第6話「カスタムの本心」

 結界の中で仲睦ましく語る二人の美しい邪神がいた。言わずと知れた風神カスタムと竜神スレンダである。

「ねえ、カスタム」

「なんだ、スレンダ」

 カスタムは玉座に座っていた。スレンダは、その彼を抱きかかえる仕種でひじ掛けに艶めかしく座っている。

「あなた、本当にイーヴル様のためにこの地を支配するつもりなの」

 彼女のその言葉にカスタムは訝しそうな顔をした。

「どういうことかな」

「だってえ……」

 彼女はますますカスタムに擦り寄り、猫なで声を出した。

「あなたってさあ。昔っからイーヴル様にけっこう蔑ろにされてたじゃないの」

 彼はジロリとスレンダを睨み付けた。

「それで?」

 声から感情が消え去っている。

「それなのに、イーヴル様がこの地に降り立つまでって言うのは、ちょっとねえ……」

 彼は黙ったままスレンダを見つめた。一瞬沈黙が流れる。その沈黙を最初に破ったのはカスタムだ。

「君は一体……」

 閉じていた口をゆっくり開く。

「何を言いたいんだ?」

 彼はやっとそれだけ言った。

 するとスレンダは更に艶めかしく妖艶な微笑みを浮かべた。ふくよかな身体をよりいっそうカスタムの身体に密着させる。その細くて長い指を妖しく彼の胸元に滑らせ、飾られた指輪を煌かせながらまさぐる。まるで純真な少年をたぶらかす年上のお姉様といった感じだ。

 カスタムは表情を変えずにされるがままだった。それでも、微かに得意顔が表情の端々に窺い知ることができる。

 スレンダは彼の耳元に自分の唇を寄せると囁いた。

「イーヴル様の封印は解かれてないわ」

 彼女の声はだんだん低くなり、注意しないと聞き取りにくいほどになっていく。

「この際だから、あなたがこの世界の支配者になったらどう?」

 彼は驚愕の眼差しをスレンダに向けた。一瞬だけだったが。

「邪魔する者は誰もいない」

 スレンダの声は吟遊詩人の歌のようにカスタムの耳に忍び寄る。

「あなたがその気になればこの世界はあなたの思うまま……」

 彼の心が揺れ動いた。

 実はスレンダに言われるまでもなく、彼の気持ちは随分前から決まっていたのだ。同じ時に封印されたかつての仲間たちは、まだ遼遠の彼方の場所に封印されていて、今のところ自分とこのスレンダだけの封印だけが解かれている。彼らの封印がいつ解かれるのか、それは誰にも判らない。彼はもう劣等感を持たなくてもよいのだ。

(愛しくも憎らしい闇王よ)

 彼は闇神イーヴルをとても気高く美しい王だと崇拝していた。その気持ちは確かに本当のことだった。仲間の誰よりも認めてもらいたい、振り向いてほしいと、いつも心を砕いていた彼である。いろいろと働きかけもした。

(それなのに、あの御方は決して自分を愛しては下さらなかった)

 カスタムの玉虫色の瞳が揺らめいた。

(あんなにお慕いしたのに、ただの一度もお目をかけてもらえなかった)

 ふっとカスタムの歪んだ心の目に、ある光景が映し出された。



 闇よりも闇色の長くて美しい御髪が、豪華に飾りたてられた立派な褥に、まるで孔雀の羽のように広がっている。

 かの君は優雅にそこに寛ぎ、開けば吸い込まれそうな闇の瞳は今は閉じられていた。彼の傍らにはこれまた一対の置物のように銀色の長い髪を同じように広げた人物が、寄り添うように座っていた。女のように美しいが、その人物は男であった。もっとも邪神たちは全員女と見誤るくらいの美しさではあるが。

