第3話「魔法の塔」

 魔法の塔────

 アフラシア大陸で最も栄える都市アクア。そこに魔法剣士育成所である『魔法の塔』はあった。

 アクアは赤道直下にあるため周りを熱帯雨林のジャングルに囲まれている。多くの山々も連なっていて、なかなか人々の住みにくい土地となっていた。

 では何故ここが栄えているのか。それはこの山々があったが為の繁栄なのである。

 実は、ここアクア方面に連なる山には、ここでしか採掘できない極めて珍しい鉱物の鉱脈が走っているのだ。それは魔法剣士の持つ魔法剣にも使われているものだ。その鉱石のお陰でアクアはアフラシアで最も潤っているのであった。

 魔法の塔には数百人の少年少女たちが学んでいた。霊力というものは大なり小なり全ての人間が持っている物なのである。取り分け成人を迎える前の子供たちが最もその力が強く、未知数だ。この時期に適切な訓練を積めば将来有望な魔法剣士が出来上がる。そこでほんの小さな頃から霊力の強い子供たちがここに連れて来られるのだ。

 それもアフレシアだけでなく、世界中から集まってくる。

 勿論、入門するには厳しい審査がある。中には大した能力もないくせにただ有名になりたいがため、お金を稼げる職業を将来やりたいがためにやって来る者もいたのだ。

 そういった馬鹿者どもはこの魔法の塔の信条に反するという事で排除せねばならなかった。

 魔法の塔は一千年の歴史があった。創設したのはシモン・ドルチェと言う女性で、かなり強い霊力を持った人物だったらしい。

 それまでは霊力のある人間が自己流で魔族たちと戦っていたのだが、やはりそこは所詮我流である。だから、たいした魔族でもないのに苦戦を強いられることもしばしばであった。

 そこに彗星の如く現れたのが彼女、シモンであったのだ。彼女は強かった。とにかく物凄く強かったのだ。バッタバッタと魔族たちを駆逐したわけである。

 だが彼女も人間であった。一人ではさばききれない場合があることに気づき、これではいけないと考えた。そこで彼女は霊力のある子供たちを集め、彼らの育成に力を入れることにしたのであった。

 それが魔法の塔の前身だったのだ。今では世界に多くの優秀な魔法剣士たちを送り出し、彼らは日夜悪と戦っているのだった。


 さて、シモラーシャとマリーはアクアの町にやって来た。

 メイン・ストリートを勝手知ったる何とやらといった風に、シモラーシャはズカズカ歩いている。

「ここはいつ来ても活気に溢れた町ですねえ」

 マリーは横を歩く彼女にそう声をかけた。

「ま、確かにね。あたしはあんましここには来たくなかったけどさ」

 彼女は辺りをさっと眺めた。本当にそう思っているのだろうか。彼女の目は何故か眩しそうに細められている。

 通りにはいろいろな店が並んでいた。宿屋や食堂。熱帯にしか咲かない珍しい花々が飾られた花屋など。沢山の人が出たり入ったりと賑やかだ。

「それでは……」

 突然、マリーは通りの真ん中で立ち止まった。

「僕はちょっと用事がありますので、後でどこかで落ち合いましょう」

「例の儲け話の件ね?」

 シモラーシャは目を輝かせた。

「まあそれもありますが、その他もろもろの所用がありまして……」

 マリーの視線がわずかに宙を舞った。

「ちょおっと時間がかかると思いますので、どこかゆっくり出来る所で待っててくださいな」

 変にあやふやな言い方だ。しかし彼女は全く気づいてないようで、乗り気満々である。

「そうねえ……」

 細長い指を顎に添えて、暫く考え込んでいたシモラーシャであった。するとすぐによい場所が思いついたらしい。満面の笑みを浮かべた。

「だったらあそこがいいわ。この町一番のうまい店『煙草と煙亭』がね。そこなら二階が宿屋になってるからそのまま泊まっちゃえばいいわよ。マリーは知ってる?」

「ああ…肉団子汁のおいしい店ですね。知ってますよ。足の悪いご主人と体格のよい女将さんが経営してる店でしょう」

 なるほどという風に頷くマリー。シモラーシャも嬉しそうに頷いた。

「そうそう。ゴーダとっつぁんは若い頃、魔族に襲われて命は助かったけど足を悪くしたのよ。そっかあ、あんたとはここに来るのは初めてだったけど、あの店知ってんだあ。なんか嬉しいねえ」

