報告と家の惨状でそのことを知った俺はリーフを引き取ったことを今更後悔したが、まさか今更放り出すことも出来ず、彼女を保育所に通わせることにした。


 ところがこれが、保育所でも悪事の限りを尽くして園長に俺が呼び出される始末だった。


「お子様はその、いささか元気すぎるようで・・・」


 園長は頭に出来たコブを氷嚢で冷やしながら申し訳無さそうに言った。


「別に悪気は無いのでしょうが、いつの間にか目を離すと、屋根に上ってみたり時計台の針にぶらさがってみたり、あるいはそこから飛び降りて、下で待っている私の頭に着地してみたり。喧嘩をすれば男の子を泣かし、ついでに止めに入った先生を泣かし。いつの間にか行方不明で総出で探してみれば床下にもぐりこんで寝ていたり。・・・まぁ、目が離せません」


 俺は恐縮しながら頭を下げた。


「どうも、申し訳ない」


「物を盗む等の悪事を働くわけではありませんし、弱いものいじめはしない。良い子だということは分かるのですが、もう少し大人しくするように、お父様の方からなんとか諭して頂けませんか」


 お父様ね・・・。俺は自分の親父の記憶がまったく無い。俺が子供の頃に離婚して音信不通になってしまったからである。親父の記憶が無いのだから、子供の諭し方など知らん。しかし、一応責任上、俺はリーフに話してみた。


 しかしリーフは大きな目を笑わせて言った。


「じっとしているなんて、勿体無い!」


 アニスとはえらい違いである。俺はリーフの説得を結局断念した。




 移民救済協会はその名前から「移民」を無くしてしまっていた。移民からだけではなく、下層市民からの厚い支持を集め、遂に正式な政治団体としてホーマー市から公認されたからである。「救済」は今やホーマー最大の政治団体として隠れもしない大勢力となっていた。支持者は公称五千万人にも上っていた。


 「救済」会長カール・シンはホーマー自治政府統治会議に席を得て、ホーマーの統治について意見を言えるほどの身分になっていたし「救済」のNO,2の俺にしてからが同様に統治会議に席を与えられるようにもなっていたのだった。


 ホーマーは貴族企業が開拓した星で、現在でもその企業が統治権を有していた。その企業がこうも「救済」を優遇したのには訳がある。


 この頃、ホーマー近辺にある鉱山星系コラーナムと農業星系ホルムバークが相次いで皇帝直轄地に併合されることになったのである。理由は、両星系の状況が不穏であり、居住している人々の人権が守られていないからだ、ということだった。


 ホーマーは、資源や農産物こそ産しないが、工業生産力が極めて大である上、人口も十億人と非常に多い。重要度では直轄地編入を決められた両星系に劣らないのである。ホーマーを所有している企業は危機感を覚えた。ホーマーの情勢が悪ければ、ホーマーをも皇帝直轄地に編入させる口実にされかねないと恐れたのだ。


 そこで企業は、ホーマー下層市民から広く支持を集めていた「救済」を取り込むことで、星系内情勢の沈静化を計ったのである。実際「救済」が正規の政治団体と認められ(実は同時に幾つかの団体が同様に政治団体として認められている)「救済」の発案した市民移民保護を目的とした幾つかの施策が成されると、人々は大いに喜び、その結果ホーマーの情勢は急速に安定した。ホーマー自治政府の考えは図に当たった訳である。


 ところが、ここで自治政府にとって一つの誤算が生まれる。確かに情勢は安定し、ホーマー自治政府への支持は高まったかに見えたのだが、人々が支持したのは自治政府そのものではなく「救済」の方だったのだ。自治政府がこれまで人々の人権を軽視してきたのは周知の事実だったからである。


 自治政府はどんどん「救済」に権限を与え、そして「救済」はそれを利用して支持を伸ばし、勢力を広げた。そのスピードは驚くほど急速なものであった。私はある時、シンに尋ねたことがある。


「おまえ『救済』がここまで成長することを初めから予想していたのか?」


 この急成長は、シンの手腕が呼び込んだものだったのだ。奴が女遊びの合間に的確な判断を下さなければ、ここまでの成功は無かったであろう。


「まさか」


 シンは苦笑した。


「私が予測していたのは、ホーマー下層階級には不満が充満しているのだから、その不満を上手に掬い上げれば、救済協会が食いはぐれないくらいにはなるんじゃないか、位ですよ」


 それでも十分に大した物である。しかし、この時点では俺はまだ知らなかったのだが、シンの構想はまだまだ先があったのだ。


 シンが何時からホーマー星内部だけではなく、星系外への勢力拡大を目指していたのかは判然としない。奴のことであるから、のほほんとしていると見せかけて、とっくに動き出していた可能性はある。俺にわかった事実は、天象暦八〇十九年のある日、シンが俺に向かってこう言ったというだけだった。


「グレッグ、ちょっと付き合ってください」


「どこへ」


 シンはひょいと上を指差した。


「宇宙へ」


 という訳で、俺は久しぶりに宇宙港へ上り、シンと共に定期航路の宇宙船に乗り込んだのである。目的地は・・・。


「ルミエという星系です」


 なんだ?そんな聞いたことも無い星系に、何の用があるというのだ?俺は付いて行きたいと泣いて暴れるリーフを宥めるのに一苦労して出てきたんだぞ。


「そこにはある反政府系の政治団体の本部があるのですよ。そこと提携したいと思いまして」


 俺は唐突な話に驚いた。


「どういうことだ?」


「このまま、ホーマー星の中だけで活動を続けていても限界があります。物資や情報のコントロールを自治政府に握り続けられていては、蛇口を閉められたらすぐジリ貧になります。なんとか独自にルートを開きたいと思いまして」