 その銀の髪の男は髪の色と同じフィドルを手にしている。

「マリス」

 かの君は心が震えそうなくらいの低い声を発して彼を呼んだ。

「はい、何でしょう。我が君よ」

 それに答えて彼が言う。さらりと銀の髪が揺れる。

「曲を所望する」

「どのような曲をお求めですか」

 闇の髪を持つ彼は目を閉じたままで暫く考え込む。その彼の口もとが微かに動いた。

「あの曲を……」

「あの方がお好きだった曲ですね」

 マリスは微笑んだ。すると咎めるような声が上がる。

「よけいな事は言うでない」

「申し訳ありません」

 マリスは、主を見つめた。その髪と同じ銀色の瞳を潤ませている。

 彼はフィドルを構えた。目を閉じ、気持ちを統一させる。少しののち、彼の細い腕が動きはじめた。

 弓が弦をゆっくりと走る。途端にその場に異空間が現れた。丁度そんな風な表現がピッタリな雰囲気に包まれたのだ。

 紡ぎだされる異次元世界の楽音の渦。神の作りだした音色だからそれも然りだ。だが、そのような美しい曲を奏でているマリスではあったが、妙に無表情であった。それに比べて、闇王と呼ばれた暗黒神イーブルは、その恐ろしい名前に似合わぬ優しい表情を浮かべていた。

 恐怖の神と恐れられる一方、安らぎの闇を与えると言われるそのアンバランスさが、仲間の邪神たちの中で彼をひときわ特別な存在と成らしめているのだろう。

 静かに、本当に静かに曲が流れ、時が流れていく────そんな情景を風神カスタムは物陰からジッと見つめていた。

 彼は他の仲間たちもあまり好きではなかったが、この音神マリスが殊の外、大嫌いだった。闇王の寵愛を一身に受けているというのも理由の一つではあったが、それだけではなかった。マリスは何かにつけて、カスタムに突っかかってくるのだ。一方的に苛められていたと言ってもよかった。彼は口惜しそうに唇を噛みしめながら二人を見つめている。

「………」

 その気配を感じたのか、閉じられていたイーヴルの瞼がスッと開かれた。

「何か用か」

 彼はおもむろに口を開いた。カスタムの隠れる方向には顔を向けずにだ。

 冷たい声が響く。カスタムはビクッと身体を震わせた。そして物陰からおずおずと出てきた。そっと敬愛する主の顔を覗き見る。

「!」

 イーヴルは突き刺さすような視線を向けていた。黒というよりは、むしろ深く濃い紫に近い瞳。カスタムはこの紫の闇色の瞳を何よりも熱愛していた。普段なかなか自分の方には向けてはもらえぬその視線を、心なしか嬉しく感じていないでもなかった。そんな彼であったので、答える声がふるふると震えるのは仕方のないことだった。

「あ、あの。風はいかがでしょうか。心地よい微風をお届けできますが」

「要らぬ」

 ぴしりと下される言葉。たった一言なのに身体までか、魂までも凍えてしまいそうないらえだった。

「召致もせぬのにここに近寄るとは、私を怒らせたいのか」

「も、申し訳ございません!」

 カスタムは急いでその場に平伏した。

「お、お許しください! 直ぐに立ち去りますので」

「我が君よ」

 そこに銀の髪のマリスの声が重なった。

「ここは私のフィドルに免じて収めてくださいませんか」

「ふむ」

 思案するイーヴルの声。

「それでは今宵は私がよいと言うまで弾き続けるのだぞ」

「御意」

 カスタムはホッと胸を撫で下ろした。珍しく自分を助けてくれたので、彼は少しマリスに感謝した。

「顔をお上げなさい、カスタム」

 マリスの声が響いた。カスタムは面を上げた。

「……」

 彼は思わず顔をしかめた。厭味なくらい満面の微笑が彼に向けられていたからだ。

「これは貸しということにしておきましょうね。二度とここには近づかないことです」

「なっ……」

 いつもの高飛車な言葉がマリスの口から飛び出した。

 カスタムはカッとなった。だが必死にそれを押さえている。

 そしてバッと立ち上がった。彼はクルリと背を向けると、物凄い勢いでそこを立ち去った。一陣の風とともに。走りながら、彼は悔しそうに歯ぎしりしていた。

(何故!)