 マリーもニコニコしている。

「じゃあ、そこが待ち合わせ場所ってことで」

「うん、わかったわ」

「ではまた後ほど」

 シモラーシャはマリーが通りの向こうに消えていくのを見送ってから再び歩きだした。

「さて、丁度お昼時でもあることだ。さっそく御飯食べに行ってみよう。久々に女将さんの肉団子汁が食べれるわ」

 彼女はずらりと並んだ料理を頭に思い描きながら締まりのないホクホク顔になった。

 『煙草と煙亭』は町の中央通りの一角に看板を掲げていた。店が開いてる間は扉は開け放たれていてとても開放的である。

 シモラーシャは入る前にちょっと立ち止まり、店の看板を見上げた。

「変わってないなあ……」

 そしておもむろに足を動かし、中に入っていった。

「いらっしゃい!」

 途端に女将の威勢のいい声が上がる。そう広いわけでもない店内なのだが、さすがに昼時だけあってギュウギュウに人が入っていた。

「おやあ!」

 シモラーシャの顔を見た女将は更に叫び声を上げた。そして両手を広げて彼女に近づいていく。

「久しぶりだったねえ。元気だったかい」

 傍までやってきた女将は、シモラーシャの身体をガバッと抱きしめた。そして厨房の方へ顔だけ向けると怒鳴り声を張り上げた。

「お前さん! ちょいとお前さんったら来てご覧よ。シモラーシャが帰ってきたよ!」

 女将のその一声で、サァーッと店内のざわめきが止まった。

「シモラーシャだあ?」

 誰かの声が静けさを破った。その途端、ざわざわと人々の声があちらこちらから上がり出す。

「シモラーシャだってよ」

「シモラーシャっていやあ、あの……」

「そう。あのシモラーシャ・デイビスじゃないのか?」

「そう言えば見てみろよ。あの紫のマントは魔法剣士のマントじゃないか?」

「そうだ、そうだ」

「シモラーシャ・デイビスが帰ってきたんだ」

「あの悪名高い魔法剣士が帰ってきた」

 ヒソヒソと交わされる囁きがシモラーシャの耳にも聞こえていた。

 だが彼女は全く気にしていないようだ。

「よっく顔を見せておくれ」

 抱かれた恰好のままシモラーシャは女将に笑いかけていた。

「おう。生きとったか」

 すると足を引きずりながら店の主人ゴーダが厨房から出てきた。

「もお、ゴーダとっつぁんってば。勝手に殺さないでよ」

 ゴーダは長年患ってきた足のせいで、身体を常に前かがみにしていた。そのため、シモラーシャより頭一つ分ほど背が低かった。頭は薄くはない。

 だが、そんなに老人というわけではないのに、既に髪の毛は真っ白になっている。体格は決して痩せているとは言えない。むしろ恰幅のよいほうなのだが、いかんせん女将が並の体格ではなかったのでいくらか痩せて見える。

