第5話「回復魔法」

 さて、一方現在に戻ってシモラーシャたちは、早速魔法の塔に出かけようと出発の用意をしていた。

 そんな時『煙草と煙亭』の女将ターニャが一抱えの袋をシモラーシャに渡して言った。

「実はねえ。魔法の塔の賄(まかな)いさんに、おやつの干しブドウを頼まれててね。今から行くんなら持ってってくれでないかね」

「えっえぇぇぇ────!」

 シモラーシャの叫び声にも全く動じることのないターニャは、駄々っ子娘の澄んだ青い瞳を涼しい顔のまま見つめた。

「これすっごく重たいじゃん。やだよー」

 シモラーシャはブウブウぶうたれている。

 彼女は面倒なことが大嫌いだった。頼まれ事などもってのほか。例え一方ならぬ世話になったターニャにでもさえこの態度だ。嫌なことは嫌とはっきり言い切るのが彼女の性格であった。

 しかしターニャも負けていない。

「そんなことお言いでないよ」

 シモラーシャをメッと睨み付けた。

「あんたの後輩たちのためじゃないか。あんたもこれ好きだったろ。やっぱり子供たちはみんな好きでねえ。早く届けてやりたいんだよ」

「ムゥゥゥゥ────」

 彼女はふくれっ面でターニャを睨んだ。

「私がお持ちいたしましょうか」

「ええっ?」

 シモラーシャの横にいつの間にかジュークが来ており、柔らかな物腰で申し出た。

「私にはこれくらいしか、シモラーシャさんの親切にお返しすることが出来ませんので、荷物くらい持たせてください」

 ターニャはジュークににっこり笑いかけながら言った。

「おや、そうかい? すまな……」

「駄目よ、駄目よ!」

 シモラーシャは、慌ててターニャの言葉を遮った。

「あなたみたいなそんなほそっこい腕で持てるわけないじゃないの」

 そして、仕方ないといった風に続けた。

「いいわよ、いいわよ。このあたしが持つから」

 彼女の方も相当細いと思うのだが、二十キロくらいありそうなその袋をヒョイッと持ち上げ、軽々と肩にのせた。

「すみません」

「いいって、いいって」

 シモラーシャはニッコリ笑った。

「おやまあ」

 ターニャは意味ありげに含み笑いをしている。

「この子ったらジュークさんにいいとこ見せようとして……」

「な、何よお。いけない?」

 彼女は照れて赤くなりながらズンズン外に出ていった。

 ジュークも彼女に続き、外に出ようとした。するとターニャに呼び止められた。

「ジュークさん、すみませんでしたねえ。お芝居させちゃって」

 彼女はこそこそと小声で耳打ちする。

 ジュークは微笑むと首を振った。

「いえいえ。本当に持って差し上げてもよろしかったんですよ」

「あんたさんがああ言えば、絶対自分が持つって言うのはわかってましたからねえ。あの子は全く、素直じゃないんだから」

 さすが長年客相手に商売しているだけあって、シモラーシャ如き小娘の扱いを心得ている。

「いえ……」

 ジュークはくすりと笑った。

「シモラーシャさんはご自分に素直過ぎるんですよ。私はいいことだと思いますがね。本当に好ましい人です」

 そして彼は目を細めると、一瞬羨ましそうな表情を見せた。それを見ると、ターニャは嬉しそうに破顔した。

「そう言ってあの子のこと理解してもらえて嬉しいよ。ああいうきつい性格の子だからいろいろと誤解されちゃってねえ。可哀想な子なんだよ。あの子はあたしの娘みたいなもんだからねえ。何だか不憫でさ」

