二章・3、涙
宇宙を駆け巡り、生態系を操って不毛の惑星をテラフォーミングする科学力を有する人類世界。そして幾多の星系を支配し、人類史上最大の版図を誇示する我が帝国。
その、人類の歴史と英知の結晶のような帝国首都オルロフに、まるで似つかわしくない建築物が一棟、存在します。茅葺の合掌造りの大屋根。太さ一メートルを超える木製の柱一二本に支えられ、周囲を純白の玉砂利で囲まれています。
それが、帝国精霊殿です。
帝国における祭礼の中心です。人間が宇宙に進出して数千年を経て、多くの宗教が勃興を繰り返しています。現在でも帝国各地に大小さまざまな宗教が存在します。帝国は基本的に信教の自由を保障していました。ただし、全ての宗教は、精霊殿における祭礼の下に存在すると規定されています。そして、この精霊殿での祭礼は皇家が取り仕切るのです。それが帝国の宗教政策でした。
精霊殿に祀られているのは宇宙そのものです。宗教の形態としては原始的なアニミズムに近いでしょうか。ただし、そもそもが帝国の宗教統制のために創られたものですから、むしろ人為的な宗教でした。多くの宗教を受け入れるために、あいまいな対象を祭礼の中心に据えたのです。
そして、この精霊殿で全ての祭礼を司るのが皇帝である私、シオス・フラミニア。そして筆頭巫女である我が妹、アニス・フラミニアである・・・、筈でした。
しかし、そのアニスは行方不明でした。五年に一度の大祭を控え、精霊殿の神官たちは青い顔で私に詰め寄りました。
「アニス様はどちらにおられるのです?」
「本当に分からないのですよ。ですが、アニスは自分などいなくても神事には支障無いと言っていましたよ?」
「それは、普段の神事ならばそうでしょう。しかし、全宇宙からあらゆる宗教の責任者を招いて行う大祭ですぞ?筆頭巫女たるアニス様がいなくては格好が付きませぬ」
そう言われても分からないものは分からないのでした。あの日、アニスをグレッグに託して別れたあの時から、私はアニスのことを半ば忘れていました。難病を患い不可思議な能力を持って生まれた妹を不憫に思い、たった二人の兄妹として常に彼女を気に掛けていた私でありましたのに。それは改めて思い返せば不思議なことでした。その気になれば検察院に命じていくらでも彼女たちの行方を突き止める事は出来たでしょう。ですが私はそうしませんでした。
いろいろと忙しくてそれどころではなかった、というのも理由の一つではありました。
皇帝の職務というのは、唯でさえ激務です。ごく普通の日常業務をこなして行くだけで一日が隙間無く過ぎて行きます。それに加えて、私は辺境改革を実現しようとしていました。その困難な仕事をこなすためにはそれこそ寝る時間を削ってでも時間を捻出する必要がありました。
辺境宙域と一言で言っても、その範囲は実に広大です。オルロフを中心として帝国は放射上に拡大していますから、その帝国外延部はそれこそ全て辺境であると言って良いのでした。しかしながら、その中でも不毛の星系が多い宙域や難航路の連続で領域の拡大速度が鈍い宙域、あるいは情勢が比較的安定している宙域はこの場合問題となりません。私が問題視しているのは先にモスタルオンが反乱時に篭ったコボー星系の先の宙域です。そこはコンビナート星系であるホーマー星系を始め、鉱山惑星を多く含むコラーナム星系、農業生産力の高い惑星が連なるホルムバーク星系など重要な星系を含む宙域でした。
産業が栄えているだけに人口も多く、それだけに情勢も不安定でした。ここを帝国化して安定させることは帝国の将来を考えれば急務だったのです。
モスタルオンの反乱は最終的に私の権威を高める結果に終わりました。これは貴族の既得権益を犯し、時に彼らの意見を圧殺しなければ成し得ない辺境改革を進める上では好都合でした。私はコラーナム、ホルムバーク両星系の帝国直轄地編入を決定し、二年後の編入を目指して準備を進めさせました。両星系の実質的な所有者は航路大臣ケネル・イムベでしたが、彼はモスタルオンの反乱に組した経緯がありましたから、既に反対する権利を失っていたのです。
両星系を初めとした皇帝直轄領の拡大は、辺境改革の柱ではありました。しかしながら、改革はそれで全てではありません。辺境宙域を詳細に調査し、精密な星図を作り、密航路を撲滅する。直轄地に編入する星系はもとより、主要な有人惑星に帝国軍の出張所や帝国検察院の事務所をつくり、犯罪や反帝国活動を取りしまる。この犯罪の中には、星系を所有している貴族や企業による市民への人権侵害も含まれていました。
更に私は、現状ではほとんど無統制である辺境開拓を、帝国政府がコントロールすることも考えていました。そのためには現状、貴族企業によって無差別に行われている開拓事業を、帝国政府の許可制とし、開拓宙域に帝国政府の監視官を送り込んで統制させるくらいのことはしなければならないでしょう。これには開拓事業を手掛ける貴族や企業から大きな反発が起こりました。
天象暦八〇一六年から八〇一七年の間、私はひたすら政界で貴族たちと討議、協議を繰り返すことを余儀なくされました。それは壮絶な激務で、そんな厳しい状況だった私が目の前にいなかったアニスのことにまで気が回らなかったのは無理も無いことです。
帝国は平和でした。
私がこの様に言うと、後世の人々は驚かれるかもしれません。しかしながらそれが当時の私の実感だったのです。
帝国は拡大を続け、開拓によって生まれた新たな人類世界は莫大な富を生み出し、それが帝国中央に流れ込んで来ます。それによって支えられた人々の生活は非常に豊かなものとなりました。人口は増加し、文化は爛熟し、帝国は史上空前の繁栄の時代を謳歌していたのでした。
私が帝国の改革を志したのはそのためでもありました。帝国の繁栄、それを支えていたのは、豊かな資源を有する辺境でした。その辺境領土がもしも分離独立してしまったらどうなるでしょう。帝国は途端にエネルギーを失って瓦解してしまうでしょう。私はそれを恐れたのです。
しかしながら、私のその危機感は、帝国中央の人々、特に辺境経営で利益を上げ莫大な富を集積している貴族たちにはなかなか伝わりませんでした。貴族というのは唯でさえ保守的で、しかもこの場合、辺境の改革は彼らにとって既得権益を犯されることを意味したのです。彼らが私の改革に反発するのは当たり前の事でした。
リャーナと私の間にはなかなか子が出来ませんでした。
