第7話「リリスとリリン」

 ジャングルの奥深くに、苔むした石を積み重ねて造られた神殿が建っていた。

 そこはイーヴル教徒たちの教会だった。建物は異様な雰囲気をたたえていた。

 辺りに立ち込める空気もどんよりしており、昼間だというのに闇夜のように暗い。それはあながち、生い茂る樹木のせいばかりとも言えないようである。

「ヤー、カスタム……ヤー、カスタム」

 どこからともなく聞こえてくるおどろおどろしい呪文。

 教会の中からそれは聞こえてくる。

 建物の中では、異様なまでの熱気が渦巻いていた。大勢の信徒たちが、石畳に額をつけてひれ伏している。

 そんな彼らの前方、少し高くなった場所に男がひとり、両手を天に翳していた。

 闇の神官ドドスである。

 相変わらず醜い面だった。呪文を熱唱している。目の前に置かれた例の等身大の鏡に向かって、ドドスはまるで何かに取りつかれたように唱え続ける。

 鏡に今は、あの美しい風神の少年は映し出されてはいなかった。代わりに白っぽい靄のようなものが表面にかかっており、渦巻いていた。

 そう───

 今まさに信徒たちは、降臨の時を迎えようとしていたのだ。

 先刻から辺り一面、木々をざわつかせる風が吹き荒れていた。渦を巻いた不吉な黒雲も集まりだしている。

 教会の周りにもイーヴル教徒たちが集まってきていた。彼らは建物を囲んで地面に平伏しており、今か今かと神の姿を心待ちにしている。

 ドドスは、さらにこれでもかと両手を広げた。自分の低い背を精一杯大きく見せようとしているかのように。


 流されし数多の血潮

 注がれし魂の坩堝

 精神よ

 脈打つその精神よ

 今こそ

 その気高き風神としての力を

 我等に示したまえ

 ヤー、カスタム

 ヤー、カスタム

 今ここに

 恐れおののく

 我等の下に

 その御身を降ろしたまえ

 ヤー、カスタム

 ヤー、カスタム


 耳障りな低くてしゃがれた声だ。有り難みも何も感じられない神官ドドスの降臨呪文である。

「ヤー、カスタム! ヤー、カスタム!」

 彼にならって信徒たちも風神の名前を唱えた。怒濤のように轟いている。

 ドドスは満足そうにニヤリとした。

 そんな彼の傍らにはリリスとリリンが平伏して控えていた。彼女らも他の信徒たちと同様、ドドスの声に呼応して風神の名を唱えている。

 ───いよいよだ───

 そこにいる全ての信徒の胸に大いなる期待がわき上がる。

 ───愛しのカスタム様が、我らの前にそのお姿をお見せになる時が、ようやくやってきたのだ───

「この時を待っていた────」

 リリスとリリンは呟く。

 あの日も風が吹き荒れていた。カスタムとの初めての出会いの日が、二人の脳裏に浮かぶ。


 その昔、彼女たちも魔法の塔の門を叩いた事があったのだ。世の子供たちと同じように正義の魔法剣士になるために。

 小さい頃から仲が良く、まるで本当の姉妹のように、何をするのも一緒であった二人である。奇しくも名前まで似通っていた。魔法の能力も二人とも申し分ないほどであった。

 しかし魔法の塔は、能力があれば誰でも入れるといった単純なものではなかった。魔法の塔で打ち立てられている信条に、少しでも外れる者は受け入れないのだ。

 『人々の平和と未来のために』と掲げられた魔法剣士の信条。

 それは塔を設立した大魔法剣士シモン・ドルチェが打ち立てたものである。そのため『チェッカー』という組織が作られた。塔内部の教官たちで特別に組織された集団だ。これから入門するという子供たちを徹底的に調査する人々である。

 このチェッカーによって「適性なし」と烙印を押されると魔法剣士としての道は閉ざされてしまう。そして、二人は「適性なし」と判断されてしまったのだ。

 実はシモラーシャ・デイビスもそのひとりだった。だが彼女の場合は少し違っていた。

 彼女は魔法老師オードによって特別に認められ迎え入れられたのだ。このようなことは魔法の塔始まって以来の出来事であった。

 このことはリリスもリリンも知る由もないことだったが、奇しくもこの三人は時を同じくして魔法の塔の門を叩いたのであった。そして一人は迎え入れられ、後の二人は認められなかった。同じ境遇、同じ条件にもかかわらず───

