一章・3、 モスタルオン伯事件

 渡り廊下を歩いていると、雨音が聞こえました。思わず立ち止まります。


「雨ですか」


 帝国首都星オルロフは水が豊富な惑星です。特にこの時期は雨も多い。私は後ろを振り返り侍従に声を掛けました。


「このところは雨が多いのですか?」


「はい。これで十日連続でございます」


「ふむ。ということは、リャーナが退屈しているかもしれませんね。彼女は散歩が好きですから」


 私は辺境星系の視察からほぼ一年ぶりにオルロフに帰ってきたばかりでした。グレッグと出会い、アニスと別れてからも私は視察を続け、つい先刻に帰還したのです。


 リャーナ・ヨロワ・ロゼクリフは私の妻です。結婚して既に三年目になります。彼女は私の辺境視察に同行せず、宮殿で私の帰りを待っている筈でした。


 しかし、私はそのまま妻の下に向かうわけには行きませんでした。私の帰りを待っていたのは妻だけではなかったからです。私は大内裏宮殿に向かいました。我が帝国の政治の中心とも言うべき宮殿です。


 大内裏宮殿は巨大な宮殿です。高さは四層。大屋根が幾重にも重なり、まるで蓮の池のようです。内部も広大ですが、ベルトウェイのような近代設備はありません。私の父などは輿を使って移動したものでしたが、私は輿を好みません。歩くのも嫌いではありませんから、徒歩で移動します。


 まずは大謁見室で諸卿から帰都の祝賀を受けます。私に謁見出来る資格を持った者のうち、伯爵以上の位階を持ったものに限った謁見でしたが、それでも数百人からの祝意を受けるのには休憩を挟んで数時間を要しました。私はその間ずっと座っていなければなりません。諸卿はそれぞれ創意を凝らした言葉で私に語り掛けてくるのですが、これでは私がほとんど聞いていなかったとしても無理も無いことでしょう。


 それから、場所を移して大臣たちとの会議に移ります。


 帝国行政を司る皇帝府の大臣たち。太政大臣バルザック・オムオンを筆頭に、右大臣ヤタガ・ハーシム、左大臣ハスケル・ウィー、内大臣ドロコス・イフカー。航路大臣ケネル・イムベ、開拓大臣エメリア・コンゴル、大蔵大臣サーラバン・エフケス、教育大臣コルツ・ブッセイ、産業大臣イクオネル・アラバーン、紋章管理大臣ソルティア・モーム、厚生大臣イクアロス・リスティア、軍務大臣ロール・エンケネン。計十二人です。彼等がこの広大な帝国を統括、運営している皇帝府の中心メンバーなのです。


 帝国議会が力を失っている現在、皇帝府は行政府でありながら実質的に立法も担っています。皇帝府が提出した法案に議会は承認を与えるだけ。つまり皇帝府は立法、行政を一手に引き受ける、文字通り帝国の心臓と頭脳を併せ持ったような機関なのでした。


 全員を代表して、太政大臣オムオンが頭を垂れます。彼はこの年五十丁度、政治家としては未だ若い男です。彼の父は先の太政大臣ウェンリントン・オムオンであり、彼はその後を継ぐ形で先年太政大臣になったばかりでした。とは言ってもこれまでに幾つもの要職を歴任しており、経験には不足ありません。顎に少し茶色の髭を生やしています。


「改めて陛下の御無事を御喜び致しますと共に、精霊の加護に感謝致しましょう」


「うん、長く留守をしたが、このとおり無事に帰ってくることが出来た。留守中も諸卿のよろしきを得て特に大きな事件も無かったと聞いている。ご苦労であった」


 右大臣ヤタガ・ハーシムはオムオンとは逆に大変肥満した男です。冷房の効いた部屋にいながら、浅黒い肌に汗を浮かばせており、しきりに汗を拭いています。


「天下泰平、事も無し。陛下がわざわざ辺境になど行かれなくとも、銀河に帝国の威光はあまねく行き渡っておりますよ」


「右大臣閣下の言う通り。帝国に栄光あれ」


 大蔵大臣サーラバン・エフケスもハーシムに同調します。この二人を代表とする連中は、私の辺境視察に反対していました。皇帝たるもの首都を長く空けるべきではない、という論調です。ただこれは建前で、私が辺境を視察する目的を、自分たちの不正を暴くためなのではないかと邪推しての妨害であるようでした。


 彼等が大小さまざまな不正や癒着で莫大な富を蓄えているのは、わざわざ調べになど行かなくても既に私の熟知するところでした。しかし、そんなことはどうでも良いことでした。歴史上、政治家が在任中になぜか突然財産家になってしまうということは良くあることでしたし、むしろ在任中に富を蓄えなかった政治家のほうが珍しいくらいでしょう。しかしながら、多くの場合それは問題となりません。政治家はあくまでその政治的業績によって評価されるべきだからです。無能な政治家が職務そっちのけで蓄財に励めばそれはまぁ問題でしょうが、職務を果たした上で余技で儲けていたとしても、それは別に大したことではないのです。ハーシムもエフケスもこれで能力的にも人格的にも経験、人脈的にも十分に有能な政治家です。彼等を不正の非でもって罷免するのは簡単なことでしたが、それでは逆に私が困るのです。


 私が歴代皇帝の誰もが行わなかった辺境視察行幸を行った理由は、帝国が辺境から崩壊しつつあるのではないか、と感じたからでした。


 帝国の辺境が不安定なのは、いつものことでした。帝国は現在でも拡大を続けています。開拓企業や資産家貴族たちがどんどん未開星系を開拓しているからです。そこはまさにフロンティア。フロンティアに野心のある人々が集うのは当然でした。ですから、そこが大規模な犯罪や、時には反乱の企ての根拠地になりやすいのも当たり前だったのです。


しかし、これまでそれは大きな問題にはなりませんでした。辺境は所詮辺境であり、企てが辺境を出た時点で叩き潰してしまうことが出来たからです。帝国は強大です。銀河全ての航路を支配し、精強な帝国軍を有しています。辺境で生まれた反抗の芽は育つ間も無く摘み取ることが出来たのでした。


 しかし、この百年ばかりでそれがそうとも言えなくなってきたのです。理由は「辺境」の拡大でした。つまり、開拓の進展があまりにも早く、開拓された星系を完全に帝国領土に組み込む前に更に開拓が進んでしまうのです。その結果「辺境」は拡大し、そこは帝国法が行き届かない無法地帯となってしまいました。