 ジュークは微笑みを崩さず、そんな彼女の嬉しそうな顔を見つめていた。すると外からシモラーシャの大声がした。

「あにしてんのよお。ジューク。行くわよお」

 その声を聞いたターニャは溜め息をもらした。

「今、行くよ!」

 答えたのはターニャである。怒鳴ってから彼女はジュークに片目をつむってみせた。

「それでも、もうちょっと女の子らしくしてほしいさね」

 ジュークはますます微笑みを深くした。

 そして彼らは外に出た。

 店の外には大きな袋を担いだシモラーシャと愛用のフィドルを抱えたマリーが、ジュークを待っていた。

「お前さん!」

 ターニャは外に出ると店の中に向かって叫んだ。

「シモラーシャが行ってしまうよ。早く出てきなよ」

 すると、ようやく足を引きずりながらゴーダが出てきた。

 それからシモラーシャたちは、店の前に立つターニャとゴーダに向かい合った。

「じゃ、行ってくるね」

 暫くの沈黙ののち、シモラーシャは何でもないことのように言った。それに答えたのはターニャである。

「ああ、気をつけるんだよ」

 彼女の声が心なしか淋しそうであるのは、ここにいる誰もが感じたことであろう。シモラーシャはそれに気がつかないふりをして、ターニャからゴーダに視線を移した。

「ゴーダとっつぁんも元気でね」

「お、おう」

 こちらはまあ明らかに名残惜しそうだ。涙声になったその声を必死に抑えようとしている。

「また来いよ。待っとるからの」

「うん、絶対来るよ」

 突然シモラーシャは袋を下に落とした。

「!」

 彼女はダッとばかりに二人に抱きついた。二人の身体と身体の間に頭を挟む。

「また絶対帰ってくるから……」

 シモラーシャのくぐもった声がした。ターニャとゴーダはジッとして、彼女の背中を見つめていた。

 静かに時が流れた。彼女は暫くそうしていたが、おもむろに顔を上げた。そして元気良く二人から離れる。

「じゃ、行くわ」

 晴れやかな顔をしている。

 しかしよく見ると彼女の目は心なしか赤いようだ。

 シモラーシャは地面に置いた袋を勢いよく担ぐと、くるりと背を向けた。歩きだす。その歩みを鈍らせるものはないだろうというほど、彼女の足取りはしっかりしていた。

「あっ、待ってくださいよお」

 ターニャたちへの挨拶もそこそこに、慌ててマリーは彼女を追いかけた。

 ジュークはというと憎らしいほどマイペースで上品にお辞儀すると、いつもの笑顔を顔に浮かべて静かに挨拶をした。

「お世話になりました」

 それから優雅に振り返り、しずしずと二人の後を歩き始めた。

「何だか、もう逢えないような気がする……」

 彼らの姿が消えてしまうかしまわない頃、ターニャは誰に言うともなしに呟いていた。

「あたしらの大切な坊やのように……」

 それを耳にしたゴーダは知らずに頷いていたが、それとは裏腹にこう言った。

「いや。わしらの娘は違う。砂漠に行ってしまうわけではないからな。それに…」

 ゴーダは誇らしげに言い切った。

「なんてったって世界最強の魔法剣士だからな」

「世界最悪でもあることだしね」

 ターニャの言葉で、二人の間に流れていた寂漠さが嘘のように晴れていった。すでに地平線の彼方に消えていった愛する娘を、彼らはいつまでも見つめ続けていた。

 こうしてシモラーシャとマリー、そして謎の少年ジュークの、魔法の塔への道のりが始まったのである。


 魔法の塔はここアクアより北へ数キロ離れたアクアピークの中腹にあった。

 アクアピークは通称『ラスカルの山』と呼ばれていた。地神ラスカルを讃える邪教徒の間でそう呼ばれていたのだが、それがいつの間にか一般の人々にも広まっていったためである。標高はさほど高いわけではないが、その麓は鬱蒼と生い茂る樹木に覆われていて、普通の人間はめったなことで近づこうとする者はいなかった。

 町を出て暫くたった時のこと。シモラーシャは何やら意味ありげにマリーの顔を覗き込んだ。気持ち悪いくらいにニヤニヤしている。

「何ですかあ。気持ち悪いですよお」

 マリーは大袈裟に顔をしかめて見せた。

「あのさあ。どしたの今日は」

「は?」

 シモラーシャは更にニヤついた。

「そのマントよ。どしたのお。何だかいつもより地味じゃない?」

「あー、これですかあ。いやー、地味でしたかねえ。特別に作ってもらったお気に入りなんですが……」

 マリーは自分のマントを眺め回した。そしていきなりマントを翻した。

「どうです。ほらっ」

「うげっ!」

 彼女は一瞬気が遠くなりそうになった。

 マリーのマントは一見灰色で地味に見えていた。それなのになんと、ひるがえったその裏地が──金銀、赤青、黄色に緑、紫などのとってもカラフルなドラゴンの刺繍が複雑に施されていたのだ。