私は皇帝です。ですから帝国が世襲である以上、子を成し帝室血を次代に繋ぐことも重要な職務でありました。これにはもちろん、皇妃としてリャーナにも降り掛かってくる義務です。
しかし、私たちが結婚して既に四年。子は出来ませんでした。結婚する前に、私たちは正常な生殖能力があることを既に確認していましたから、これは単なる偶然か運命の悪戯だということになります。
四年も子が出来ないというのは、リャーナにとって辛いことである筈でした。皇妃の第一の仕事というのは子を産むことです。皇帝の血を引く子を一人でも多く得ること。それが皇妃に期待された第一の事でした。
当然周囲もそういう目で皇妃のことを見ています。理由もなく四年もの間御子が生まれないということになると、これは皇妃失格の烙印を押されても仕方が無いとさえ言えました。実際、幾人かの廷臣が私に側室を娶ることを勧めました。
「なぜか?」
「御子を得られるかどうかは巡り合せでございますから、仕方が無いことでございます。ですから、ここは少しでもその機会を増やすことを考えるべきでは無いかと存じます」
私はとりあいませんでした。
「私もリャーナもまだ若い。しかも二人とも健康になんら問題も無い。焦る必要を認めないな」
「ですが・・・」
「もしも私が子成さずに死んでも、皇家の血を引くものはこの銀河に数多いる。次の皇帝を選ぶになんら不都合はなかろう」
私はそれ以上この話題に触れさせませんでした。しかし、リャーナはある時済まなそうに頭を下げました。
「申し訳ありません陛下」
彼女の体調に変調があり、懐妊が期待されたのですが、結局そうでは無かったことが分かった。その直後の事です。
「何を謝るのです?それは、私も残念でしたが、それはそなたも同じでありましょう?」
「ですが・・・」
「焦る必要は無いのですよ。私もあなたもまだまだ十分に若く、時間は十分ある。実際、私の曽祖父は四十になるまで御子に恵まれませんでしたが、その後六人の子を成したではありませんか。皆、焦りすぎなのですよ」
リャーナはしかし寂しそうに微笑みました。彼女は口にこそ出しませんでしたが、子が出来ない彼女に対する風当たりはかなり強いものだったのでしょう。そんな彼女を見て、私は言いました。
「私は側室を迎える予定は当分ありません。そなたもそのつもりでいなさい」
リャーナは目を丸くしました。そして私の顔をまじまじと見つめた後、コロコロと笑いました。
「陛下、その様にいたします」
「うん」
私は少し照れながら頷きました。
モスタルオンの反乱以降、帝国では大きな反乱や動乱は起こりませんでした。ただしこれは、万単位の兵が動く戦闘が起こらなかったという意味で、それ以下の規模の小さな騒乱は幾つも起こっていましたが。
もっともこれは帝国中央に限った事です。辺境宙域においては大規模な動乱が何度か起こったようでした。
なぜこの様に不確かなのかというと辺境で起こった反乱等には、辺境に駐留させた軍と、監察使という役職を与えたその司令官である将校に一任してあったからです。辺境はオルロフから遥かに遠く、事件の知らせが届いてから軍が向かったのでは手遅れになってしまう可能性があったのです。それで、監察使にある程度の権限を委譲し、独自の判断で軍を動かすことを認めたのでした。
ところがこの監察使が、帝国中央の目が行き届かない辺境にいるのを良いことに、駐留している鎮守府を私物化、兵を私兵化するといったことが起こるようになります。つまり軍閥化です。彼らは周辺星系の治安維持を理由に軍を派遣し、そこの自治政府に必要経費を要求します。その要求が受け入れられなければ、その星系を攻撃することもありましたから、これは要するに軍を背景にした脅迫でした。軍閥化した監察使たちはそうして勢力圏を拡大し、財を蓄えていたのでした。
監察使の軍閥化に対応するのは困難でした。軍閥化を防ぐには監察使を廃止し、軍を目の行き届く帝国中央に集めて置くしかありません。しかし、それでは辺境での事変に迅速な対応が取れないのです。監察使の任期を短期にし、現地との癒着を防ぐということも試みられましたが、任期満了即更新ということになってしまい、失敗に終わりました。そもそも、監察使は財を蓄えることが出来る反面、以降の軍中央での出世を捨てなければならないというデメリットもあったのです。そのため、自ら希望してなるというよりは左遷先といったような性格も有していました。任期を短期にしても誰も後任がいなければ現任を更新するしかありません。
私は監察使の問題を先送りにしていました。他に優先すべき課題が幾つもありましたし、辺境に直轄地を増やし、そこに駐留させる近衛軍に統制を強化させれば、監察使たちの横暴も収まるだろうとも踏んでいました。ですから私はこの時点で、軍閥に対する対策をまったくしていませんでした。精々、民衆からの訴えがあった場合に対応するくらいです。
数年前、辺境で大勢力を築いている軍閥の一人、ヴィキル・オムネアという者が一つの失態を犯しました。
報告によれば、彼はとある星系で老朽化した艦隊を廃却する際、それを暴徒に奪われたというのです。しかしながら、その後の報告でオムネアは直ぐにその暴徒たちを捕捉し、それを撃滅。首謀者は処刑したとのことでした。帝国軍統帥部は検討の結果、大した失態ではないとして彼に訓告以上の罰を与えませんでした。私はその報告書を読み、それに記されたある名前に目を留めました。
艦隊を奪った組織の名は「タリスマン」といい、処刑された首謀者の中に「ラルフ・アイナム」の名があったのです。
ああ、あの時会った男だ。私は思い出しました。辺境巡幸の折耳にした大規模な反政府組織を壊滅させた時に会った、聞いたことも無いような反政府活動家。グレッグの後ろで鯱ばって「自分は反政府活動家だ」と名乗った、あの髪が長い男性でした。私は多少、複雑な気分を抱きました。あの、純朴そうな若者が、結局帝国に、私に逆らい続けることを選んだまま死んで行ったのか。そういう思いでした。
なぜ、彼は帝国に武力反抗する道を選んだのでしょうか。私には分かりませんでした。
帝国は平和で、概ね繁栄を謳歌しているといっていいでしょう。帝国にも多少の問題はあるかも分かりませんが、それでも公平に見て帝国は史上最も人類世界を栄えさせた国家であると考えて良いと思います。市民権もかなりのものが認められていますし、参政権も十分分配されていると思います。
もしも帝国に不満があるのでしたら、帝国議会を通して帝国自体を改善しようと考えるべきでしょう。それなのになぜ武力討伐に走るのでしょうか?