 なんとまぁ。ホーマー市での成功に満足し切っていた俺は正直シンの先見性に驚くというよりも呆れていた。はっきり言って、この当時の「救済」の中に、そこまで先のことを考えていた者は他にいなかったであろう。


「物資が不足した時に『救済』が独自に物資を輸入出来れば、支持の拡大が見込めますし、ホーマー自治政府に貸しが作れます」


 奴はこう言ったのだが、後から考えれば、奴が既にこれを足掛かりに他の星系への進出をも視野に入れていた可能性は高いだろう。シンはしばしば本心を韜晦し、俺にも明かさなかった。しかし俺はこの時、素直に納得した。


「なるほどな。それで?その反帝国組織は強いのか」


 俺の頭は単純だった。軍人とは、相手が敵なら弱いのか手強いのか。味方なら、頼りになるのかどうかだけを問題にするという救い難い生き物だ。


「強いでしょう。何でも二万隻の艦隊を有し、実質支配する星系は数十以上というんですからね」


「それは凄いな」


「名前は『タリスマン』といいます」


 俺は阿呆のように口を開いて絶句してしまった。


「なんです?」


 シンが不思議がる。


 俺はたっぷり一分は呆然とした後、今度はこみ上げてくる笑いに耐えられずに、思わず哄笑した。


「なんですか」


 シンは珍しく当惑したようだった。俺は息が詰まるほど笑い転げてしまった。まさか、あの、さえない若者が率いていた小さな組織の名前をここで聞くとは思わなかったのである。


 そうか、あのそう、ラルフとかいう男は活動を続けていたのだな。俺は旧友に対する感慨に近いような思いを抱いた。あの、絵に描いたような中流階級のインテリ子息は、外観からは窺い知れない粘り強さと実行力を持っていたと見える。もしかしたらあの時、皇帝と会ったことが彼の心に火をつけたのかもしれない。


 俺とシンは連絡船を乗り継ぎ、最終的には小さな貨物船に便乗してルミエへと到着した。ホーマーから丸々二十日掛かりの旅である。ルミエはいかにも寂れた、活気の無い惑星であった。俺たちが貨物船を使ったのも帝国航路局指定の正規定期船が無かったからである。


 開拓されて間もない惑星にはありがちな埃っぽい惑星。俺とシンは惑星表面に降りると、ホテルに宿をとった。


「どうするんだ?アポイントメントはとってあるのか?」


「まさか」


 シンは肩を竦めた。


「そんな伝はありませんよ。まぁ、なんとかなるでしょう」


 おいおい、大丈夫か?俺は心配になったのだが、シンとしてみれば交渉する前にタリスマンの情報を集めておきたいという考えがあったのだろう。俺たちは夜の盛り場に繰り出して、情報収集を始めた。やっていることは飲み屋に入って、そこらへんの野郎どもと意気投合して盛り上がる中で、少しだけタリスマンについての噂を聞いてみるだけのことだったが。しかし、これが意外に上手くいかなかった。人間酒を飲むと口が軽くなるものなのだが、どこの誰も「タリスマン?」なんだそれ状態だったのである。


 シンの話によれば、近隣の星系に隠然とした支配力を持つという反帝国組織タリスマン。それを本部がある星の一般市民が知らないということがあるのだろうか?ルミエは少しだけ鉱物資源がある他は無価値同然の星系で、産業らしい産業が無い。精々、更に辺境奥地へ行く際の中継点くらいにしか使えないのだ。人口も百万人程度。そんな星に大きな組織の本部があれば相当目立つと思うのだが。


 娼婦街に行って、娼婦らに話を聞いても同様だった。娼婦は寝物語にいろいろな話を相手の男から聞くものである。その彼女らが知らないとなると、これは本当にタリスマンの存在がこの星では知られていないと考えるしかない。


「大体分かりましたよ」


 数日が過ぎ、ある朝食の席でシンが呟いた。


「何が分かったんだ?」


「タリスマンの性格です」


「性格?」


「タリスマンは、私たちのように下層市民に浸透する組織じゃないんです」


「どういうことだ?」


 シンは既に食い飽き始めたホテルレストランのモーニングサービス、そのまずいスクランブルエッグをフォークでかき回しながら自分の考えをまとめているようだった。


「反帝国活動というのは、往々にしてインテリのインテリによる、インテリのための運動に成りがちなんです。社会に対して深刻な不満を抱くのは、概ねある程度の教育を受けた中流階級ですからね。タリスマンは主にこの階層に対して支持を広げているんでしょう。そのため、私たちが情報を得ようとした、下層市民たちの間では無名なんです」


 なんだか分かるような分からないような。


「この惑星も、ただ目立たないからというだけで使っているんでしょう。とはいってもここは本部機能だけで、艦隊の根拠地なんかは多分全然違う場所にあるんですよ」


 シンは苦笑した。


「下手をすると、この惑星に本部があるという情報が偽装だった可能性もありますがね」


 なんだそりゃ。じゃぁ、ここに来たのは無駄だったというのか?