 可哀想なことに、リリスとリリンはまったく身寄りというものがなかった。ふたりとも親も親類も魔族に殺されてしまっていたからである。その点もシモラーシャと同じであった。だから、彼女たちはどこにも帰る場所がない状態だったのだ。

 ふたりは魔法の塔に拒絶されてしまったため、途方に暮れてしまう。だが二人はただの少女たちではなかった。

「自分たちで剣士になろう!」

 とぼとぼと山を降りながらも、持ち前の気の強さで驚異的に立ち直ってしまったのだ。

 そこで彼女たちは、既にいっぱしの魔法剣士として世のため人のために働いている人物を捜し出し、弟子入りした。その人物のもとで苦しい修業と魔族との実戦を繰り返すことによって、自分たちの能力を高めていったのだ。

 彼女たちの心は正義に燃えていた。それはあのドーラに勝るとも劣らないものだった。

 両親を殺したにっくき魔族。必ず自分たちで魔族を殲滅(せんめつ)してみせる。そして、邪悪なるイーブル教徒から善良な人々を守りたいという気持ちを強く持ちつつ旅をしていたのである。そんな彼女たちがどうして邪教に身を投じてしまったのか───

 全ては、一枚の肖像画のせいだった。

 神官ドドスが降臨の呪文を唱えている教会は、風神カスタムを中心に讃える教徒たちの聖地だった。リリスとリリンがこの地にやって来たのはつい最近のことであった。もともと近隣の村人たちに頼まれて、イーブル教徒にさらわれた子供を助けるべく赴いたのだ。

 そして不幸な出来事が起きてしまった。彼女たちにとって人生最悪の日が訪れることとなってしまったのである。

 あの運命の日───

 リリスとリリンは教会深く忍び込んだ。シーンと静まり返った教会内部。ふたりは恐れるふうでもなく石畳を歩いていた。

 教徒は夜に活動を始めるので、案外簡単に潜入できたのであった。儀式が行われるのはたいがいが地下なのだが、ここもご多分に漏れず、地下空洞が広がっていた。

 二人は辺りを注意深く窺い、ソロリソロリとその広い空間に足を踏み入れていった。石造りの壁や天井は地下のため、じめっとして苔むしている。その壁の至る所に燭台が飾られていた。それには蝋燭が立てられており、火が灯されている。そこにある全ての物が、ぼんやりと火に照らされて揺らめいていた。

「あそこだわ」

 揺らめきの中で、捜し求めていた少年がいた。眠らされて台座に横たえられていた。リリスは隣で息をひそめている親友に声をかけた。彼女は出来るだけ声を落とし、辺りに響かないように囁いている。

「……」

 だが返事がない。

「リリン……?」

 彼女は訝しく思い、隣を窺った。真っ直ぐに肩まで垂らした黒い髪。ボーンと突き出た豊かな胸───

 リリンは、その魅力的な身体を硬直させて立ちすくんでいた。

 彼女は瞳を大きく開き、何かを凝視しているようだ。髪の色と同じその瞳は陶酔したかのように潤んでいた。

 明るいくせっ毛を短くした頭───潤んだ瞳の親友とは正反対な体格───そのスレンダーな身体を緊張感で漲らせ、リリスは親友の見つめる方角に目をやった。

「ああっ!」

 彼女は感嘆の声を上げた。

 台座の向こうに一枚の肖像画が飾られている。

 先程は台座の少年しか目に入らなかったのだが、それは仰々しく飾られていた。肖像画には一人の少年が描かれていた。

 なんと麗しい少年であるか───言葉では言い表せないほどである。まるで、そこにそうやって座っているかのような現実味のあるその姿。

 少年らしい幼げな顔だち。透き通るような肌の感じ。そして、その玉虫色の不思議な色合いの髪と瞳は、彼女たちが生まれて初めて見るものだった。こんなに美しい色をふたりは見たことがなかった。