「いーでしょー、このドラゴンの刺繍。ほんとは表にしてもらいたかったのですが、この方が流行に沿ってるって仕立屋が言うもんで。このチラリズムがいいんだそうですよ」

 彼はそう言うと、マントをハラッハラッと閃かせて見せた。

「あー、あったまいったあーい!」

 シモラーシャは頭を抱えて空を見上げた。

「あんた!」

 途端に彼女はマリーに噛みついた。

「まさか、こんなことのためだけにアクアに来たんじゃないんでしょおねっ」

「えっ?」

 ビクッとするマリー。

「いや……そんなわけでは…ありませんが……」

 あわれマリーは言い訳をしようとして、しどろもどろになっている。シモラーシャは思いっきり疑わしそうにそんな彼を眇めて見ていた。

 そんな時、その場にまったく似つかわしくない雰囲気の声が上がった。

「なかなか素敵な模様ですね。こちらにはドラゴンがいるのですか?」

「なっ……」

 マリーはびっくりした。

 何故なら、いつの間にかジュークが彼のマントを手で引っ繰り返し、裏地のドラゴンをしげしげと眺めていたからだ。

 驚愕してされるがままになっていたマリーであるが、ハッと我に返った。

「そうですよ。ドラゴンはここでは神聖な神獣として崇められていますからっ……」

 ムッとして、ジュークが掴んでいるマントの裾をバッとひったくる。

「もっとも今は死に絶えていてどこにもいませんが、噂によれば人知れずどこかで生きながらえているとか、いないとか…。ま、噂ですけどね」

 それからジュークの言った言葉にちょっと小首を傾げた。

「こちらにはいるかって、あなたのいらした所にはドラゴンはいなかったんですか」

「ええ、まあ」

 一瞬困ったような表情が浮かぶ。

「私の故郷はドラゴンは想像上の生き物としか信じられていませんでしたから」

 ジュークの答え方は何となくあやふやだった。

「そうですか。ここにはドラゴンが存在するのですね」

 彼は一瞬黒い瞳を嬉しそうに輝かせた。そんな彼を訝しそうに見つめるマリー。

(ドラゴンが想像上の生き物……?)

 ますます胡散臭そうにマリーは、このたおやかな男を眺めまわした。

(どんな田舎から出てきたんだ、この男は)


 それから一時間ほどでシモラーシャたちは麓に到着してしまった。

 三人は立ち止まった。彼らの前には昼なお暗い森が立ちはだかっている。

「何だかとても気味が悪いですね」

 ジュークが木々を見上げて言った。そう言っている割りには、彼の表情は全くそう思っているようには見えなかった。

 マリーはすっかりジューク不審になって、彼を眇めて見ている。

「ほら見て。あそこ」

 シモラーシャは二人にそう言うと指を差した。彼女が指し示したのはその森の木の上にそそり立つアクアピークの中腹だった。見ると石造りの立派な建物が立っている。

「あれが魔法の塔よ」

 シモラーシャはズンズン歩きはじめた。

「もう少しだかんね」

 そして、とうとう彼らは森に足を踏み入れた。途端に辺りは薄暗くなってしまい、得体の知れない鳥や獣の不気味な鳴き声が聞こえてきだした。普通の人間なら震え上がってしまいそうである。

 しかし、シモラーシャにとっては懐かしいだけの道のりだった。彼女はこんなに薄気味の悪い森の中を、しかも夜中に徘徊していたのだから。ここいらの場所は三年たった今でさえ、目を閉じていても彼女には手に取るように判るのだ。