結局私はこの時、特に何の疑問も持たずに、タリスマンとラルフ・アイナムについての報告を「完了」のファイルに閉じて忘れてしまいました。彼らのことを再び思い出したのはこの、ずっと後のことです。
アニスがひょっこり帰ってきたのは、天昇暦八〇一八年一月の事です。例大祭が行われる、その当年の事でした。
帝国直轄地であるサラクファンから帝国軍艦艇に乗艦して帝国の内親王らしく堂々と帰ってきたのでした。私は呆れました。
「一体、どこをほっつき歩いていたのですか?」
首都に到着し、私の元に現れたアニスはまるで以前と変わらない様子に見えました。早速着込んだ巫女装束と長く白い髪。悪戯っぽく微笑む、深紅の瞳。
「内緒よ」
何を考えているのかまるで分からない言動も、
「そんな事より、精霊殿に入らないと。大祭まで期間がありません」
コロコロと変化し、つかみ所の無い性格もそのままでした。
グレッグとは一緒ではないようでした。あれほど拘ったグレッグとあっさり別れて帰ってくるというのはどういうことなのでしょうか。
「別に。もう会わないと決めた訳ではありませんし」
「それはどういうことなのです?」
「先のことは分からないわ」
報告によれば、アニスはコラーナムで保護されたということでした。そしてその時、一人の男性と一緒だったといいます。恐らくそれがグレッグでしょう。ということは、グレッグはコラーナムにいるのでしょうか。
私は、アニスとは違った意味でグレッグのことを気に掛けていました。あの時、意に沿わぬ私の元から決然と旅立った彼。私には密かに予感がありました。再会の、予感です。私は将来、どのような形であるにせよ、彼と再会するだろう。そういう思いがあったのでした。だから私はアニスの同行を許したのでしたし、彼に大事な妹を預けたままで気にも留めなかったのでしょう。
それがアニス一人が帰ってきたのです。それは私にはなんだか拍子抜けというか、当てが外れたというか、兎に角意外なことだったのでした。
アニスのほうは特に屈託は無いようでした。あたかもずっと皇宮にいたかのように振舞います。しかし、アニスはリャーナにだけは、特に挨拶に行きました。
「個人的な都合で首都を空けて申し訳ありませんでした。『銀の巫女』アニス・フラミニア、ただいま戻りましてございます」
アニスはリャーナに対して皇妃への礼を尽くし、正座して一礼しました。私に対してはそんな事はしませんでしたから、私は思わず苦笑しました。
「アニス様、そのようなこと、おやめ下さい」
リャーナも笑っています。アニスはそっと顔を上げて顔を緩め、舌を出しました。彼女も笑い出します。
「お久しぶり、アニス様。辺境はどうでしたか」
「楽しかったわ。色々と」
アニスは立ち上がると、いぶかる私たちをよそに部屋を出て行きました。そして帰ってきた時には手に盆を持っていました。紅茶セットと菓子です。そしてテーブルに盆を置くと、慣れた手つきで紅茶を入れ始めました。
私は驚きました。アニスは皇女でしたし、早くから巫女になってしまったのでいわゆる女性修行というか、炊事洗濯掃除というような女性の一般的技能を身に付ける暇は無かった筈でした。確かお湯を沸かしたことも無かった筈です。
「お茶だけじゃなくて、簡単な料理も出来るわよ」
なるほど、何となくアニスのおくってきた日々が想像できました。リャーナは目を細めました。
「色々とご苦労なさったのですね」
「まぁね。でも楽しかったわ」
「お羨ましい」
何となく気になる発言でした。私は横目でリャーナの事を除き見ました。リャーナはどこと無く呆然としたような、ここではないどこかの何かを探すような目をしていました。
「大祭まで間が無いから、明日からは精霊殿に篭らなければなりません。だから今日来たの」
「それはわざわざありがとうございました。それにしても、その、一緒に暮しておられたというその方はどうなさったのですか?」
「グレッグは忙しいみたい。大丈夫よ。あの人は当分は元気でしょうから」
「お別れになったのですか」
「そうね。今はね」
リャーナは悲しそうな表情を浮かべました。
「なぜお別れに?愛が無くなったのですか?」
アニスは紅い目を丸くしました。リャーナを見つめます。リャーナはハッと我に返ったようでした。
「申し訳ありません、アニス様」
「ううん、違うの」
アニスは慌てて手を顔の前で振りました。
「・・・そうね。愛がなくなったとか、そういうのじゃないの。その、そう、今なら離れていても大丈夫というか、離れないと分からないことがあると思ったから別れたのよ。別に二度と会わないと誓った訳じゃないの」
「そうですか」
リャーナは言葉少なに頷き窓の外を眺めやりました。その横顔は少し冷たく見えるほど、白く日の光を反射していました。
「あなたがわざわざ例大祭のために帰ってくるとは思いませんでした」
精霊殿に向かう途中私がこういうと、アニスは不思議そうな表情を浮かべました。
「どうして?」
「あなたは祭祀には興味が無いものと思っていましたから」
アニスは吹き出しました。
「私は仮にも巫女よお兄様」
「ですが、精霊殿の祭祀は人工的な物だと言っていたではありませんか」
精霊殿は、帝国によって宗教統治のために造られた施設です。そこで行われる神事、祭祀は全て帝国中の宗教を統制するために行われます。全てはかつてあったという、多種多様な宗教を併呑する事が出来た、特異な宗教を模して造られた紛い物なのです。アニスは一時期そのことについて私に不満を漏らしていたのでした。
しかしアニスは首を横に振りました。
「精霊殿はね、そんなに単純なものではないのよ。私も精霊殿に入れるようになってから初めて知ったのだけど」
「なんですって?」
「精霊殿を築いたのは誰だか覚えている?」
私は記憶を辿りました。
「確か、オルロフに帝都を移した皇帝、ミストラル帝ではありませんでしたか?」