 彼は疾風を抑えるのに苦労していた。ともすれば、辺り一面を強風で目茶苦茶にしそうなくらい、彼の気は狂いそうになっている。

(どうして僕はあの方に認めてもらえないのだろう。僕のどこがあのマリスより劣っているというのだ)

 決してあの男、マリスを許さないと彼は心に誓ったのだった。


「どうしたの。ねえ、カスタム」

 彼はハッと我に返った。そんな彼の顔を覗き込むように見つめるスレンダ。

「あっああ…」

 カスタムは緊張で強張っていた肩を落とした。

「ちょっと考え事をしてた」

 髪をかきあげる。

(そうさ)

 肩と同じく強張っていた彼の心も、だんだんとほぐれていく。

(あのにっくきマリスも封印されたまま、どこかで永遠の夢を彷徨っているだろう。それはイーヴル様とて同じことだ。だったら僕がここで何をしようが、誰も文句は言うまい)

 彼の口もとに微笑みが浮かぶ。

(ようやく僕の時代がやってきたんだ)

 瞳がいかがわしく揺らめく。

(人間どもを使って遊ぶんだ。きっと楽しいだろうな)

 彼はチラリとスレンダに目を向けた。その瞳には邪欲の影がチラついている。

(女はスレンダだけではないぞ)

 彼はその純真そうな少年の姿に全く似つかわしくない思いを頭に巡らせていた。

(人間の女だって思い通りに出来るんだ)

 カスタムはあれやこれやと思い描いて満悦の笑みを浮かべた。

(これは面白くなりそうだ)

 カスタムは取り憑かれたように妄想を巡らせていた。そして、晴れやかな表情をスレンダに向けると頷いた。

「それはいい考えかもしれないね」

 突然、そう言われてスレンダは妙な顔をした。しかしすぐに納得するとニッコリする。

「ね、あなたとわたしで支配者になるの。素敵じゃない?」

「ああ。全くだね」

 カスタムは、心ここにあらずといった雰囲気で気のない返事をする。それと言うのも、彼はスレンダの言葉も既に耳に入ってはいないようだったのだ。正面の宙空に山並みや海を、そして町を人を映し出すと、彼はニンマリと笑みを浮かべた。

「この僕が支配者か……」


 カランの村は魔法の塔より更に数キロ離れた場所にあった。

 そして今、シモラーシャたち一行は村落の入口に立ち並んでいた。彼らの目の前には五百メートル足らずの通りが続き、その両側には粗末な家屋が立ち並んでいる。開け放たれた扉を、風が弄ぶように開いたり閉じたりと動かして吹き抜けていく。

 そんな家並みを前にして、彼らはそこから一歩も動けなかった。なぜなら彼らの目の前に広がる情景があまりにも悲惨だったからである。

 ついさっきまで温かなぬくもりがあっただろう素朴な風景の中、折り重なるように倒れている人々。一日経っているにもかかわらず、この噎るような血の匂い。

「?」

 シモラーシャは訝しそうに首を傾げた。

(なんだろう。この匂い)

 血の匂いに混じって、すえたような異臭が漂っている。

(どっかで嗅いだことあるな……)

 彼女は知らず知らず背筋を震わせた。それから再び辺りを見渡した。

 首の飛ばされた者、手や足を切り落とされた者、身体を左右別々にされた者。男も女も子供も老人も、見境なしの虐殺だった。

 彼女の身体は硬直したように硬くなった。両の拳は握り締められ、怒りのためかブルブルと震えている。

 その隣に立つドーラといえば放心状態だった。彼は自分の目に映るものが信じられないようだ。悪夢としか言いようがないといった表情が浮かんでいる。

 ジュークもさすがにその秀麗な顔をしかめていた。まさしく嫌悪の表情といったところだ。そんな中、マリーだけは一人無表情に見つめていた。外見からでは、まったく何を考えているのかわからない。