「魔法の塔にいた頃、あなたはよく夜中に抜け出て町に行ってたそうですねえ」

 突然マリーが言った。

「あによ。それがどうかした?」

 彼女は、なんだそんなことといった風に答える。

「いえ」

 マリーはにっこりして微かに首を振った。

「その頃っていったらあなたもまだほんの少女だったでしょおに。こおーんなうすっきみ悪いとこをよく一人で歩けたものだなあって思ったもので」

「あら、一人じゃなかったわよ」

 シモラーシャは事も無げに言った。

「え……?」

 マリーは怪訝そうな顔をした。

「そりゃ、最初はね。話たっけ、幼なじみのこと」

「ええ、ドーラさんって言いましたっけ。その人がどう……」

 マリーは目を見張った。

「まさかその人と……?」

「そう、あんたの考えてるように、途中からドーラも一緒に繰り出すようになったの」

「それは、それは……」

 マリーは納得といった顔をした。

「でも見損なわないでよ」

 シモラーシャは胸を張って言い切った。

「あたしにとってこおーんな森の一つや二つ、ちーっとも怖かないわ」

 にこにこしながら聞き入るマリーである。

「何のお話でしょう?」

 すると、ジュークがワンテンポもツーテンポも遅く、話に加わってきた。

 マリーは面倒臭そうに振り返った。

「いえね。彼女はこの世に怖いものが全くないんだそうですよ」

 ジュークは判ったような判らなかったような複雑な表情を浮かべた。

「ちょおっとお。人をまるで化けもんみたいに言わなくてもいーでしょ」

 シモラーシャはプンプン怒ってマリーを睨みつける。それからジュークに妙なしなをつくって見せた。

「マリーの言うことなんか信じないでね。あたしだって女の子なんだもん、怖い物だってあるんだから」

 ジュークは判っていますよ、と言いたげに頷いて見せた。

「へっえー!」

 それに比べ、マリーは厭味たらたらだ。

「天下の大魔法剣士シモラーシャ・デイビスを恐怖させる物って一体なんだろー。僕は大いに興味ありますねえ」

「それは、ヒ・ミ・ツ!」

 シモラーシャはベェーッとマリーに舌を出して見せた。

「そんな弱点、敵に教えるわけないじゃない。ばっかねー」

 それを聞いたマリーはプーッと膨れた。

「僕は敵じゃありませーん」

 だがシモラーシャはプンッと横を向いてしまった。ジュークはそんな二人を興味深そうに眺めていた。


 それから暫く三人は黙ったまま進んでいった。森はどんどん深くなっていく。

 すると突然、ガサガサッと傍らの草むらが激しく動いた。ここは魔法の塔のお膝下、滅多なことでは魔族が出ることはない。それでもごくたまに魔族が出没する時もある。

 もしかしたらと彼らの間に緊張が走る。約一名は緊張感のない泰然とした態度で立っていたが───

 シモラーシャは後ろの二人に止まるように手で合図すると、背負っていた袋を静かに降ろした。いつでも抜けるように背中の大剣に手をかける。そして、音のした方へジリジリと近づいていった。

 ガサガサガサ───

 今まさに何者かが出てこようとしていた。

 ───ドサッ

「ああっ!」

 一人の男が彼女の足下に倒れ込んできた。

 剥き出しになった左腕に結構深そうな裂傷が走っている。太刀傷らしく既に血は乾いていたが、痛々しい。如何せん、魔法剣士の扱う魔法は攻撃オンリーである。たちどころに傷を治してしまうという回復系じゃないのが辛いところだ。

「うう……」

 男は呻きながら身体を起こした。目の前のシモラーシャに手を伸ばし、顔を上げた。

「あんたっ!」

 その顔を見た途端、彼女は叫んでいた。

「ドーラじゃないのっ」

 シモラーシャは慌てて彼の手を握った。助け起こす。そしてその場に寝かせた。

「おま……え……」

 憔悴しきった表情をシモラーシャに向けながら彼はたどだとしく喋りだした。

「お───シモラーシャだぁ……ひっさしぶりぃー」

 シモラーシャは跪いてドーラの頭を自分の膝にのせた。マリーとジュークも急いで彼女のもとにやってきた。

「マリー。そこの草むらの向こう、ちょっと行ったところに川があるから、水汲んできてちょうだい」

 マリーは頷くと走った。

 ジュークはシモラーシャに倣って跪きドーラを覗き込んだ。そして腕の傷を認めると、おもむろに自分の袖を引き千切った。

「ジューク……?」

「何か巻いておいた方がよいでしょう」

 彼はドーラの腕にその布を巻き付けた。

「有り難う」

 そう言うシモラーシャに、ジュークはとんでもないといった風に笑いかけた。

 その時、愛用の透明グラスに水を汲んでマリーが帰ってきた。

「はいはい、水ですよ」

 彼はシモラーシャにグラスを渡した。

「有り難う、マリー。あら?」

 彼女はそのグラスを受け取り、驚いたようにマリーを見た。

「これ、あんたの一番大切にしてるグラスじゃない。いいの?」

「いいんですよお。冷たい水の方がいいでしょ」

 珍しくマリーは機嫌がよいらしい。いつもの皮肉さが見られない。

 そう。マリーはこのグラスをとても大事にしていた。というのもこのグラスは世にも不思議なグラスだからである。

 このグラスに水を満たすと、どんなに水が煮えたぎったお湯だとしても、たちどころに涼やかな冷たい水になってしまうのだった。

 シモラーシャは手に持ったグラスを見つめた。ガラスのように透明なのだが、材質はガラスではない。水晶のような感じでもあるが、全く水晶とも言い切れなかった。

 マリーいわく、彼がまだ一人で旅をしている時に、ひょんなことから手に入れた逸品だということだ。マリーは、邪神の一人である氷神バイスの愛用していたと言われる不思議なグラス『冷華のグラス』に違いないと断言しているが、あながちそれも嘘ではないのではないだろうか。それほど不思議なグラスなのだ。どんなに高い所から落としても割ることすら出来ないのだから。