「まぁ、多分大丈夫でしょう」


 そういうとシンは何気なく立ち上がって、隣のテーブル。見知らぬ男が座っていたその向かいの席に腰掛けた。


「ねぇ、そうじゃぁありませんか?」


 俺は唖然としたが、その男はもっと驚いたのであろう。手に持っていたカップからコーヒーがこぼれている。ごくありふれた労働者風の男。カーキ色のジャンパーとジーンズ。頬からあご周りには無精髭が生えている。


「な、なんの話だ!」


「私たちはこの数日、毎朝あのテーブルで朝食を食べました。そして、あなたもまた必ずこの席に座りました」


 シンは顎の前に手を組んだ姿勢で、いつも通りへらへらと笑っている。


「そしていつも私たちの方を窺っていた」


「知らん知らん!」


「そう、警戒しないで下さい。私たちはあなたのところのボスに会いたいだけなんです。どうか紹介していただけませんか?」


「知らん!なんの話だか分からん!」


「そうですか」


 シンは何気なく、テーブルに置いてあった、男が持ってきたと思しき雑誌を手に取った。目に見えて男が動揺する。シンが雑誌をゆっくり開くと、そこに手品のように拳銃が現れた。


「物騒なものをお持ちだ」


「・・・」


「この惑星は、武器類の所有は禁止だったはず。ほぼ黙認とはいえ、警察機関に通報すれば、少々厄介なことになるのではありませんか?」


 返答に詰まる男に、シンはにっこりと微笑みかけた。俺は知っているが、シンは人を脅す時ほど人好きのする笑顔を振りまくのだ。男はしばらく逡巡していたが、遂に折れた。


「・・・俺は頼まれただけなんだ。あんた達みたいに怪しい入星者を見張るように。依頼主のことは本当に良く知らないんだ」


「なに、じゃぁその依頼主とやらに報告してくださればいいんです」


「なんと?」


「大変妖しい、と」


 男は目を白黒させていたが、シンが拳銃を雑誌にくるみ直して男の方に押しやると、男はそれを掴んで慌てて立ち上がり、足早にラウンジを出て行った。


「・・・なんだそりゃ」


「まぁ、確立は五分五分だったのですが、嵌ってよかったですね」


 シンはケロッとした顔で言った。




 果たしてその次の日、前日と同じ様にまずい朝食を突付いていると、昨日の男が俺たちのテーブルに歩み寄ってきた。


 シンが朗らかな笑顔を浮かべながら見上げると、男は対照的に渋い顔をしながら、顎でラウンジの奥の方を示した。奥の方へ来い、という意味らしい。俺とシンは慌てず、朝食をごく当たり前の速度で食べその間、男の事は待たせた。


 ようやく立ち上がり、呆れた表情を浮かべる男に付いて歩く。ラウンジを抜け、ホテルの廊下を歩くと、男はドアを指し示した。


「ここでお待ちだ」


 俺は躊躇した。相手が敵か味方かも分からないのに、相手が待ち構えている室内にのこのこ入って行くなど、鴨が葱背負って鍋に浸かるようなものだ。しかし、シンはまるで気にする様子も無くドアノブに手を掛けた。


「おい」


「何、心配ありません。私たちを始末する気なら、こんな手の込んだ罠を仕掛ける必要はありませんよ。ここはタリスマンの支配する星なのですから」


 なるほど、そういう考え方もあるか。


 実際、シンがドアを開け、中に二人で入っても、特に何も起こることは無かった。その部屋はこのボロホテルの、当たり前のツインルームで、ベッドが二つ並ぶ他は中くらいのテーブルが一つと椅子が三つ。その椅子の一つに男が座っていた。一目で分かった。


「よう」


「やぁ」


 まるで旧友に数日振りに出会ったが如くの挨拶だが、三年半ぶりの再会であったのだ。しかも奴とは、友人と呼べるほどの間柄ではなかった。


 ラルフ・アイナムはしかし、私が一目で奴だと分かるほど変わり映えがしない外観でいた。黒い長髪を首の後ろで無造作に結わえ、黒ぶちめがねといい、垢抜けない服装といい、売れない画家か音楽家かというような風情だ。神経質そうな細い瞳が、僅かに苦笑じみた色を湛えて俺とシンの姿を映している。


「やはり君だったか、グレッグ。報告を聞いた時は俄かには信じ難かったが・・・。奇遇、と言って良いのかな?」


 姿は殆ど変わらないが、態度と口調はやや変化している。重みを増したというか、貫禄が付いたというか。


「なんですか?知り合いだったのですか、グレッグ?」


 シンが意外そうに言った。


「ああ・・・、知り合いといえば、知り合いだ」


「タリスマンに知り合いがいるなら早く言ってくれれば良かったのに」


「いや・・・、確信が無かったから・・・」


 ラルフがはっきりと苦笑した。


「まさか僕がタリスマンの長であり続けていたとは思わなかったのだろう?」


 いや、そういうわけじゃない。タリスマンがあのタリスマンであり、その長がラルフであることに疑いを抱いていたという訳でもない。だが・・・。


「俺のことなど忘れていると思っていた」


「まさか、忘れないよ。君の事は」


 ラルフは少し目を細め。俺のことをつま先から頭の先まで視線で一なでした。


「君はずいぶん容姿が変わった。あの時はどこの脱走兵かと思ったものだが・・・」


 ラルフの述懐にシンは苦笑した。


「立派に成った。それでこそ相応しい」


 ラルフはシンの方へと向き直った。


「カール・シン。ホーマーの政治団体『救済』の代表だな。噂くらいは聞いている」




 グレッグたちがルミエにやってきたことは、彼らが宇宙港に降り立った瞬間に把握出来ていた。ルミエは既にタリスマンが実質的な所有権を得ており、入星してくる者は全てタリスマンの調査、監視対象になるのだ。グレッグとカール・シンの素性はすぐに割れた。


 タリスマンはルミエに総本部があることになっているが、この惑星の主都市では表立った活動を避けていた。主都市から少し離れた場所に本部機能を集中させていて、主都市ではタリスマンがこの惑星に本部を置いていることを知らない者も多い。その代わり諜報部員が各所におり、タリスマンのことを探りに来る連中を逆に監視し、場合によっては「処置」することになっていたのである。