 問題を更に大きくしたのは、そういう辺境星系の人口がどんどん増加してしまったことです。かつては「辺境」といえば開拓途上の未開の地でを意味し、人口も少なかったのです。そのため、何が起こっても所詮は少人数の企て事。前述した通り力で押し潰すことが出来たのです。


 ところが「辺境」を帝国化するのに手間取っている内に「辺境」は中央に負けないくらいの発展を遂げてしまいます。人口は増え、それと共に周辺星系と合わせて独立した経済圏を確立するようになると、そこは帝国の保護をさして必要としない言わば独立国と化してしまうのです。


 この結果、辺境星系で起こった反乱や暴動鎮圧に、帝国軍が苦戦するといったような事態が起こるようになります。それだけ辺境星系が力(経済的にも軍事的にも)をつけているということなのでしょう。辺境はフロンティアであるだけに活力に満ちています。それに加えて実力までつけてきたとなると、既に活力が失われている帝国中央にとって、これは大きな脅威となるわけです。


 これを認識した私は、辺境の速やかな帝国化は急務であると考え、辺境の主要星系を視察することにしたのでした。ところがこれには様々な方面から反対の声が上がりました。オムオンとハーシムの意見はその一例ですが、それ以外にも政財界から私の視察と、それに伴う辺境の帝国化に対してかなり強い反対意見が聞かれたのです。


 理由は単純でした。政界つまり貴族と財界は、まさに開拓事業を推し進めているその張本人だったのです。彼らにとって辺境が無法地帯に近い状況であるのは大変都合が良いことでした。帝国の行政、司法の手が入れば、人口や生産量を正確に申告しなければならなくなります。人権法や惑星独占経営禁止法などの帝国法を厳格に適用されるようになろうものなら、彼らはかなりの経済的な損害を余儀なくされることでしょう。


 故に彼らは何かと理由をつけて私の辺境視察を妨害しようとしました。しかし、私にとってもこの視察と辺境の帝国化は譲れない一線だったのです。このまま「辺境」の拡大を放置すれば、帝国が分裂、崩壊してしまうことは目に見えています。そうなれば人類社会は大きな打撃を受けるでしょう。「辺境」の縮小は、もはや急務でした。私は反対意見を押し切り、一年にも及ぶ辺境視察巡幸に出発したのです。


 私は早速今回の視察について、大臣たちに諮りました。テーブル中央に浮かび上がらせた3Dホログラムを示しながら自分の案を示します。


「少なくとも、ホルムバークから先の農業星系が集中している宙域。そしてコラーナム周辺の鉱物資源の豊富な小惑星帯を含む宙域は帝国直轄にすべきだと考える。この二宙域から産出される農鉱資源の量は、数年後には帝国の総産出量の二十分の一に達するであろう。これが帝国中央経済圏から外れたままにしておけば、この地方の経済的な独立を許すことになる。経済的な独立は政治的な独立を要求するだろう。それは許すわけにはいかない」


 列席の大臣たちからうめき声が上がりました。


「直轄地に編入となると、現在の所有者に対する補償はどのようになりましょうか」


 開拓大臣エメリア・コンゴルが難しい顔をしながら問いかけてきました。彼女は唯一の女性閣僚です。年齢は六十代。開拓大臣は新規開発の認可と管理を行う省庁を統括する大臣です。もっとも、辺境が拡大し過ぎた現在ではその役目も形骸化を余儀なくされていたのですが。


「もちろん、現在の所有者には十分に補償をせねばなるまい」


「しかし、これほど生産量の豊かな星系となると、補償費も莫大なものになりましょう。それでも所有者が応じてくれるかどうか・・・」


「さよう。強い抵抗が予測されまする」


 紋章管理大臣ソルティア・モーム。紋章管理大臣は貴族たちの管理統括、調整を担当する大臣です。彼はチラッと航路大臣ケネル・イムベのことを見ました。モームは職務柄、貴族社会の内情に詳しいのです。


 帝国内の、全ての宇宙航路を管理統括するのが航路大臣です。つまり、人類社会全ての航路は彼の管理下にあるわけです。ケネル・イムベは唇の上に生やしている立派な髭を撫でたまま沈黙しています。


 私は知っていました。件の二宙域のほとんどはイムベの親族会社が開発を行い、現在でも所有しているのです。私は大きな声で断言しました。


「帝国直轄地への編入は、国策である」


 ということは所有者の意思よりも優先されるということなのです。当然、所有者が抵抗した場合には、実力での排除も止む無しだということになります。イムベはそっぽを向いたまま反応を示しませんでした。


 私は続けざまに数箇所の宙域を示し、それぞれに対する対策を提案しました。帝国行政庁の設置、航路管理の強化、開発規制など、要するに帝国の影響力を強める施策です。本音を言えば、問題が多い宙域は一時的にでも帝国直轄地に編入して徹底管理を行いたいところだったのですが、むやみやたらにそんなことをすれば、貴族たちが大同団結して反抗するかもしれません。これでも私は最小限必要なものに絞ったつもりでした。


 しかし、大臣たちの反応は芳しくありませんでした。


「これでは、星系所有者たちの賛意は得られますまい」


 右大臣ハーシムが唸ります。


「陛下、これらの星系は、現在の所有者たちが自分たちの資産を使い、汗を流して開拓、発展させ、ようやくここまで育て上げたものなのですぞ?それを召し上げるなどあまりにも惨いというものではありませぬか」


「左様、もしも強制執行によって編入を行いなどすれば、禍根を残すことになりましょう」


「現在開拓を行っている者たちの間に、もし開拓に成功しても、将来的には召し上げられてしまうのではないか、という疑念を呼ぶことにもなるでしょう。開拓への意欲も殺がれまする」


「辺境は帝国中央からはるか遠く、管理は容易ではありません。人員も費用も膨大なものが必要となるでしょう。しかも恒久的な。帝国の予算に大きな負担となるでしょう」


 大臣たちは次々と懸念を示します。これらは視察に出かける前に聞いた意見とほぼ同じものでした。


 しかしながら、私は実際に辺境を見てみて、辺境の現状がもはや抜き差しならぬレベルにまで達していることを知っていました。一部の宙域では既に独立経済圏が成立しており、帝国による航路の管理さえ怪しくなっていたのです。ほとんどの星系で帝国法が適用されず、深刻な人権侵害が起こっている例も目にしました。反帝国活動が半ば公然と行われ、しかもそれが大衆からの広い支持を集めています。


 これに対するに、今までと同じような施策を続けるのは自殺行為であると言えましょう。しかし、大臣たちにはそのような危機感はまるで見られませんでした。私は密かに失望しました。