(でも……)

 シモラーシャは、そっとマリーを盗み見て思った。

(このグラスに対するマリーの執着は、それだけじゃない気がするんだけど)

「シモラーシャちゃん。何してるの。はやく飲ませてあげないと」

 マリーの声に我に返った彼女は、慌ててグラスをドーラの口へ持っていった。ドーラは美味しそうにゴクゴクと喉を鳴らしながら水を飲み干した。

「大丈夫?」

 シモラーシャは心配そうにドーラの顔を覗き込んだ。すっかり消耗していたようだが、今の水で大分元気が出てきたらしい。いきなり彼はガバッとシモラーシャの腕を掴み、悲痛な声を上げる。

「シモラーシャ、お願いだ。オレを村に…カランの村に連れ帰ってくれ。帰らなきゃならないんだ!」

「ど、どうしたのよ、一体」

 シモラーシャは驚いて聞いた。

「じ、実は……」

 彼はカランの村が襲われたことを話した。

「襲われたって……魔族に?」

 シモラーシャは興奮して、声がうわずっている。

「いや。あれは魔族じゃない」

 ドーラの顔は悔しさのためか醜く歪んだ。

「人間、しかも女だった。どうやらオレたちと同じ魔法剣士らしい」

「邪剣士かっ」

 ドーラは頷いた。

「強かった。オレは全く歯が立たなかったんだ」

 彼は拳を握りしめた。

「無事でよかった……」

 シモラーシャはホーッと肩の力を抜いた。

「それにしてもあんた。なんでこんなとこにいるのよ。カランの村って言ったらここから大分離れてるじゃないの」

 シモラーシャは不思議そうに言った。ドーラはフードの男の事を彼女に話した。

「オレもよくわからねーんだが……」

 彼女は考え込むように地面を見つめて聞いていたが、おもむろに顔を上げた。

「それで、そいつはあんたは助けてくれたけど、村の皆は見捨てたってことなの」

「そーだよ」

 彼は、あの男の神経を逆撫でするような喋り方を思い出したらしく、再びふつふつと怒りをこみ上げた。

「あの銀の髪のやろお……許せねえ」

「銀の髪……」

 シモラーシャはそれを聞き逃さなかった。

「あんた、顔見たの?」

 すかさず彼女は質問する。

「いいや」

 ドーラは首を振った。

「顔は見てない。フードの下から銀色の髪が出てきたんだ。ハラリとね」

 彼の言葉にシモラーシャはチラリとジュークに視線を向けた。

(彼も銀の髪だけど……まさか……)

 ジュークはそんな彼女の視線に気づいたのか気づかないのか、全く無表情であった。


 一方、ドーラは彼女の視線に気づいたらしい。彼女の視線の向こうのジュークに目を向けた。そして彼の柔らかそうな髪を一瞥すると、首を振った。

「シモラーシャ、彼じゃないと思うぞ」

「え……?」

 彼女はハッとしてドーラを凝視した。ドーラは思い出そうとして目を閉じる。

「こんなに柔らかそうな感じじゃなかったな。もっとこう自己主張の強そうな、厭味なくらいに銀色に輝いた髪……」

 彼の言葉を聞くと、立ったまま腕を組んで成り行きを見ていたマリーが、からかうように言った。

「あなた、顔なんか見てないんでしょ。たかが髪を見ただけで、そんなことまで判りますかねえ」

 ドーラは、マリーをじろりと睨んだ。なんだこいつは、とでも言いたげな眇めた目つきである。しかし、彼は睨んだだけでマリーには何も答えなかった。

「おい、シモラーシャ」

 そしてシモラーシャに顔を向けた。

「暫く見ねえうちに、なんか訳の判らん奴連れてるじゃねえか」

「あっああ、こいつね」

 シモラーシャはマリーに視線を走らせた。

「吟遊詩人のマリーって言うの。一年くらい前かなあ。えらく質の悪い魔族に出くわしてさあ、ちょおっとドジしちまってね。怪我して動けなくなったところを助けてもらったんだ。そん時からこれが何でかくっついてきてね。ずーっと今まで一緒に旅してんのよ」