「そう、そしてミストラル帝は、私と同じ能力の持ち主だったのよ」
「能力、というと、その、中途半端な予知能力のことですか?」
「表現は気に入らないけど、そうね」
ふむ、私は頷きました。あり得ないことではありません。
実は、アニスの能力。断片的な未来を見ることが出来る能力は、実は我がフラミニア家の血筋に時々現れるものだったからです。
その能力を持つ者は特別な称号を与えられ、精霊殿で神職に就くのが慣わしでした。そうしてアニスも「銀の巫女」となったのです。
「ミストラル帝は精霊殿のある場所が霊的に特殊な力があるということを知っていたのよ。だからあの場所に精霊殿を建てた」
話がオカルトめいてきました。私はアニスと違って、血筋からくる面妖な能力を受け継いではいません。妹に不可思議な能力があることは認めていましたが、あまり信頼してもいませんでした。
「そして五年に一度大祭を行うことで、あるものを得ようとしたのよ」
「何ですかそれは」
アニスは振り向きました。血のように、暁のように赤い瞳が妖しく笑いました。
「知りたい?」
「別に無理に知りたくはありませんがね」
アニスはくすくすと笑いました。
「お兄様ならそうおっしゃると思いましたわ。そう。それが賢明です。何を得られるのか、大祭をやってみなければ分からないのですから」
なんですか、それは。私は口の中で呟くに留めました。精霊殿は皇宮の背後に位置する丘の上にあります。私たちは丘の麓の門から玉砂利の参道を歩いて登っていたのですが、境内の入り口に到着したのです。ここから先は神域であり、大祭までの間は選ばれた神職しか立ち入ることが出来ません。皇帝であろうとも例外はありません。アニスはこれから大祭までの二ヶ月、この中で食を律し、身を清めて祭祀に備えるのです。
アニスは門をくぐる前にやや表情を改めて私にこう言い残しました
「でもね、お兄様。これだけは覚えておいて。今度の大祭は、きっと帝国にとって大事な祭りになるわ・・・」
「それは巫女としての言葉なのですか?」
アニスは笑って答えませんでした。
その報告を受けたのは例大祭まで半月ほどにまで迫った頃のことでした。
「謀反?」
ロフマン・エイランは皇宮警察の長です。私と同じ歳の二十四歳。私の学生時代からの友人でした。皇宮警察は主に貴族の犯罪を取り締まる警察で、それはつまり、貴族たちを監視する役目でした。
エイランは輝くような金髪を持つ青い目の美男子でした。非常に女性に人気があり、同時に彼自身も女性に大きな関心を抱いていました。要するにプレイボーイという奴です。しかし、職務については非常に謹厳で、有能でした。私はそれを買って、貴族の監視という微妙で、しかも全面的な信頼を与えなければならない役目を託したのでした。彼はそれに良く応えました。先のモスタルオンの件を察知し、報告したのも彼です。
帝国の歴史は謀反の歴史だと言っても過言ではありません。それは多くは未然に防がれ、あるいは事が起こってから潰され、時には成功して皇帝が殺されています。なぜ謀反が企まれるのかといえば、帝国の皇帝は終身であり、皇帝に不満があり皇帝を代えたいと願うのであればこれを除くしかなかったからです。
反帝国組織の活動と、貴族たちの謀反の企みは一見似通っていましたが、決定的に違うものです。反帝国組織は帝国自体の打倒を目指しているのですが、貴族たちは帝国の打倒などは夢にも考えなかったからです。
考えてみればこれは当たり前で、貴族たちの権力や権威は帝国そのものに依存しているからです。帝国が無くなってしまえば貴族たちの権力基盤も無くなってしまうのです。ですから彼らの目的は意に沿わぬ皇帝を除くことに集約せざるを得ません。
「つまり、私が意に沿わぬ、ということか・・・」
「そうだな。メンバーはコジック伯、ムセイオン子爵を中心に七名。ホルムバークの近辺にあるケネック星系に利権を持っている連中だな」
エイランは、私と二人きりの時はフランクな口調で話します。
「小物ばかりだ」
「そうとも言えん。農業系惑星の開発には資本がいる。そのために幅広く資金を募る必要がある。コジック伯の人脈は相当なものだ」
私の感想をエイランが窘めました。
「そうなのか?」
「それに、表立って活動しているコジック伯の背後で誰がが糸を引いているかもしれん」
「なるほど」
エイランは行儀悪く私のデスクに腰掛け、ペン挿しからペンを抜いて弄びながら話をしています。
「計画では、精霊殿例大祭の時、護衛が減った時を見計らって襲撃するつもりのようだな。神をも恐れぬということか」
「逆に精霊の加護を願ってということかも知れん。それにしてもよくそこまで突っ込んだ情報が手に入ったものだな」
「密告だよ。大逆の罪が恐ろしくなってということだろうな」
謀反が露呈する理由の半数以上は、裏切り者による密告です。密告者はそれによって罪を免れる事が出来るばかりか、場合によっては恩賞を受けることが出来るのですから、実際に成功するかも分からない謀反の企みに組するよりは密告者になりたがるものがいるのも無理も無いことだと言えましょう。実際、密告者となったことがきっかけとなって栄達の階段を上り始める者もいます。
「で、どうする?コジック伯たちを逮捕するなら簡単だが」
「そうだな」
私は考えました。コジック伯爵以下首謀者の貴族は政府の要職に就いている訳でも無く、逮捕しても帝国の大勢には大きな影響を与えることは無いでしょう。むしろケネック星系に利権を持っている彼らが謀反を企んだ事を理由として、ホルムバーグ星系だけではなくケネック星系をも皇帝直轄地に編入出来れば、以降の辺境経営が楽になるでしょう。
しかし・・・。
「草を刈って根を残すかもしれないな」