 しかしながら諦めるわけにも投げ出すわけにもいきません。私は皇帝であり、帝国の未来と臣民に対する責任を一身に負う立場なのでした。大臣たちが頼りにならないのならば自分でやるしかないのです。


 非建設的な大臣たちの議論を見ながら私は決意しました。




 私が皇帝になったのは三年前のことです。


 私の父、エドウィン帝はそもそも病弱でありました。五十六の年まで生きたのはむしろ長生きした方だと言えましょう。父帝の崩御に伴い、嫡男である私が即位したわけです。私は十七歳でした。


 私は既に幼少時より皇太子であり、しかも父の病弱を知っていましたから、そう遠くない内に自分が皇帝にならなければならないだろうと考えながら育ちました。周囲もそういう目で私を見ます。私の人生は常に「皇帝」という身分を意識しないではいられなかったのです。だから、実際に即位した時には特に大きな感慨は覚えませんでした。とうとう本当に皇帝になってしまったのだな、と思っただけです。


 父は病弱であり、しばしば病臥のために政務不能状態に陥ることがありました。しかし、特に帝国の政治が滞ることはありませんでした。大臣、官僚たちが父をしっかりフォローしてくれていたからです。そのため、私は自分が皇帝になっても大臣たちが助けてくれるだろうから、特に苦労することはあるまいと楽観していました。


 しかし、皇太子として見ていた帝国と、皇帝として見る帝国はやはり違ったものであったのです。


 つまり、一見磐石と思える帝国も、内情を詳しく見れば実に危ういのだということに気がつかされたのです。頼りにしていた大臣閣僚も、実は前例をなぞる事しか出来ないのだということも知ってしまいます(もっとも、普通に政治を行うのならばそれで十分なのですが)。するとやはり不安と不満が出てきます。


 私はまだ若く、不満や不安を放置することが出来ませんでした。私は改革を志しました。しかしながら、実際に着手する前に、断念することを余儀なくされます。


 理由は簡単でした。大臣たちを輩出する貴族界。官僚組織。これらが織り成す強固な序列社会は、皇帝の一存でどうにか出来るようなものではなかったのです。私がむやみやたらに人事権を振りかざしてこれらの「秩序」を壊そうとすれば、逆に私の方が皇帝の地位を追われることになってしまうでしょう。


 根本的な改革は不可能でした。であれば、周辺からでも少しずつ変えて行くしかありません。私が辺境視察を強行したのはこのためでもありました。帝国中央のしがらみが薄い辺境を改革し、言わば私の「地盤」にしようと考えたのです。不穏な辺境を沈めるという実績が得られれば、私の発言力は必然的に高まる筈でした。




 部屋に入るとそこにリャーナ・ヨロワ・ロゼクリフが待っていました。後頭部で優雅に結った焦げ茶色の髪が目に入ります。彼女は数秒、深々と頭を下げた姿勢で静止した後、ゆっくりと身を起こしました。


「お帰りなさいませ、陛下」


 ふわっと微笑みます。リャーナは私より二歳下の十八歳。少しずつ表情に柔らかさが出てくる年頃でした。


「ああ、ただいま。リャーナ。あなたの方に変わりはありませんか?」


「陛下の御蔭をもちまして」


 整った容貌に新雪のように白い肌。深山の泉を思わせる水色の瞳。背はそれほど高くはありません。白いドレスがしなやかな肢体を包んでいます。


「お疲れでございましょう?湯浴みの準備はさせてあります。その後、ワインでも準備いたしましょうか?」


「いや。必要無い」


「よしなに」


 リャーナはゆるりと頭を下げました。


 リャーナと私が結婚したのは一昨年のことです。私が皇帝になって丁度一年後のことでした。


 皇帝にとって最も重要な責務の一つは、自分の血を残すことです。病弱であった父は、私と、妹のアニスしか自分の血を残しませんでした。皇家の血を残す為に、私は早くに妻を娶り、子を成す必要があったのです。


 リャーナは、現太政大臣バルザック・オムオンの妹です。妹とはいっても、相当年が離れていますが。皇帝の正妃は伝統的に帝室分家である二十七家から娶るのが伝統です。リャーナは形式上ヨロワ・ロゼクリフ家の養子となり、その後私と結婚したのです。


 誰が見ても明らかな政略結婚でした。はっきり言えば私から望んだ結婚ではなかったのです。しかし、バルザック・オムオンがこの縁談を持ち込んできた時、私は拒否しませんでした。父に続いて太政大臣となったオムオンと繋がりを深めることは、私にとっても益の多いことだったからです。私は自分が普通の恋愛結婚など望むべくもないことを無論理解していました。ならば自分にとって最も大きな利益を齎す相手と結婚すべきでした。リャーナは、その意味で適当な相手だったのです。


 しかし、リャーナの方はどう思ったのでしょうか。彼女は当時十六歳。まだ高校生でした。学校を中退して私と結婚したのです。無論、本人の意思でないことは明白でした。彼女は表面上、私に対して敬意を欠くようなことはしませんでしたが、それ以上の感情も見せませんでした。私の方も無理に彼女と心を通わせようとも思いませんでした。私たちの結婚は、いわゆる政治的なものであり、そこに愛情は介在しません。それで良い。と思っていたのです。ただ、彼女が不憫だとは思っていました。


「リャーナ、旅先から送った土産は届きましたか?」


 私が言うと、リャーナはソファーに上品に腰掛けたまま首を傾げました。


「届いていないのですか」


「いえ、届いておりますが」


 クスクスと笑い出しました。


「ここ最近はおかしなものばかり届くので、どうしたものかと思っておりました。変な置物とか、仮面とか。陛下が出掛けられてから半年前くらいまでは、上品なアクセサリーや絵画などでしたのに」


 ああ、心当たりがありました。


「多分、アニスがいなくなってからの物でしょう。アニスがいた頃は、アニスに選ばせていたのですよ。私一人ではあなたが喜びそうなものが分からなくてね」


 リャーナは目を丸くしました。


「まぁ、そうでしたの?それは失礼なことを申しました」


「いや、確かに女性に送るものではなかったかもしれません。なにしろ、私は女性にプレゼントなど贈ったことが無かったものでね」


 私は頭を掻きました。私は学生時代から皇太子として周囲から遠ざけられるようにして育ちましたから、いわゆる恋愛経験がありませんでした。リャーナは面白そうに笑っていましたが、ふと気がついたように尋ねました。


「アニス様はどこに行かれたのですか?」


「アニスは・・・」


 私は少し迷いましたが、結局アニスが私の元から旅立つまでの出来事を話して聞かせました。リャーナは興味深そうにそれを聞いていましたが、私が話し終えると唇を尖らせるような、どこか不機嫌にも見える表情を浮かべました。