 彼女らは台座に近づいていった。その足取りは魅せられたようにふらふらしていた。

 そして立ち止まる。二人の目の下には死んだように青い顔をした少年が横たわり、そして目の前には微笑みをたたえた麗しの少年が立っていた。彼女たちはもはや、憐れな生贄の少年が見えていなかった。

「なんてきれいな人……」

 思わず溜め息がもれる。確かに、近くで見れば見るほど目が離せないほどに強烈な肖像画である。

「!」

 彼女らは自分たちの目を疑った。何故なら絵の少年の姿が、ユラリと揺らいだように見えたからだ。

 二人は一様にゴシゴシと目をこすった。少年は変わらず天使のような微笑みを浮かべたままだ。しかし、心なしかその微笑が深くなったような気がするのは気のせいだろうか。

 と、二人がそう思った刹那───

 彼女たちは目の前がグニャリと歪むのを感じた。意識が朦朧となる。


 我が名はカスタム

 風神なり

 美しき乙女たちよ

 そなたたちは選ばれた

 我に従え

 我に誓え

 我を敬え

 我を愛せ

 さすれば

 常しえに約束しよう

 風と命を

 時の限り

 与え続けることを

 我が名は風神カスタム

 さあ我に忠誠を

 その誠を示すのだ


 果してその場に響いたのかどうなのか定かではない。

 だが、二人の女剣士の耳にははっきりと聞こえているようだ。歌うように語られる風神カスタムの言葉が───

 リリスとリリンは夢遊病者のように、意識のない状態で背中に背負った大剣に手をかけた。もはや二人は、何者にも連れ戻せない境地に踏み込んでしまったようである。ゆっくりと抜かれる大剣。

 蝋燭の火に反射して、ゆらりときらめく鏡のような凶刃───彼女たちは同時にそれを振りかざす。

「愛するカスタム様に永遠の忠誠を」

 リリスが呪文のように呟く。

「愛するカスタム様に永久の誠を」

 リリンも呟く。

 ───シュッ!

 空を切って大剣が降ろされた。

 ───ダンッ!

 憐れな少年の閉じられた目は再び開かれることなく、その首は小気味よく宙を舞った。

 噴き出る血潮が彼女の頬を、首筋を、身体全体を赤く濡らす。

 リリンの大剣は、少年の小さな胸に突き刺さっていた。そして、器用に大剣を操り少年の胸を引き裂いた。

 彼女は、狂気じみたように瞳を輝かせ、赤くぱっくりと開いたそこに手を入れるとまさぐった。いまだに脈打つ心臓を、誇らしげに高々と持ち上げる。手を伝って流れ落ちる血糊を気に留める風でもなく、彼女は至福の極みをその表情に浮かべていた。

 そんな凄惨な光景を、肖像画の少年の目は妖艶さを漂わせてじっと見つめていた。明らかに先程とは表情が変わっている。天使のような微笑みだったのが、残忍そうな微笑に変化していたのだ。まるで、嘲笑が聞こえてきそうなほどの表情である。

 こうして魔法剣士リリスとリリンは邪剣士として生まれ変わってしまった。そして大きく運命を狂わしたのであった。勿論、彼女たちは狂わされたなどと思ってはいない。彼女たちにとって、あの肖像画の少年との出会いは、まさに運命的な恋であったのだから。


「ヤー、カスタム。ヤー、カスタム」

 召喚は続いていた。神官ドドスの汚らしい声が、相も変わらず響きわたる。それを我慢しながらリリスとリリンは、今か今かとその時を待ち続けている。

 ───ズ、ズズズ……

「おおっ!」

 ドドスの叫び声が響いた。リリスとリリンはハッとして思わず顔を上げた。

 今まさに───

 少年の身体が鏡より、ゆっくりと抜け出ようとしていた。

 等身大のその鏡は、かたかたと小刻みに震えている。と同時にスモークのような白い靄も吹き出てきた。いやが上にも雰囲気が盛りあがる。

「おお……」

 ドドスは感激のあまり、声を詰まらせている。

「いよいよ風神カスタム様の降臨だ」

 仰々しく両手を差し上げた。

(黙れ! この下衆野郎!)