 グレッグたちは、タリスマンと関係が無い政治団体の中では大物である「救済」のNO.1、NO.2であり、素性が判明した時点ですぐに僕にまで報告が上がってきた。僕は考えた末、当面彼らを泳がせることにした。彼らの目的が不明であったし、組織のNO.1、NO.2だけが無防備に乗り込んでくるということが信じ難かったからである。本当に他に仲間がいないのかどうかを見極めなければならなかったのだ。


 ところが暢気なことに、彼らは歓楽街(ルミエの歓楽街など高の知れたものだ)で遊び歩いているようにしか見えなかった。僕は拍子抜けし、これは見込み違いだったかと思っていたのだが、昨日になって突然、諜報員から「要注意」の報告が上がってきたのだった。


 僕は思案した。彼らは要衝ホーマー星を実質支配するに至った政治団体「救済」の幹部である。その彼らがルミエにまでわざわざ遊びに来るわけが無い(ルミエは公平に見て、遊びに来るにはあまりにも寂れている)。だとすれば目的は何なのか。これも分かり切っている。タリスマンと関係を結ぶためだ。


 タリスマンはまだまだホーマー星から離れた星系だとは言え、辺境で大勢力を誇る反帝国組織である。「救済」が、少しでも反帝国のカラーを持っているのであれば、関係を繋いでおきたいと考えるのは当然であろう。これは自信過剰でもなんでもない、客観的評価であった。


 タリスマンと関係を結べれば「救済」としてはホーマー星のみで行っている活動を他星系に広げる際に、強力な後ろ盾を手に入れることができるだろう。タリスマンの力。軍事力、経済力、政治力は強大であり、辺境においては既にあらゆる軍閥のそれを上回っている。「救済」が他星系に進出する際にタリスマンの持っている力を利用出来れば、必要とされる労力を大幅に削減できるであろう。


 タリスマン側としてはどうだろうか。「救済」と盟約を結ぶ利点はあるのだろうか。


 これもある、と言って良いであろう。ホーマー星、ならびにホーマー星系は、辺境の中でも中央よりに位置し、しかも帝国全体でも有数のコンビナート星系であった。人口も多く、辺境星系の中でも重要度は屈指の存在であったのである。タリスマンが将来的に帝国中央への進出を狙っているのであれば、ホーマー進出は避けては通れないであろう。


 「救済」はそのホーマーを実質支配していると言ってよい。その「救済」と手を結ぶことが出来れば、恐らくは非常に困難であったろうホーマー進出がかなり容易になるだろう。


 僕は検討の結果、とりあえずは向こうの出方を探りたいと考え、彼らと会ってみることにしたのである。しかし本来であれば部下の誰かにやらせる程度の事を、自ら会うと決めたのには、自分がグレッグと再会してみたいという気持ちがあったからではある。


 それにしても、グレッグは変わっていた。


 最初に会った時、彼は兎に角やさぐれた若者にしか見えなかった。髪を非常に短く刈り込み、頬はこけ、目は異常にギラギラと輝いていた。それがどうだ。すっかり肉付きが良くなり、それでいて引き締まった体躯。表情には余裕が生まれ、緊張の中にも余裕を感じさせる態度といい、大組織の幹部として正に相応しい貫禄である。しかし、僕が以前に感じた、あの言い知れぬ威圧感というか、迫力はやはり感じられた。


 やはり、僕の目に狂いは無かった。この男は・・・。


 しかし僕はあえてグレッグではなく、もう一人のニコニコと愛想の良い男。「救済」代表である筈のカール・シンを交渉の相手に選んだ。こっちが代表なのであるから当然の選択だが、昔の私を知っているグレッグとは交渉がやり難いと感じたからでもある。


「わざわざルミエに来たということは、タリスマンと同盟したいと考えていると、そう考えて良いのかな?」


 この時初対面だったシンはいつでも顔が笑っているような男で、逆に何を考えているのか分かり難い。実際彼は、軽薄な笑顔の向こうで辛らつな陰謀を巡らせる事が出来る人間であり、まったく油断ならなかった。


「話が早い。まったくその通り。是非我が『救済』と同盟して欲しいのですよ」


 シンはヘラヘラと笑いながら軽く言った。僕は逆に眉を顰めた。


「同盟と一言で言うが『救済』はタリスマンに何を要求するつもりなんだ?」


「特に何も」


 シンは手をひらひらと振った。


「とりあえず現在は『救済』は困っていません。ですから、ホーマーで物資不足など緊急事態が起こった場合に助けてくれるだけで十分です」


 僕は困惑した。


「それだけか?それで『救済』側は何を提供するつもりなんだ?」


「人を」


 シンはこれも予測していたかのごとく、間髪いれずに言った。


「タリスマンに我が『救済』から人材を提供しますよ」


 自信満々のシンの態度に僕の困惑は更に深くなった。


「・・・悪いが、我がタリスマンは特に人材不足には悩んでいないんだ。あなた方に押し売りされなくても十分やっていけるよ」


 シンは表情を変えずに、つまりは笑い顔のまま、これも即答した。


「嘘ですね」


 僕は驚いた。


「なぜ、そう言える?」


「陸上戦闘の経験者がまず、いない筈です」


 む、痛いところを突かれた。確かにタリスマンは艦隊戦の経験は有り、リンダを含めて人材も豊富だったが、惑星上での戦闘の経験は皆無だった。機会が無かったからである。装備も、艦隊の整備に注力していたこともあり、貧弱なものしか持っていなかった。