「・・・そうですか。アニス様はその方に恋をされたのですね?」


「さぁ、どうでしょうか。あの娘の考えていることは、私にもよく分かりませんからね」


「いえ、そうに決まっています」


 いやにきっぱりと断言しました。彼女がこうもはっきりと自分の考えを表明するのは珍しいことでした。


「なんでそう思うのですか?」


「私も女ですもの。分かります」


 私は興味を引かれました。


「あなたにも経験があることなのですか?」


 リャーナは一瞬硬直したように見えました。そして私の方を見詰め、頬を薄く染めます。


「出すぎたことを申し上げました。失礼致しました陛下」


「別に謝るような事ではないでしょう」


「いえ・・・」


 それっきり、彼女は私が何を問うても曖昧な返事しかしてくれませんでした。




 天象暦八〇一六年暮れ。一つの問題が持ち上がりました。


 アベニャー伯爵家が子孫断絶のため取り潰されることとなったのです。つまり、爵位は帝国紋章院預りとなり、財産は帝国国庫に収められることとなります。


 貴族の家が絶えてしまうことは、珍しいことではありましたが前例が無いわけではありません。アベニャー伯爵家はいわゆる辺境開拓に積極的な投資を行っており、かなりの財産と広大な私領を有していました。これが国庫に編入されることは国家財政上喜ばしいことだと言えます。帝国財政はこの時期、特に赤字に苦しんでいるわけではありませんでしたが、私が行おうとしていた辺境政策には相当な額の予算が必要でした。その財源に打ってつけだと思えたのです。


 ところが、これに異を唱える者が現れたのです。コルマ・モスタルオン伯爵という者が、アベニャー伯爵家の財産は自分に継承権があると言い出したのです。理由は、そもそもアベニャー伯爵家はモスタルオン家から分かれた家であるからだということでした。


 紋章院に調べさせると、確かにそれは事実であるようでした。しかしながら、貴族法典によれば貴族の相続は直系の子孫にのみ継承権が発生するとあります。これは、そうでもしなければ貴族が死ぬたびに膨大な血縁者が群がり、相続問題が多発してしまうからです。死んだアラス・アベニャー伯爵がコルマ・モスタルオン伯爵を後継者として指名し、養子にでもしていれば話は別ですが、そうでもない限りやはり彼には相続権など無いということになります。


 しかし、コルマ・モスタルオンはごねました。彼は既に伯爵でしたから、爵位は別に要らなかったわけで、目的はひとえに財産でした。彼は投資に失敗して多大な負債を抱えていたのです。彼は繋がりのある貴族たちを歴訪して支援を要請します。その際に彼が吹聴したのは、皇帝、つまり私がなんとしてもアベニャー伯爵家の財産を欲しているということでした。その理由として、


「辺境政策に反対する貴族諸卿と強行的に対決する為に、陛下は財源を必要としており、アベニャー伯爵家を不当に取り潰そうとしている」


 と言いふらしたのです。


 とんでもない話でした。話の内容は事実無根でしたが、これを真に受けたらしい幾人かの者たちが、モスタルオンがアベニャー伯爵家を相続出来るようにと紋章院への働きかけを始めました。無論のこと、法的根拠はありませんでしたが「伝統ある伯爵家が無くなってしまうのはいかがなものか、ここは一時本家であるモスタルオン家に爵位と財産をお預けするのがいいのではないか」などともっともらしい理由をつけたのです。困ったことに、そのような前例が無かったわけではなかったのです。貴族法典にはその性質上、様々な解釈の余地があり、その運用は大変流動的でした。


 私は怒りました。私が財源を欲しているのは事実でしたが、それは辺境政策に「正当に」かかる費用の為であって、貴族たちと対決する為ではありません。そんな流言飛語を流して私と貴族たちの間に不和を成すなど、帝国貴族としてあってはならないことでした。私はモスタルオン伯爵の召喚を命じました。


 しかし、モスタルオン伯爵は病を理由にこれに応じません。許しがたい不敬だと言えました。私はモスタルオン伯爵を逮捕するように、皇宮警察に命じました。


 ところが、これに幾人もの貴族から反対の意見が出たのです。伯爵以上の貴族は不逮捕特権を持っているというのが理由でした。しかしながら、これの特権は不敬罪には適用されませんでしたし、皇宮警察は貴族たちの犯罪を取り締まるための特別警察でした。そんなことは皆分かっている筈でしたから、これはモスタルオン伯爵を助ける為の詭弁でありましょう。つまり、モスタルオン伯爵の逮捕を恐れたのです。


 私は不審に思いました。なぜ貴族たちがモスタルオン伯爵の逮捕を恐れるのでしょう。調べさせるととんでもないことが分かってきました。


 私の辺境政策に反対する貴族たちが、モスタルオン伯爵の口車に乗って、辺境政策反対同盟とでも言いましょうか、そういう政治的な集まりを作っていたのです。彼らは私の辺境政策に断固として反対し、そのために協力すると互いに誓書まで交わしていたのです。誓書には、場合によっては私に対して退位を要求するとまで記されていました。


 これは不敬を通り越して明らかに大逆でした。これの集まりに参加した貴族はモスタルオン伯爵が逮捕されることによってことが露呈することを恐れたのです。私は流石に唖然としました。誓書に記された名前の中には航路大臣ケネル・イムベの名前までがあったからです。


 私は思案しました。大貴族までが多数含まれる、このような企てを表沙汰にすれば、帝国政界が大混乱となってしまいます。私は考えた末、密かにケネル・イムベ大臣に密使を送りました。


 私は彼を都の郊外にある離宮へと密かに呼び出したのです。離宮の広間。日当たりの良い部屋でした。私はソファーに腰掛けたままイムベを見上げました。イムベは直立不動です。流石に顔色は良いとは言えません。私はしばらく彼を見詰めた後、彼に席を勧めもせずにティーカップのスプーンをかき回しました。


「そなたとしたことが不手際だったな。イムベ」


「・・・面目次第もございませぬ」


「言い訳は無いのか?」


「ただの署名だと騙されました。けして陛下に対して叛意を抱いたわけではありませぬ」


「ああ、卿の忠誠は存じておる」


 私は言ってティーカップに口をつけた。しばし部屋の中に沈黙が流れます。


「・・・しかし、不手際だった」


 私は彼に強い視線を向けました。


「そなたに忠誠を証明する機会を与えよう」


「・・・はい」


「正直に罪を認めたそなたの責は問わぬ。同じように、すべての罪を認めた者の責も問わぬ。そういうことだ」


 つまり、今回の企てに加わった貴族たちに自首するように働き掛けろということです。これにはイムベが今回の企てに係ったということを公式に認めるということが前提になります。大逆罪と認定されても不思議は無い企てに係ったということを認めるのです。私が問わないと言った以上罪にはならないとはいえ、今後彼の政治力の低下は避けられないでしょう。当然、私の狙いもそこにありました。