「憎まれ口叩いてるけど、これでもお前が帰ってきて嬉しくてしょうがないのさ、この人は」

 その女将は巨体を揺すりながらカンラカラと笑った。シモラーシャはつられてニヤリと笑う。

「さあさあ。こんなとこで立ち話もなんだからさ。二階にお上がりよ。このターニャ特製の肉団子汁を持ってったげるからさ」

 女将は彼女をグイグイ階段へ押しやった。

「後で旅の話でも聞かせてくれな」

 ゴーダは階段を上がるシモラーシャの背中に声をかけた。彼女はそんな彼にちょっと振り返って頷いて見せた。


 宿の部屋の窓から眺める外は既に赤く染まり、宵闇が迫ってきていた。

 まだマリーは帰って来ない。何かトラブルでもあったのだろうか。少し心配になってきだしたシモラーシャであった。

 その時、扉がノックされた。

「入るよ、シモラーシャ」

 ターニャ女将だった。

 彼女は盆にフルーツをのせて入ってきた。

「まだ連れは来ないみたいだねえ」

 シモラーシャは彼女に頷いて見せた。

 ターニャはテーブルに盆を置いた。そしてシモラーシャの座っている椅子の隣に置かれた椅子にどっかと座った。

「女将さん、いいの。ゆっくりしてて」

「ああ。心配には及ばないよ。丁度今は書き入れ時の前の時間帯なんだ。手伝いの若いもんが来てくれてるんでちょいと一休みさしてもらったのさ」

 ターニャはシモラーシャの顔をじーっと見つめた。

「な、何よお。そんなに見つめて」

 シモラーシャは照れて赤くなった。

「お前がこの町を出てっちまって随分立っちまったよねえ」

 彼女はしみじみと言った。

「うん。十五の時だったから、もう三年になるね」

「そうかい、もうそんなになるんだねえ。早いもんだ。お前ももう十八かい。娘になったんだねえ」

 ターニャはシモラーシャの顔を眩しそうに見た。

「あたしゃね、今でもお前を本当の娘だと思ってるんだからね。いつでも帰ってきていいんだよ」

「有り難う、女将さん」

 シモラーシャにしては珍しくしおらしい。

 窓の外は既に暗くなっていた。暑い昼間よりはいくらか涼しく過ごしやすくなってきている。

「覚えてるかい。お前が初めてここにやって来た日を」

「もちろんよ……」

 シモラーシャはターニャの言葉に、星がチラチラ見え始めた窓の外の空を眺めながら、ぼんやりと返事をした。


 シモラーシャ・デイビスは十歳の時にこのアクアにやって来た。魔法の塔に学ぶには少し遅い年齢だった。

 彼女の父は自分も魔法剣士だったので、本当ならもっと幼い頃から彼女を魔法の塔に預けたいと思っていたのである。だが母親は娘を少しでも永く自分の手元に置きたがったのでそうなってしまったのである。

 彼女の生まれ故郷であるカランの村はアクアからそんなに離れた場所ではない。だがシモラーシャ自身は村から一歩も出たことがなく、アクアにも勿論行ったことがなかった。

 その両親も彼女が十歳の時にかなり強い魔族に破れ、殺されてしまった。

 彼女にはふたつ年上の仲良しだった幼なじみの少年がいた。

 少年の名はドーラといい、五歳の時に魔法の塔に行ってしまっていた。そして彼女もドーラの親の紹介で、両親の死後とうとうアクアの魔法の塔に行くこととなったのだった。彼女は父親の形見である立派な大剣一つだけを抱え、アクアに上った。

 遅くに入門してくる子供はさして珍しくはなかったが、シモラーシャは魔法の塔に来て何故か一番頂点に立つ老師オードに気に入られ、特別に訓練を受けることとなったのだった。

 そのため古くから修業する者たちに妬まれて、あまりよい立場とはいえない身になったのである。その上、持ち前の負けん気のため、彼女は他人に媚びるということを知らなかったのでますます立場は悪くなっていった。

 仲間たちの間での嫌がらせはしょっちゅうであった。

 だが、彼女は一発殴って終わらせるという少々乱暴な応対をしていた。さらにカランの村でよく遊んだ幼なじみのドーラもいたので、自分は孤独ではないのだという強みが生まれ、逆に彼女をますます孤立させることとなっていった。彼女にとって彼の存在が何よりも心強かったからである。

 それでもシモラーシャはまだほんの少女であった。

 時としてすべてのことに挫けそうになることもある。そんな時は最後の手段として、時々こっそりと塔を抜け出した。そして麓の町に繰り出すのだった。

 塔を抜け出すのは勿論ご法度である。その上今まで誰も脱走に成功したためしがなかった。しかし彼女は抜け出すのが天才的にうまかったのである。

 そんな折りに見つけたのが『煙草と煙亭』だったのだ。

 最初この看板を見つけた時、彼女は何と書いてあるのだろうと思ったものだった。この店の主人であるゴーダが無類の煙草好きで、そのために同じような煙草好きが集まり、その煙草の煙で店の中が真っ白になるほどだったので、いつの間にかそんな名前で呼ばれ出し、そのまま定着したのである。