先ほどエイランが言ったように、コジック伯の裏に更なる後ろ盾がいた場合、コジック伯を逮捕しただけでは次なる謀反の企みを防ぐことが出来ないのです。一網打尽にするにはもう少し術策を要する必要があるでしょう。私は思案し、エイランに指示を出しました。それを聞いてエイランが苦笑を漏らしました。
「ずいぶんと、けれんみのある策略だな。芝居掛かっている」
「反対か?」
「いや、皇帝たるもの、たまにはこれくらい大仰な事をやってもいいと思うぞ」
「まぁ、せっかくの大祭だ。私にも出番をもらわないとな」
オルロフに真夏の太陽が降り注いでいました。精霊殿例大祭は七日間掛けて行われます。何週間も前からオルロフには帝国の各地からあらゆる宗教の関係者が集まり、そしてその宗教を奉ずる人々も集まってきていました。オルロフ各地で様々な宗教の呪文や祈りの歌が響き、あたかも星全体が宗教施設と化したかの様でした。
精霊殿は巨大な建物でしたが、数万人に及ぶ全ての宗教の責任者を全て収めるには不足でした。そのため、彼らは近くの帝国競技場に集まり、そこから精霊殿の中継を見ながら祈りを共にするということになります。
実際に精霊殿に入ることが出来るのは、宗教関係者の中でも信者数一億人を超える大宗教の責任者と、公爵以上の貴族、そして帝室の者だけでした。
例大祭初日、先日アニスと分かれた精霊殿の門を、今度は私も潜ります。
白く磨かれたかのような、まぶしい玉砂利。それが門から数十メートル続き、その先に精霊殿が聳えています。
巨大な木製の十二本の柱。それが地上十メートルにまで合掌造りの建物を持ち上げています。全てが木で出来ており、釘の一本すら金属は使われていません。七十年に一度全て建て替えられるのですがこの時には既に築二十五年が過ぎており、全体が落ち着いた灰色に沈んでいます。
神官を先頭に一列に木製の階段を上ります。十メートルにまで軋む階段を上るのにはちょっとしたスリルを感じました。精霊殿の上からは夏の日差しに輝くオルロフ市が一望できます。精霊殿自体が丘の上に建っているからです。
太い注連縄の前で一礼し、それを潜ります。すると外とは一転、磨かれた木の色で統一された広い拝殿が広がっています。神棚や祭壇などは無くがらんとしていました。何しろ広さは百畳ほどもあるのです。
そしてその中央に、二名の巫女に傅かれて彼女が立っていました。
アニス・フラミニア。帝国筆頭巫女「銀の巫女」たる彼女こそ、今日の主役でした。
私をはじめとする参加者たちは大きな輪を作り、アニスを囲むように座りました。拝殿全周にある扉は開け放たれ、夏の日差しと熱い空気が斜めに入り込んで来ています。私は皇帝の正装たる直垂と袴を着て冠を被っていましたから、うっすら汗をかいていました。
アニスは暑さを気にする様子も無く立っていました。ただ、立っていました。紅い目は開けていましたが、その視線は彷徨い、周囲を囲む誰とも合わず、誰をも追うことはありませんでした。
ドーン、ドーンと太鼓が叩かれました。儀式の始まりの合図です。私を含む列席者は姿勢を正しました。
しかし、アニスはなかなか動き出しませんでした。
じっと、虚空を見据えたまま微動だにしません。彼女の背後に控える巫女は狼狽の表情を浮かべています。私の隣に座る太政大臣バルザック・オムオンも身じろぎをします。しかし私は動きませんでした。
見えた、からです。
アニスの周囲に漂うものが。いや、もしくはアニスの身体から湧き上がるものなのか。それをも、この精霊殿に向けて集まってくるものなのか。
雲のように光のように。輝くものが渦を巻き、そして・・・。
不意にアニスが動きました。
足を滑らせ、鈴の付いた杖を振り、風を起こして舞を舞い始めます。私にはアニスがあたかも、鏡のように輝く雲を纏って、天上を舞う天女の如く見えました。他の者にはどう見えているのか。オムオンを始め、列席の者たちには変わった様子は見えません。ごく退屈そうにしています。
シャン、シャン、と鈴の音が響きます。私にはその音も異様な残響を伴って響きました。
やがて、アニスが歌い始めます。
『鮮麗なる時の欠片。芥に等しき日々の追憶
益荒男の足跡に咲く花の、美しきは紅き月の呪いにも似て
暁に緩やかに浮かび上がる陽炎の
琴の音色は麗々と響き渡る黒き闇の裏へ
彼岸花の咲く丘に積もる赤き雪や
星の輝きに溶け始める乙女の像
宮殿の屋根瓦に名前を刻むものよ
剣に吹き付ける夏の息吹
劫火の熱さを知らば進めず、されど氷の寂しさを知るが故に留まれず
駿馬は猛るが故にここへは帰らない・・・』
何を歌っているのか分からないような歌詞。そもそも意味は無いのでしょう。巫女がいわゆる神を降ろす時に、トランス状態になるために自己暗示を掛けるための呪文のようなものです。
しかし私はこの時、アニスの歌声を聞きながら、自分も次第に歌声の中に飲み込まれてゆくような気分がしました。気が付けば、アニスが私の事を見ています。激しく舞っているのですから、目が合ったとしても一瞬の出来事である筈でした。
しかし、アニスの紅い目が、私を見続けているのを感じました。魅入られるように、私は彼女から視線を外せなくなっていました。
『兄様』
アニスの「声」が聞こえます。
『見えますね。そう、兄様も皇家の血筋ですもの。素養はあるのです』
『何の素養が・・・』
『見る、事です』
アニスの言う、未来の断片を見る能力のことでしょうか。
『精霊殿は宇宙の中でも、時空の流れを掴み易い場所。そして今、時空には大きなうねりが。それを私が増幅しているのですもの。兄様にも見えるし、聞こえるはずです』
私は次第に溶けて消えるような、それでいて瞳だけはますます赤々と輝くアニスを見つめながら、今の状況を大して驚いていない自分に戸惑っていました。
『何を、見せようと言うのですか?』
『さぁ、私にも分かりません。私が見せるのではないのですから』
未来、だとでも言うのでしょうか?