「我が『救済』はホーマーの治安維持に携わっており、陸上戦闘の経験が豊富です。このノウハウをタリスマンに提供しますよ」


 確かに、タリスマンもこの先、困難になり続けるであろう勢力拡大に伴い、惑星上での戦闘の機会が多くなる可能性は大いに有った。『救済』の申し出には一考の価値があった。


「それと、もう一つ」


 シンは人差し指を立てて、僕はそれを注視せざるを得なかった。


「我々は移民や下層市民の集まりです。これらの人々は、帝国中を流浪しながら生きてきた人々が多い。そこから出てくる情報は、タリスマンが得難い情報のはずです」


 僕は沈黙でシンの言葉を肯定した。タリスマンは基本的に中層以上の市民に浸透して、そこから支持を受けてきた組織である。流動性の高い移民や下層市民からは継続的な強い支持が期待し難い。そのため、移民や低所得者層からの支持獲得は求めてこなかったのだ。


 『救済』はもともと「移民救済協会」だったことが示すとおり、下層階級に支えられている組織である。当然、下層階級からの支持獲得のノウハウを持っているであろう。これを生かすことが出来れば、タリスマンの支持基盤は厚くなるだろう。


 なるほど。僕は納得し、同時にシンの鋭い政治感覚に驚いた。軽薄な態度に騙されない方がよさそうだ。


 シンの提案は、実に妥当なものだった。


 シンがタリスマンに対し、過大な資金援助や軍事援助などを要求してきたのであれば、僕も『救済』に対して人材提供以上のこと、例えば『救済』首脳部へタリスマンから人を送り込むとか、ホーマー星にタリスマンの事務所を確保させるなどを要求しなければならなかっただろう。しかし、シンはタリスマンに殆ど何も要求しなかった。そしてタリスマンに対して、組織の財産ともいえるノウハウを気前良く提供するというのである。これでは、タリスマンとしても『救済』に対して多くのことは要求出来ない。


 しかしながら、ここで不思議に思うのは『救済』こんな条件でタリスマンと同盟を結ぶ利点がどこにあるのか?ということである。タリスマンの勢力範囲はまだホーマー星系まで達していない。万が一『救済』が危機に陥ったとしても、タリスマンが迅速に支援できるかどうかは分からないのである。つまり、この同盟は『救済』にとって利の薄い同盟であるとさえ言える。いったい、そんな同盟を結ぶ意味があるのだろうか。


 シンは僕の考えを全て洞察したかのように、朗らかな笑顔を浮かべながら言った。


「人材は出しますが、あくまでその人材は『救済』所属のままです。あげません。その内返してもらいます」


「それは、そうだろうな」


「その人材は当然タリスマンから様々なものを吸収して帰ってくることになるでしょうね」


 僕は思わずシンの顔を見直したが、彼の表情にはまったく変化が無い。歌でも歌い出しそうな笑顔。


「なるほど、な・・・」


 僕はようやくそれだけ言った。


 つまり『救済』が求めているものは、タリスマンの持っている組織のノウハウだったのだ。人材の派遣には『救済』側のノウハウ、情報の提供の意味合いのみならず、同時にタリスマンからのノウハウや情報の吸収の意味合いがあったのである。


 なんとも、食えない提案だったという訳だ。僕は思わず感動した。これほど鋭敏な政治感覚を持った人物と出会ったのは初めてかもしれない。


 僕は尋ねた。


「それで、あなた方はどのような人材を我がタリスマンに派遣してくれるのかな?」


 シンはこれにも即答した。


「彼を」


 シンの指し示した先にはグレッグがいた。




 ぼんやりしていたところで、いきなり指差されて俺はひっくり返りそうになるほど驚いた。


 シンとラルフの会話は俺には禅問答のようであまり意味が判じなかったのだ。まぁ、俺は話が軍事に及んだ時に関われば良いくらいに考え、ぼんやりしていたわけである。


 そこへいきなり二人の注目が集まったのだ。正直、どんな理由で俺が指差されたのかも分からなかった。


「・・・彼を?」


「そう、適任でしょう?」


 シンはオペラ歌手のように両手を広げた。


「我が『救済』の対策隊の隊長。組織力、統率力、陸戦の経験等、どれも不足はありません」


「おい、何の話だ?」


「聞いていなかったのですか?あなたをタリスマンに軍事顧問として派遣する、という話ですよ」


 なんだそれは。


「タリスマンに行って、タリスマンの軍事部に陸戦の訓練を施してくれればいいんですよ」


「そんなことを突然決めるな!」


「おいおい、事前に相談していなかったのか?」


 ラルフが笑うのも当たり前だ。


「相談したって仕方が無いでしょう?」


「俺の意思は無視か?」


「無視です」


 言い切りやがった。


「『救済』のためにはどうしてもあなたに行って頂かなければなりません。行ってください」


 こいつはたまにこういう事を言い出す。単純に無理難題なのであれば俺も単純に却下すればいいのだが、こいつの言うことはいちいちどこか理に適っているから始末に悪い。


 俺をタリスマンに派遣するということには、タリスマンとの同盟を単なる口約束、空約束に終わらせないための保険という意味合いがある。タリスマンに俺が食い込んでいれば、いざ『救済』が危機に陥った際にタリスマンは即座に『救済』を支援せざるを得ないだろう。


 同時に『救済』が他星系へ進出する際の足掛かりを築く意味合いもある。タリスマンは中層階級以上に支持層を持つ組織であり、下層階級からの支持は希薄だ(ルミエで確かめたように)。で、あれば下層階級に支持基盤を求める『救済』とは支持階層が競合しないことになる。タリスマンが実質支配する星系内で『救済』が独自に勢力を伸張する余地があるわけだ。