 イムベに選択肢はありません。彼は深く首を垂れました。


「思し召しのままに・・・」


 イムベはすぐに企てに参加した者たちに使者を送り、自首を勧めたようでした。その結果、程無く誓書に署名した数十人の貴族たちが続々と私の元へ訪れ、罪を認め平伏して許しを請う事態となったのです。私はイムベのときと違って彼らの謝罪を公式の謁見室で大臣たちが注視する中で受け、もったいぶって彼らに許しを与えました。これは、企てに参加した者たちを明らかにするためでした。彼ら、当然ながら私の辺境政策に反対する者たちは私から慈悲を受けたという事実を公表されてしまったわけで、今後私に対して表立って反対意見を述べることは出来なくなるでしょう。


 災いを転じて福と成す。私は辺境政策への強硬な反対が予測される貴族たちの口を政治的に塞いでしまうことに成功したのでした。


 しかしながら、イムベの勧告に応じなかった者たちもありました。彼らはモスタルオン伯爵の成功を期待し、早々に彼に多額の投資をしてしまったのです。私はモスタルオン伯爵だけは許さないことを明確にしていました。モスタルオン伯爵と深く結びついてしまった彼らにとって、モスタルオン伯爵の破滅は自らの破滅をも意味したのです。彼らは一蓮托生。モスタルオン伯爵と運命を共にする道を選びました。


 モスタルオン伯爵は私領に戻り、そのような貴族たちと共に最後の手段に出ます。つまり、武装して兵を挙げ、私領の帝国からの独立を宣言したのです。つまりは反乱でした。




 モスタルオン伯爵とその一味が集めた兵力は十五万人、艦数二万隻に上りました。相当な兵力です。ですがほとんどが傭兵であり、正規軍に比べれば錬度も装備も劣ります。しかしながら、鎮圧に手間取れば他の反帝国勢力との連携を許す可能性もありました。モスタルオンたちが兵を集めたのも辺境だったのです。


 迅速な鎮圧が求められました。私は検討の結果、一人の将帥を呼び出しました。


 リューフ・ヴァリュアルフ少将。後頭部に固く結った黒髪も凛々しい女性軍人でした。女性にしては非常に高い背丈。その引き締まった体躯を更に緊張させて切れの良い敬礼をして見せました。


「ヴァリュアルフ少将、参上いたしました」


「ああ、ご苦労でした」


 猛禽類を思わせるような鋭い目。その剣呑な瞳の印象が強すぎてあまり印象に残りませんが、硬質な美貌をしています。もちろんこの時私が彼女を呼び出したのは容姿のためではありません。彼女は女性ながら二十七歳で少将になっている事が示す通り優秀な軍人なのでした。


 私は彼女にモスタルオン伯爵の討伐を命じました。


 ヴァリュアルフ少将は呆然としたようでした。


「小官が反乱討伐軍司令となるのでありますか?」


「そうです」


 彼女は眉を顰め、何事かを考えているようでした。


「反乱軍は艦数二万隻程度とのこと。その討伐艦隊となると、最低でも三万隻規模の艦隊を編成せねばなりませぬ」


「そなたの望む数の艦隊を連れて行って構いませんよ」


 ヴァリュアルフ少将は更に驚いたようでした。


「三万隻規模の艦隊の指揮は、通常、中将以上の階級の者が当るのが通例です。小官は未だ少将であります」


「分かっています」


 今度こそ彼女は当惑したようだった。


「それに・・・、小官は一万隻以上の艦隊を指揮した経験がございません」


「そうですか」


「そうです。小官には・・・、責が重過ぎます。どうかその任は他の者に御下命下さい」


「ダメです」


 私は即答しました。


「そなたでなければなりません」


「ど、どうしてですか」


 私は階の下でなんだか急に落ち着かなくなったヴァリュアルフ少将を見ながら思わず笑ってしまいました。先程までの堂々とした態度が崩れつつあります。そういうところからはやはり年齢相応の若さが垣間見えました。


「理由は幾つかあります。まず、今回の討伐に当っては、正規艦隊は動かしません。新たに臨時艦隊を、新造艦や新兵でもって編成してもらいます。つまり、訓練を兼ねるわけです」


 今回の反乱軍は急編成の弱兵でした。これの討伐は、ある意味、実戦訓練にとって最適の相手であると思えます。実戦未経験の艦船や兵たちに、経験を積ませるにはもってこいでしょう。正規軍を使わない理由は他にもあります。正規軍が首都を動かないことで、今回の反乱によって帝国中央は小揺るぎもしないのだということをアピールできるでしょう。


「同じ理由で、ベテランの将帥も使いません。そなたが適任でしょう」


 要するに彼女程度でも鎮圧出来る反乱だ、と私は考えたわけです。これにはヴァリュアルフ少将がやや不機嫌そうな表情を見せました。


「もう一つ。無事に反乱を鎮圧すればあなたは昇進して中将です。率いた艦隊はそのままあなたの艦隊となるわけです」


 ヴァリュアルフ少将は思わず顔を上げました。私はヴァリュアルフ少将にチャンスを与えたのです。未だ若い彼女ですから、これから通常の軍務を積み重ね、功績を立てて行っても、正規艦隊を率いることが出来る中将以上の階級を得るまでにはまだまだ相当の期間を要するはずです。しかし、今回のようなやや大きな規模の反乱を鎮圧することが出来れば、彼女はこの若さで艦隊を率いる身となれるのです。


 私は、軍の中に私に忠実な、いわば腹心を欲していました。私は即位してからまだまだ日が浅く、高級将校たちは皆、父の代から受け継いだ者たちばかりでした。本来皇帝直属の組織である帝国軍の中に意のままに動いてくれる部下がいなかったのです。今回の反乱は、いい機会だと考えました。


 私は若い将校の中で、才能があり、後ろ盾のあまりいないような者を探し、彼女に白羽の矢を立てたのです。彼女にチャンスを与え、彼女が無事に功績を立てればそれに対して恩を売ればいいのです。彼女は私に恩義を感じて、私の忠実な腹心となってくれるでしょう。