『止めてください。私は未来なんて知りたくありません』
『どうしてです?兄様は宇宙の未来を築く役目。きっと役に立つはずです』
アニスが笑います。既に彼女は輝くものと一体化して既に判然としません。ただ、紅の視線だけが感じられて、私はそれに向かって叫びました。
『未来なんて、未来なんて決まっていない筈です。私は、定まった未来を受け入れることなど出来ない!』
『ただ、怖いのでしょう?』
『ああ、そうです!怖い!自分が無力だと知るのが、怖い!』
アニスは私の頬に触れました。
『大丈夫ですよ兄様。見ることは、知ることでは無いのです』
そしてアニスの口調、実際にそれは肉声ではありませんでしたが、その雰囲気が高い鐘の音のように変わりました。
『見るべきです。あなたは。あなただけは・・・』
語尾は成層圏を吹き渡る風のような音に掻き消され、突然視界が三百六十度、開けました。宇宙空間に身一つで投げ出されたかのような錯覚。
『そして、祈りましょう。流れる時空に溶けて消える、その時を・・・』
私は、見たのです。
「陛下?」
ふっと、我に返ります。
「・・・」
私は頭を前かがみに落として、要するに居眠りをしてしまったようでした。隣に座っていたリャーナが私の膝に手を置いています。
「大丈夫ですか?陛下」
「・・・ああ、これは申し訳ない」
神事の途中に皇帝が寝てしまうというのはあまり格好が良いものではありません。ばつが悪くなって、私は苦笑いをしながらリャーナの手に自分の手を重ねました。
「ありがとう、リャーナ。助かりましたよ」
しかし、リャーナは不安気な表情を浮かべたまま、私の事を見たままでした。
「どうしました?涎でも垂らしてしまいましたか?」
「いえ・・・?」
リャーナの手が少し震えているようでした。
「涙、が・・・」
言われて、私は手を自分の目尻にやりました。
涙が、止め処も無く溢れていました。まったくその自覚も無いのに。
「あれ?どうしたのでしょう・・・」
しかし、止まりません。自分の意思とは違う、なにか強い衝動が私の心と涙腺を揺さぶったようでした。ひたすらに流れる涙。
私は不思議な気分でいました。悲しいわけでもない、辛いわけでもない。場違いにも程がある涙であるのに、どうして私はそれを恥ずかしいとは思えないのだろうか。今ここで涙を流していることは必然であると、どうして私は信じられるのだろうかと。
最後の鈴の音が鳴って神事が終わるまで、私は涙を流し続けていました。心配気に見つめる、リャーナの手を強く握ったままで。
精霊殿での神事は七日間続きます。初日はアニスの舞を見るだけでしたが、その後は神官による祝詞や神楽の奉納、帝国各地から集まった宗教責任者による読経や説法会、私を含む歴代皇帝を祭る精霊殿の秘儀などの儀式が切れ目無く続きました。しかし結局、あのような不思議な感覚を覚えたのは、アニスの舞を見たあの日だけでした。
しかし、私にとっての大祭はこれからが本番になる筈でした。私はエイランにコジック伯たちの監視をさせながら、慎重に計画を進めていたのです。
そして遂に、例大祭最終日の夜がやってきました。
精霊殿の下、玉砂利の境内に大かがり火が焚かれます。最終日の夜は後夜祭と呼ばれ、要するに例大祭の神事で降ろした様々な神(精霊)と宴を共にし、その後神々にお帰り頂くという儀式でした。ところがこれが、することといえばただの屋外宴会なのでした。最初に大祭に参加した時には、その暢気さに呆れたものです。この日はオルロフ市民全てにも酒が振舞われます。
朱色に染まった玉砂利の上に椅子を置き初日のように円を描いて座ります。炎の揺らめきの中で巫女や神楽師が次々と舞い踊り、シルエットが万華鏡の様にゆがみ、収縮し拡散します。それは確かに、精霊の世界と現世が繋がったかのような、幻想的な光景でした。
私はしかし油断無く周囲に気を配っていました。これから起こることに対応するには、一瞬の油断も許されなかったからです。
そして、その時がやってきました。
一人の神官が舞を舞いながら私の方に近づいてきました。仮面を被っているので表情は読み取れません。そしていきなり身を翻すと、私の方に駆け寄りそして懐から匕首を取り出し、私の胸を突いたのです。
私の胸から血飛沫が噴出し、私は仰向けに倒れ、椅子から転倒しました。
リャーナが悲鳴を上げ、オムオンが立ち上がります。次の瞬間、私の後ろに控えていた護衛の兵士が暗殺者に斬り掛かり、地に打ち倒しました。宴の場は騒然とし、怒号と悲鳴が交錯します。
「陛下!陛下!お気を確かに!」
リャーナが叫ぶのが聞こえました。
暗殺者は一人ではありませんでした。彼らは神官の何人かと入れ替わり、隙を見て私を殺害する計画だったのです。
そして一人が実行し、残りの者は首尾を見届けて、依頼主の元へ報告する役目を負う。そういう段取りでした。
暗殺者たちは私が凶器に刺され、血を吹きながら仰向けに倒れ、御典医が呼ばれて絶望的な表情で首を振るところまで見届けて、密かに現場を逃れました。そして、依頼主であるコジック伯のもとへ報告へ向かったのです。
コジック伯は狂喜しました。
彼は早速祝杯を挙げ、しかし、直ぐに外出しました。今回の謀反の成功を、謀反の真の首謀者に報告するためです。
彼は車を飛ばして、ある巨大な屋敷へ入って行きました。
「確かなのか?」
「はい、確実に致命傷を負って倒れ、典医も死亡を宣告したと」