「何よ、これえ……ひどすぎるわ」

 シモラーシャは、振り絞るようにそれだけ言った。そして歩きだす。一歩二歩、まるで機械仕掛けの人形のように動かされる足。それを契機に他の三人も彼女に続いた。

 彼らは村に踏み込んだ。踏み込んだはいいが、累々と連なる死体の山を間近に見て、彼らの足は再びとまってしまった。

 シモラーシャはグッと唇を噛みしめた。無理やり足を動かし、一番近くの家をそっと覗きこむ。そこにも死体が転がっていた。彼女はドーラを振り返った。

「あんたの家に行ってみよう」

 ドーラは呆然とした表情のままで頷く。二人はダッと走りだした。ジュークはそれに遅れまいと後を追う。マリーだけは一人ゆっくりと歩いていた。

「早く行こうが遅く行こうが、同じだと思いますがねえ」

 そう呟く彼は、やれやれといった風に首を振った。

 バタバタ走るシモラーシャとドーラの目には、周りの死体はもう入らなかった。

 それに比べジュークは、こんな時でも優雅な物腰である。早歩きしながらも、抜け目なく死体に視線を注いでいた。どうやら彼は、死体がどこかおかしいと感じているようだった。

 ドーラの家に辿り着いた。ピタリと二人は立ち止まる。

 家の扉は閉じられていた。ドーラはゆっくりと前に出て、手を扉に添えた。駄目だろうと判ってはいても、彼は祈らないではいられなかった。

(頼む。無事でいてくれ……)

 そこへジュークが追いついた。

「シモラーシャさん。何だか変です」

 彼にしては心なしか急いで喋っている。彼の言葉にシモラーシャは振り返った。と同時にドーラの手も止まる。そして何事かと振り返る。

「見てください」

 ジュークは一番近くに転がっている死体の傍にかがんだ。

 それは男性らしく、首を切り落とされていた。死の直前の断末魔を伝えるように、人間であったそれは両腕を天に向けて突き出している。だが、その腕は手首から先が無くなっていた。しかもその傷口は剣で切り取られたというものではなかった。それはまるで何者かに物凄い力で引き千切られたような───よく見ると胸のあたりも、獣にでも食い散らかされたようにグチャグチャになっている。

「とてもひどい損傷です」

 ジュークは嫌悪感を露にしている。

「ここに辿り着くまでの死体のすべてがこんな風でした。まるで、内臓を何者かが食べて回ったような……」

「まさか……」

 シモラーシャは呟いた。嫌な予感がしたのか、声に緊張が走る。

 その時。

 ───バタン!

 彼女とドーラの後ろの扉が、いきなり開いた。二人は反射的にそれぞれ横へ飛んだ。

 ───ガァァァァ……

 それは人なのだろうか。異形の姿をしたそれは、かろうじて人の形を留めているにすぎず、身体はまるで腐った死体のようだった。

 腕なのだろう。藻草のような色をした二本の棒のような物を前に突き出し、顔とおぼしき場所に開かれた真っ黒い穴から耳障りな咆哮を上げている。

 そして、物凄い匂いだった。シモラーシャたちが村に入った頃からしていたあの変な異臭。これこそがもとだったのだ。この化け物とは───

「コープス……」

 シモラーシャは呟いていた。

 そう。この歩く死体野郎はその形態からコープスと呼ばれていた。こいつらは魔族の中でも最低の部類に属していたのだ。人の死肉を、特に心臓を好んで食べるおぞましい化け物。他の魔族どもが一緒にするなと怒るだろうほど汚らわしい存在だ。

 こいつらは剣を使うなんて高等なことは出来ない。死者を冒涜するかの如く、その亡骸を引き千切って食べ散らかしてしまう。

 次の瞬間、シモラーシャは素早く大剣を抜いていた。

 ───ザシュッ!