 それとタリスマンからのノウハウの吸収。宇宙艦隊整備のノウハウと軍事企業とのルートを『救済』も持つことが出来れば『救済』独自の宇宙艦隊整備も可能になるだろう。


 つまり俺のタリスマンへの派遣は、一石で何鳥をも狙うことが出来る重要な布石になり得るのである。


 それを理解してしまえば、後は俺がシンの意図する通りの働きが出来るかどうかということになるだろう。断れば俺にはその自信が無い、と認めたということになる。


 腹立たしいことだが、俺にはそれが理解できてしまった。勝算が無いのであれば素直に認めて断ってもいいのだが、俺にはそれくらいのことは出来るという自負があり、出来ると思ったことから逃げるような真似は、自分のプライドに賭けて出来ないという損な性格。まったくシンという奴はやな奴だ。奴はそこまで読んで俺にこの話を振ってきたのに違いない。


 俺には結局選択の余地は無いようだった。


「・・・分かったよ」


「グレッグ、流石はあなたです」


 シンは実に嬉しそうな笑顔で、俺の手を握った。




 グレッグをタリスマンに派遣する?


 シンの提案は僕の意表を突いた。


 グレッグは『救済』のNO.2であり、重要人物ではなかったのか?


 僕がそう言うと、シンは微笑を湛えつつ平然と言った。


「大丈夫です。グレッグの鍛えた人材は優秀でしてね。彼の代わりを過不足分無いくらいに勤めてくれるでしょう」


 グレッグが微妙な表情をした。


「まぁ、ずっと行ったままでは困りますがね。たまには帰って来てくれないと」


「いいのか?グレゴリー・オルレアン?」


「仕方が無いな」


 グレッグは諦めたような表情で首を竦めた。


 だが、ちょっと待て。僕はまだ、タリスマンと『救済』との同盟を承知したわけでも無いし、グレッグを軍事顧問として受け入れることを承知したわけでも無い。


 だが、シンの何の悩みも無さそうな笑顔を見るにつけ、彼は自分の提案が断られることなど想像もしていないようだった。理由は簡単だ。彼の提案は非常に妥当なもので、タリスマンにとっても益が多いのである。理屈で考えれば、断る理由など無いはずだ。


 ということは、後は僕の感情の問題だということになる。つまりグレッグをタリスマンに受け入れるということに対する、僕の生理的な拒絶反応を理屈で納得させ得るのか、ということだ。


 危険信号がチラチラと点滅していた。グレッグを軍事顧問として受け入れる。それが後に重大なミスジャッジになるのではないか、という根拠の無い不安が湧き上がって消えない。彼のような人物。物言わずとも人を従わせてしまうような空気を身に纏った男を取り込めば、逆にその空気にタリスマンが染まってしまいはしないか。


 馬鹿な。僕は心の中で首を横に振った。タリスマンは既に僕の手の内に入っている。自分で言うのもなんだが、僕の空気に染め尽くされているのだ。その中にグレッグが入ってきたとて、なんと言うことも無いはずだ。むしろ彼を僕のカラーに染め上げ『救済』そのものもタリスマンに取り込み同化させてしまえばよいのだ。タリスマンはそうやって大きくなってきたのではないか。


 この時の僕の不安は半分は外れて半分は的中する事になるのだが、この時僕は、感情的不安を強引に理性でねじ伏せた。恐らくはタリスマンの独裁者であるという自信がそうさせたのであろう。


 結局僕はシンの提案をそのまま受け入れて、グレッグをタリスマン軍事部顧問として受け入れることにした。ただ、タリスマンからもホーマーに工作員を送り込むことをシンに承知させた。シンはまったく抵抗する様子も無く、この件を了承した。




 俺とシンは交渉を終えて、ホーマーへと帰る事になった。俺の方は準備が整い次第、対策隊の何人かと共にルミエに戻ってくることになる訳だが。


 ラルフは、宇宙港まで見送りに来た。大組織の長にしてはずいぶんと腰が軽い。まぁ、シンも俺も腰は軽い方だが。


 人もまばらなルミエの宇宙港。定期船など無いので貨物船に便乗するしかないのだが、ラルフはごく簡単に便の手配をしてくれた。その様子を見ていると、確かにタリスマンは大きな力を持っていることが感じ取れた。俺たちは乗船の時間まで時間を潰すべく、カフェに入った。


 とは言っても、共通の話題など無い三人である。会話は自然と面白みの無い方面に向かって行くことになる。


「タリスマンの艦隊が三万隻というのは本当か?」


「本当だ。しかも艦艇は新鋭艦が多い。言っとくが、その辺の帝国艦隊には負けんよ」


 ラルフは胸を張った。そういえば、前にもこいつは艦隊の所有、整備にやけに拘っていたな。強い革命軍が必要だとかなんとか。


「よくそんな艦隊が維持出来るもんだな」


「金のことか?我がタリスマンの支持者には、大企業を所有している貴族もいる。寄付金で十分まかなえるさ」


 うらやましい話だ。『救済』はホーマー自治政府から実質的な支援を受けており、かつてに比べれば夢のように潤ってはいるのだが、そもそもが移民を支援する組織である。移民や下層市民への援助のために組織の金を放出し続けなければならないという宿命を持っていた。宇宙艦隊を保有できるほどの予算は無い。