「なるほど、良くやってくれた」
「いえいえ、これも天の意思というもの。これまで帝国のために尽くしてきた閣下をないがしろにして私腹を肥やさんとするとは、そのような者に帝たる資格などありませぬ」
「うむ、いずれにせよ、これで帝国は救われる。そなたの功には必ずや厚く報いよう」
勝手なことを言っています。私は思わず苦笑を漏らしました。
コジック伯ともう一人がぎょっとして振り向きます。
「な、何者か!」
私は隠していた物陰から、ゆっくりと芝居がかった足取りで進み出ました。私の身体が明かりの下に現れる速度と同じ速さで、彼らの顔色と表情が変わります。コジック伯が驚愕の表情もあらわに叫びました。
「ば、馬鹿な!」
「どうした、私のことを知らない筈はあるまい?」
私は完全に姿を現すと、両手を広げました。
「そうか、幽霊を見たことが無いのか?良く見るが良い。私が幽霊なのかどうか」
コジック伯は崩れるように座り込みました。
「馬鹿な、そんな馬鹿な!た、確かに・・・」
「そう。確かに死んだように見えたはずだ。そうでなくては困る。そのように演じたのだから」
「え、演じた?」
絶句するコジック伯を見ながら、もう一人が深々と溜息を吐きました。
「計られた、ということか」
「そうだ。イムベ」
コジック伯の前で項垂れている人物。彼は航路大臣のケネル・イムベ公爵でした。彼こそがコジック伯を操って謀反を起こさせた、つまり黒幕だったのです。
この黒幕を引っ張り出すこと、それが今回の「芝居」の目的でした。
事前の情報収集によって、謀反人達が大祭の最終日、演舞にまぎれて私を暗殺する計画であることは分かっていました。しかしこれを事前に潰し、コジック伯以下を逮捕したのでは、コジック伯を影から操り今回の事を企んだ黒幕を取り逃がすことになってしまいます。
そこで私は、暗殺を「成功」させることにしたのです。
演舞の際、仮面の神官の中に皇宮警察の一人を紛れさせます。そして、暗殺者たちが実行するよりも早く、私を刺させたのです。
もちろん、匕首はゴム製で、噴出した血はあらかじめ胸に仕込んだ袋から出たものです。典医には計画を明かし、彼にも一芝居打たせました。無論のこと私は無傷でした。椅子から仰向けに落ちて見せる際、したたかに頭を打ちましたが。
芝居に気が付かなかった暗殺者たちは私の死亡をコジック伯に報告するでしょう。そうすればコジック伯は必ず、成功を報告するために喜び勇んで黒幕の下を訪れるに違いない。私はそう考えたのでした。そして見事その目論見通りに事が運んだのです。
私は皇宮警察の精鋭とエイランと共に自らコジック伯を追跡。彼がイムベ邸に入った時点で屋敷を制圧。こうして彼らのやり取りを聞いていた、という訳でした。
「そなたにしては、不手際だったな。イムベ」
「申し開きのしようも、ございません」
イムベは頭を下げた。それはまったく悪びれずに、罪を素直に認めたという風に見えました。
「なぜだ、イムベ。なぜこの様なことを企んだ」
私はイムベのことを買っていました。航路大臣という、帝国全土の宇宙航路を統括するという、太政大臣に次ぐ要職に任じたのも、彼の能力を信じたからです。
「陛下にはお分かり頂けますまい」
彼は悲しげにさえ見える表情を浮かべていました。
「コラーナム星系は、我が一族が四代にも渡って開発してきた土地です。それを黙って奪われては、先祖に顔向けが出来ぬというもの」
「そなたは帝国の藩屏たる公爵であろうに。自家のことを考えるよりも、帝国全体のことを考えなければならぬ立場であろう」
「陛下、それは理屈と言うものです」
イムベは改めて私の眼を、まっすぐに見据えました。
「帝国の拡大に貢献してきた貴族は、帝室の手足のようなもの。陛下のなさりようは、手足を食べる蛸を笑えぬ行為だと存じます」
イムベはそして頭を垂れました。
「こうなっては是非もありませぬ。陛下には我が一命をもって一族への寛大な御処置を・・・、願い・・・たく・・・」
語尾が濁ります。
「しまった!」
私の後ろに控えていたエイランが飛び出しました。しかし、イムベはそのまま前のめりに倒れ椅子から崩れ落ちました。絨毯の床に転げたイムベの頭。見開かれた瞳には光が既にありません。髭の隙間から血が溢れるのが見えました。
「・・・死にました」
イムベの脈を取ったエイランが苛立たしげに首を振りました。
「自害したか」
私には特に感慨もありませんでした。誇りある大貴族であれば、謀反に失敗したなら逮捕前に自ら命を絶つべきだ。もしかしたら私は無意識にそう考えていたのかもしれません。
「仕方が無い。コジック伯。そなたは自害せぬのか?ならばそなたは逮捕しよう。他の一味は皆逮捕した。ああ、いい。申し開きは法廷でするが良い」
イムベ公爵という帝国の大重鎮が関わった皇帝暗殺の陰謀は、貴族社会を震撼させました。その衝撃はモスタルオン伯の反乱の比ではなかったのです。イムベ公爵は自害。コジック伯以下、子爵以上の貴族七名が逮捕され、関係して逮捕された人間は三十余名に上りました。
私は、辺境改革に対する貴族の反発が非常に強いものであることを思い知りました。イムベが言ったとおり、惑星開拓事業は数代に渡る一族の労苦の結晶とも言えるものです。それを召し上げるという私の決定は、貴族本人のみならずその先祖の血と汗をも否定するようなものだったのです。貴族というのは血統意識が非常に高いものです。先祖を侮辱されるようなことに対しては、それが皇帝の意思であっても従えぬというのが貴族のプライドというものでした。