 すでに輝きに満ちているゴールデン・ソードを、ためらいもなく横に薙いだ。

 ビシャッという何とも言えない嫌な音がした。真っ二つになる胴体。と同時に、身体をおおっている黄緑色のどろどろになった体液が飛び散る。

「いやぁぁぁ───! かかったぁぁぁ────!!」

 無情にもその体液が、彼女の身体に向かって飛んできた。首筋から胸元にかけて見事にべっとりと付着する。慌てて彼女は手でそれをぬぐうと地面になすりつけた。

「ひゃあぁぁぁぁ───くっさぁぁぁぁ───いっ!」

「どーしたんですかあ」

 そこへ漸くマリーが到着した。少々間の抜けた喋り方である。

 途端にシモラーシャがキレた。

「どーしたもへったくれもないわよ!」

 物凄い怒りようだ。彼女はゴールデン・ソードを握り締めたまま、足もとに転がるコープスの残骸を顎で指し示した。

「おやあ。コープスですねえ」

 彼はなるほどと頷いた。注ぐ視線には明らかに軽蔑の色が浮かんでいる。そして彼女に視線を戻した。しかしすぐに鼻をつまんで、顔をしかめた。

「ぬぁんれふはぁ。ふはいれふよぉ」

『なんですか。くさいですよ』と言っているらしい。

「しょーがないでしょ」

 怒りがおさまらないらしい。ぶんぶんと剣を振り回している。

「ぶった切ったら、あたしのこの美しい身体に腐った体液がかかっちゃったんだもん」

 くんくんと彼女は自分の身体を嗅いでみせた。

「シモラーシャ……」

 そんな彼女に、ドーラが緊張した声をかける。

「わあってる」

 彼女はマリーのように匂いで顔をしかめながらも、心得顔で頷いた。

「ジューク、あたしの後ろに来て」

 ジュークは頷くと彼女の背中に急いで回った。

「死肉に誘われて、ゆうべっから集まって来てたらしいね」

 彼女は呟く。

「全く、嫌らしくって吐き気がするわ」

 彼女は唾でも吐きかねない様子だった。

「こいつらを下僕にしている邪神って、そーとー性悪だわね」

「そおでしょおねえ。違いありません」

 なぜかマリーは確信に満ちて頷いた。

「邪神でも仲間に嫌われてる奴じゃないでしょおかねえ」

 含みのある物言いである。

 シモラーシャとドーラはそれにまったく気づかないようだったが、ジュークだけは違っていた。ジュークはマリーをじっと見つめた。

 それからマリーが携えているフィドルに目をやった。少しの間、考え込んでいる風だったが、何か確信のようなものを感じているようだ。ひとり小さく頷く。だが、何も言うつもりはないらしい。彼はそのまま黙って、おとなしくシモラーシャの後ろから動かなかった。

 と、突然それは始まった。

 ───グワァァァァッ!

 耳障りな叫び声とともにあちらこちらの建物の陰からコープスどもが飛び出してきたのだ。

 同時にシモラーシャたちは動いた。光るゴールデン・ソード。

 マリーはフィドルに仕込んだレイピアを抜く。いきなり戦闘だ。いや、戦闘なんてものじゃない。一方的虐殺だ。

 なぜならコープスはハッキリ言って弱い。一般人には怖い存在だろうが、魔法剣士の相手にはまったくならない奴らなのだ。ただ、あの通りのありさまなので、あまり遭遇して戦いたくないだけなのである。

「やぁぁぁぁ───っ! バカァァァァ───っ!」

「オオオオ───ウ!」

「あっちいけぇぇぇぇ───!」

「ウオオオォォォォ───!」

「近寄るなぁぁぁ───!」

「オオオオ───ウ!」

「きちゃなぁぁぁぁ───い!」

 シモラーシャの罵声とコープスの吠え声だけがあがっている。もう大騒ぎだ。

 ───バシュッ!