 ヴァリュアルフ少将は固い表情で私の顔を見詰めていましたが、やがて両踵を打ち鳴らして敬礼しました。


「分かりました。微力を尽くさせていただきます!」


「うん、頼む」


 私は彼女に今回の反乱討伐に関わる全権を与えることにしました。




 軍事作戦についてはヴァリュアルフ少将に丸投げする事が出来ました。しかしながら、私にはまだするべき事が幾つも残っていたのです。


 モスタルオン伯爵の反乱は、これまで各地で起きていた反乱の中でも、帝国中央の貴族が関与するという重大なものです。単に鎮圧すればそれで終わりというわけにも行かないのでした。再発防止策を検討しなければなりません。


 今回の反乱の原因の一つは、貴族の相続について貴族法典が厳格に守られていなかったことです。有力貴族の仲介により、しばしば法が破られ、拡大解釈されてきたのです。私は紋章院にこの事態の是正を命令しました。


 私は今回の事態を大きくした理由の一つは、モスタルオン伯爵が貴族たちといわゆる政治結社じみた組織を作り上げたことにあると考えました。中小貴族たちは組織を作り上げることで、皇帝に対する発言力を確保できると思い込んだのです。これは非常に危険なことでした。今回は未然に潰すことが出来ましたが、確かに貴族が大同団結して皇帝府の決定に異を唱えれば、私としても考慮しないではいられないのです。これから貴族たちの反発が必至である辺境改革を進める上で、同様の事態が起こることはなんとしても避けなければなりませんでした。


 私は大臣たちと図って、紋章院から貴族全員に一つの通達を出させました。


 貴族たちが政治的な団体を作ることを禁ずるという通達でした。これまでも紋章院の許可無く政略結婚を行うことや養子縁組を行うことは禁じられていましたが、団体の結成などは禁じられていなかったのです。これに伴い、趣味の集まりを行ったり大規模なパーティーなどを行ったりする際には必ず紋章院に届け出て許可を得ることとしました。


 これに対して貴族たちからは多少の不満は出たようでしたが、実際に貴族から反乱が起こってしまったという現実を目にすれば、規制の強化は止むを得ないだろうと考えた者が多かったらしく、大きな反対の意見は聞かれませんでした。ただしこの場合、大きな声にならなかっただけで、皇帝が貴族社会の慣習に対して規制を強化したことへの不満と警戒は消えたわけではありませんでしたが。


 私は貴族階級の、そのような感情に配慮しなければなりませんでした。私は紋章院を通じて更に一つの通達を出します。禁じていた長期旅行を解禁したのです。首都を半年以上空ける長期旅行はこれまで禁止でした。しかしながら、辺境に拡大した私領の経営のために、禁止措置を解除して欲しいとの希望が多かったのです。そもそもこの禁止措置は貴族が私領に篭って中央政府を省みなくなることが無いようにするのが目的でした。反乱防止の意味もあります。実際に反乱が起こっているというこの時期にこれを解禁するということには、私が貴族たちをただ単に猜疑し締め付けてばかりいるわけではないのだということをアピールする意味があるのでした。


 貴族たちの私への感情はこれによって少し好転したようでした。私はようやく今回の反乱への政治的な対処を終えたのです。後はヴァリュアルフ少将の手腕に掛かっています。




 ヴァリュアルフ少将は反乱討伐艦隊三万二千隻を半月で編成すると、すぐさま首都を進発しました。当たり前ですが私は同行しません。故にここからの記述は伝聞ということになります。


 ヴァリュアルフ少将は非常に迅速に艦隊の編成を終えました。私は二月は掛かると考えていましたから、予想よりも一月半早かったということになります。後にこのことについて彼女に尋ねると、彼女はこう言ったものです。


「兵は神速を尊びます。慎重であるよりも拙速であるべきです」


 彼女は艦隊を大雑把に編成した状態で進発しました。その代わり、彼女は不思議な行動を取ったのです。


 モスタルオン伯爵たちが集結している星系に、真っ直ぐは向わなかったのです。大げさに言えばまったく見当違いの方向へと向いました。


 そしてかなり速い行軍速度を維持したまま移動を繰り返します。


 彼女が編成したのは、新造艦と新兵の集団でした。もちろん艦は最新鋭でしたし、兵も基礎訓練はきちんと受けています。それにしてもこれをそのまま実戦に投入するのは無謀というものでした。


 ヴァリュアルフ少将は移動中に即席で訓練を行ったのです。長距離ワープを繰り返し、雑多な艦隊の中から特に練度に劣る部分をわざと脱落させることによってふるいに掛け、数箇所で実戦さながらの訓練を行って、艦隊の実力を見極めます。


 彼女はそのために艦隊をわざと遠回りさせたのでした。これにはモスタルオン伯爵軍を混乱させるという目的もあります。


 そして進発してから一月後、ヴァリュアルフ少将の討伐艦隊は、モスタルオン伯爵が兵を率いて篭っているコボー星系に到着したのです。


 モスタルオン伯爵の一味がかき集めた反乱軍はその総数二万隻でした。流石に貴族の財力とネームバリューと言った所でしょうか。これほど多くの戦力を有する反乱はこれまで稀でした。例えば、私が行幸中に鎮圧した宇宙社会主義連盟とかいう反帝国組織の艦隊は五千隻です。二万隻もの艦隊を短期間で集め得たのはやはりモスタルオン伯爵の「伯爵」という爵位がものを言ったと考えるべきでしょう。貴族の反乱というのはその意味で恐ろしいのです。


 ただし、モスタルオン伯爵の集めた艦隊は、ヴァリュアルフ少将の艦隊に輪を掛けて烏合の衆でした。傭兵や海賊をかき集めただけです。数で言っても討伐艦隊よりも一万隻以上少なく、戦力ははるかに劣りました。


 しかし、モスタルオン伯爵にはそれなりに勝算があったようでした。というのは、彼が篭ったコボー星系というのは帝国中央と辺境宙域を繋ぐ要衝だったのです。しかもここは天嶮の要害でした。双子の太陽と七つの惑星が複雑な軌道を描く中に、小惑星を改造した要塞が設置されています。


 モスタルオン伯爵はここに篭って時間を稼ぎ、帝国軍を足止めしつつ、辺境宙域で勢力圏を伸張させてそこを自らの領地として切り取り、帝国から分離独立しようという腹であるようでした。ヴァリュアルフ少将が鎮圧に失敗し、事態が長期化するようなことがあればその意図は夢物語とは言えなくなるでしょう。