 リリスとリリンは、自分たちの前に立ちはだかるドドスをキッとねめつけた。

 彼女たちは理解できなかった。カスタムがなぜこんな愚か者を神官などに取り立てたのかを。自分はまったく動くことなく、他人ばかりをこき使う、虫けらのような醜いこの男を。

 二人は無念の気持ちを込めて、ドドスの背中を睨み付けた。まるで穴でも開けるかのごとく。

 ───ゴゴォォォ……

「ああ……!」

 再び彼女たちは鏡に視線を戻した。思わずもれる詠嘆の息。

 ついに───

 そこには彼が立っていた。あの肖像画とそっくりの、いや、それ以上の美しさと気高さで彼はたたずんでいた。

「カスタム様……」

 風神カスタムは、鏡に映っていたのと同じ微笑みを浮かべた。ドドスに顔を向ける。

「よくやったね、ドドス」

「はっ!」

 カスタムは自分の身体を見回した。

「ふむ」

 満足そうに頷く。

「なかなか完璧だな。ようやく呪縛から解放されたよ」

 そう彼は呟いた。

「?」

 すると彼はリリスとリリンの視線に気づいた。ふたりの瞳は、期待にきらきらと輝いている。

「お前たちは……?」

「はっはいっ!」

 彼女たちは平伏した。

 カスタムは可愛らしげに小首を傾げると二人に近づいていった。

「顔を上げなよ。怖がることないよ」

 彼は友だちに話しかけるように親しげに声をかける。

 リリスとリリンは恐る恐る顔を上げた。

「!」

 二人はびっくりして飛び上がりかけた。ほんの数十センチ近くに、愛しい人の顔が突然あったとしたら誰でも驚くだろう。

「ああ、そっか!」

 彼は思い出したように頷いた。

「覚えてるぞ。お前たちはあの時の魔法剣士だな」

 彼女たちはパッと顔を輝かせた。

 覚えてくれていたという事実は、彼女たちを天にも昇る気持ちにさせた。こんなに嬉しいことはないだろう。

「フムム……これはこれは……」

 彼は意味ありげに呟いた。おもむろに立ち上がる。

「お前たち。名は何というの」

「私はリリスと言います。カスタム様」

 リリスはズズイと一歩前に進むと誇らしげにそう言った。

「私はリリンと申します」

 彼女は一息ついてから熱っぽく続けた。

「愛するカスタム様」

 その言葉に、彼の不思議色の瞳がきらりと光った。

「へえ。僕を愛するって?」

 リリスとリリンは力強く頷いて見せた。彼は少し考え込んだ。

「そうだなあ……」

 するとすぐに面白そうな表情を見せた。何か思いついたようである。

「僕とイーヴル様とどっちが一番?」

 二人は間髪をいれず答えた。

「カスタム様です」

 カスタムは至極満足そうに相好を崩した。

「いいねえ。可愛いねえ。人間ってこんなに可愛かったっけ?」

 彼はリリスとリリンの絶大な崇拝を受け、とても気を良くしていた。彼女たちを手始めに可愛がってやろう、と思ったほどである。彼はその容姿に似つかわしくない淫靡の色を瞳に浮かべた。

「あ、あのカスタム様……?」

 神官ドドスはおずおずと前に進み出た。

「なんだ?」

 カスタムは面倒臭そうに振り返った。

「これから私どもは、何をすればよいのでしょうか」

「そんなことも自分で考えられないのか」

「も、申し訳ありません」

 ドドスは恐縮して、身体を縮こまらせた。

(ふん。ざまあみろ!)