しかし、私はそれで辺境改革を諦める訳にはいきませんでした。私はむしろ今回の陰謀をもってイムベの一族に類を問い、コラーナム星系一体を強制収用することにしました。そもそも、国庫で買い上げる計画だったものを無償で没収することにしたわけです。これは、私の辺境改革の意志が強硬であることを貴族たちに示すための措置でした。
私に死に際のイムベの忠告は届きませんでした。私は帝国の将来のためには辺境改革が必須であることを確信していましたし、そのために帝国を支えるべき貴族が私財を投げ打って協力するのは当たり前のことだとすら思っていました。ですから、なぜイムベにそれが分からないのかと逆に腹を立てていたくらいです。
後に「精霊殿事件」と呼ばれた今回の陰謀を潰して以降、私はむしろ貴族たちに強圧的な態度で臨むようになります。
あの事件以降、リャーナは著しく機嫌を損ねていました。
何を話しかけてもろくに返事もしません。目も合わせず、時折胡乱な目で私を睨む始末です。堪りかねて私は言いました。
「一体どうしたというのですか、私があなたに何かしましたか?」
リャーナは私と目を合わせないために読んでいる振りをしていたと思しき本から目を上げて、私の事を睨みました。これほど感情的な態度を彼女が私に見せたのは初めてだったかもしれません。
しばらくして、彼女は呟きました。
「・・・私は、心配いたしました」
「は?」
「わたくしは、心配いたしました!」
声を大きくし、顔を紅潮させるリャーナを私はポカンとした表情で見つめ、思い至りました。
ああ、なるほど。
「精霊殿の時のことですか?あれは・・・」
つまりリャーナは、事件の時、私が偽りの暗殺者に倒れた時に、本気で心配した、と言っているようなのです。
「あれは、その、敵を騙すには味方からという奴ですよ。そう、あなたに黙っていたのは・・・」
「わたくしは、心配いたしました!」
遂にリャーナは叫びました。目に涙が滲んでいます、私は狼狽し、言い訳を探し、しかし結局、深々と頭を下げました。
「すみません。もうあなたを欺くような真似はいたしません。約束します」
私が頭を下げた姿勢のまま、沈黙が室内を周回します。やがてそれを破ったのは笑い声でした。リャーナの笑い声を聞いて、ようやく私はホッとして顔を上げました。
リャーナは大粒の涙をボロボロとこぼしながら笑っていました。
「本当に、無事でようございました。陛下」
その表情を見て私は胸を締め付けられました。私は思わず立ち上がってリャーナの方へと歩み寄りました。
「ごめん、リャーナ」
私はリャーナを胸に抱き、リャーナも私にしっかりと抱き付きました。彼女は遂に嗚咽を漏らし始め、それからしばらく泣き止みませんでした。私は彼女が泣き止むまで、ずっと彼女を抱きしめていました。
誰もいない精霊殿で一人、私は座っていました。例大祭が終わって数日。祭りの後の秘儀も終わり、精霊殿は清められ、静寂に満ちています。
兄の暗殺騒ぎがあり、祭りは最後にきて大騒ぎになったようでしたが、「巫女」となっていた私には良く分かりませんでした。巫女は俗界と冠絶したところで精霊の世界と交わり、その「声」を受けて神託を授ける存在です。「巫女」となっていた私は様々なものが欠落した状態だったのです。
しかし、祭りも終わり、少しずつ私は巫女から人へと戻りつつありました。
私は立ち上がりました。
巫女服の白い袖を振り、赤袴を靡かせて静かに舞い始めます。静かな精霊殿に私の足がすべる音だけが響きました。
舞踊は言葉ではない言葉です。言葉の通じぬ相手と語るための手段だと言ってもよいでしょうか。天と語り、時を超えるために私は舞います。
精霊殿は、時空の要に位置していたのです。これを建てたミストラル帝がどこまでそれを意図していたのかはわかりませんが、そのため精霊殿はもっとも未来の断片を集め易くなっていたのです。
そして五年に一度、宗教関係者を集合させることによってこの地に多くの「意思」が集中します。そのことで更に精霊殿は「アンテナ」としての感度が上がっていました。
そして私が「受像機」としての役割を果たす。
足を運ぶ木床から光が舞い上がります。それはあっという間に強く、激しくなり、視界を覆いました。熱の無い光。白く、時に青白く、紅く、風に似た、あるいは清流の深き淵に似た。包まれながら、私は見ていました。様々なものを。
長いようでそれは一瞬で、あるいは一巡りしてしまったのか。気が付けば私は立ち尽くしていました。
そう、やっぱり私は行くしかないようね・・・。
全てを理解することは出来ません。見た物全てを知ることも出来ません。私はただ見るために存在し、見たものを変える事も出来ません。しかし、見るためには、行くしかないのなら、私はどこまでも行くでしょう。
…これで、私が精霊殿で見たかったものは全て見ることが出来ました。私はようやく安心し、床を払って座り、礼を施しました。
ぽたり、と何かが床に落ちました。
雫、です。頬に手をやると、私は涙を流していました。
私は立ち上がり、涙を強く拭いました。
私には、恐らく、泣く権利は無いだろうと思ったのです。
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