 ドーラは横目で胡散臭そうにマリーをチラリと見た。そして今度はジュークに視線を移した。それに気がついたシモラーシャは、急にニマニマしながら説明しはじめた。

「彼はジュークって言うの。今日知り合ったばかりなんだけどさ。老師様に逢いにやって来たんだって。それであたしたち、魔法の塔に向かってる最中だったのよね」

 ドーラは面白くなさそうな表情を見せた。

「お前さ。何ニタニタしてんだよ。気持ちわりーぞ」

「え、そお?」

 彼女はまだニマニマしている。しばらく頬がゆるんでいた彼女だったが、ハッとして思い出した。

「あっそうそう」

 ジュークに向き直ると、彼女はドーラを紹介した。

「この人はあたしの幼なじみで、ドラディオン・ガロスって言うの。みんなドーラって呼んでるわ」

「よろしく、ドーラさん。お怪我はどうですか?」

 ジュークはまだ傷を心配しているらしい。

「なあに、たいしたこたないんだ。これっくらいの傷、魔法剣士やってればしょっちゅうだからな」

 彼は安心させるように歯を見せて笑った。そんな彼らをマリーはムスッとして眺めていた。イライラしたように爪をかんでいる。

「それよりシモラーシャ」

 ドーラは焦る気持ちを抑えきれないようである。

「村の人たちが心配なんだ。オレの親父やお袋も……」

 そんな彼を見て、シモラーシャが動かないはずがなかった。

「判ったわ」

 彼女は頷く。そしてジュークに顔を向けた。

「あの……ジューク……」

「よろしいですよ」

 ジュークは心得顔で頷いた。

「私の方はいつでもよいのです。ドーラさんの用事の方を優先させて下さい」

 彼はそう言うと立ち上がった。そして続けて言った。

「しかし、シモラーシャさん。女将さんに頼まれた物はどうなさるんですか」

「あっ、そっか」

 彼女はしまったと思ったが、直ぐに愁眉を開いて大きく頷いた。

「ちょっくら走ってもってってくるワ」

「え?」

 さすがのジュークもキョトンとした表情で彼女を見つめている。

「ジュークごめん。ドーラをお願い。あっと言う間だから待っててっ!」

 乱暴に立ち上がるシモラーシャの代わりに、ジュークは慌ただしく跪いた。そっとドーラの頭を膝にのせる。

 シモラーシャは、ふんっとばかりに袋を担ぎ上げた。ずしりと地面に足がめり込みそうなほどの力強さだ。そして脱兎の如く走りだした。

「いってきまぁぁぁぁ────すっ!」

 ドドドドドォォォ────っと、地響きがしてきそうなほどの勢いである。

 ヒューという口笛が上がった。言わずと知れたマリーである。彼は右手でひさしを作ると、彼女が走り去った方向に目をやった。

「さすがシモラーシャちゃん。あっと言う間に見えなくなってしまいましたねえ」

 それから彼はジュークたちに視線を走らせた。チラリと横目で見る。

 ジュークは、すでにいつもの無表情な顔に戻っていた。ドーラはというと、彼女の消えていった方角を嬉しそうに見つめている。

(ふん)

 マリーはすっかり機嫌を悪くしてしまっているようだった。特にドーラの顔を口を尖らせて見ている。

(まったく、僕の一番嫌いなタイプだ)

 マリーはそう思ってからジュークにも目を向けるのを忘れなかった。

(もっとも、あなたが一番嫌いになりそうですけどね)