 リリスとリリンは、心で嘲笑った。もちろん顔には出さなかったが。

 カスタムは再び振り返った。美しいふたりの乙女に優しく語りかける。

「いいかい。愛するお前たち」

 まるで、今からピクニックに行こうとでも言っているかのように、楽しげだった。

「一気に魔法の塔をぶっ潰しに行こうね」


 一方シモラーシャたち一行は、再びアクアピークの麓の森までやって来ていた。三人は黙々と歩いていた。

「シモラーシャさん」

 するとジュークが声をかける。

「魔法の塔の老師様とは、どのような方でしょうか」

 シモラーシャは少し首を傾げた。

「そうねぇ───なんといったらいいかしら───ひとことでいえば、すばらしい方だわ」

 彼女は老師の姿を思い浮かべるように目を閉じた。

「とても御高齢なんだけど、お年を全く感じさせないの。それほど生命力と気力に満ち溢れた御方よ。とにかく何事にも公平な態度を保っておられたわね。初めてお逢いした時は何故かあたしの顔を見てひどく驚いてらっしゃったけど、とてもあたしには良くしてくださった。あたしが一番尊敬している人よ」

「そうですか……」

 ジュークはにこやかに聞いていた。しかし、すぐに表情を曇らせた。少し考え込んでから口を開く。

「あなたは邪神が復活していることを知っていますか」

 ───ザッ……

 突然マリーが立ち止まった。シモラーシャとジュークは何事かと彼を振り返る。

「どしたの。マリー?」

 シモラーシャは心配そうにそう言った。ジュークはといえば、相変わらず無表情な顔である。マリーの顔をジッと見つめている。

「な、何でもありませんよ……」

 マリーは慌てて答えた。顔色が何となく悪い。

 シモラーシャは怪訝そうな表情をしたがそれ以上は何も言わなかった。ジュークへ視線を戻すと口を開いた。

「ついこの間ね、風神の力を持った神官に襲われたの。今まで見たこともないくらい強力な魔力だったからびっくりしちゃった」

「え?」

 ジュークの眉が、不思議だといわんばかりに片方だけ微かに上がったようである。

「大丈夫だったのですか? 普通は、かなりのダメージを受けるはずですが……」

「うん、それがね……」

 心なしか嬉しそうなシモラーシャである。

「マリーがね、すんでのとこで助けてくれたの。んで、その時に彼が風神カスタムが復活しているって教えてくれたのよ」

 シモラーシャはそう言うとマリーを振り返った。

「ね、マリー。そうだったよね」

「えっ? え、ええ……」

 マリーはびっくりした。ひどくうろたえている。そこへジュークが駄目押しした。

「マリーさん、よく判りましたね。普通の人間は風神の力を目の当たりにしたことはないはずですが……」

 マリーは今にも飛び上がりそうな感じだったが、ぐっとこらえたようである。

「そ、そーゆー君だって……」

 負けじと言い返す。

「まるで普通の人間ではないような言い方ですねえ」

 そして胡散臭げに目を眇めた。

「一体、何者なんです?」

 ふたりの間に、さっと緊張が走る。

 彼らの間に立つシモラーシャは代わる代わる二人の顔を眺めた。訳が判らないといった顔をしている。すると、ジュークが緊張を解いた。

「私は人間です……」

 彼は何故か少し辛そうだった。それでも、ひとこと添えるのを忘れない。

「少なくともあなたよりは……」

「なっ、何をっ……!」

 マリーが、ぎょっとして声を上げた。

「ちょっとお!」

 シモラーシャは、たまりかねて叫んだ。

「喧嘩はやめてよね。マリーも駄目じゃない。ジュークをいぢめちゃ」

 彼女はマリーを睨み付けた。

「そんなあ……」

 彼は情けない声を出した。

「いじめられてたのは僕の方じゃないですかあ……」

「ああ。もうやめやめっ!」

 シモラーシャは首をぶんぶん振った。

「いい大人がみっともない」

 彼女はひとりズンズン進んでいった。

「二人とも早くしてよ。もうすぐで着くからねっ」

 マリーとジュークは気まずい雰囲気で立っていたが、慌てて彼女の後を追った。

「必ず正体を見せてもらいますからね」

 マリーはジュークに囁いた。

「別に隠すつもりはありません。ただ今は大切な用事の最中ですので……」

 ジュークの声音が少し変わった。

「楽しみにしていてください」

 冗談など言いそうにない彼が、そう言って微笑むのを見て、マリーは嫌悪感を抱いた。

(胸くその悪い)

 ジュークの微笑みは誰かに似ている、と彼は思った。

 マリーは全く自分では気がついていないようである。それとそっくりの微笑みを、自分がいつも浮かべていることを。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る