 それ以前は『ゴーダの飯屋』と言ういたって平凡な名前であった。

「お前が煙に噎せながら入ってきた時、あたしゃ目を疑ったよ」

 ターニャが笑いながら言った。

「あの時の女将さんの慌てた顔ったら、今思い出しても傑作だったもんねえ」

 シモラーシャがクスクス笑う。

 つられてターニャも笑った。

「ここは子供が一人で来るようなとこじゃなかったからねえ。ましてや夜中だ」

「この店と友達のドーラがいなかったら、あたしはもっとずっと早くに魔法の塔を追ん出てたと思うわ」

 一転してシモラーシャはしみじみとした口調になった。

 それを聞いたターニャは思い出したように言った。

「そうそう。ドーラといえばあんたがここを出てった暫く後に魔法の塔を卒業して、カランの村に帰ったんだよ。時々この店にも顔を見せにやって来るんだよ」

「へえ、そーなんだ。今度逢いに行こうかなあ」

 シモラーシャは懐かしそうにそう言った。

「そうしなよ。あの子、ここに来るといつもお前の話してたから喜ぶよ」

 ターニャはそう言ってから意味ありげにニヤニヤすると続けた。

「あの子ももう二十歳だっていうのにさ、まだ彼女の一人もいないんだよ。もしかしたらお前の事を好きなんじゃないのかねえ」

「なっ、何馬鹿なこと言ってんのよ。ドーラは友達で、そんなんじゃないよ。それにあたしのタイプじゃないもん」

「そーですよお。シモラーシャちゃんは僕と一緒になるんですからねえ」

「マリー!」

 いつの間にか戸口にマリーが寄り掛かるように立っていた。

 シモラーシャはホッとしたのも束の間、今度は彼のその言葉で頭に血が上った。

「あたしは、あんたとも一緒にならないわよ! 変なこと言わないでちょおだいな」

「おやおや、お前の連れって殿方だったのかい。隅に置けないねえ」

 ターニャはニヤニヤしながらそう言った。

 そして立ち上がると戸口に立つマリーの手を取り、自分が座っていた椅子に座らせた。

「さあさあ。マリーさんだっけ。今食事を持ってくるからね。シモラーシャと一緒にゆっくりしてなさいな」

「はい、有り難うございます」

 マリーはターニャの顔を見つめながら、微笑んで見せた。

「あらまあ、シモラーシャ。お前、目が高いねえ。よく見りゃ、いい男っぷりじゃあないか」

「そんなんじゃないのよお」

 シモラーシャは困ってしまって叫んだ。マリーは嬉しそうにニコニコしている。

「まあまあ、そう恥ずかしがらんでもいいじゃないか。じゃ、待ってておくれよ。下も忙しくなりそうだしね」

「女将さん!」

 シモラーシャは慌てて呼び止めたが、ターニャはさっさと出ていってしまった。溜め息をつきながら再び椅子に座る。見るとマリーはまだニコニコしていた。

「まあったく。何が嬉しいんだか……」

 彼女は頭をかきながらぶつくさ言った。

「で、なんでこんなに遅かったのよ」

 途端にマリーはモジモジと居心地悪そうな表情を見せた。

「はあ、まあ、いろいろと忙しくてですねえ……」

 シモラーシャは疑わしそうに眇めてマリーを見た。

「儲け話って何だったのよ」

「ええ、まあ、ちょっと……」

 ますます怪しい。シモラーシャの眉間に皺が寄った。

「まさか……ぽしゃったんじゃないでしょうねえ」

「す、すみませぇーん!」

 マリーはガバッとテーブルに顔をつけた。

「あんたを信用したあたしが馬鹿だった。こんなことならあんた置いてどっかいっちゃえばよかったかなあ」

「そんな寂しいこと言わないでくださいよお」

 マリーは情けない声を上げた。しかしすぐに悪戯っぽく目を細めた。両肘をテーブルに置いて指を組むと、その上にそっと顎をのせる。

「でも、女将さんに逢えてちょっとは嬉しかったでしょ」

「そりゃ……」

 彼女は顔の表情をゆるめた。だが、ハッと我に返り首をぶんぶんと振った。

「駄目駄目!」

 恐い目でマリーを睨み付ける。

「そんなこと言ったって、もー騙されないからねっ」

 その時、じつにタイミングよくターニャ女将が食事を持って部屋に入ってきた。

「さあさあ、シモラーシャにマリーさん」

 二人の前にどんっと置かれたその料理。とても彼らだけでは食べつくせないほどの量である。

「たくさん食べてちょうだいな。おかわりも充分あるからねえ」

 シモラーシャは喜々とした表情で料理を見つめて、すでに手をつけていた。

 それを横目でちろりと見てから、マリーは微かにためいきをつく。

 それは食べ物に意地汚いシモラーシャに対してのものなのか、小食である自分に対して向けられたものなのか定かではなかったが────幸いにもシモラーシャには気づかれることはなかったようである。

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