 ───ドシュッ!

「オオオオ───……」

 彼女の物凄い剣捌きに、考える頭のないコープスたちでさえ怯んだ。

 だがそれも一瞬のこと。直ぐに奴らはユラリと動きだし、両手を伸ばしてやってくる。

「オラオラオラオラオラァァァ────っ!!」

 そこへドーラは雄叫びを上げながら右に左に剣を薙ぐ。シモラーシャとドーラのふたりは頭から身体から、とにかく全身がコープスの体液だらけになってしまった。

「全く……」

 溜め息まじりの声が聞こえる。言わずと知れたマリーだ。

「もう少し優雅にやってもらえないものですかねえ」

 彼の言葉のニュアンスには、ほんの少し侮蔑が込められていた。

 しかし、そう言うだけあって彼の剣さばきはなかなかのものであった。

 彼の剣は細いので、およそコープスのような化け物を切れるような代物ではなかった。にもかかわらず楽々と両断している。しかも、なるほど厭味なくらいにサラリと優雅に身をかわし、全くと言っていいほど紙一重で体液を被るのを免れていた。

 例のど派手なドラゴンの裏地をチラチラさせながら、マントをなびかせ剣をさばくその姿は、なぜかスマートに決まっている。本来ならカッコいいはずがないのにだ。だが、如何せん顔の表情がそれを損なっている。いつものお惚け顔だ。

 といっても、それは彼が全くの窮地に陥っていない証拠でもあるのだ。

(僕は守られるだけの木偶の坊じゃない)

 マリーはレイピアをふるいながら、得意気な視線をジュークに向けた。

「!」

 その目が驚きに見開かれる。

 マリーはジュークがさぞかしコープスの体液だらけになっているだろうと、ちょっぴり楽しみだった。それがまったく免れている。シモラーシャの後ろに隠れた恰好であるとはいえ、多少なりとも被害を被るはずなのにである。

 マリーはよく目を凝らしてみて更にびっくりした。

 ジュークの身体が仄かに輝いていた。金色とも銀色とも言える不思議な光が、身体全体をまるでバリアーのように包み込んでいる。

(光の結界!)

 マリーは心中穏やかでなかった。あの時の回復魔法といい、この光の結界といい、このジュークという男ははいったい何者なのか。

 一般の人間はあまり知らないことであったが、魔法剣士の魔法とは違い、回復魔法は必ず呪文が必要なのだ。それは結界を張る場合も例外ではない。それなのに、この男は呪文を唱えたわけでもないのにそれらの魔法をこなすとは、これではまるで───

「まるで、司る者ではないか……」

 レイピアをさばくマリーの手が一瞬鈍る。

「まさか……善神……?」

 彼は吠えながら近づいてきたコープスを薙ぎ払った。油断したため、黄緑色の体液が微かにマントにつく。

「ちっ…僕としたことが……」

 彼は舌打ちすると再び考え込んだ。

(しかし、善神にはあのような人物はいないはず……)

 首を振る。

「?」

 彼は誰かの視線を感じた。ハッとして顔を上げる。すると、ジュークの涼やかな瞳とかち合った。

「!」

 ジュークは微笑んでいた。私は何もかも判ってますよ、とでも言いたげな彼のその表情にマリーはムカムカしてきた。

(僕は勿体ぶるヤツは嫌いだ)

 そう思う彼であったが、自分が一番そうだということに気がついていない。

「ムムム……」

 マリーは珍しく頭に血が上った。いつもの優雅な戦い方が出来なくなってしまった。

(気に食わない。気に食わないっ!)