 ラルフは満足そうに微笑んだ。


「どうだ?いっそ我がタリスマン傘下に入らないか?そうすれば予算を潤沢に支援できるが」


「お断りします」


 シンがあっさりと言った。


「何故だ」


 ラルフの問いにシンは微笑を崩さず言った。


「ホーマーとタリスマンの勢力圏はまだまだ離れています。タリスマンにとってホーマーに本格的に進出するにはまだ早い。そうでは有りませんか」


「そうだな」


「『救済』を本格支援するとなると、タリスマンには大き過ぎる負担となります。その割にはタリスマンの益が少なすぎますよ」


 ラルフは頷いた。


「それもそうだな」


「ですからそれは、タリスマンがもっとホーマー方面に進出してきてからにしましょう」


 この狸が。俺は心の中で呟いた。おそらくはラルフも同じ様にしていたのに違いない。


 タリスマン側の事情は確かにその通りであろう。しかしながら『救済』側としては本来、そんな事情は知ったことではないはずだ。ただ単にシンは『救済』に対するタリスマンの強い干渉を抑えたいと考えたのである。しかし、その拒絶の言い訳にタリスマン側の事情を使うところがシン一流の口先というところだ。


 と、この時ラルフが何かに気が付いたように俺の方を見た。


「なんだ?」


「・・・アニス・フラミニアを覚えているか?」


 唐突にアニスの名を耳にして、俺は一瞬呆然とした。


「覚えているも何も・・・」


 それはこっちの台詞だと思った。なぜラルフがアニスの名を口にする?


「一昨年、会った」


 驚いた。


「どこで」


「コラーナムで」


 コラーナム?俺は頭の中で星系図を広げた。


「あいつ、首都に帰ったんじゃないのか?」


 コラーナムはホーマーから首都に帰るには反対方向である。


「コラーナムが皇帝直轄地になったのだと、勘違いしていたらしい」


「まったく、あいつは・・・」


 アニスらしい迂闊さだ。俺は苦笑した。そんな俺を見て、ラルフが少し眉を顰めるような表情をした。


「どうして、彼女を手放した?」


 なんだ?俺はラルフの顔を見返した。ラルフは真剣な表情をしたままもう一度同じ台詞を繰り返す。


「どうして彼女を手放したんだ?」


「手放したも何も、あいつは俺の物じゃない」


「彼女は皇帝の妹だぞ?確保しておけばこの先、有効なカードとして使えたのに」


「この先?」


「帝国と対決する時のだ」


 ギョッとした。


「・・・正気か?」


 俺はこの瞬間まで、帝国と対決するとか、打倒するとかなど考えたことも無かったのである。帝国は俺が生まれる遥か以前から存在し、これからも存在するだろう。帝国とは世界そのものと同義であると、俺は思い込んでいた。


「正気だ。我がタリスマンは、究極的には帝国を滅ぼし取って代わることを目標としている」


 ラルフの真剣な表情を見るにつけ、彼が冗談や空想を語っているようには到底思えなかった。つまりは本気なのだ。


 反帝国活動家は確かに帝国に反抗することを考える人々である。しかしながら、この時点で数多いた反帝国活動家の中で、本気で帝国打倒を狙っていたのはラルフ一人ではなかったか。恐らくタリスマン内部にも他にいなかったのではないだろうか。しかもラルフは、そのためにタリスマンという組織をつくり、勢力を大きくし、強力な軍を組織した。着々と自らの構想を形にしてきたのである。夢想でも妄想でもなく、帝国の打倒を現実の物とするために。


 俺は戦慄した。俺はこの瞬間までラルフのことを正直侮っていた。よくいる夢見がちな革命家。ちょっと成功したようだが本質的にはそこらにいる理論倒れの政治論者と変わらない、と。


 しかしこの瞬間、俺は彼の捉え方をまったく改めることになる。この時俺がそうしておらず、彼を侮ったままであったら、後に俺は重大な事態に陥ることとなったであろう。その後の歴史も変わった物になっていたに違いない。


 俺は内心の動揺を悟られないようにヘラヘラと笑って見せた。


「ま、まぁ、そうだな。それで、アニスはどうしていた?元気だったか?」


 ラルフも表情を緩めた。


「グレッグによろしくと。そう言っていた。オルロフに大祭のために帰るといっていたな」


 オルロフへ・・・。俺はふと、あの男の顔を、アニスの兄にして帝国の皇帝である、シオス・フラミニアの顔を思い浮かべた。帰って来たアニスの顔を見て、彼はどう思ったのだろうか。アニスも少しは変わった・・・。


 アニスの姿が、幻影のようにちらついた。彼女が去ったあの日から、あいつのことは殆ど思い出したことも無かったのだが。白い髪の時と、金髪の時。赤い瞳の時と水色の目の時。クルクルかわる表情と、意味ありげな台詞。つかみ所の無い性格、コロコロかわる口調。そして、様々な笑顔。笑顔・・・。


「アニスさんは、きっとあなたの所に戻っていらっしゃいますよ」


 俺の心中を見透かしたかのようにシンが言った。俺は驚きこそしなかったが、奴を睨みつけて抗議の意を表した。シンは気にする様子も無く笑顔で続けた。


「ですからあなたは、彼女に釣り合う様な男にならなければなりません」


 訳の分からんようなことを言うな。俺は声には出さずにそういう意を込めて鼻で笑った。ラルフがそんな俺を見て冷笑したようだった。


 貨物船が出る時間が来て、俺とシンはゲートに向かった。ラルフは俺たちと握手を交わしながら言った。


「それじゃぁグレッグ、待ってるよ。カールとはしばらく会えないということになるのかな?だが、すぐにタリスマンはホーマーまでたどり着くよ。楽しみに待っていてくれ」


 俺とシンはこうして帰途に着いた。


 シンは、ラルフについて殆ど感想らしいことは漏らさなかった。ただ一言だけ、こう言った。


「面白くなってきましたね。予想以上に」




 俺はホーマーに帰ると、すぐにタリスマンへ行くための準備を始めた。


 俺の部下たちは驚いた。


「いったいどういうことなのですか?」


 アルカ・オルファスは気が小さい。突然のことにおろおろとしていた。


「まぁ、閣下がいらっしゃらなくても対策隊は立派にやってゆけますけど」


 と憎まれ口をきくエルミア・ソボア。チャコル・メリアンは沈黙している。この三人は今や対策隊三師団の長であった。俺はこいつらに俺がいなくなった後の対策隊を任せることにしていた。誰か一人に任せたのでは不安があるが、こいつらがしっかり協力してやってくれれば大丈夫な筈だ。こいつらのチームワークに関してはあまり不安を抱いていなかった。