 ジュークは、そんなマリーの思いを知ってか知らずか、ドーラに話しかけている。

「ドーラさん。お怪我の方はまだ痛みますか?」

 彼は、ドーラの左腕に巻かれた布の上に自分の手をそっとのせていた。

「ああ、すまん……」

 すると急にドーラは妙な表情を見せた。

「あれ? なんか痛くなくなってきたぞ」

 ドーラは驚いた。そして、ジュークの膝に頭をのせて横になっていたが、おもむろに身体を起こした。さっきまで悪かった顔色もよくなっているようである。

 ドーラは立ち上がった。右手で左腕の怪我したところをさすり、それからブンブンと振り回してみた。

「ふぇーどう言うことだ? 治ってる!」

 彼はジュークの巻いてくれた布切れを外した。傷痕も消えている。

「信じられない!」

 彼は奇跡だと言わんばかりに興奮し、そして呆然とした。少し離れた場所からこの様子をマリーは疑惑の目で眺めていた。そして思わず口走った。

「回復魔法……」

「そうか!」

 ドーラはマリーの言葉を耳にすると顔を輝かせた。

「これが回復魔法ってやつか。噂には聞いてたけどほんとに便利な力だな」

 すると、突然ジュークの手を握りしめた。激しく上下させる。

「ジューク、有り難う。君が治してくれたんだろ。回復魔法が出来る人間って滅多にいないんだぜ」

 ジュークは手放しで喜ぶドーラを不思議そうな顔でジッと見つめていた。だが、すぐに自分も喜びの表情を浮かべた。

「お役に立って私も嬉しいです」

「役に立ったなんてもんじゃないよ。回復魔法士に巡り合えるなんて奇跡みたいなもんなんだ」

 上機嫌のドーラである。ジュークは考え込むように小首を傾げた。

「そうですか。こちらではこの力を回復魔法と言うのですね」

 彼のその言葉を聞き、マリーは眉をひそめた。

(回復魔法は普通呪文を唱えるはずだが、彼は唱えているようには見えなかった)

 ますます疑わしそうにマリーは目を細めてジュークを見つめる。

(何かがおかしい……)

 そうこうしていると、ダダ───っとばかりにシモラーシャが帰ってきた。

「たっだいまぁぁぁ───っ!」

 汗一つかいていないのが、何だか不気味である。これでは化け物と言われてもやはり仕方がないのではないだろうか。

「どしたの?」

 シモラーシャは辺りに漂う雰囲気を珍しく察知して怪訝な顔をして見せた。

「あ─────っ!」

 彼女はドーラのすっかりきれいに治っている左腕を指さした。

「どーしたのー、治ってるー!」

 彼女は素っ頓狂な声を上げた。

「うん。それがさあ、聞いてくれよ」

 ドーラは満面に笑みを浮かべている。

「ジュークが治してくれたんだ。彼は回復魔法士なんだぜ」

「ええ─────っ!」

 シモラーシャは驚いた顔をジュークに向けた。

「ジュークって回復魔法が出来るんだ」

 ジュークは彼女の視線を受け止めたが、何も答えなかった。その表情は少々困っているようである。

「ねねっ、知ってた?」

 シモラーシャもドーラ同様興奮している。

「すっごく貴重なのよお。回復魔法の出来る人って。あたしたち魔法剣士はそういう人を手に入れるのに血眼になってんだからあ」

「はあ……」

 ジュークは彼女の勢いにたじたじとなっている。それからシモラーシャは誰もがゾッとするほどニンマリとした。

「あっ……」

 ジュークの口から声がもれる。なぜならシモラーシャが彼の腕にガバッと飛びついたからだ。

「あ・た・し・の・も・の・だよーん」

「あっ、ずるいぞ」

 ドーラが慌てて叫ぶ。

「オレにも権利主張させろよ」

「駄目よ。ジュークはあたしが先に見つけたんだから」

 シモラーシャはベェーと舌を出した。

「何言ってんだよ。ジュークが回復魔法出来るの知らんかったくせに」

「あんですってぇぇぇ───?」

 二人が額をくっつけんばかりの勢いで言い張っていると、ジュークが少々間の抜けた感じで二人の間に割って入った。あくまで冷静さを崩さずにだ。

「あのー。そろそろ出発した方がよろしいのではないでしょうか」

 睨み合っていたふたりは、ハッと我に返った。

「そうだったわ」

 シモラーシャはキュッと表情を引き締めてドーラを見つめた。

「ドーラ。この話はまた後ほどきっちりとつけるってことで、いいっ?」

「おうよ、望むとこだっ」

 漸く彼らはカランの村に向かうこととなった。しかし、約一名は何故か面白く無さそうである。言わずと知れたマリーだ。

(全く……余計な人たちが次から次へと、こんなことなら……)

 彼はそこまで考えると、歩くドーラの背中を睨みつけた。その視線はもちろんジュークにも向けられる。

(そのうちあなたの正体、見せてもらいますよ)

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