 彼は勢いよくレイピアを振るった。折れてしまうのではないかというくらいに。


 一方、ドーラは最後のコープスを倒したところだった。

 戦闘が始まってから───これが戦闘といえればだが───ものの十分と経っていないだろう。

「でぇぇぇぇぇ───いっ!!」

 ドーラの剣が振り降ろされ、相手が真っ二つになった。嫌な音を立てて崩れ落ちるコープスを吐きそうな顔で見つめる。彼の剣はすでに輝きを失っていた。

「ごくろーさんっ」

 シモラーシャがジュークを携えてドーラの傍にやって来た。

「おー、お前もなっ」

 ドーラはそう元気に答えた。

 しかし剣を鞘におさめると、打って変わって表情が硬くなる。そして静かに歩きはじめた。

「ドーラ……?」

 シモラーシャはドーラに手を伸ばした。

「……ちゃんと確かめなきゃ、な」

 彼の声は、聞いていると辛くなるくらい抑揚がなかった。

 再びドーラは自分の家の前に立った。扉は大きく開け放たれている。一歩踏み出す。そんな彼の背中を見送るシモラーシャとジューク。マリーはといえば、少し離れた所から再び表情を無くした顔で彼らを眺めていた。

 静かに時は流れる。ドーラはなかなか出てこない。シモラーシャは心配になってきた。彼女は後を追って中に踏み込んだ。

「ドーラ!」

 彼を呼ぶ。

「あ……」

 中に入って直ぐの場所に彼はいた。跪いている。

「………」

 彼の目の前に、人間らしき形態をかろうじて留めた塊が二個、転がっていた。かなりひどく食い散らされている。

「ドーラ……」

 シモラーシャは何と言っていいか迷った。彼の肩にそっと手を添えることしか、今の彼女には出来なかった。ドーラの肩は小刻みに震えている。

「オレのせいだ……」

 彼がそう呟いた時、ちょうどジュークが中に入ってきた。マリーもやってきたが、中には入ろうとしなかった。入口の扉にもたれかかり、見下したように腕を組んで中の様子を眺めている。

「オレのせいで親父もお袋も、そして村の皆も殺されてしまったんだ」

 ドーラは絞り出すようにそう言った。

「そんなことないよっ」

 シモラーシャが叫ぶ。

「あんたのせいじゃないよ……」

 彼女にしては、いつになくいたわりに満ちた優しい口調である。

 しかし、それをぶち壊すかのようなマリーの声。

「そおですよ。ドーラさん。あなたがいてもいなくても、同じことでしたでしょおからねえ」

「またっ、マリーったらそんなこと……」

 シモラーシャは拳をマリーに振り上げた。

 すると───

「そうじゃねえっ!」

 いきなりドーラの怒鳴り声。すっくと立ち上がる彼を、シモラーシャたちはびっくりして見つめた。

「そうじゃねえよ……」

 ドーラの声は悲しそうだった。聞いている者の心を辛くさせるほどに。

「オレが……」

 言葉が詰まる。

「オレがもっともっと強かったら……」

 彼はゆっくりと振り向いた。泣いてはいなかった。だが、身体全体が悲痛な涙を流しているように見えた。

 ドーラは真っ直ぐシモラーシャを見つめていた。彼女は胸が痛かった。それほど彼女には、ドーラの気持ちが判るのだ。シモラーシャもまた、彼と同じように両親を魔族に殺されていたから。

「お前には判るだろ。オレの気持ちが」

 ドーラは彼女の目から視線をそらそうとしない。訴えかけるように、じっと見つめたままだった。

「お前もオレと同じ気持ちになったからこそ魔法の塔に行って、魔族を叩き潰すために修業したんだろ。仲間に嫌がらせされても、師範に厭われても頑張ってこれたのは、そのためだったんだ」

 シモラーシャは黙っていた。それでもドーラは続ける。

「オレ、今になって漸くお前の気持ちが判ったよ。いっぱしに魔法を使えるからっていい気になってたんだ。お前のようにもっともっと強かったら、あんな邪剣士どもに好き放題されなかっただろうに」

「ドーラ……」

 ドーラは気弱く肩を落とした。シモラーシャからも視線をそらす。そしてじっと床を見つめている。

「なに言ってんの!」

 ───バシッ!