 ヴァリュアルフ少将は出発前、私の下問に答えてこう言いました。


「モスタルオンの意図は見え透いています。奴は兎に角時間を稼ぐことのみを考えているでしょう」


「帝国軍に勝利しようとは考えていない、と?」


「御意。奴が本気で独立を考えているならば、帝国軍に勝ち続ける必要があります。それは戦力的に不可能でしょう。反乱を長期化させ、分離独立をちらつかせながら、陛下と交渉し免責を勝ち取る。それ以外に奴の生き残る道は無いでしょう」


 確かに、反乱が長期化して辺境が帝国中央と切り離され続ければ、ただでさえ不穏な辺境が致命的な事態にならないとも限りません。モスタルオン伯爵がヴァリュアルフ少将に万が一勝利し、反乱が長期化する兆しが見えれば、私は力押しの鎮圧だけではなくモスタルオンを懐柔するという手段も視野に入れざるを得ないでしょう。もちろんそうなれば私が失敗したということは明白となり、私の権威は失墜します。そんなことは許されません。


「無論、小官は負けませぬ。ご安心ください」


 リューフ・ヴァリュアルフは断言しました。


「勝算はあるのですね?」


「無論であります。敵は弱兵。少数であります。唯一の難点は要害に篭っていることでありますが、これも大した問題とは言えませぬ」


 ヴァリュアルフ少将は形の良い胸をそらしました。


「三ヶ月以内には吉報を携えて戻ります。安んじてお待ちあれ」




 ヴァリュアルフ少将は通常航行でコボー星系に到着すると、最外延部に集結して偵察艇を放ちました。艦隊を固く集結させ、慎重に作戦行動を始めたように見えました。


 これに対して、モスタルオン伯爵は当初、星系内にある要塞に篭ったまま様子を伺うことにしたようでした。これは当然で、彼は時間を稼ぎたいのですから、ひたすら防御に徹するつもりであったのでしょう。攻城戦は時間が掛かるものなのです。


 ところが、しばらくするとヴァリュアルフ少将は一転して大きく移動を開始しました。


 モスタルオン伯爵が篭る要塞を迂回して星系の第四惑星付近へ進出したのです。そしてそこで掃宙作業を始めました。モスタルオン伯爵は愕然としました。掃宙作業はワープエリア設置の準備だったからです。


 帝国公式のコボー星系ワープエリアは要塞のすぐ近くにあります。このためヴァリュアルフ少将は長距離ワープで直接コボー星系に突入することが出来ず、一番近いワープエリアから通常航行で進入しなければならなかったのです。


 しかし、臨時のワープエリアを設置すれば、帝国軍は星系に直接ワープアウトすることが出来る様になります。そうすれば補給ははるかに容易になるし、援軍もほぼ無制限に呼び寄せることが可能になるでしょう。


 更にモスタルオン伯爵が懸念したのは、帝国軍がコボー星系をスルーして辺境星系に進入してしまうことでした。帝国軍が辺境星系に進入してしまえば、モスタルオン伯爵による、辺境星系の分離独立という構想は崩れてしまいます。更に言えばコボー星系は孤立し、補給も断たれてしまうでしょう。


 ここで、要塞に篭城するというモスタルオン伯爵の意図は挫折を余儀なくされました。反乱軍は不利を承知でヴァリュアルフ少将の軍を攻撃しなければならなくなったわけです。


 反乱軍艦隊は要塞を出るとヴァリュアルフ少将の艦隊へ真っ直ぐ向うのではなく、あるエリアを目指しました。そこはこの星系の特徴の一つである双子太陽の強い重力を受けるエリアでした。艦の動揺が激しくなる航海の難所です。そしてそこに停泊しました。誘っていることは明白でした。何らかの意図があるのです。


 ヴァリュアルフ少将はむしろ無造作にその誘いに乗りました。彼女の艦礼は停泊地から進発し、反乱軍艦隊と向かい合いました。


 二つの黄色い恒星が闇とも見ゆる宇宙空間に炎を吹き上げています。両艦隊は共に円形陳を組んだまま対峙し、次第に陣形を変化させながら接近しました。ヴァリュアルフ少将の艦隊が艦数二万四千隻。反乱軍艦隊二万隻です。そして互いの陣形が全天モニターを通じて肉眼で確認出来る様になる頃、両軍はお互いに敵を有効射程範囲内に捕らえたのです。


「撃て!」


 ほとんど同時に両軍の指揮官が叫び、戦艦の長距離砲が雄たけびを上げます。


 数瞬後、エネルギーの奔流は目標に到達し、その力を解放しました。両軍の各所で爆発が起こり、運の悪い艦は爆散します。もちろん応酬は一度では済みません。一度始まれば砲撃は激しさを増し続け、光とエネルギーが宇宙空間を飽和させます。


 このエリアは唯でさえ航海の難所であり、砲撃のために姿勢制御もしなければならない各艦は行動の自由をほとんど失っていました。迅速な艦隊行動は不可能だったのです。そのため砲撃の応酬が始まってからは、両艦隊はほぼ静止した状態で戦っていました。


 しかし、戦闘開始から数時間後、あることが起こります。各星の配置が変わったことにより、反乱軍艦隊だけが徐々に重力場の影響を脱し始めたのです。つまり、反乱軍艦隊だけが行動の自由を回復したということになります。反乱軍艦隊が戦闘エリアにこの場所を選んだ理由がここにあったのです。


 反乱軍艦隊は鈍重にしか動けないヴァリュアルフ少将の艦隊を尻目に、躍動的なアクションをみせました。陣形を素早く半円形に変化させ、ヴァリュアルフ少将の艦隊の側面に回りこんだのです。そして猛砲撃を加えました。


 ヴァリュアルフ少将の艦隊はこれに即応することが出来ません。反乱軍艦隊の一撃は痛撃となりました。矢面に立たされた艦隊はなすすべも無く火球となっていきます。


 しかし、ヴァリュアルフ少将は冷静でした。彼女にとってこの事態はまったく意外な事態ではなかったからです


 ここでヴァリュアルフ少将はあらかじめ編成しておいた三千隻の分艦隊に指令を下しました。それは、大出力の推進機関を装備した新鋭艦で編成された分艦隊でした。


 分艦隊は重力場をものともせずに急進。あっという間に重力場を振り切ると、反乱軍艦隊の側面に回りこんだのです。そして、本艦隊とも連携しつつ反乱軍艦隊を押し包みます。


 反乱軍艦隊は半包囲されることになったのです。しかも、後退しようとすると背後には行動の自由を奪う異常重力場が控えています。この時になって反乱軍艦隊はヴァリュアルフ少将があえて虎口とも見える反乱軍艦隊の誘いに乗った理由を理解したのです。彼女には反乱軍艦隊の考えていることなどお見通しでした。その上でそれを打ち破る戦法が考案出来たからこそ、彼女は堂々と敵前に姿をあらわしたのです。