「ソボア、お前が司令官代理だ」


 ソボアは当然といった感じで鳶色の瞳を輝かせた。


「お前らは、姐御の指示に従うように」


 オルファスとメリアンは頷いた。ソボアは要するにこの三人の中ではいろんな意味で上位なのだった。しかし、ソボアの統率力のみでは対策隊全てはまとめ切れない。二人の協力が必ず必要となるだろう。


 ホーマーの対策隊についてはそれで殆ど済んだ。俺も数ヶ月に一度くらいは帰ってくる予定であるし、細かい引継ぎもそれほど多くは無かった。


 問題なのは、タリスマンに連れて行く人員であった。人数は十名を予定していた。


 あまり重要な人材を引き抜いてしまうわけには行かない。しかしながら、あまりにも役に立たない人員を連れて行っても、タリスマンを指導出来ない。俺と共に陸軍教官としてタリスマンを指導できるような人材が必要であった。


 俺は三人の師団長に相談した。ソボアが言った。


「一人適任がいます」


「誰だ?」


「『鉄仮面』」


 ソボアが連れて来たのはマアル・ユーリリという小柄な女性であった。陸軍教官というには迫力が足りない気がするが・・・。


「こいつくらいの鬼教官はいません」


 ソボアはかなりのサディスティックな教官と聞いている。その彼女が言うのだから余程の事だ。ユーリリは殆ど顔に表情を浮かべない。整ってはいるのだが特徴が無い容貌。これも目立たない薄いブロンドをおかっぱにしていた。


「よろしく」


 声にも迫力が無い。大丈夫なのだろうか。


「こいつ、こんななりですが、物凄く運動神経がいいんです。それと、容赦が無い」


 俺はいまいち不安を払拭できずにいたが、ソボアがあまりにも熱心に勧めるので彼女を選ぶことにした。ユーリリを含めて十人の教官候補を選ぶのに一月ほど掛かった。


 さて、殆ど準備は済んだ俺であったが、最後に重大な問題が待っていた。


 そう。リーフをどうするのか、という問題であった。


 俺は当初、リーフを部下の誰かに預けるつもりでいた。しかしながら、これは試しに打診してみた連中にことごとく断られた。


「無理です。勘弁してください」


 その一人オルファスは大きな身体を小さくして恐縮しながらも断ってきた。


「あの子はとても私と妻の手には負えません」


・・・なるほど。リーフの悪名は対策隊全体にまで知れ渡っていると見える。


 では仕方が無い。施設にでも預けて・・・。


 そう思っていた矢先のこと。ある日俺が家に帰ると、家の中がとんでもない状態になっていた。収納という収納から、あらゆるものがぶちまけられ、広げられている。泥棒でもここまで徹底的にやるまい。俺は頭痛をしばらく堪えてから、叫んだ。


「リーフ!」


 ドタドタと音がしてリーフが現れた。俺は絶句した。


「なんだ、その格好は」


 リーフはどこから探してきたものか、彼女の背丈ほども有るような巨大なトランクと共に現れたのである。しかも、既に中身は満杯らしく、端からシャツだか下着だかがはみ出している。俺は激しく嫌な予感がした。


「さぁ!」


 リーフはトランクを前に仁王立ちになった。


「あたしはいつでも準備OKよグレッグ!」


「・・・なんのだ?」


「もちろん引越しよ!」


 誰だー!リーフに俺がホーマーを離れることを吹き込んだ奴は!


「誰が連れて行くと言った!」


「ついて行くもん!」


 リーフが叫んだ。


「ついて行く!ついて行く!ついて行く!ついて行く!」


 リーフは腕を振り上げ足を踏み鳴らして叫んだ。


「置いて行くなんて許さない!許さないんだからね!グレッグ!」


 俺はたじろいだ。それぐらいの迫力だった。しかし・・・。


「遊びに行くんじゃないんだ。お前の面倒を見ている暇は無い」


「何よ!今だってほったらかしじゃないの!」


・・・確かにそれはその通りだ。


「連れてって!連れてって!連れてって!」


 髪を振り乱し泣き叫ぶ子供には理屈は通じない。世の母親であれば冷然と無視出来るのかもしれないが、俺は母親ではなく、子供の泣き声にまったく耐性がなかった。つまりはこの戦、戦う前から俺の負けは明らかだった訳だ。俺は結局白旗を揚げざるを得なかった。


「分かった、分かったから!」


 その瞬間リーフはぴたりと泣き止んだ。泣き濡れた瞳で俺のことをまっすぐ見上げる。


「・・・本当」


「ああ。その代わり、向こうでは大人しくしていろよ。どういう生活になるのかもまだ分からんのだ」


「うん!」


 リーフは輝く笑顔で頷いたが、どうだか。リーフは俺の方に駆け寄り、俺の首に噛り付くような勢いで抱きついた。


「ありがとうグレッグ!」


 子供特有の甘い香りを感じた。ふと、その瞬間俺はアニスのことを思い出した。俺がホーマーにいなくなったら、アニスが戻ってくる場所がなくなってしまうな。俺はリーフを抱き上げながらそんなことを考えていた。

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