「いてっ」

 シモラーシャはドーラの肩をぶっ叩いた。ドーラは思わず顔を上げる。真剣な目のシモラーシャがそこにいた。

「あんたらしくないよ。いつもの自信はどこいったの。オレが世界一だぁ───っていきまいてたじゃん」

「シモラーシャ……」

「あんたは弱くなんかないわよ」

 シモラーシャは強く言った。

「そりゃね。他人に言わせれば自惚れかもしれないけど……」

 身もふたもない言い方である。

「でもあたしは、あんたはこれからもっともっと強くなるって信じてる」

 打って変わって、元気づく言葉が飛び出した。

「おじさんやおばさんには悪いけどさ、この悲劇を踏み台にしてもっと強くなって見せてよ。剣の腕だけでなく、精神もね」

 そしてシモラーシャは、およそ色気など感じられないウィンクをして見せた。

「期待してるから、ね」

 ドーラは感激して大きく頷いた。

「そうだよな。オレはもっと強くならねえといけないんだ……」

 彼は自分の両親の亡骸を振り返り、さらに続けた。

「オレは運命なんて言葉で片づけてしまいたくねえ。でも起きてしまったことはもう戻せねえんだ。だったらお前の言う通り、今よりもそしてお前よりも、もっと強くなってもう誰も魔族になんか、邪剣士なんかに殺させやしねえぞ!」

 結局、彼の長所はそんな単純なところなのかもしれない。

 ドーラは、シモラーシャの励ましの言葉で一人盛り上がり、すっかりその気になっていた。まるで天に誓いでも立てるかのように、自分の大剣を空に向かって指し示している。

「そうよ。その調子よ」

 シモラーシャはウンウンと頷いた。ちょっぴりホロリとしてドーラのその姿を見つめている。

 それを呆れた表情で見ていたマリーだが、賢明にも黙っていた。彼としては恐らくここで一発、とっても何か言いたかったに違いない。しかしこれ以上たわけたことを口走ろうものなら、シモラーシャにウダウダと言われかねないと判断したのだろう。

 彼の口もとが、むずむずしているように見えるのは気のせいではないと思われる。

 シモラーシャはそんなマリーには、まったく気づいていないようだ。勢い良くパンッと手を一つ叩いた。

「さあ。一件落着!」

 元気のよい声が響く。

「ってことで、今度はジュークの用事を片付けなきゃね」

 やれやれといった風にマリーが溜め息をひとつついた。そこへドーラの重々しい声。

「オレは皆の亡骸を埋葬してから行くよ」

「うん。そだね」

「おや」

 マリーの言葉には意外といったニュアンスが込められていた。

「あなたは別に来られなくてもよろしいんではないですかあ」

 そして、当然とでも言いたげに顔を傾け、眇めてドーラを見つめた。

「ここでお別れってことで……」

 眉間に皺を寄せたその表情は、まだついてくるか、と言いたげである。

「何言ってんだよ!」

 途端にドーラは抗議の声を上げる。

「ジュークの身柄確保の件でシモラーシャとナシつけなきゃなんねえからよ。絶対、後で追いかけてくるからな」

 鼻息も荒く息巻く。

「忘れんなよ」

「はいはい。わあってるってば」

 シモラーシャは少々うんざり気味でドーラにこたえた。

「魔法の塔で待ってっからさ。早いとこ来ちゃってよね」

 彼女は手を振り振り外に出た。

「じゃ、先行ってるね───」

 そしてドーラの抜けた彼らは、再び魔法の塔へと向かい始めたのだった。

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