 反乱軍艦隊の司令官はこの時点で敗北を悟りました。そしてすぐに降伏を申し入れたのです。反乱軍艦隊のほとんどは、海賊や傭兵でした。彼らにしてみれば敗北必至の状態で、それでも命を賭してまで戦う理由が無かったのです。ヴァリュアルフ少将は降伏を容れました。


 こうして、反乱軍との戦闘はヴァリュアルフ少将が豪語した通りにあっという間に終わってしまいました。


 反乱軍主将モスタルオン伯爵は、艦隊にはおらず、本拠としていた要塞に篭っていたのですが、艦隊が降伏したと報告を受けると、毒を仰ぎました。彼に味方した貴族たちもほとんど同じ道を選び、要塞は翌日開城します。


 いわゆる「モスタルオン伯事件」はこうして終わったのです。




 戦後処理を終えて、宣言より半月も早く首都に戻ったリューフ・ヴァリュアルフを、私は即日中将に昇進させました。同時に勲章を授け、反乱軍討伐艦隊のうち二万隻をもって正規艦隊の編成を許可します。ヴァリュアルフ中将はこの若さで一艦隊を率いる身となったのです。ヴァリュアルフ中将は深く頭をたれ、私は満足しました。


 意外なことから始まり、重大な事態にまで発展した今回の事件でしたが、終わってみれば私にとってはプラスになることが多い結果となりました。事態を迅速に収拾した私の手腕は大臣たちにも高く評価されたのです。これで彼らが年若い私を侮り、軽んじることは少なくなることでしょう。これから困難な辺境改革を行わなければならない私にとってこれは重大な好材料というべきでした。




 リャーナ・ヨロワ・ロゼクリフと私の夫婦仲は悪いとは言えませんでしたが、完全に良好であるとも言い切れませんでした。彼女は私に対して心の底から親愛の情を示してはくれなかったからです。しかし私は別に、それでも良いと考えていました。皇帝の夫婦仲などそんなものだろうとも思っていました。私の父帝と母もさほど親密とは見えなかったからです。私はリャーナを愛していたから妻にしたわけでは無かったですし、愛してもいない彼女に愛を強要しようとも考えていませんでした。


 リャーナは一人でいる時は本を読んでいるか、散歩をしているかのどちらかであるというような、退屈な日々を送っているようでした。彼女は舞踏会や園遊会といった貴族の社交の場に好んで出ようともしませんでした。もちろん私が出席するときは、同行することはします。しかし、そういう時もまったく退屈そうにしていることが多かったのです。


 彼女はたまに侍女たちをも遠ざけて、呆としていることがありました。夕日が差し込む部屋で、ソファーに浅く腰掛けながら窓の外をただ眺めていたり、庭園の池のほとりで、流れる雲を見ながら彫像のように静止していたりするのです。私は侍従長からそのような報告も聞かされ、心配しました。あまりにも年若い彼女には、皇宮の生活は窮屈過ぎるのではないか。私は彼女に退屈な生活を強いているのではないか、と思ったのです。私は彼女に尋ねました。


「たまには実家に遊びに行っても構いませんよ」


 リャーナは不思議そうに首を傾げました。


「別に帰りたくはありません」


「じゃぁ、どこか行きたいところなどは無いのですか?」


「特に、ございません」


 先の辺境視察の時、私は彼女も誘ったのですが、彼女は行きたく無いと断ったのです。その時、既に同行が決まっていたアニスにこの話をすると、アニスは赤い瞳を細めながら済まなそうに言ったのでした。


「リャーナに悪いことしたな・・・」


 私は困り果てました。私は恋愛経験が豊富とは言えず、女性のあしらい方がよく分からないのです。リャーナが何を望んでいるのかさえ分かりません。こういう時に相談に乗ってくれそうな相手といえば妹アニスくらいしか思いつかず、その彼女は今、首都にいません。


 私は困った顔をしていたのでしょう。リャーナはハッとしたような表情を浮かべ、頭を下げました。


「申し訳ありません。陛下」


「あなたが謝るようなことではありませんよリャーナ。本当に何も望みは無いのですか?私はあなたの望みを叶えてあげたいのです」


 私がそういうと、リャーナは驚いたように顔を上げました。そして初めて見るものであるかのように私の顔をまじまじと見詰めました。水色の視線が真っ直ぐに私を捉えています。私はどぎまぎしてしまいました。


「な、なんでしょう?」


「・・・なぜですか?」


「え?」


「どうして、私の望みを叶えたいのですか?」


 リャーナは心の底から疑問に思ったかのように問うてきました。


 そう言われると、私も何とも答えられません。私も考え込んでしまいます。


「・・・あなたは、私の妻ではありませんか。妻の望みを叶えるのは夫の義務でしょう」


 ようやくそう答えます。リャーナはいまいち納得できなかったようでした。


「そうでしょうか?」


 リャーナはふと寂しそうな表情を浮かべました。


「私の父と母は、年に何度も会いませんでした」


「そうなのですか?」


「ええ。そもそも私が父と会ったのはほんの数度。最後に会ったのは父の臨終の床でしたから」


 彼女の父は先の太政大臣ウェンリントン・オムオンで、私たちが結婚する前の年に亡くなっていました。


「私には・・・、家族というものがよく分かりません。兄弟も大勢いますが、ほとんど会ったこともありませんし。母も、娘などほったらかしにしていましたから」


「・・・」


「陛下とアニス様は仲良くて、羨ましい」


 リャーナはそういうと私から視線を外して窓の外に広がる庭園を眺めました。未だ二十歳に達しない、幼さが残る横顔。


 私は少し考え、そして言いました。


「それでも、私はあなたの望みを叶えたいと思います」


 リャーナはゆっくりと私に視線を戻しました。私は彼女の、青空の色をした瞳を見ながらゆっくりと言いました。


「私はあなたの夫なのですからね」


 リャーナは特に私の言葉に感銘を受けたようには見えませんでした。ただ頭を下げただけです。しかし、私は言葉を続けます。


「いつでも、私に甘えたり、わがままを言ってもいいのですよ」


 リャーナの表情が変わりました。


 顔を戻し、呆然としたように私を見ています。私が微笑むと、すこし照れたように彼女も微笑みました。そうして、二人で少しの間笑い合いました。暖かい日差しが差し込む居間。私たちはまるで普通の夫婦のように無防備な笑顔を見せあったのです。


 天象暦八〇一五年も、あと数週間で終わろうとしていました。

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